失うことは哀しみを伴うけれど、失ったあとにはまた新しい世界が広がるから。
イエーーース!そのとーーぉりっ。 ← 久しぶりのタケモトピアノ
何かにつけて私は自分に「ご褒美を大盤振る舞い」しているのですが、やっぱり1年の締めくくりは、ちゃんと自分を労って、自分が笑顔になれるものを届けてあげたいなぁと、自分の収入の中で「無理の全くない範囲」でささやかに感謝の品をプレゼントしました。
ない袖は振れない…のですが、そもそも今、本当に欲しいと思う高級品がないため、安上がりな私です。えへへ。
いい子にしていたらサンタさんがクリスマスプレゼントを届けてくれるはずなのですが、2022年の私も『目指せ鬼畜生!』を旗印にしていたので、いい子と対極ですからプレゼントは諦めました。
そうだ!
サンタさんがプレゼントをくれないならば、私が私にプレゼントすればいいじゃない?!
私って頭いいーーー。
と一人自画自賛をし、インターネットショッピングで欲しかったシールや付箋類を数千円分大人買い。うふふ。
クリスマス頃に届くように事前に購入しましたが、残念ながら雪の関係で配送関係が大幅に遅延となり、数日前にようやく届いたのですが、遅れてきたクリスマスプレゼントも悪くないものですね!
私は文房具(特にシール・付箋・カラーペン・ノート)に目がなく、クリスマスプレゼントも文房具でしたが、年末の自分への労いプレゼントをどうしようか??と考えた時に、
自分の目で見て、自分がトキメク欲しいシールや付箋を
予算10,000円の中で大盤振る舞いしよう!そうしよう!
今年のシール納めじゃ!!!
と、文房具専門店・LOFTをはしごしました。
クリスマスにすでにある程度の「文房具欲」が満たされていることもあり、LOFTでは幾枚かのシールと付箋を手にしただけでも大満足。
じゃあせっかくだから入浴剤でも見てみようかな?と移動したところ、相方・サトヒーヌからプレゼントしてもらってからリピート買いしているお気に入りの「メディテーションバス」という入浴剤の香りのボディーミルクを発見!!
入浴剤コーナーで見つけた時に、感激して口を押え「アメイジング!!」と声なき声を出しました。
新潟にはAYURAの直営店がないので、入浴剤は東京へ行った時に買うか通販またはロフトで在庫があって出会えた時に買っています。
ボディーミルクは使ったことがなかったので、テクスチャーや実際の香りも気になり通販購入はしていなかったのですが、店頭見本があったので手に伸ばしてみたら柔らかくなじむ感じもいいのですが、香りが最&高!!!!
200mlで3,850円という「決して安い訳ではないボディーミルク」ですが、年末のプレゼントとしては最高に嬉しいものに出会えちゃいました。
ささやかな贅沢。
日常が幸せになる、毎日が笑顔になれるプレゼント。
もう一つ、ナイトトワレという香りの商品もサンプルがあったのですが、残念ながらサンプルの香りが少し飛んでしまっていて分かりにくかったので、こちらはまたおいおい、いつかの私を労う時にプレゼントしようと思います。
早速今日、お風呂上りの身体にボディーミルクを伸ばしましたが、デコルテのあたりからフワーッと香るいい匂いにジタバタ。
いつもこの入浴剤を使う時には、バスルームに広がる香りを思いっきりクンクンと吸い込むのですが、お風呂上りにも自分から大好きな香りが柔らかく香っているって、なんて幸せなんでしょう!!
