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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】私は自分の容姿に自信がなく、女性は素材で全て決まると思ってしまうところがあります。

マミコちゃんが罪深い感じのパンを食べたでちよねー

こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。

明日まで入院生活なのですが、入院中は3食キチンと提供されて食事の準備をしなくても料理が供されるありがたさを享受しています。

病院によっては「朝はパン」が出るところもあるようなのですが、私の入院しているところはまだパンが出てきたことはありません。

そんな中、スマートフォンのカメラロールを見ていたら、ちょっと前に初めて食べた「マヌルパン」という韓国グルメパン(?)の画像を見て「パン食べたーーーい」とジタバタしました。

マヌルパンってご存じですか?

流行に鈍感な私は、パン屋さんに行った時に「韓国発・今話題!!ガーリックとクリームチーズの禁断の出会い」的なPOPに惹かれて買ったのですが、ガーリックバターが染みた柔らかめのフランスパンのような生地の中に、少し甘めに味付けされたクリームチーズが絡まって「これは危険な奴だ!!!」と思ったものの、そこまで癖になる事がなく一安心でした。(だって夢中になってしまったら、ダイエット中だというのにゆるふわボディーに磨きがかかっちゃいそうですもんね。)

流行にいつも乗り遅れる私なので、もしやもうブームはとっくに去った後…なのではとハラハラしつつもパン情報をお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

こんにちは。いつも拝見しております。
私は自分の容姿に自信がなく、女性は素材で全て決まると思ってしまうところがあります。
頭が小さくてスタイルが良く、顔が整っているなど土台が良くなければ可愛くはなれないと思ってしまいます。
そのため、恋愛的な好意を示されても「自分を選ぶこの人は相当趣味が悪いのではないか」と感じてしまい受け取れません。
もちろん、元の容姿に関係なくメイクや服装、雰囲気など見せ方を工夫して輝いている人もいるとわかっていますが、自分に関しては納得することができません。
自分自身は小顔で目がぱっちりしたアイドルのような容姿が理想で、理想が高すぎることも原因かもしれないです。
どうすればこのような考え方を手放し、少しでも幸せな方向に近づくことができるでしょうか。 よろしければご回答お願い致します。
ご相談:ナナさん

ナナさん、こんにちは。
容姿に対する悩みって、とっても重たくて深刻ですよね。
毎日、幾度となく自分を「あーぁ、やだなぁ」と否定的に見てしまいますし、萎縮してしまったり、楽しい事に踏み出すことすらためらうことだってありますものね。

> 私は自分の容姿に自信がなく、女性は素材で全て決まると思ってしまうところがあります。
> 頭が小さくてスタイルが良く、顔が整っているなど土台が良くなければ可愛くはなれないと思ってしまいます。

容姿もきっと、生まれ持ったその人の「資質」の1つで、美醜の基準って国や時代によっても違う…と「頭では分かっていても」、私たちは自分が暮らしている環境下で人と自分を比べてしまうものですから、

・小顔でキュッと小さな頭
・スタイルはよく引き締まりつつも柔らかさも残し
・顔も「万人受け以上」の整ったもの

があって初めて「素敵な女性の土俵に上がれる」と思っていれば、どうしてもここが足りない、こっちもダメだ…と「ない」に意識が向かってしまい、自分に対して気落ちし、自分を嫌いになって行ってしまいますものね。

私も自分の容姿に対する「嫌だなぁ」「なんでこんなんなんだろう」と思うものはいくつもあります。

・小学生の時から背が高くひょろ長かった
・面長の顔
・鼻が大きい
・目が小さい
・アンバランスな口元
・スタイルが悪い(O脚・お腹ポコン・おしりが大きい)

うぅぅっ。
書いてみたら気分がドーンと落ちていく感じがしました。
ホント、容姿って「努力で変えられる部分はあるけれど、直しようがないもの」もあって、手が出せない問題を前にすると、どうしたらいいの?!と途方に暮れます。

心理学を学び、自分を許し・受け入れ・自己肯定感を上げる!!という事をすれば、嫌いだと思っている自分の事を好きになれる(受け入れられる)ようになるはずだ!と思っていましたが、自分の事を「嫌いだ」とは思わなくなれた今でも、私の背は中途半端な高さ(低くもないけれど高すぎる訳でもない)ですし、面長で大きな鼻や理想の顔とは違う私を全て受け入れられているか?といったら、そんなことないと思っています。

