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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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たくさんの「支え」と、伸ばしてくれた手を掴んで助けてもらった日々

ようこサンタさんからマミコちゃんが大人ギフトをいただいたんでちー

地震の影響なのか、キッチンのシンク下の扉がガタガタしていて閉まらなくなりました。

インターネットで調べてみたら「蝶版」というネジを調節すると直るようだったので、早速ドライバーを出して扉を開けてみたら…

かなり激しく錆びていて、付け根からグラグラしているではあーりませんか。

これは私の手には追えないヤツだと判断し、賃貸管理会社の「24時間受け付けサポート」に連絡をしました。

この時期、水道の凍結でも混み合うそうなのですが、オペレーターさん曰く「地震の関係での問い合わせが多いので、担当者からの連絡に数日かかる可能性もあります」とのこと。

地震から少し日が経ってから気付く不具合もいくつかあります。
カーテンレールが少し歪んでしまっていたとか、ガラス窓の枠についていた何かの部品が落ちていたとか、ひとつひとつは目立たず、ささやかで小さな被害。
後から気付くものって、なかなか言い出しにくいですね~。

さてさて、突然話は変わって(← いつものことです)いきなりクリスマスにさかのぼります。

冒頭の仁くんの隣にあるのは…

おセレブ御用達のエロメスですね!!

あぁぁぁぁっ、惜しい!!

正解は、越後製菓!!
ではなく、おセレブ御用達の「エルメス」DEATH。

かわいい地図みたいな缶のチョコとエルメスのプデデントが届いたんでちー

そうなんです。

「ようこサンタさん」と冒頭で仁くんが伝えてくれていますが、やまだようこちゃんからクリスマスプレゼントをいただいたんです~~。

受け取ってビックリ&ニッコリ

プレゼントと一緒にカードも入っていて、カードは大事に「愛用のノートのカバー」の部分に差し込んであります。

お菓子はパステルカラーが愛らしい、ドラジェ。
アーモンドの周りに、甘いお砂糖をまとった幸せな気持ちになれちゃうおやつ。

食べてしまうのがもったいないくらいかわいらしいのですが、毎日1粒、3時のおやつとしてパクッと味わっています。

そしてね、缶もとーーーってもかわいいの~~。

本当に時々ではあるけれど、カフェでのノートタイムを楽しむ時間に厳選してマスキングテープを持って歩く際に、この缶に入れて連れて行こうと思っています。
毎日の甘い一粒の幸せを注入した後も、大事に活用する予定です。

お菓子と一緒に届いたエルメスの小さな箱の中には、リップバームが入っていました。

間もなく訪れる入院期間中に、少しでも気分が上がるように「入院中に持って行けるもの」として考えて選んでくれた、お守りみたいなリップ。

あったかい気持ちがこもった贈りものを受け取り、胸がジーーンとしました。

ようこちゃん、ありがとう!!
とびきり優雅でリッチなリップバームを持って、入院してこようと思います!!

* * *

クリスマスプレゼント以外にも、私は年末にようこちゃんをはじめとした沢山の人に助けを求めて手を伸ばしました。

お腹にボールのような硬い感触を感じ、念のためにと向かった婦人科で腫瘍があると言われた直後に「あーー、またかぁ」というガッカリした気分のまま、相方・サトヒーヌとようこちゃんとのグループメッセンジャーに書き込みました。

日常のささいなこと、聞いて欲しいこと、分かち合いたいことなんかを、ふたりにはいつも聞いてもらっていたので、この日も「この後MRIになっちゃった」ということを聞いてもらい、気にかけてもらいました。

腫瘍があると言われた日は、1㎜も悪いものだとは思えていなかったのでふたりの心配をよそに全く不安を感じていなかったのですが、骨盤内腫瘍というものが何か気になってインターネットで調べたら一転、予後の良くない『卵巣がん』の情報ばかりが目につき、居ても立ってもいられない強い不安に襲われました。