ボディーミルクを塗った手にも香りが残っているので、何度も手を鼻に近付けてクンクンしては「はぁ~♡」と幸せな溜息をついています。
今年も自分をうーーんと甘やかしました。
一年の仕上げに、予想以上に素敵なプレゼントができて大満足です。
* * *
私は今年の節分の翌日に、子宮全摘出をしました。
術後はしばらくお腹の痺れるような痛みがあり、傷もプクッと膨れていましたが、10カ月が経過した今はとてもきれいに傷はくっつきました。
神経を切ってしまうので、人によっては多少の違和感が残ることもある…とは聞いていましたが、私はどうやら傷の上下の微妙な感覚が戻らない(触ってもあまり感覚がない)状態で落ち着いてしまったようです。
とはいえ、術後に感じていた痺れるような感じはいつしかなくなっていて、単純にちょっとだけ感覚が鈍いだけなので日常生活には何の支障もありません。
手術を終えて3カ月くらいの時に、その時の気持ちをブログに書いていましたが、さらに月日が経ち、今では手術をしたことすら忘れてしまうほどに過去になり、毎月のように悶絶して苦しんでいた生理痛もなくなりました。
もはや、生理に関する色んなことから解放されて、めちゃくちゃ自由になりました。
私は子宮を全て摘出しているのですが、卵巣は残っているため毎月の排卵はあり、ホルモン的な大きな変化はありません。
生理がないので、排卵前後のホルモンの乱れが分からないので「あっ!この訳の分からない気落ちはもしかしたら?」と後から思い当たる節があるとはいえ、私の場合は毎月の月経のたびに症状は悪化する訳で生理痛以外にも生理前のお腹がカエルのようにせり出して膨れる感じなどもしんどくて、よく考えると月に半分くらいは体が重い…ということが当たり前でした。
排卵によるホルモンバランスの乱れは今もあるとはいえ、子宮そのものがないので子宮側での不調が一切ないことからPMSも「もはやないに等しい」くらいに軽くなり、いわゆるQOLは爆上がりです。
女性の多くは、思春期になりある程度の成熟をするとそこから数十年の間「生理とのお付き合い」が当たり前のように続きます。
その間は不便ではあるものの、子どもを授かることができるかもしれない可能性、というものを持てています。
いつしか生殖年齢を過ぎると、その機能は柔らかく終わりを迎えて子宮の仕事は終了となるのですが、子宮というのは何かと「女性の象徴」「女性性のなんたら…」と言われることもあり、閉経することで女性ではないような物悲しさを感じて心のバランスを崩す方もいると、手術前に病院の先生から話を聞きました。
私の場合は、閉経という機能的なものを待たずに子宮を切除して取り出すわけで、子宮がなくなるから女性ではない…というような感覚はなかったものの、
私はどんなに望んでも子供を産むことはできない
ということだけは、やはり小骨のようにチクリと胸を刺すことがありました。
私はどうしても子供が欲しいと積極的な治療をしたり、子どものいない人生は考えられない!!と熱望したこともありません。
子供を授かることができたらいいなぁ…と思ったことは幾度かありましたが、残念ながら…でした。
別に強く望んでいたわけでも、年齢的にまだまだ先の希望が長いという訳ではない私でも、可能性がゼロになるという喪失体験を前にしたときには、やっぱり少し悲しい気持ちになりました。
何かを失うって、楽しい体験ではないですものね。
人生は色んな喪失体験の連続です。
喪失のたびに哀しみや苦しみがあるけれど、喪失したらそれで終わりではなく、また新しい「喪失後の世界」に緩やかに順応していく力が私たちにはあるんですよね。
そして、失った後の世界に順応していけるようになると、またそこでご褒美のようなものを拾ったり、それまでとは違う生き方を体験していくことができます。
子宮を失くす、子宮の役目を終える…などなど、女性だけが持つギフトのような役割を失うのは、そこに感情の揺れが「ある・ない」は別として、やはり大きな出来事です。
大きな手放しというか、大きな役目を終えた後のご褒美は、生理のない世界でしたが、先にそれを体験している人の言葉を手術前に読んだ時に
生理のない第二章は最高としか言えなくて、パラダイスだよ!!
という言葉が、本当に希望でした。
毎月の生理がなくて楽だなぁ~、と思うことすらどこか遠くになるくらい「毎月の出来事に縛られないのが当たり前」になっている今、手術前に読んだ『パラダイスだよ!』という言葉は本当だと激しく首を振るおまみーぬです。
子供を授かり、産み、特別な母性を持って育むということは、この先にどんなに科学が進歩して生殖年齢の限界を超えてからも可能になる未来があったとしても、子宮がない私には絶対に叶えることができません。
大きな大きな可能性(または希望)というものを失くした後の世界は、軽やかで自由で、本当に第二章と言っていいくらい快適な世界だなんて、私には想像もつきませんでした。
何かを失うというのは、やはり望ましいものではないし、失う前には失った後の世界は想像がつかないけれど、失ってできた空白や余白は、また新しい未来が入り込む余地なんですものね。
その余地はすぐには埋まらないかもしれませんし、しばらくはスースーすることもあるでしょう。
思い出して涙にくれることもあるでしょう。
でも、失った後の世界もまた、新しい世界として拓いていくことも、新しい世界で出会えるものや人もいて、未来はどうなるかは分からないんです。
失った先の未来にも、またいつかいつか、ずーーーっと先かもしれないけれど、そこでほほ笑める自分がいます。
ここ数年で、大きな喪失をいくつか体験してしばらくは立ち上がれないこともあったけれど、それでもちゃんと私は心地よく「新しい世界」を生きています。
失ったことも油断したら忘れちゃっているくらい、なんて笑えている今日があることをあの当時は想像なんて出来なかったけれど、変わり映えのない日常を毎日繰り返していた先には、ちゃんとちゃんと未来を生きる自分がいました。
なんだか支離滅裂になってきて、どう終わろうか私が切り出したくせに終わり方が分からなくなっていますが、2022年に一つの喪失を体験した後でビックリするくらい世界が楽しいことで、自分の考え方や見方に「いい影響」を与えてもらったなぁと思っています。
失うことは哀しみを伴うけれど、失ったあとにはまた新しい世界が広がる。
それを知れた、2022年の12月の末の、おまみのつぶやきでした。(つぶやきとは言えないくらい長いわっ!!)