もしも今日が人生最後の日だとしたら、自分に優しくしてあげれなかったことを後悔しませんか?
ここ連日、10度越えで一気に春めいてきたと思っていましたが、まだ今週末に向けて「寒気」がやってきて、場所によっては雪が降るというニュースを目にしました。
とはいえ、ドカ雪ではなく「積雪があるかも」というような感じだとは思うので、この寒気の後はどんどんと春めいていくのかな~と楽しみにしています。
我が家では「ギンちゃんはカッコイイの塊」で「仁くんはかわいいの塊」として、1日に何度も『ギンちゃーーん!今日もカッコイイね~。なにそのCooooLさ!!最高!!』『仁くん、何してもかわいいとか、ずるーーい。』と私から賞賛を浴びています。
朝起きたらまず「ハローーーンヌ!今日も愛してるよ!マイ サンシャイーーン」と2魂に挨拶をして抱っこしたり頭をなでなで。
あ…
「(You are)My Sunshine」というのは、『とびきりに愛してる』『メチャクチャ愛している』を表現する言い回しなんだとか。
それ以外にも、トイレをし終えれば「ナイス・トイレ!」、ご飯をペロリと食べれば「おいしく食べたね~。よかったね~。」、ギンちゃんがジャンプしてちょっと滑ったりしたのを見たら「何にも見てないよ!!!上手くやれないこともあるよね。どんまい。飛ぼうとした気持ちがカッコいいし、ダメなところもかわいすぎる」等々、何かにつけて2魂を褒めて愛の言葉を伝えています。
それ以外では、買い物に行く・職場に行くといった「家を出ていく」際には、行ってきますの言葉だけではなく
行って帰ってくるね~。
愛してるよーーー。大好きーーー。
と必ずギンちゃんと仁くんの頭を撫でて「愛してる」を届けてから出かけます。
寝る前は「今日も一日一緒に暮らせて幸せだったよ。愛してる。また明日も元気に過ごそうね!」とそれぞれに声をかけて撫でたり抱っこしてからベッドに行きます。
実はコレは、私が子ども時代に自分を許せないほどの後悔をしたことがキッカケとなっているんです。
* * *
私は子供時代から動物と暮らすのが夢で、出来れば犬と暮らしたいと夢見ていました。
残念ながら、子ども時代は古い借家住まいで、自分の家ではないため動物を飼う事は出来ませんでした。
大家さんが「小動物」に関しては入居時から許可をしてくれていて、私がはじめて自分フワフワの家族と暮らしたのは、父の職場の人の住まいの近くで行われていた大きな夏祭りに行った時に出会った、茶色とグレーと白が混じった愛らしいパンダウサギでした。
夏祭りの縁日で「好きなものを買っていいよ」と、事前に1,000円の特別おこづかいをもらい大事にお財布に入れて、縁日の色んな誘惑を前に「何を買おうか?」と胸をときめかせて歩いていたら、なんと縁日でウサギが売られているではありませんか!!!
あまりのかわいらしさにその場で心を奪われ、縁日の他の出店は一瞬にして輝きをなくし、私はそこにいた1匹のパンダウサギちゃん以外は何もいらないと、小さなウサギに心を持っていかれました。
でも、生き物ですから私が家族として迎えたいと思っても、ちゃんとお世話できるのか?はたまた父と母の許可も要りますし、おこづかいとしてもらっていた1,000円では全く足りず、3,500円ものお金はないので諦めるしかありませんでした。
お祭り会場では私は何も買わず、その後、父の職場の人のお家でお茶をして帰る事になっていたのですが、そこで母からウサギちゃんのお世話をできるのか?という事を幾度も確認され、その後、まだ仕事をしていた父の職場に電話をかけて相談した結果
私の持っている1,000円では足りない分を父と母が出してくれることになり、パンダウサギちゃんを家族に迎える事になりました。
あの時の嬉しさといったら!!!!
興奮してはやる気持ちで母と妹を引き連れて縁日に戻り、パンダウサギちゃんがいなくなっているんじゃないか?とヤキモキしましたが、パンダウサギちゃんはまだそこにいてくれました。
空気が入るようにプスプスと数か所穴の開いた小さな段ボールの箱にうさぎちゃんは入れられて、私の両腕に託された時、暖かい重みに愛おしさが込み上げた時の情景・気持ちは今でも忘れていません。
父が仕事を終えて車で迎えに来てくれて、家に帰ってご飯を食べることになっても、嬉し過ぎてご飯が食べれなくて笑われたっけ。
パンダウサギちゃんは、母が「ウサギは英語でラビットだから、ラビという名前がいいんじゃない?」と言った一言からラビという名で呼ばれるようになり、その後3年程一緒に暮らすことが出来ました。
学校から帰れば、今で言う「うさんぽ」のように、細い胴輪を付けて公園に連れて行ったり、一緒の写真を撮ってもらったり、近所の小さなスーパーでいらないキャベツの葉っぱがあるから…ともらいに行ったり、足りていないこともいっぱいあったと思うけれど、とっても大事にしていました。
ラビは病気で3年の寿命でした。
お別れは悲しくて悲しくて、とても辛いものでしたが、ラビと暮らした日々は本当に幸せでした。
その後、毎月のおこずかいをコツコツと貯めて5,000円になったところで、父と母にミニウサギを飼いたいとお願いし、ペットショップに連れて行ってもらいました。
そこで出会ったのが、体は真っ白で耳だけが黒いパンダウサギちゃん。
ラビの使っていたケージは古くなっていたので、父が新しいものを買ってくれて、我が家の新しい一員として迎えた小さなウサギちゃんには
ちーちゃん
という名前を私がつけました。
小さくてかわいくて、嬉しくて学校で仲良くしている友達に「ちっちゃい赤ちゃんウサギが来たんだよ!」と興奮気味に伝え、ちーちゃんに会いに来てもらいました。
