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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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ずいぶん遠くへ来たものだ。と気付けた夜と、だからきっと未来も大丈夫だと思えたこと。

ほがらかな季節の恒例、 ギンタを探せゲームのお時間ですよ

新潟市も昨日くらいからようやく桜が咲き始め、いよいよ春本番!という朗らかな日差しに目を細めています。

寒い時期と暑い時期は、窓辺は寒さと暑さが強烈で、ギンちゃんはパトロールをしてすぐに退散するのですが、春や秋の過ごしやすい季節は窓辺で脱力してお昼寝することもしばしば。

今の季節だけみられる、カーテンの奥で熟睡中のギンちゃんがはみ出している姿に目を細める親バカおまみーぬです。

今日はいいお天気だったので、嬉しさと同時に「花粉」の心配がありましたが、仁くんのお散歩で外出しても、目の痒みと鼻が止まらなくなる症状は軽くて済んで、早速お薬の効果かな?と感動しています。
抵抗し続けていましたが、病院へ行ってお薬をもらって対応できてよかったです。

* * *

先日、やまだようこカウンセラーとサトヒーヌ(鬼畜生な相方)と『中二的な雑談』をきっかけに、こんな記事を書きました。

まさかの言葉に「いや~ん♡」な私 ~現役でいまだに厨二病の巻~
まさかの言葉に「いや~ん♡」な私 ~現役でいまだに厨二病の巻~
こんにちは。下ネタ大好き♡グリーフケア・アドバイザーのマミコです。またの名を「下ネタ保健室」のマミコです。 い.....
https://many-smiles.com/about-me/erotic-in-the-2-year-of-junior-high-school

おい、こらっ?!
なキャッチフレーズで登場したのですが、漫画・スラムダンクの桜木花道くんが自分のことを「天才ですから!」と言ってしまうのと同じで、自分の事をサラッと名乗ってしまうのって大事なことですよね。

まぁ、下ネタ保健室…とか下ネタカウンセラーというのを「ドヤ顔」で言うのもどうかと思いますが、どんな自分であっても「これが私よ。どやぁ!」とやれるのが、きっと

自己のっ!
肯定のっ!
カーーーーン!!!

というものなんですよね。

情けない自分も素敵な自分も、過去の自分も今と未来の自分も、どうあっても「私だから」と自分を信頼して抱きしめる事ができたら、肩の力が抜けてとっても生きるのが楽になれます。

今日は別件で、マサミンヌこと弁護士でカウンセラーの小川正美ちゃんのここ数か月の事を聞かせてもらいました。
いろんな体験と変化、それに向き合う気持ちや「どうなりたいか」というメチャクチャ真面目な(?)話なのですが、グループメッセンジャーでにゃりとりだったので、まぁ、盛大に横にそれていきました。

そこで「YOU、なりたい自分を名乗っちゃいなYO」と、ジャニーさんの真似をしつつ、上記の『中二病かつ下ネタ保健室って名乗ってるよ!』と、役立つ要素0%の自己主張を挟んだところ…

ようこちゃんはトランポリンで跳ねてる「跳ねっこカウンセラー」として、実写を公開しているという話になり、そのあとでこんなやり取りに繋がっていきました。
注:あまりにも楽しそうでかわいくて、ようこちゃんに嫉妬!

自己肯定感ってすごいね

3年前の私は、2020年だから…
「自己肯定感」というか「自分と少しずつ仲直りしている最中」でした。

3年前の私に、今の私を見せたら本当に白目でビックリすると思います。

まず冒頭で、残念なお知らせとして「まだパートナーシップは叶っておらず、片思いすらなんか放置しているYO」と言わなくてはいけないのは辛いけれど、まさかオンラインセミナーに挑戦したり、大好きな人たちと楽しく『一緒にワークショップやYouTubeライブごっこ』をしたいしているなんて、3年前の私には全く想像できない未来を生きている姿だというのに、

さも当たり前のように生きている私がいることが、嬉しくなりました。

今の私は笑って生きています。
悩んだりつまずいたり、ホルモンバランスに引っ張られて落ち込んだりもするし、不完全で欠点も多い自分を「まるごと全部で私だもんねぇ」と言いながら、私として生きていくことができています。

3年前の私が想像できない未来を歩いているけれど、じゃぁその3年前の私がさらに3年前の私を見たら??と思いを馳せたら

やっぱりどの段階でも「私は私だよ。大丈夫だよ。」って過去の自分に優しく振り返っている自分の姿がありました。

悲しみの淵にいた時でも私は何とか生きていて、辛いけれどそこで気付けたことや出会えた人に救われているからね!と、健気に言っていました。

振り返って見ると、私は本当に「気付けばこんなに遠くに行けているんだ」と自信が持てましたし、その自信は未来に続いているものです。
3年前の私が想像できないくらい笑顔でいるのだから、3年後の私はもっともっと伸びやかに「あー、もっと楽になってるよー」とアホ道に磨きをかけているはずです。

そしてきっと…
隣には大好きな人がいて、日々は「二人分♡」な少し余計な家事なんかもしちゃっているはずです。

うふふ、そう思えるって楽しいですね。

自分を振り返ってみると、それがどれだけ小さな歩幅であっても、同じところにはいられずに私たちは動いています。
上手くいかない場所で足踏みしている時には、足場を固めていると私は思っています。
それこそ、離婚問題でもがいていた『暗黒時代』な苦しみの日々は、楽しいとは言えなかったし早く何とか抜け出したいのにどうにもならなくて、実は覚えているのが辛すぎて記憶も曖昧でどうやって生きていたのか…という日々でしたが、

あの時がなかったら、私は自己肯定なんてきっとできなかったし、今笑えるための種まきができていなかったよね、な~んて言っちゃって、

過去を「悲しみだけではない目線」で見れるようになっています。

過去も出来事も「事実」は変わらないけれど、どう思うか、どう意味づけしていくかは未来にちゃんと変えて行けるんだものね。

今こうやって「生きている」ってすでに実績です。

色々あるけれど、何とか生きてここまで来たのだから、未来も同じように「色々あってもなんとかなる」ものなんだと、今日は『下ネタ保健室』と言える自分を通して、自分の自己肯定感が爆上がりしていたことに気付けました。

未来は本当に分からないものだから、なってみないうちに『取りこし不安』をすることもできるように、『なるようになるはずよね!』とウインクするように未来を信じることも出来ます。

どっちが私を笑顔にさせるか??と考えたら、3年前の私がビックリしたはずの今の私のように、3年後の私は今の私に優しく笑いかけていて、きっと望ましい変化をしていると思う事の方がいいな!と思えました。

きっときっと、3年前の私が想像していない今を生きてるように、3年後の私も素敵な私を生きていると想像して、今日は眠りにつこうと思います。

おやすみなさい。
また明日!

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