手のひらサイズの幸せのお友達

手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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幸せな勘違い??いいんです!私がそう思うなら。私が笑顔でいられるなら。

マミコちゃんが 朝、お顔洗う時にする おリボンのフワフワでちー

やっほんぬーーー。

突然ですが、私は洗顔時に「大きなリボンがついたフワフワっとしたヘアバンド」で、前髪や横の髪が濡れないようにカバーして洗顔をしています。

こんなかわいいアイテム 私には似合わない…と思っていました

これは、2~3年前にジェラートピケの「福袋」をインターネットで予約して買った時に、部屋着やフワフワソックスと一緒に入っていたヘアバンド。

見た瞬間「無理。こんなにかわいいの、私には似合わない!!」と白目をむいたのは、柔らかいシャーベットのようなピンク色の大きなリボンがかわいすぎたから。

だって、こんなにかわいいのが似合う訳ないもん。
私がつけたら「恥ずかしいの塊」が出来上がるはず…

と、別に自分の暮らす自分だけの空間で何を身に着けたっていいはずなのに、誰にも見られていなくても「かわいくない私には似合わないからダメ」と、封印していました。

ですが、捨てたり妹にあげたりせずに、大事にしまっていたのは、どこかできっと「私には似合わないって分かっていても、こういうかわいいアイテムをつけられる私になりたい」と思っていたからなんだろうなぁ。
幾度も取り出しては「…む、むりっ」と片付けることを続けていましたが、1年半くらい前に突然

いいじゃんか!
別に顔洗う時に付けるくらい、なんだっていいじゃんか!!!
ってか、似合う云々とか言ってないで、使わないのは無駄じゃん!!

と思い立ち、エイヤッとつけてみました。

案の定、リボンだけがピョーンと目立ち、まぁ、似合わない事といったら…
でも、フワフワした優しい肌触りは、自分がちょっとだけ「特別な存在」になったような、くすぐったい気分にさせてくれました。

そこから基本的には毎日使っていますが、お洗濯を繰り返したこともあってリボンがおとなしくなったのか、私自身が見慣れたからなのか、

あんなに抵抗があった大きなリボンに全然違和感を感じず「あれ??似合ってる??」と思える私に変わっていました。

今では普通に大きなリボンのヘアバンドをためらいなくつけ、朝、顔を洗ってスッキリした自分の顔を洗面台の鏡に映して

おはよーー。
今日も一日よろしくね!
おっ、いい笑顔!!!
ナイス笑顔ーーー!!
チオビーもきっとこの笑顔に惚れちゃうね!
ヨッ、罪な女。

と20秒程度の自分へのご挨拶をするのですが、スッピンで大きなリボンをつけて笑っている私が「なんだか愛おしい」と思えたんです。
あぁ、ちゃんと似合ってるなぁって。
ううん、ちゃんと似合うようになれたなぁって。

私自身がかわいくなったとか、顔の造作が良くなったわけではなく、私が私を「恥ずかしい存在」「似合うはずもないのに、そんなのつけてみっともない」と自分を見る『否定メガネ』をかけて自分を見なくなったんですよね。

私にはかわいいものは「相応しくない」、私「なんか」には自分が望むようなものは不釣り合いだ、と、自分が自分に対して決めてしまい、ものすごくしっくり似合ってなければ身に着ける資格なし!と、私のしたい事に対して「やる前から門前払い」していたんです。

実は私は、ずーーーっと『私という存在が恥ずかしいもの』だと思って生きていました。

だから、人の目が何より気になるし、ちょっとでも気配を消したいし、常に正解を求めていました。(間違ってはみ出したり目立ったら大変だから)

自己嫌悪・自己否定は本当に強くて、どうやったら自己肯定ができるんだろう??と、巷にある自己肯定のための本を読んで実践しても変われない自分に益々「オワタ…」と自己嫌悪を募らせる悪循環。

自己肯定本などで紹介されている「鏡に向かって笑いかけて、かわいいね♡って言いましょう」というようなことをやるたびに、

無理、どこがかわいいの?
全然言葉が心に入ってこない…

と、鏡に映る自分が、相変わらず「恥ずかしい存在」だと、ガッカリと肩を落とす日々でした。

そんな私ですが、自分の一番の親友になる!と決めてから、ちょっとだけ俯瞰で自分を見るように意識しました。
問いかけたのは「それ、他の人に言える??」「それ、友達に絶対言わないよね?」という言葉でした。