どうしよう…。
私、卵巣がんかもしれない。

だとしたら、11㎝を超えていて、自覚症状もないまま「触れて分かる程」に進行してしまっているって、かなり見通しは悪いものだ…。

死を身近に感じ「生きたい」と心から思った6日間のほんの一コマ
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メリー・クリスマス!!今日はクリスマスイブですね~。 12月は何かと仕事が忙しい時期。前半戦を駆け抜ければ、中.....
https://many-smiles.com/about-me/a-few-days-of-being-conscious-of-my-remaining-life

その時に感じた気持ちは、先にブログに綴っているのですが、眠れず食べれず、悪い病気の情報で頭が占領されて呆然としながら、ひとりで抱えることができず、何度も何度もふたりにメッセンジャーで不安な気持ちを吐き出し、その都度寄り添い続けてもらいました。

不安で、怖くて、ショックで。
頭が真っ白になったと思えば、涙が溢れて止まらなくなったり、少しだけ眠れるかも…と思って眠りについても、急に心臓が激しく動機を打って過呼吸のようになって飛び起き、強すぎる不安に泣きじゃくったりもしました。

不安だから調べてしまう。
調べれるたびに「見通しの悪い不安な結末」ばかりが集まってきて、より不安になって胸が潰れるような感じになることの繰り返し。

私の腫瘍が「悪性」だった場合は、多分ガンのステージで言えば「3以上」だろうという大きさ。
そもそも40%近くが、ステージ3以上で発見されるくらい自覚症状がないもの。

そして、5年生存率という文字を見ると、Ⅲ期30~40%、Ⅳ期15~25%。

全然明るい見通しがない。

悪性であれば、骨盤内の色々な臓器も摘出しなくてはいけないし、場合によってはリンパ節も取る必要がある…。

手術を受けても再発率が高いことから、検査のたびに今感じているような不安や恐怖を味わう未来が待っていると思ったら、もう耐えられそうにない。

こんなに不安定な精神状態の中、コロナの影響もあって面会もできない病室でひとりであれこれ考える時間がいっぱいの中で手術を受けるなんて、メンタル的にも崩壊しちゃいそうだし、パニック発作を起こしてしまう状態で、術後の安静時を乗り越えられるのだろうか?
(この時には転院の話はなく、割とすぐに手術になるというような感じだったため、先走って不安になっていました)

お腹を切るのだって、体験しているからこそ「またあの痛みや寝れない夜を過ごすのか…」と思うと、体がギュッと縮こまる感じがしました。

子宮摘出の時は、痛みや貧血から解放されるという「明るい見通し」と共に、病巣が悪いものではないため「摘出すれば終わり」という、どちらかと言えば前向きな手術だから気持ちは軽かったけれど、悪い病気のための手術(予後が明るくない)って、こんなにも気持ちが違うものなんだ…。

実は、私は全身麻酔での手術後(当日)の、体中に色々なものが付いて身動きができない時間が、軽いトラウマのようになっています。

手術は無事に終了しました!あとはグングン元気になって退院を待つばかりです。
手術は無事に終了しました!あとはグングン元気になって退院を待つばかりです。
こんにちは。あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。 と、真面.....
https://many-smiles.com/about-me/surgery-is-successful

なぜか麻酔後はバッチリ覚醒してしまい、朝までほとんど眠れないのが本当に苦しかったんです。

あまりに苦しくて、前回の子宮摘出の手術前には、看護師さん・麻酔科医の先生に「術後が怖すぎる」と伝え、こまめな体位調整と眠るためのお薬を点滴に入れてもらうなどしてサポートしてもらいましたが、それでも眠りはウツラウツラでしんどくて…。

傷の痛みや、尿カテーテルなどの不快感もあるけれど、私にとっては「手術後の夜」を乗り越えるのが、何よりの山場!

