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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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想像もしていなかった未来を生きているなぁ、としみじみニッコリした話

とってもかわいいベージュの贈り物をいただいたですよ

うっかりしていたけれど、明日から3連休なの知ってました??

カレンダーの赤い日を指折り数えてカウントダウンするタイプのオマミーヌですが、サラリーマンの仕事でちょっといろいろあり過ぎて…

3連休だってことを、スッポリ忘れていました!!!

で、昨日改めて気づいてガッツポーズ。
失念していた分だけ、予想外のプレゼントをもらったようで嬉しさマシマシです。

* * *

おとといの午前中、宅配便が届きました。

箱の中から出てきたのは、とびきりカワイイベージュ色の袋に包まれた贈り物。

一緒にカードも添えられていて、カードには愛らしい茶色のトイ・プードルのフワフワとしたモチーフがついていました。

とってもかわいい♡

こはると同じベージュ系、なの!

そうだねー。
こはるちゃんと同じような、優しいベージュの世界だね。

かわいらしいギフトは、夫婦問題でつまづいた時に支えとなる場所である「ゆっちさん」が贈ってくれたもの。

とっても楽しくてかわいいクッキーですね

ほんと、ほんとーー。

お花模様の蓋がついた缶の中には、夏らしいモチーフがいっぱいつまったカラフルなクッキーが入っていました。

真ん中には、カードと同じ茶系のプードルちゃんがチョコンとおすまし。

やさしい色をしたプードルちゃんは、先日、神様の元に旅立って行ったゆっちさんの愛犬がモチーフ。

お空の上で仁くんと並んで見てくれているかな?

お空の上で、仁くんとお友達になってくれていると嬉しいな。

そしてね、「こんなにかわいいクッキーを作ってくれるママがいて、最高でちね!」って言う仁くんを前に、「えっへん!」と誇らしげな笑みを浮かべて、お空の上から2魂が並んで見てくれていたら最高だな~と、晴れ渡った空を見上げました。

ゆっちさんから頂いたカードには、あたたかい思いが詰まった言葉が添えられていました。

あの子の夏休みをイメージしたクッキーをお届けします。
あの子が迎えられなかった夏。
おまみーぬはギンちゃん、こはるちゃんと楽しくお過ごしください。

楽しくて美味しくて、ワクワクしちゃう「夏休み」がギュッと詰め込まれた想いのこもったクッキー。

真ん中のプードルの「ぷーちゃん」は、これまでいっぱい「楽しい夏休み」を過ごしてきたもんね。
肉体を持った形ではこの夏を過ごせなくなってしまったけれど、これまでの夏休みの思い出をいっぱいお空に持って行っているはずだもんね。

今年の夏は、仁くんがいなくなって、新しくこはるちゃんがやってきてくれて、これまでとは違う形の「3魂」での夏になります。

なんだかとても不思議な感じ。

ゆっちさんのカードの言葉や、「楽しいが詰め込まれた夏休みのクッキー」のように、あの子たちが迎えれれなかった眩しい夏を、しっかりと味わい尽くそうと思います。

私たちが今を満喫して笑顔でいることで、お空の上に「喜びの花」が咲いて、きれいだね~ってあの子たちを笑顔にすることができる…って、そんなことを想像すると心がふんわりします。

お空の上で元気にしてるかな?
お友達ができて、楽しく遊んでるといいな。
体も軽やかで、自由を満喫しているといいな。

亡くなった後の世界のことは分からないから、想像することしかできないけれど、でもやっぱりあの子たちのことを想うと「心地よく幸せであって欲しいな」と思います。

だって、愛している大好きな魂なんだもの!!