かわいくて大事なちーちゃんなのに、お友達が来てくれた時になぜか照れ臭くて素直になれずに「かわいいけどバカなんだよ!」と言ったその日の夜、ちーちゃんは短い生涯を終えました。
多分、病気を持っていたのだと思います。
我が家に来て1週間も経たず、朝、母が起きて発見した時にはもう冷たくなっていました。
ちーちゃんを失った事が悲しくてワンワン泣きましたが、それよりも激しく辛かったのが
あんなに大好きでかわいくて大事だったちーちゃんにたいして「バカだよ」という言葉を言った事でした。
その言葉を言った日に、逝ってしまうなんて。
もっともっと「かわいいよ」「大好きだよ」って言ってあげたかったのに。
後悔してもしきれず、神様に何度も何度も祈り、謝りました。
でも、許されるとは思いませんでしたし、しばらくはそんな自分が許せなくて怖い夢にうなされる日々が続きました。
そして、私は虹の橋に向かってしまったお空のちーちゃんに約束しました。
もう絶対、大好きな小さな宝物に「本心ではない言葉は言わない」と。
大好き、かわいいね、愛してるよ!私の宝物だよ!を伝え続けるし、最後に伝える言葉が愛ある言葉であるように、と。
その誓いは、その後に家族となってくれたモルモットやウサギ、犬たちに接する際に守り続け、今はギンちゃんと仁くんにも、愛していることを惜しみなく伝え続けています。
* * *
私は随分と長い間、自分を好きになれずに自己否定して生きていました。
長所なんて見つけられず、常に思考して自分を責め、出来ていない事・足りていない事・情けない事・弱さを見つけて叱責し続けていました。
こんな私なんて
と常に思っていました。
そんな目で自分を見ていたのですから当然ですが、心はいっつもスースーしていて寂しくて、愛されたくて苦しくて、空虚感でいっぱいでした。
自分で自分を認められないから「何かですごいと認めてもらわないといけない」と躍起になりましたし、恋人がいて私を認めてくれないと価値がない!!と、自分の価値を他の人を使って埋める事をしては振り回されていました。
それでも、私が大好きだった人から「共に生涯を生きたい」と望んでもらい、結婚をすることが出来て、あぁ、私でも幸せになれるんだ!と思うと当時に、私には価値がないから尽さないと愛されなくなる!!と「尽くしたガール」が度を増していき、それ以外にも色々至らない点もありましたし、どちらが悪い…ということではありませんが
最終的には彼が私に背を向けて、離婚をすることになりました。
人生最大の「失敗体験」は、私の中にかすかにあった小さな自己価値を粉々に砕き、自己肯定感は地中深くにめり込むほどに低くなりました。(もともと低かったんですが、さらに低くなりました)
離婚問題の渦中にいた際に、夫婦問題解決セミナーで「旦那さんの事はほおっておいて、まずは自分が好きな事・笑顔になれることをしよう」と言われた際にも
はて?私が好きな事ってなんだろう?
私が私を喜ばせる事ってなんだろう??
と、自分を蔑ろにしてきたために「自分の事なのに何も自分のことが分からない」と愕然としました。
自分が食べたいものも分からなくて、スーパーで途方に暮れて泣いたこともありました。
自分を助けてあげたい!
自己肯定できるようになりたい!
もっと考えずに軽やかに生きたい!
幸せに生きたい!!
そこからあれこれと自己肯定をする作業に取り組みましたが、まぁ、あれこれうまく行かず…
だけれど、私は私を助けたいという事だけは諦めませんでした。
そして、あれこれ頑張るのではなく「もっと自分に優しくしてあげよう」と、自分との仲直りをすることをコツコツ続けました。
そんな中で、なぜかちーちゃんとの約束を思い出した時に、胸がグッと締め付けられて涙が溢れ出しました。
もしも、今日、私が突然死んだら、私は私に優しい言葉をかけてあげずに虐め抜いて悲しませて終わっちゃうんだ。
そんなの、私がかわいそうだ!!!
* * *
私たちはついつい自分に厳しい言葉をかけてしまいます。
自分に対しては遠慮がない分だけ、容赦ない言葉を浴びせがちです。
でも、もしも今日が人生最後の日で、自分にかける言葉があとわずかだとしたら、自分を責める言葉を使ったら、悔やんでも悔やみきれないのではないでしょうか??
自分に優しく接し、暖かい思いを伝えて何か弊害があるとしたら、一人の時にちょっと調子に乗ったりご機嫌になるくらいで、今の所私が思う限りでは特に実害が出るようなことはありません。
そして、自分に優しい目を向けてあげる分だけ、同じように人にも優しい目を向けられますし、人に対しても大らかになれます。
あら?いい事ばっかりじゃない?!
私たち日本人は特に「言葉に重きを置く文化」の中で育っていますから、言霊という言葉があるように、発する言葉に影響されるところがたくさんあります。
ならば、自分に向ける言葉をちょっと変えてみるのは、自分を楽にして行くひとつの方法ではないでしょうか??
あなたも私も、You are my sunshine ! なかけがえのない愛されるべき大事な存在です。
自分にいっぱい優しい言葉をかけてあげましょう。
そうやって心に栄養をあげて、自分をすくすく育ててあげて、あなたが笑顔になることがあなたを自己否定の沼から助け出す力になってくれるはずです。
今日、何か一つでいいから、あなたがあなたに「愛ある言葉」を届けてあげてみてください。
くすぐったい気持ちになったり、なーに言ってるんだか!!と、モゾモゾしたりもするかもしれないけれど、そんな気分もニヤニヤと味わってみてくださいね!
* * *
最後にステマです!!
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