例えば、鏡の中の私が「ニコッ」と笑ったのを見て

うーわ、笑ってるよ。
相変わらず恥ずかしいヤツだなぁ。

なんて、絶対に人に言いませんよね??
そんな失礼な事、本人を前にして言う人なんていないはずです。

でも、私は私に対してものすごい失礼な事を堂々とやっていたんです。
しかも毎日、容赦なく。

これがもしも私の友達で、自分のことを好きになりたい!と奮闘していて、本の中で「自分に笑いかける練習をするのがいいよ」というのを見たから実践している…と打ち明けてくれたのだとしたら、ぎこちなくて慣れないながらも鏡に向かってニコッと笑いかけるその人に、なんと言ってあげるでしょうか?

あ!笑顔の練習、頑張ってるんだね~。
私はおすまし顔の笑顔よりも、ニカッと笑ってる顔があなたっぽくていいと思うな!
毎日練習してるからか、少し硬さがなくなってきて、いい感じになってきてない?!

と、頑張っている事を分かっているからこその、素敵な部分を見て届けようとするのではないでしょうか。

私はコレをひたすら続けました。

ヘアバンドも、全然に合っていなかったけれど、「ピョーンってリボンが浮いちゃうよねぇ~。だって、つけ慣れてないもんね。でも、別に悪くないよ!それにまだ見慣れてないだけだし、だんだんときっと似合っていくよー」「ちょっとー、ウケるけどそれも愛くるしいよー」「リボンのやつ、なんか馴染んできてない?」と、時に一緒に似合わなさに笑ったりしつつも、それでも愛嬌があるからいいよね♡といい続けていました。

すると、最初は意識的に優しい言葉をかけていましたが、だんだんと当たり前のように自分に優しい言葉をかけることが出来るようになり、自分の事を否定しなくなっていました。

自分が自分を肯定的に見ることに加えて、毎日続けていた自分という親友との対話で私自身が私を信頼してくれているからなのか、私に対して柔らかい笑顔を見せてくれるようになり、そんな自分に嬉しい気持ちが湧き上がるようになりました。

あんなにも「恥ずかしくて隠したくなる存在」だった私なのに、今は「恥ずかしいところもあるけれど、それも含めて大好きで大事な存在」だと言えるなんて。
数年前、自分にヘアバンドをつけさせてあげられずに悶絶して自分を嫌悪していた私に聞かせてあげたい。

自分に自信がついくことでオドオドした感じがなくなって、より自由に笑えているというのもあると思います。

自身には根拠なんて要らないんですもんね。
私が「私の親友の事を、どっから見ても好き」なように、理由や理屈なんてなく、自分の事を褒めてあげていいんですもんね。

私の顔は、大きく変わったりはしていませんし、かわいいものが似合うタイプの顔型ではありません。
でも、今の私は、大きなリボンのヘアバンドが「どことなく似合っちゃってるかも?!」と、鏡に映る自分に対して思えるようになりました。

幸せな勘違いかもしれませんが、そんな自分に出会えて嬉しいと思っています。

似合うかも?!と思うと、不思議と似合うようになるんですよね。
ホント、自分が「どんなメガネをかけて自分を見るか」で、行動や表情は変わっていくものなんですもんね。

* * *

私はずーーーっと、自分の事が嫌いでした。

だから、ダメ出しばかりして反省会をしては自分を叱責し、何かを頑張らないと愛されるに値しない、仕事が出来なければ組織においてもらう価値はない、役立てなければただ恥ずかしいだけの存在…と、自分を叱咤激励して頑張らせ、頑張っても頑張っても「まだ足りない!」と追い立てて生きてきました。

自分に優しくするなんて、本当にもっての外でした。

でもね、厳しくして頑張って、次から次へと高くて過酷な山を登らせてきたけれど、私は自分をどんどん嫌いになるばかりで、少しも自分を幸せにすることが出来ずに、自分を嫌って泣いていました。

…ということは?!

厳しくするやり方で自己嫌悪が募って、生きづらさが増しているならば、別のやり方である「自分を甘やかす」「自分に優しくしてぬるま湯で育てる」をやってみたらいいんじゃないのかな??

