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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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許せなくても、手放せずに憎み続けていてもいいんだよ ~その気持ちを持ったまま、あなたが幸せになる道を探そう~

お漬物ですか

じゃじゃーーん!
京都の「千枚漬」をもらっちゃいました~~。

出社当番の日でよかったですね

私の職場は「原則・在宅勤務」をさせてくれているのですが、完全在宅型ではなくローテーションで週に1度の出社当番があります。

私は火曜日担当なのですが、「酒さ様皮膚炎ではないか?」と言われて塗り薬を塗っているものの、今も赤みが改善しない原因不明の肌トラブルがあり、マスクの刺激でさらに赤みを増すことから半日のみの出社にしてもらえています。

そんな出社当番日に、ピンポーンとやってきたクール宅配便。

お取引のある会社からの「お歳暮」として届いたのが、要冷蔵の”京都のお漬物セット”でした。

社にいたのは社長を含め4名。
みんなで一緒に箱を開けて歓声を上げました。

賞味期限もあまりながくないので、出社した人から順に冷蔵庫の中から持って行ってもらうことにしたのですが、届いたその場に居合わせたので好きなものを選べるという特権にニヤニヤ。

柴漬けのようなものと千枚漬けと、どっちがいいか迷ったのですが、千枚漬けはスーパーで買えるものじゃないし!と、いただいてきちゃいました。

1週間の仕事を終えた金曜の夜に千枚漬けを開封して「お疲れレモンサワー」をすると思えば、なんとか激務も乗り越えられそうDEATH!!

* * *

話は突然変わり、私は過去に「手放し」(離婚をするために旦那さんを手放す)を頑張っていたことがありました。

手放そうと思ったのは、執着がつらくて自分がしんどかったからなのですが、

結果として私は手放しをすることができませんでした。

執着して苦しい自分を助けるための手放しが、いつの日か「手放すことに執着する」ようになり、手放せない自分を責めて自分をなじり、自分をどんどんと疲弊させていきました。

手放しは、自分を楽にするための手段であるはずなのに、手放しを使って自分を虐めるというドMっぷり。

執着する自分に嫌気がさし、
手放せない自分に、もっと嫌気がさす日々。

本当は”手放す力もないくらい疲弊している私”に手を差し伸べてあげることもせず、見捨てていたのは、他でもない私でした。

* * *

彼から離婚したいと言われ、悲しかった・寂しかった・惨めになった・どうしよう…と、色んな気持ちでいっぱいになりました。
すごく苦しかったし、もう一度私のことを見て欲しかった。
願わくばやり直したかったし、彼に愛してもらえる私になりたかった。

私は結婚してからも変わらず、ずっと彼の事が大好きでした。

至らないところや、不機嫌になったり素直に受け取れなかったり、彼の望むような「妻」ではなかったところもきっとたくさんあったと思います。
でも、それはきっとお互い様。

ケンカもしたし、イライラもしたし、文句だって言ったし、自分では思っていない形で彼を傷付けたり、ガッカリさせたこともあったと思います。

そのあたりは、本当にごめんなさい。

私もうーーんと未熟だったし、自分で自分を満たす方法が分からず、あなたから「埋めてもらう」「満たしてもらう」事に必死で、あなたの愛情を搾取していたことを、今は「あちゃーー」「ったくもう!」って反省しています。

大好きだった人から「もう一緒にはいられない」「もう好きじゃない」「別れて欲しい」と言われ、とっても悲しかったし、全く受け入れられませんでした。

私には子供がいなかったので、家族とはいえ彼の気持ちが離れてしまったら、恋愛と同じように引き留めるのは無理だと分かっていたけれど、それでも私は正義を振りかざして(妻という座は強いんだよ!というようなやり方で)、離婚を受け入れるまでの時間、たくさん葛藤しました。

彼と結婚する前から私は自己肯定なんてできなかったですし、勝手に尽くしては傷つくという「与えたガール」の典型でした。
尽くすことで彼を繋ぎ止めたい、尽くすから愛して!と見返りを求めたり、取引をしていたんですよね。

結婚する前の幾度かの恋愛の時もそうでしたが、恋愛に依存気味で、お付き合いが始まれれば彼が私に憑依したかのように、私の生活は「恋人」中心になりました。
恋が終わり、失恋して別れた途端に「何をしていいのか分からなくなる」くらい、自分を彼に明け渡して他人軸で生きていました。

私は空っぽだったんです。

私そのものが「恥ずかしくてダメな存在」なのだから、それを認めてもらえるために、私を好きだと言ってくれるパートナーがいることで、欠けていた部分が補われていくような気分にもなれましたし、外側に向けては「こんな私でも価値があるって思ってもらえるんだよ!」と、恥ずかしい自分を覆い隠せるような、そんな錯覚も感じていたような気がします。

自分では自分を「好き」だと思えないから、好きだと言ってくれる人からぽっかりと空いているブラックホールのような穴を埋めてもらいたかったのかもしれません。

自分が自分を好きになれないからこそ、彼から好きだと言ってもらって埋め続けないといけないのですから、当然「嫌われること」があっては生きていけなくなっちゃうので、どうしても彼に嫌われないように、彼に尽くし、彼をまるで自分の一部にしてしまわないといけない…というくらい、近くにいようとしてたんですよね、きっと。

どうやったって、私は別の人になんてなれないのに、彼と私でピッタリくっついて一つに見えるようにって、それくらい重たくギューッとくっついていたかったんですよね、きっと。

私の存在は、恥ずかしくて価値のないもの。
でも彼は違って、輝いていて素敵な人。
だから、彼がいることで私の「恥ずかしい・無価値さ」が隠れるというか、薄まるというか…