そしてね、あの子たちもきっと私たちが「心地よく幸せ」「楽しいを味わい尽くした笑顔」であって欲しいと願ってくれていると思うんです。

あの子たちはまっすぐに「飼い主である私たち」を愛してくれた存在だから。

愛する魂に対しては、その魂が健やかで安心して自由にのびのびと笑って過ごしていて欲しいと願いますものね。
あの子たちと私たちは『両想い』だから、きっとそれぞれに、離れていても「愛する魂の幸せ」を願っているはずだから。

愛らしい贈り物をありがとうございました。

ゆっちさんの愛犬「ぷーちゃん」が神様の元に帰っていったというのを聞いて、本当にささやかですが、お花を贈らせていただきました。

私が仁くんの旅立ちに際し、お花とカードをいただいて、本当に嬉しかったから。

仁くんのために、と贈っていただいたお花と言葉は、仁くんを失ったことで深いグリーフを感じていた心に、優しく暖かく染み入りました。

自分がしてもらって、嬉しかったこと。
自分が届けてもらって、力になったこと。

それを今度は私も循環させていきたいし、与えてもらった「優しさ」を他の人にお裾分けしていきたい。

受け取るって、すごく大事。

仁くんが最後の最後に「受け取るのが苦手な私」に「大事なことでちからね!」と大きなギフトとして残していってくれたんだもんね。

受け取って優しさに包まれると、それを今度は私がリレーのバトンを渡すように、届けて行きたくなるから。

そして、お花を通してとびきりカワイイ「夏休み」を手のひらに受け取って、ニッコリできるのもまた嬉しい予想外の喜びです。

* * *

仁くんを見送り、こはるちゃんに出会ってお迎えし、私の日常は今年に入って随分と変化しました。

すごく変化したはずなのに、また粛々と「これまで通りの日々」が繰り返されていて、なんだかとても不思議な気がします。

出来事のひとつひとつは、とても大きな衝撃を持っているのに、自分自身がいる場所ややっている事はあまり変わり映えがない。

私はと言えば、離婚前に引っ越してきた賃貸マンションに暮らし、長く勤めている会社でサラリーマンの仕事を続けています。

パートナーシップを!と言いつつも、離婚してから7年近くずっと一人暮らしのシングルトン(← ブリジット・ジョーンズの日記でおなじみの単語)

のらりくらりと同じように見える日々を繰り返し積み重ねていて、自分がいる場所も変わっていないように見えるけれど、数年前の自分では想像すらしていない場所にいることに気付いて、ビックリしました。

きっとね、自分の足元から伸びている螺旋階段を少しずつ登っていて、見えている世界そのものが大きくは変わった感じがしないだけ。

でも、数年前に見えていた景色と同じ景色を見ているはずでも、違う階から見る景色は、少し見え方が変わっているんですよね。

めちゃくちゃ変わったわけじゃない…はずなのに、実はめちゃくちゃ変わっていたりする。
すごいなぁ、不思議!!

今から10年くらい前、突然「離婚したい」と言われて、私の世界は真っ暗になりました。

離婚だけは回避したいし、夫婦再生のためにできることならなんでもする!という勢いで、自分を変えようと必死に努力していました。

当時は「離婚する」という結果になるなんて思っていなかったし、離婚したらもう立ち直れない・二度と生きる歓びなんて感じられないだろうとすら思っていました。

残念ながら、私は大好きな人とは手をつないで同じ未来を歩くことはできなくなり、離婚を受け入れてギンちゃん・仁くんと3魂暮らしをスタート。

もう、生きる意味なんて…

ある、ある、ある!!!
メッチャ楽しい日々を生きてるじゃん!!!

ほんと、不思議。
私はちゃんと、笑顔で生きているし、幸せだって思える毎日を繰り返せています。

もちろん、泣いたりつまづいたり、懐かしい日々を振り返る日もあったけれど、いつの間にかあの頃のすべてが「私の大切な過去」というものに変わっていきました。

離婚問題の真っただ中にあった時に、ゆっちさんのことを知りました。

当時は今のようなオンラインが当たり前の時代ではなかったので、セミナーやカウンセリングも「東京対面」が基本。
移動も考えると、なかなか気軽には動けず、いつもブログやメルマガを読ませていただくばかりでした。

支えとなる希望や、落ち込んでも自分を立て直そうと思える力を一方的にもらうばかりでしたが、いつの日かゆっちさんにお会いして、お礼を伝えることができたらいいなと思っていました。

ありがとうございました。
体験談は希望の灯でした。
離婚を選ぶしかなかったけれど、迷い続けていた間、大きな支えにさせていただいていました。

と、いつか気持ちが伝えられたらどれだけいいだろう。

そう思っていたあの頃の私が、今の私を見たら

ぎょぎょぎょ!