何年も自分を批判し続けても、何の効果もなかった。
ならば、今度は自分を認めてみよう。
どんな効果が得られるだろうか。
(ルイーズ・L・ヘイさんの言葉 / ライフコーチ・著述家)

自分に優しくしてあげたいと思いつつも、どうしても脳内の自分苛めが止められなかったときに出会った言葉です。

あぁ、確かに。
私は長い時間をかけてずーーっと自分に厳しくしてきたけれど、その結果は「自己肯定」どころか、かわいげもなくし、自分で勝手に頑張り続けているくせに「察してよ」「分かってよ」と頑張ていることを取引材料にもして、全然幸せではなく、辛いと思って生きているもんね。
ならば、厳しくするのは「私には合わないやり方だと実績がある」訳だから、違うやり方を試してみて、効果を確認してみればいいんだ!と、フッと思えたんです。

もう充分に頑張って歯を食いしばって自分を罰するやり方は実践してきて、その結果として「自分を嫌いになって自己否定して死にたいとすら思うような私」を作り上げたんです。

これは私には合っていないやり方だった!と証明できているんですもんね。

ということで、ここからは意を決して(?)自分をぬるま湯で育てる大作戦を決行しました。

まずは、私に対して沢山「ごめんね」を届けました。
自分に対しては、自分の親友になるんだ!と決めて接し続けました。

初めの内は、私自身が私に対して不信感しか持っていなかったので、全く心を開いてくれず、何をしても響かずに跳ね返されました。

それはまるで、何年も日に当てられてガチガチになったスポンジのように、何を注いでも吸水することがない…というような状態と似ていました。

それでも、私は私に優しくする!私は私の親友なんだから、親友が心を閉ざしていても待ち続けると決めて、長期戦で自分を甘やかして育てることを諦めませんでした。
ここにきて粘着質で執着体質の自分が役に立った!!と、欠点が長所に見えました。

そして、ひたすら自分に優しく接し、暖かい毛布で包むようにして私を大切にし続け、自分の事を受け入れることが出来るようになっていき、今では「ダメなところも含めて私だからね!」と自分に対してウインクしてあげられるくらい、自分と仲良くなれました。

もっともっと、自分に優しくしてあげませんか?
ゆるゆるでも人間はちゃーーんと変化して、成長することはできます。
頑張らなきゃ成長できないのではなく、頑張ってもゆるゆるでも、成長は出来るんです!!

だったら、あなたはどの道を通って山を登りたいでしょうか?
険しくて過酷な道で、傷付きながらヘロヘロになりながらの登山がお好きですか?
それとも、景色を楽しみつつ、途中途中でおやつを食べて鳥の声や花を愛で、風の匂いや見える景色に感動しながら、のんびりと山頂を目指す方がお好きですか?

登り切った先の山頂で見える景色は一緒です。
登ったという実績も一緒です。

それならば、好きな方を選ばなきゃ!ですよね。

過酷モードが好きならば、それでいいんです。
でも、過酷モードの道を選んだけれど、私には合っていなかった…と力尽きているならば、道を変えてみませんか?
歩幅を緩めて、無理せずに、ゆっくりと歩いてみませんか?

* * *

そんな「ゆるっとモード」へのご案内!
ということで、最後の最後にステマをさせてください。

来る1/23(日)14:00~、鬼畜生を目指している相方・サトヒカウンセラーと共催の読書会があります。
「今日こそ自分を甘やかす(根本裕幸さん著)」をテーマ本とした、オリジナルレジュメを使ったワークショップです。

ありがたいことに3名様のお申し込みをいただいており、残るお席はあと1席!!

お申込みいただいた際に、シェアがうまくできるかどうか…と心配を抱えてお申込みいただいた方もいらっしゃいますが、私が多分、一番シェアが下手ですからご安心くださいね!!(← 謎のドヤ顔)
上手に話せなくても大丈夫です。うまくやろうとしなくて全然いいんです。出来ることを自分のペースでやってくれるその姿が、何よりも素敵ですから。
苦手な事なのに、勇気を出してお申込みいただき嬉しかったです。

アホへの片道切符

▼色々すっ飛ばしてお申込みしたい方はこちら

お申込みフォーム

自分を寛がせて「幸せな気持ちになるために、頭のネジを緩める」ための鬼畜生道場で、一緒に自分を見つめてあげる時間を持ちませんか?
あと1席!あなたのご参加をお待ちしています♡

大好きを今日もペロリ ~1/23(日)14:00からの「自分を甘やかすための鬼畜生な読書会」は残席2です~
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突然ですが、今日は何の日?? 答えは「いい(1)いちご(15)」という語呂から『いちごの日』なのだそう。 私は.....
https://many-smiles.com/about-me/2201-book-club-03
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