彼がいる事・結婚しているという事が、私にとって「世間から認めてもらえる」ものだと思っていたんだろうなぁ。

そして、ただでさえ他人軸で自己価値を持てていない私は、唯一の「支え」だった旦那さんから拒絶された時に、どうやって生きていったらいいかわからなくなり、すごく孤独で情けない気持ちで生きる意味が分からなくなりました。
多分、人生の折れ線グラフを書いて発表することになったら、このころが一番の谷の図になると思います。えへへ。

マミコグラフ

でも、この谷底に突き落とされて光が見えなくなった悲しみが転機となって、自分軸・自己肯定感を持ちたいと強く思えました。

私は私を幸せにしたい。
私はこれからの人生を、苦しんでなんて生きたくない。

彼の事を「憎む」ということはできなかったのですが、あの当時のことはあまりに衝撃が大き過ぎて、実は記憶が断片的でよく覚えていない部分もあります。
「許す」というのもまた表現が違うような気もするのだけれど、私は彼の言葉で傷付いたこと・悲しかったことは、きっと一生忘れないだろうなぁ…と思っていました。

私たちの心は、愛で繋がれなくなると「憎しみ」「怒り」を使って【許さない!!】【忘れない】というやり方で、懸命にも大切な人と繋がろうとします。

ポジティブもネガティブもエネルギーが必要です。
愛することも、憎むことも、どちらも同じで「愛し続ける」「憎み続ける」と【続ける】ことに自分がコミットメントしないといけません。
それは、無意識であっても。

これって体力がいるんですよね。
憎しみ続ける、許さない、恨み続ける…

手放したくても手放せない思いがあるのはやっぱりしんどいですし、マイナスな感情に対して「感じてはいけない」と自己攻撃しちゃうこともあって、ダブルでしんどいんですよね。

私は、憎むというよりは「悲しい」「傷ついた」という事を、きっと忘れる事なんてないんだろうな…と思っていました。

どこかで「忘れてしまったら、こんなに苦しんだ私がかわいそう」「こんなに悩んだ私がかわいそう」と、自分の事を守ってあげたかったのかなぁ??
なんにせよ、この傷はきっとずっと残るんだろうなぁ~とぼんやり思っていました。

幸せになる為には「憎しみや悲しみ」を手放す方が早いと思いますが、手放しって、やろうと思ってできるような簡単なことじゃないんですよね。(ほんと、手放せなくて悶絶しましたから)

手放しは全くできないタイプの私だったので、「もういいや!」と諦めて手放せないことに白旗を振りました。
そして、自分を苦しませるような色んな気持ちはまだ渦巻いているけれど

私は私の課題に集中して、ダメなところがいっぱいある私で幸せになる方法を探そう

と、出来ないことである手放しに力を割くのを止めました。

●自己肯定できるようになりたい
●自分軸を持ちたい
●一人で幸せ、好きな人がいたらもっと幸せでありたい

何よりも「自分の中が思考でいっぱいの状態で自分を責める」事から楽になりたかったんです。
もっと自由に、明るく伸びやかに生きたい!!!

お弟子さん入りしたのも、私を楽にしたかったからです。

そして、今の私は随分と楽になり、日々自分を楽しませることが出来る私になりました。
人の目が気にならない…訳ではありませんが、「あの人はこう思ってるんだね~」と自分が思われていることに関して、自分と人との間の境界線を持てるようになって楽にもなりました。

私は私の幸せを楽しんでいます。

で、ふと思ったんです。

自分が幸せになったら、するっと忘れてました。
憎むとか悲しいとか、輪郭がぼんやりして忘れていく。

だから、幸せになる為に、悶絶して無理矢理に思いを捨てなくてもいい。

いつまでも彼の事が好きな自分がいたり、傷ついている自分を大事にしてあげることが自己肯定ですもんね。
そんな自分でいい。
そんな自分のまま幸せであることの方が、結果的に手放しやすいのかもしれないのかもしれませんね。

手放しはあくまでも、自分を縛っている鎖から自分を放ち、自分を楽にして幸せに向かわせるためにやる作業であって、手放しができないことで自分責めをするのならば、手放しは一旦脇に置いて、自分をケアして労り、そして『今の自分で感じられる幸せ』をいっぱい感じて、傷だらだけの自分を休ませてあげてください。

幸せになることを、今できる幸せを、自分に許可してあげて下さい。

幸せを感じられたり、心地よさや手足が伸ばせるような自由な感覚を感じられているうちに、自然とスルリと「執着していたものがどうでもよくなって、結果として手放せている」こともありますから。

手放せないならば、持ち続けていいじゃない!
手放したくないくらいに、あなたにとって大切なものなんだから。

これはまだ、私は手放せないくらい大事なんだ!!!

というあなたのことを、あなたが一番に分かってあげて、助けてあげながら、重い荷物を背負っても幸せを感じられる方法を一緒に探してあげて、1㎜でも多く笑顔を増やして行ければいいじゃない。

そして、手放せないものを抱えたままで幸せを感じられるようになったときにきっと、

今までありがとう。
もう、大丈夫だよ。
さようなら。またね。

って、手にしていたものをそっと放せる日がくるはずです。

どうあったっていいんです。
あなたが今できることをしている中で、もうちょっとだけ自分に優しくしてあげられて、あなたが苦しみすぎなければ。
あなたが少しだけでも幸せであれば。

手放せない選手権があれば、私はかなり上位を狙えるくらいに「手放せない執着タイプのおまみ」です。
それでもちゃんと、手放さずに来たはずですが、握りしてめていた執着を手放せました。
時間はかかったけれど、幸せを感じること、自分に優しくすること、自分を受け入れることで、自然にスルリと手放しました。

だから、手放せない自分を責めてしまい過ぎないように。
私は、そんなあなたの背中を、そっとさする保健室であれるように。

* * *

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