分かるんですよ、頭では。
「個性よね」「人と違っていいし、これが私だもね」ということは。

でも実際には「こんな私じゃなかったら、もっと素敵なのに」って思う気持ちはあってもしょうがないと思うんです。

受け入れられない思いがある…のは、どうしようもない事です。
そこを無理矢理に「自分を苦しめるから受け入れなさいよ!」と自分に強要しても、受け入れられないから困ってるんですものね。
だから、私はこんな風に思う事にしたんです。

理想と違って苦しんでしまう自分の事を、分かってあげよう!許してあげよう!!
またかわいい子と比較しちゃったね。ガッカリしちゃったね。ヨシヨシ。って。

こうしたからって自分のコンプレックスがなくなる訳ではないのですが、悩んでいる自分を責めなくなる分だけ、心の重しが軽くなりました。
「しょうがないよね、だってそう思っちゃうんだもんね」って自分が自分を責めなくなった分だけ、気持ちは楽になりました。

そして、コンプレックスを持っている自分を守ってあげる行動をしよう!とも思いました。

> 元の容姿に関係なくメイクや服装、雰囲気など見せ方を工夫して輝いている人もいるとわかっていますが、自分に関しては納得することができません。

ナナさんは「容姿をより輝かせる・嫌いな部分を補う」メイクや服装をすることで、少しだけでも自信が持てたりしますか?
納得はできていなくとも、例えば小顔に見えるメイク法などで「人前に出る時にメイクすることでほんのちょっとだけでも安心できる」というのであれば、その技術を磨いてあげて、人と接するときに嫌な気持ちが少しでも和らぐようにするのも「自分を守る行動」だと思うんです。

要は、自分が少しでも自分を責める時間が少なくなればいいんですもんね。

いきなりですが、ジャガイモとキュウリについての話をさせてください。
ジャガイモとキュウリ、どちらも「野菜」という区分の仲間ですが、見た目も味も違います。
ナナさんがジャガイモだったとして、生で食べてもらえる(素材そのものをすぐに味わえる)キュウリがなんて羨ましいんだろう!!と思えば、生で食べてもらえないジャガイモは苦しみを味わいますよね。

キュウリはお日様の光を浴びて大きく成長していきますが、ジャガイモは土の中で大きくなります。
キュウリのような成長に憧れて日の光を浴び続けたら、ジャガイモはおいしくなるどころか芽を作り「ソラニン」という有毒物質を作ってしまいます。
もう、踏んだり蹴ったりですよね…

では、生で食べることが難しいジャガイモはどうしたらいいんでしょうか??
土を洗い、皮をむいてもらって「調理する」ことで、ジャガイモは化けます。
肉じゃが、フライドポテト、ポテトサラダ、ポテトコロッケ、ジャーマンポテト、ジャガバター、ポテトグラタン、いも餅、シェパードパイ…
調理法は色々あって、手をかけるものもあれば手軽なものまで様々ですが、ジャガイモは手をかけてあげたらビックリするくらいの人気者になっちゃいます。
素材そのものを楽しめるキュウリとは比べ物にならないくらい、レシピ数だってありますしアレンジできちゃうんですものね。

ジャガイモは頑張ってもキュウリにはなれません。
素材のもつ違いに「手をかけないとダメ」な部分もありますが、だからといって愛されないかといえば、そんなことはなく「手をかけてちゃんと愛される」んですよね。

人間に置き換えたらきっと、それが「自分をより素敵に見せるための努力」「自分をもっと輝かせる工夫」なんだと思うんです。
勿論、手をかけずに生で行けちゃうキュウリ系女子は、そのままで勝負出来て羨ましいけれど、ジャガイモ系女子だって「自分の容姿をより良くする工夫をして、モテまくってOK」なんですもんね!

納得することができずに、「どうせ私なんて元が悪いから…」と拗ねて自分を否定し続けることを選んでもいいし、納得はしきれなくとも「少しでもなりたい自分に近付く工夫をして自分を楽にしてあげる」事を選んでもいいんですものね。
どちらを選ぶのも、ナナさんの自由なんですから!