ただでさえ「怖い・イヤだ」と思っていることが待ち構えているのに、大きなショックや不安・がんかもしれないという強い衝撃の中にいた時には、先の不安は何十倍にも膨れて襲い掛かり、全てが怖くてたまらなくて、何もかもが泣けてくる状態になってしまっていました。

怖いよ…
苦しいよ…
イヤだよぉ…

手術への不安、まだ確定していない病気への不安、もしも悪いものだった場合に受け入れなくてはいけないと自分に言聞かせるものの抵抗する気持ちでグルグルしていて、何度も同じことを繰り返して呟いたり、気持ちは完全に落ちて弱音しかでてこない状態。

現実が受け入れられない「衝撃期」の中で、何度も同じ泣き言を言い続ける私に、サトヒーヌとようこちゃんは

いいよ、いいよ。

と、いつだって、どの言葉だって取りこぼさずに、側にいてくれました。

時には先回りして「どうしてる?」って聞いてくれて、朝から晩まで、苦しい胸の内を吐き出す私を受け止め続けてくれました。

夜になればzoomで直接やり取りしてくれて、さらには週末に新潟に来るとまで言ってくれました。

どれだけ心強く、救ってもらったか分かりません。

* * *

手を差し伸べてもらい、その手を掴むのは、私が最も苦手としていることでしたが、私は今回、ものすごくいろんな人に「助けてください」と自分から手を伸ばしました。

ペットグリーフの講座の際には、先生はじめグループの人に「不安でいっぱいだ」と気持ちを吐露し、結果がどうなるか分からないけれど、術後にまた戻ってこれるように、不安に負けないように「応援して欲しい」とお願いしました。

先生はすぐにメール・LINEで個別に繋がってくれてグリーフケアをしてくれましたし、一緒に学んでいるグループの獣医療者の方も個別で連絡をくれて支えてくれました。

骨盤内腫瘍の話をブログに書いた翌日に、マサミンヌこと小川正美ちゃんは「zoomで話そう!」と連絡をくれて、そこでもいっぱい泣きごとを聞いてもらいつつ、ボロボロの状態の私に大事なことをたくさん気付かせてくれました。

お弟子さん仲間であり、過去に脳腫瘍で開頭手術の経験があるmaicoカウンセラーこと「まいまい」にも、話をさせて欲しいとLINEして気持ちや経過を聞いてもらい、励ましてもらいました。

他にも、母の知人で私も面識のある「乳がん」を煩った方にも連絡を取らせてもらい、不安な気持ちとどう向き合ったのかを聞かせてもらおうとしたところ、わざわざ訪ねてきてくれて貴重な体験談や病院の先生から言われた言葉、今すぐ取り入れられる食事のケアなど「今やれることで不安を軽くしていく実践的な事柄」を教えてもらいました。

と同時に、不安に折り合いはつくものではないこと(時間がかかって少し受け止め方が変化していくこと)や、結果が出るまではどうしたって最悪を予想しておこうとするので、今が一番つらい時間(自分もそうだった)と言ってもらい、その瞬間にすごく安堵できたのを覚えています。

自分ではもうどうにもならなくて、無理を承知の上で「助けてください」と師匠である根本裕幸さんにメッセージを送り、個人カウンセリングをしてもらえないか?と頼み込みました。

すでに予定が詰まっている中だったにも関わらず、事情を分かっていただきすぐにカウンセリングしてもらい、気持ちを立て直すことができました。

(カウンセリングやみんなから届けてもらった『大きな財産』『大切な気付き』については、また改めて書かせていただきます。)