と、さかなクンばりにビックリするはずです。

お会いできることがあって、一言お礼を言えたらいいなと思うくらい「遠い存在」だったゆっちさんと、まさかまさか個人的にやり取りをさせてもらえるようになって…

おまみーぬ

と親しみを込めて呼んでもらい、愛するワンちゃんの旅立ちにお花を贈らせていただいたり、クッキーをいただいたり。
(他にもお塩をもらったり、赤ベコちいかわをいただいたりもしています。)

お礼が言えたらいい、と思っていた当時には、ゆっちさんとこうやってやり取りできる未来が来るなんて想像すらできていませんでした。

ほら、想像することは叶う!っていうのは、引き寄せでは基本のように言われていますが…

想像すらつかないことだって、未来には叶っちゃうことがある

んですよね。

「え?そっから?」
「うそ、そんな展開あり得るの?」
というように、これまでの延長線上にはないだろうと思うようなことが、平気で未来に起きてしまう。

自分が想像したことの、遥か上のことが起きることだっていっぱいあるんです!!

そして、あり得ないだろうと思うような未来も、スルッと「当たり前」に受け入れて日常になっていく。

私は10年前と変わらずに、新潟市で暮らすごく普通のサラリーマン生活を続けていて、変わり映えのない毎日を繰り返している…はずだけれど

10年前の私には想像もつかない現実を、「当たり前と並走する形」で生きています。

こうなりたいという未来予想図を描くとき、現実離れしていて「あー、無理だろう」と思うものはいっぱいあります。

無理だろう。
うん、絶対あり得ないわ。
叶う方法も分からないし、現実離れしてるわ。

って思って「高望みーーー」(← IKKOさんの風にお読みください)と苦笑いして、無理そうなことはどこかにポンと置いておく。

そして、なにがどうなってかは分からないけれど、気がついたら「過去の自分から見たら、絶対叶わない・あり得ないと思っていた未来」を生きていることに気づいた時に、めちゃくちゃビックリする。

…てか、思いもしないような(願いすら描けないような)未来を生きている自分のことを、おかしいとも思わずに、「毎日変わり映えないよなー」なんて言っちゃう未来を生きていました。

どうやって、どのタイミングで、何があって…というのは、自分の思考では思いつかなくても、いつかの未来で「あれ?叶ってる」はあるし、叶った後はそれが「当たり前」になっていくものなんですよね。

そしてね、願ったことだけじゃなく

イメージすらできないような、自分の思考を飛び越えた未来だって、何でか分からないけど現実になっちゃうんです!

だから、未来を憂い過ぎたり、叶うかどうかを考え過ぎて肩を落とさなくてもいいのだろうと思います。

自分にとって「叶うべきこと」であれば、自分の力を超えてちゃんと叶い、特別なことではなく「当たり前」になっていく。

気がついたら「叶ってた」ということが、いっぱいあり得るのだから。

10年前の私。
真っ暗闇の中で右往左往していた、私。

10年後も、相変わらず変わり映えがない…っていうと「えーっ」って言いたくなるけれど、変わり映えがないようでに見えて、すごく変わっているよ。

あーあ、って思うような出来事に見えることも、ひっくり返って「あれがあったおかげだ!」って笑える未来を生きれているよ。

未来は、ちゃんと明るかったよ。
未来は、とっても心地よいよ。

とかなんとか言っているけれど、日常を送る中では、葛藤したり立ち止まったりつまづいたり、未来を憂いてふあんになることもいーーーっぱいあります。

けれどね、きっと今の私が10年前を振り返って「明るい未来を生きてるよ」と、過去の自分に伝えたいと思うように、10年後の私も、今の私に同じことを言う未来があるのだろう。

悩んだり、迷ったり、やらかしたりしながら、今を生き続けるだけできっと、思いもしない未来の扉は開いていく…のだろう。ねっ。

さてさて、明日からの3連休もとっても危険な暑さになりそうですので、ほどほどを大事にしつつ体をいたわりながら楽しい時間を過ごせますように。

まったねーー。

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