私も自分の容姿に対しては、全くもって自信が持てていませんし、実は私は「私の存在自体が恥ずかしい(消えたい)」とすら思っていたので、いまだにそれがゼロになったわけではありません。

そのことについて書いていたブログがありますので、もしご興味があれば読んでいただけたら嬉しいな!とご紹介させていただきます。

幸せな勘違い??いいんです!私がそう思うなら。私が笑顔でいられるなら。
幸せな勘違い??いいんです!私がそう思うなら。私が笑顔でいられるなら。
やっほんぬーーー。 突然ですが、私は洗顔時に「大きなリボンがついたフワフワっとしたヘアバンド」で、前髪や横の髪.....
https://many-smiles.com/about-me/happy-misunderstanding

ご紹介した記事にも書いていますが、自分の事を心の底から好きになれなくても、頑張って「かわいくなりたい」という努力をしているのが【ナナさんの親友】だったら、どんなふうに接してあげるでしょうか??

容姿に対する不満や、素材が自分の欲しかったものとは違う事への「嫌だ!!」と思う気持ちは、ナナさんが他の誰よりも分かってあげられますよね?
その悩みを抱えて、ちょっとでも自分を好きになる努力をしているのに「素材が悪いからどうしようもない…」と親友が泣いていたら、なんて言ってあげるでしょうか?

– – – – –
分かる、分かるよ!!!
ほんとに素材が違うからメイクしたってかわいい洋服来たって「似合わねーー」とか思って辛くなるよね。
痛いくらい、分かる!!!
でも、一生懸命かわいくなりたくて頑張ってるし、実際、そのメイクもお洋服も似合うよね。
私は、その恰好が似合うと思うよ。
– – – – –

というように、痛みを分かってあげて、努力している姿を労い、素敵さを褒めるのではないでしょうか??

素材を変えられなかったとしても、コンプレックスと折り合いをつけようとしていること寄り添ってあげるはずです。

その同じ気持ちを、ちょっとずつでいいのでナナさんにも向けてあげられたら良いな、って思っています。
本当にちょっとだけでいいんです。
「素材が…って思いながらもメイクする私は、可愛くなりたいんだよね。分かるよ。」って。

分かってもらえると心の中の重たいものが、軽くなります。
モヤモヤを軽くしていければ、生きやすさは格段に上がっていきます。

私たちが自分の中に持っている「価値基準」ですが、これは成長していく過程で作っていくオリジナルのものです。

ナナさんはどこかで「容姿に関する基準」について、何もしなくてもカワイイと言われなければ、『頑張ったってどうせ愛されない(認めてもらえない)』という価値観を持つことになったと思います。
この価値観を持つことになるきっかけは、とても些細なことで、自分でも覚えていなことかもしれません。

・子供時代にアイドルに憧れて夢見ていたら、そんなんじゃなれないよ!と親に言われた
・幼稚園や学校で、かわいいと言われるお友達の隣で、自分はそう言ってもらえなかった
・お友達は容姿を褒められるのに、自分は容姿以外の事で褒められることばかりだった
・同級生から容姿に対する指摘を受けた

これ以外にもいーーーっぱい、私たちは周りの人から言われたことや目にしたこと、社会に広く浸透している一般論やメディアによる刷り込みなどに影響されて、自分ルールを作って生きています。

社会生活を送る以上、どうしても「人の目・人の声・社会の目」はありますから、マイルールを捨て去りたくてもなかなか捨て去れずに、いくら「私は私」と自分を守ってあげようとしても、傷つくことだって劣等感を感じることだって出てきてしまいます。

だけれど、ずーーーっと「外側の物差し」で自己価値を計り続けようとしたら、その物差しは人や流行によってコロコロと変わるので、いつまでも振り回され続けてしまい、劣等感を手放せずに苦しめられてしまいます。

他の人と比べたらかわいくない…かもしれないけれど、それも自分。

こんな風に思えるようになるのが理想ですが、ほんとこれって難しいですよね。
でも、いつかこんな風に思えるようになれたらいいな、とブツブツとつぶやき続ける(アファメーションと言います)をするのも、自分におまじないをかけるようにジワーーッと効くのでオススメです!
心に響かなくても「呪文だ」と思って呟いてもOKです。
よかったらやってみてくださいね。何しろ0円で試せますし!

> 自分自身は小顔で目がぱっちりしたアイドルのような容姿が理想で、理想が高すぎることも原因かもしれないです。

理想が高いのは素敵な事ですよ~。
誰だって「かわいいならカワイイに越したことない」って思ってるはずですもの!!

