色んなものを自由に「そうかも!」って思いこみながら、自分を助けていければいい

突然ですけれど…
私、念願のパートナーが出来たんです♡
と今年中に言えるようになれますように!という切なる願いを込めつつ、ほら、今日って「嘘つき放題のエイプリルフール」だから…。
あの、その…。
嘘ついてみて、なんか切なくなって泣けてきたぜ!
とほほ。
さ、気を取り直して、冒頭のギンちゃんですが…
惜しい!!
メッフィーちゃんではなく、ミッフィーちゃんが正解!
2025年は、ミッフィーちゃん誕生から70周年というおめでたい年。
記念の展覧会も順次全国を回る予定のようなのですが、私の暮らす新潟市は今のところ予定ナシ。
予定は順次発表のようなので、首を長くしつつ地方開催の予定発表を待っているところです。
ちょっと前になるのですが、雑貨屋さんで見つけた「70周年記念バージョンのマスキングテープ」を購入しました。

マスキングテープはキラキラのゴールドがあしらわれていて、華やかかつかわいいんです!!
そして、かわいさに誘惑されて、ついつい付箋も…。
どちらもまだ仁くんがいた頃に購入し、ギンちゃん・仁くんに「見て見て~」とはしゃいで自慢してみたものの、バタバタしていて開封すらしていない状態でした。
その後はご存じの通り…で、仕事をしつつも気持ちは上の空のような日々が続いていましたが、時間というお薬を味方につけながら、少しずつ日常を取り戻しています。
ちょっとずつではありますが、自分のためのノートタイムを持てるようにもなり、買いだめしておいた付箋やシール・マスキングテープなどを引っ張り出して、ニッコリしながら自分を充電していこうと思います。
* * *
ターミナルケア・グリーフケアの学びの中で、「スピリチュアルペイン」「スピリチュアルな問い」という言葉が出てきます。
「人は死んだら無になる」 ということをおっしゃる方は多いですよね。しかし、実際に死を突きつけられると、人間そんなことは言っていられないのです。
自分が「無」になってしまう。
そう思ったら、とてつもない虚無感と絶望感にさいなまれるはずです。無になるということの恐ろしさを、ありありと感じてしまうのです。なぜなら無になってしまうと、愛する家族と再会できなくなるわけですから。
(引用:大切な人を亡くすということ/高木慶子さん著・PHP研究所)
グリーフケアの第一人者である高木慶子さんの言葉にもありますが、いざ「死」を身近に感じた時に、私たちはそれまで意識したことのない問いを持つものです。
臨死体験をされた方の話を聞いたことはあったとしても、それはあくまでも「臨死」であり「死」ではありません。
「死」を体験した後にこの地球上で復活を遂げたのは、イエス・キリストおひとりしかおらず、実際に「死」はどのようなもので、亡くなった後にはどうなるのかを、私たちは知りたくても知ることができません。
分からないからこそ、魂や命に関する「スピリチュアル」な疑問や問い、痛みが生まれます。
ペットが亡くなると「虹の橋」に向かうという話がありますよね。
天国の手前にあり、亡くなったペットたちが向かう場所。
ペットたちは病気や老いといった体の不調から解き放たれ、あたたかな日差しやおいしいものに囲まれて楽しく暮らしながら、飼い主が亡くなって天国に向かってくるのを待っていて、再会できるというお話。
愛するモフモフの命たちが向かう場所は、暖かくて心地よく、安心できる楽しいところ。
そしてまた、会える。
そう思えるだけで心がホカホカしますし、死んだら会えるのだと思うことが、生きていく希望の灯になります。
本当のところは分かりません。
人間の死後に関する文献もたくさんあり、私も相当数を読んでいますが、それですらやはり「実際に死んだことのある人が見てきたもの」ではなく、本当のところは分かり得ないものです。
動物の死後に関しての文献はそれよりずっと数も少なく、共通の言語を持っていない動物から聞くこともできませんし、あくまでも「そうかもしれない」というものでしかありません。
…っていうか~(← ギャル降臨)
スピ的な話になりますが、魂とか宇宙とか大いなる存在とか、とにかく地球で生きている「人間」の状態ではなくなると「次元」が違ってくるみたいじゃないですか。
スケールも違いますし…。
私はめちゃくちゃ「普通」の能力しかないので、人間をやっている間は「3次元」を認識するので精一杯!
かろうじて「4次元」の話は、分かりやすく説明してくれる人のおかげで「お、おぅ…。そうなのか…。」とおぼろげな輪郭的なものが分かった気になれますが、それですら危うい感じ。
魂とか光とか、とにかく「死後」の状態らしきものって、めっちゃ高次元っぽいじゃないですか!
そりゃ、説明されても「ぽかーん」になるし、肉体をつけている今の私には理解できなくてもしょうがない…はず。
つまり…
分からないのが普通!
ってことなんだろうと思うんです。
分からないことは分からないのですから、真実はどうというよりも
「どう思うことが自分の希望になるのか」
「どう思うことが気持ちが穏やかになるのか」
「どう感じれば心地よいのか」
を自分なりに見つけ、死というものを納得してくしかないし、そうするしかできないのだろうと思うんです。
だからね、どんな思い込みであってもよくて、人と違っていたとしても
みんなちがって、みんないい(私と小鳥と鈴と/金子みすゞさん)
んですものね。
自分なりの「スピリチュアルな答え」「スピリチュアルな慰め」を胸に、死を受け入れていくしかありませんから。
* * *
仁くんが亡くなり、旅立ちに際して書いたブログの中で、私なりの「スピリチュアルな慰め」について触れました。
私が採用しているのは、魂の存在になった時に「また会える」というもの。
そして、今より高次元の世界では「多分時間の流れが違う」と思うので、きっと何十年という時間であっても「魂にとっては数日」のようなものだろう、と。
ほら、聖書の最初にある「創世記」ってあるじゃないですか!
神様が宇宙や地球を作って、水や植物や動物や人間を作って…という話が書かれていますが、それぞれ「1日」として書かれている時間は、
1日=1,000年
とかいう説もあるようなので、魂とか光の存在とか、いわゆる神様の領域に近付くことで時間の流れも変わりそうじゃない??
だとしたら、きっと私が何十年と感じる時間であっても、魂レベルでは短い時間なのかもしれない。
そうであれば、離れ離れに感じて仁くんが寂しい思いをする時間は、きっと短いはず。
お昼寝して起きたら、また会える!みたいな感じかもしれない。
そう思えたら、すごくすごく、心が軽くなります。
そしてもう一つ、私が好きなのが以前ふぁーこちゃんが書いてくれた「魂ハグ」という話。
そっか!
魂になってもハグしていいし、魂になっても出会えるんだし!
そう思えたら、すごく心がホカホカしたのを覚えています。
そして、私はこれを「自分なりのスピリチュアルな答え」に採用しました。

正しいかどうかは、自分が死んでみないと分からないことだけれど、生きている間に「何を希望にして生きるか」は、自分が選べるんですもんね。
分かり得ないことだからこそ、自分なりにみつけた「暖かい答え」を胸にして、自分を生きていくことができれば、きっとそれでいいのだろうと思っています。
ということで、私は「お空の時間は短いからすぐ会える」「魂ハグするもん!」と、泣き笑いながら少しずつ日常を取り戻しています。
ではでは。
これにて唐突にドロン! ← いつものことです…