子宮摘出からもうじき3カ月 ~体の変化について~
節分の日に入院し、翌2月4日に手術をしてから、早いものでまる3カ月が経ちます。
術後1か月くらいは傷の痛みや傷付近のしびれ、分かっていても「体の器官を一部失った喪失感」のようなもので体も心も少しは不安定でしたが、傷の治りと共に心も元気になり、今では手術したのっていつだったっけ??と思っちゃうくらい、元気いっぱい過ごしています。
私は「子宮腺筋症」という、子宮筋層の中に筋腫のようなものが出来てししまい、月経時の大量出血と激痛が毎月繰り返されていました。
PMS的な不調もあり、眠気と気落ちに加えて胸が張って痛いし、何より生理2週間くらい前から少しずつお腹周りがせり出すように膨れ、カエルのようにパンパンになって苦しかった事がとにかくつらかったです。
病巣が大量出血の引き金になるため、どうしても慢性的な貧血状態で、鉄剤を飲んでも追いつかない状態になっていたことと、残念なお知らせとして「子宮筋腫・子宮腺筋症などの人は、ホルモンの関係もあって閉経が遅い(つまり、つらい状態が続く)上に、月経があればあるほど病巣は育つ(つまり、辛い状態がより強くなる)」と言われたことで、手術をすることを決めました。
術後すぐは、自分でも分かっていたし気にしていないと思っていたのに「子宮を喪失した哀しみ」のようなものがじわーっとあったのですが、それもすぐに消え、今ではすっかり「毎月の生理がないってなんて楽なの!!」と、パラダイス気分を味わえています。
私の場合は、とにかく出血量と痛みが酷かったので、洋服や椅子を汚してしまわないか?寝ている間にも寝具を汚さないか?と、気持ちも重たくなりましたし、同時に痛みも酷かったので
毎月の痛みや出血に伴う心配が一切ない生活が、こんなに快適だとは!!
と、今まで本当によくやっていたなぁと過去の自分をメチャクチャ褒めてあげたい気分です。
私の場合は「子宮摘出」という形で生理とサヨナラとなりましたが、女性はある年代になると「閉経」で毎月の生理がなくなります。
ホルモンバランスの変化で体も心も乱れてしまったり、ホルモン量の変化で骨が弱くなったり…と、望ましくない面はあったとしても、生理がなくなるってものすごく自由になります。
だからきっと、失うもの(例えば子供を産む能力だったり、ホルモン量の変化だったり)はあっても、生理がない人生の第二幕は、うんと自由に楽しめるようになっているんだなぁ…と感じています。
ほんと、めっちゃ楽ですし、自由です。
私の場合は、子宮は摘出していますが卵巣は残っているので、毎月の排卵があるためホルモンバランスは今まで通りで、徐々に年齢を重ねて閉経する時と同じようにホルモンバランスが変わっていくと先生から説明を受けていました。
PMSはなくならないものの程度は軽くなるとも言われていた通り、毎月なんとなく気落ちしがちな時期や胸の張り、お腹が若干膨れる感じが1~2週間続いて、知らずにそれが楽になっている…と言うことに気付きました。
おおおーっ!
確かに実感としてよく分からないけれど、卵巣は機能していて、毎月の女性周期的なホルモンのいたずらはあるんだなぁ…と、体ってすごいなぁと思わされています。
そして傷も順調に回復しています。
術後ケアとして「アトファイン」という傷跡ケアテープがはがれてきたら、新しいものに張り替えるのですが、シャワー前にテープの剥がれを確認したらテープをはがして、傷周辺を泡立てたボディーソープで優しく洗っています。
今日、テープがはがれてきていたので張り替えようと思って傷をマジマジと見たところ、もうぴったりとくっついて、傷口がプクッと盛り上がっていたのもなくなり、予想以上にキレイに一本線の形に縫い合わさった場所がくっついていました。
きっと先生の腕がよかったのね!!と、ありがたやーーと感謝です。
でですね…
術後は傷を守ろうとするからか、傷周辺が毛深くなるよ!という話を聞いていたのですが、本当に傷周辺の産毛が濃くなっていてビックリ!
普段は傷跡テープで隠れてしまうので、テープがないタイミングで電気シェーバーで濃くなった産毛を処理してスッキリ。
身体を毛で守ろうとするなんて、無意識ではありますが、体が自分を大事に思っているんですよね。
本能的に私たちは「生きたい」「自分を大事にしたい」という機能が備わっているんだと、濃くなった産毛に教えてもらいました。
* * *
人生は何もかもが自分の望む通りではなかったり、泣きながらでも諦めざるを得ないことや、理不尽だと思うような出来事も起きてしまうことがあります。
こんなはずじゃないのになぁ。
と思うことがあるけれど、不思議なことにそれがいつか「この出来事が転機だった」と振り返ることが出来たり、こんなはずじゃないことを何とかして自分なりに受け入れ、また新しく歩き出した先で思いがけない喜びに出会ったりします。
私たちの人生は、数多くの「喪失」の連続です。
身を切られるほどの痛みを感じるような喪失体験もあれば、チクリと胸が痛みつつも希望を持てる喪失もあります。
諦めは何かを喪失した時に感じる気持ちですが、人生の中では「諦める」しかないことは幾度もやってきます。
私は子宮という「女性として子供を育める臓器」を摘出することで、未来永劫に子供を宿すという事を諦め、失いました。
諦めたけれど、代わりに手にできたものもいっぱいあります。
痛みや体の不調からの解放と、毎月の伸びやかさと自由。
諦めたものとの大きさ比較をしたら、どっちが大きいとかどうかなんて分からないけれど、何かを諦めたとしても、きっとまた別の道があったり、諦めたことで見えてくる世界もあるのだと思います。
ううん、諦めた後で世界を自分がどう見て行くかを選べるんですもんね。
時には頑張れずに足踏みしたり、じーーっとそこで動きたくなるのを待つ「冬のような時間」があってもいいんです。
動けない時には「動きたくない」という自分の大事な思いがあるんだから。
それを分かってあげて、一緒に待ってあげることが自分への優しい接し方ですもんね。
諦めたり悔やんだりしている時間は、苦しいけれどそれも人生の大事な大事な一部です。
無駄なんかではないし、動きたいと思った時からまた、自分を笑顔にする生き方をしていいんだものね。
起きる出来事や置かれた状況は変えられなくても、自分がどういう意味を付けるか、どう受け取っていくかは自分で選んでいくことが出来ます。
どうせなら、自分を虐めずに自分を楽にしていく考え方を選んでいけたらいいけれど、それだって試行錯誤しながらですし、自分が自分を諦めない!私が私を幸せにしたい!と「自分が決める」までは、そういう見方が出来なくたってしょうがないんです。
諦めるって簡単な事ではないし、諦めたと思っても後悔したりするのが人間ですから、どんな気持ちであってもそれを責めなくていいし、諦めたら終わりではなくて、また他の気付きがあるから私たちはきっとそれに気付けた時に笑顔を取り戻していけるんですよね。
人間は強いけれど、弱る事がいーーっぱいあります。
その弱っている時に、どれだけ自分に優しくするかで立ち直りの時間が変わりますし、弱っている時に優しい気持ちを向けてもらえたらホッとして楽になれます。
弱っていることを誰よりも知っているのが、他でもない自分自身です。
弱っていたら自分に必要上に優しくしてあげてください。
自分に向ける優しい目は、きっときっと自分を育む栄養剤になってくれるはずですから。