自分に都合よく変換しちゃおう
先日、ねこと暮らしている知人と「ネコの素晴らしさ」について語り合う時間があったのですが
その中でも特に印象的だったのは
・ネコは魚よりも肉が好き。でも肉よりも生クリームが好き。
というなんとも可愛らしい「女子?!」というようなエピソード(お肉と生クリームを両方並べておくと、ネコちゃんは生クリームを食べに行く実験を昔のテレビで見ました。脂肪を蓄えようとする本能なのだそうです)から
・ネコちゃんは物事を「自分の都合のいいようにしか解釈できない」
という、なんとも羨ましい「脳変換システム」を持っている事まで、とにかく「ネコちゃんってかわいすぎる」という結論で閉幕しました。
が、帰ってからジワジワと「いいなー」と思えたのは
自分の都合のいいようにしか解釈しない
という部分。(厳密には「しない」ではなく「できない」なのですが…)
物事や出来事って、どのように自分が「感じるのか」で自分を苦しくしたり悩ましくなったりします。
例えば、人気のケーキ屋さんで並びながらショーケースの中の残り少ないショートケーキかティラミスにするか…悩んでいたら、目の前の人がショートケーキをまとめ買いして買う事が出来なくなった時。
ここで起きている出来事には「いい」も「悪い」もないんですよね。
ただ単にケーキが売り切れた、という事実だけがあります。
あはは。自称「ネコイヌ」だけあって、ちょっとはガッカリしてもすぐ「都合よく変換」して気持ちを整えられるのね~。
プリンでいいなんて、かわいすぎるーーー。(萌え)
あ、話が横に逸れましたが…
ケーキが売り切れた!という事実に対して、私がどう反応するのか?を私が決めているんですよね。
その時にものすごくそれが食べたければ、『あーん、ショック。ガッカリだよー』と思って心がどんよりしますが、
そこまで思い入れはなくティラミスでいいや!と思えている時であれば『まぁ、なくなったってことは「神様が今日はティラミスにしなさい」ってお告げってるのよね~』と、自分に都合よく変換して、目の前の出来事でガッカリする事はありません。
たかがケーキ…ではありますが、これと同じように、どんな出来事に対しても私たちはその時の状況で「どう感じるか」を自分で選んで、その感情を感じて生きています。
もちろん、全ての出来事を「やっほー」「やったー」と変換するのは難しいし、そうする必要もないのだけれど、できるなら自分が楽に、穏やかに気持ちを持って生活したいと思っているのであれば、このネコちゃんシステムってすごく便利でいいな~と思うんです。
起きた出来事を自分にとって都合よく解釈してみる
ムカツクならシャーッと怒っていいし(現にネコちゃんは自分解釈で理不尽にも怒っている瞬間もあります)
自分にとって「うわー、無理」「うわー、ヤダ」と思ったら、その気持ちに素直になってやりたくない事をやめることで
自分に都合よく解釈して自分を楽に解放してあげる!ことができたら、なんて楽なんでしょう。
もちろん、私たちは人間なので「ムカツクから攻撃する」と、社会的に罰を受けますのでまるっきりネコちゃんの教え通りにはできませんが
「ムカついたらその場を離れる」「ムカついたらその人と距離を取る」などして、自分がこれ以上嫌な思いをする事から自分を守ってあげられますよね。
シャーッと怒る時に「お恨み帳」「お恨み玉」を使ってもいいですし、ちゃんと自分にとって都合よく状況を整えられるように、自分で自分を大事にしてあげるって大切です。
あはは。
自分にとって「どう思うと楽なのか」「どう解釈すると心地よいのか」を自分で選んでいいと自分に許可を出してあげるって、取っても大事ですね!
ついつい、あーだこーだと自分を律してしまったり、1人反省会を繰り広げてしまうけれど、ギンちゃんを見習って「自分に都合よく解釈」することで、自分苛めから少しずつ楽になっていけたらいいもんね~。
そして、都合がいい解釈と言えば…
1人反省会する私も、カワイイからOK
まじめな所が魅力よね♡
と、どんな自分も責めずに許可して「ヨシヨシ」してあげるのも、自分にとって素敵な寄り添い方&解釈です!
うんうん、マミコちゃんも仁くんと同じ気持ちーーー♡
ちなみに「犬の素敵過ぎる所」は、家族を無条件で信頼し・守り・一点の曇りもなく愛を持ち続けてくれるところ!!!
私もそんな風に「大好きな人を信頼し・曇りない愛情を持ち続けていられる」そんな強さも持ちたい!と思わされています。
信頼して委ねる = サレンダー
わお!!
私の苦手な「サレンダー」のお手本は仁くんだったかーーー。
仁くん師匠、見習わせていただきます!!!
私の家族は、みんなとっても愛らしく魅力的です。
身近な先生から学びながら、より私らしく、より私が自由に成長していけるといいな!と願いを込めて。