実家に帰省し、母や妹には常に側にいてもらい、壊れた機械みたいに同じ不安を呟くたびに、大丈夫!と励まし続けてもらいました。
時には一緒に泣いてもらいました。

助けてください、といろんな人にお願いし、差し出してもらった手を掴みながら、自分の中にある不安と共に過ごしました。

その手は全て、私にとっての「支え」でした。

どんなに泣いても、どんなに考えても、1週間近くずっと不安なままで気持ちはどうにもなりませんでした。
でも、不安を分かってもらうこと、ただ話を聞いてもらうこと、側にいてくれたこと、分かろうとしつづけて一緒に泣いてくれる人がいることは、救いであり有難く、支えがあったからあの日々を生きることができました。

他愛もない会話、先回りして気遣ってくれた何気ないメッセージ、「どうだった?」と気にかけてくれたり、気持ちが和らぐようにとハーブティーを差し入れてくれたり、クリスマスプレゼントを届けてもらったり。

当たり前の日常を感じさせてくれながら、側にいてくれて差し出してくれた手に、どれほど私は背をさすってもらい、励まされて過ごせたことか。

問題や病気は、他の人が変わってあげることも、解決することもできません。
手を差し伸べたいと思ってくれている人に、何もできないように感じさせてしまうかもしれません。

でも、何か特別なことじゃなく、普通に接してもらいえるだけで、沢山救われました。

分かれなくてもいいし、気の利いた言葉もいらない。
心理的な分析もいらないし、時には言葉すらなくてもいい。

いてくれるだけで、聞いてくれて、笑ったり泣いたり、側にいてくれるそれだけで、心底ホッとしました。

* * *

サトヒーヌとようこちゃんとのzoomでのやり取りの中で、私が「二人を驚愕させるほどの自立」の持ち主であることが発覚したのですが、この話もまた大きな気付きだったので、また改めて…。

私は自立ゆえに、人に迷惑をかけずに自分で何でもやろうとしてしまいます。

これでも以前よりは、自立の角も少し丸くなってきている…とはいえ、やっぱり「手を掴む」ということに罪悪感ような気持ち、申し訳なさを感じます。

でもね、自立な私は「何でも自分でこなせる」と思う、傲慢さがあるのかもしれません。

全知全能の神様でもなく、不完全な人間である私ができることには限界があります。
助けてもらえなければできないこと、自分だけではたどり着けない場所や見えない世界もあるのに、何でも一人で「やろう」というのは、自分を過信し過ぎているなぁと苦笑いです。

ここまで追い込まれて、なりふり構わず「助けて下さい」と言ってみたら、私の中から嗚咽と号泣が溢れてきました。

自分一人では、抱えられないことはあるし、たくさんの助けに支えてもらっていいんだ、って。

そしてきっと、もしも「助けてください」と言ってくれる大切な友達がいたら

助けさせてくれて、ありがとう

と言うでしょう。

そしてこの言葉は、私が助けを求めたすべての人たちが、私に対して届けてくれた言葉でもありました。

助けてもらった手は、全て暖かくて愛おしく、感謝でいっぱいです。

そしてね、愛を沢山受け取った後は、それを私もお返ししたいと思うし、もしも「助けて」と言ってくれたら、私にできるやり方で手を伸ばして背をさすり、抱きしめに行きたい。

与えてもらったものがどれ程に温かかったかを体験したからこそ、私にできるやり方で他の場所にも暖かさをお裾分けできるようになりたい。

自分だけで何とかしようとしない方が、世界に優しさが広がりやすくなるんだ、って気付けました。

だからといって、いきなり自立が手放せるわけではないけれど、今の自立の状態をもっともっと弱めていきたい!と思っているから、きっと私はここから少しずつ「助けを求め、助けになれる」ように変わって行ける…といいな!

本当にどうにもならなかった5日間に、こんなにたくさんの助けを借りながら、私は不安と共に過ごせました。

改めて、ありがとう。

そして、気にかけてくれて祈ってくれた方、気にしてくれて何度もブログを見に来てくれた方、SNSでコメントやメッセージをくれた方や友達がいてくれたことも、私を助けてくれる力でした。

本当に、たくさんの暖かさを、ありがとう♡

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