容姿の特徴的に、ナナさんはお若いのでしょうか??
だとしたらなおさら、容姿に関しては気になるものです。

今は容姿に関する悩みが凄く大きい…ので、これはほんとうに気休め発言ですが、容姿に対する悩みはなくならなくとも「容姿だけじゃない」と年齢を重ねていくと、少しずつ違った見方が出来るようになります。

何しろ、どんなに小顔で目がぱっちりしていても、年齢には抗えず、そうなってくると容姿だけじゃない悩みが増えてきて悩みが分散されますし、社会の中でも容姿だけでその人を判断される機会が若い時よりずっと減っていくんです。
若い時は容姿が自分の評価基準の根っこになってしまうような出来事が起きやすいですが、年を重ねていくと

・容姿だけではなく、その人から醸し出される魅力
・その人が経験してきたものが作り出す表情や雰囲気

という『容姿にプラスされるもの』が加わって、その人の素敵さを増やして見せてくれます。

私も容姿に関するコンプレックスがなくなったわけではないけれど、そこに意識が行く割合は、10代・20代のころと比べたら違う(熱量が低くなった)と思っています。
加齢に伴うまた別の悩みは生まれますが、そう思うと私たちは「容姿については一生何かしらの悩みはあるもの」なのかもしれませんね。
そしてそれは「素敵になりたい」という願いがあるからこそ持つ悩みですものね。
自分の容姿がどうでもいい!!と思っていたら持たない感情ですから。

> 恋愛的な好意を示されても「自分を選ぶこの人は相当趣味が悪いのではないか」と感じてしまい受け取れません。

人が持つ「美醜の基準」は異なります。
テレビや雑誌、SNSなどで見る「素敵な人たち」がいますが、そんな『素材がいいはずの人』であっても、万人に愛されているわけではありません。

私も過去にナナさんと同じように『私を好きって言うなんて気持ち悪い・趣味が悪い』と、好意を持ってくれた人に対して「気持ち悪い!!」と思って距離を置いてしまう事がありましたが、彼が悪趣味なのではなく

自分が自分を嫌っていたから、こんなに大嫌いな私を好きになってくれる人なんて気持ち悪い!!

と遠ざけてしまっていたんです。
自分の嫌いなものを好きっていう人とは、合わない!って仲良くなりたいとは思いませんものね。

好意を持ってくれた人は趣味が悪かったのではなく、ナナさんの事を「素敵な人だな」「お付き合いしたいな」と、ナナさんの容姿も含め魅力に惹かれて告白してくれているんです!!
けれど、自分が自分を嫌っていたら…ねぇ。
私の嫌いなものを好きって言うなんて趣味悪っ!!って思っちゃいますよね。

嫌いな人と無理矢理お付き合いする必要はないと思いますが、好意を持ってくれている人 = ナナさんの魅力に気付いている人、なので、そんな彼らから「ナナさんが自分に自信を持てるように、いっぱい褒めてもらう」という体験ができるといいなぁ~と思っています。
お付き合いに至らなくとも、お友達としてナナさんの価値や魅力を届けてもらい

あら??私って、そんな風に見えてるの?
あら??私も実は素敵なの??

と「自信」が付けられていけばいいですよね。
自信というのは【経験 × 自己承認】でどんどん育っていくと言われていますから、褒めてもらう・愛してもらう経験を積みつつ、そこに「もしかしたら…私ってこれでいいのかも?」と小さな承認を掛け算してあげて、ナナさんが容姿への辛い見方をほんのちょっとでもいいから弱めてあげられて、素敵な恋を楽しめるようになっていけますように。

今はまだ受け取れないとは思いますが、好意を寄せてくれる異性がいる…ということは、ナナさんは素敵な魅力があふれている人だ!ということです。
誰かにとって「この人とお付き合いしたい」「この人の事を考えると胸がギュッとなる」という存在になれるって、すごく素敵なことですものね!

自分を嫌う気持ちや容姿へのコンプレックスは、簡単にはなくすことが出来ないけれど、それを「弱めていくこと」は可能ですから、どうぞ少しずつ、自分に対して優しい目を向けてあげて、コンプレックスと折り合いをつけていく道が見つかりますように。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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