「恥ずかしい」を振り返ると、悲しかった私がいる ~大丈夫だよ、私は私だから「私のことを好き」なんだよ~
週の真ん中、水曜日。
ようやく週末まで「あと2日」と指折れるくらいまでの位置まで来ていますが、週の真ん中まで来たご褒美は大事なこと!!
という訳で、今日のご褒美は「ミスタードーナツ」で仕入れてきました。
実は今日、お仕事でイラスト制作をお願いする必要があり、イラストも描ける女性デザイナーさんとミスタードーナツで打合せでした。
「はじめまして」のご挨拶をさせてもらい、1時間弱、仕事のことであれこれと要望をお伝えしたり、作ってもらうイラストについてのすり合わせなどを行ったのですが、さすがフリーランスで色んなことをこなせるデザイナーさんだけあって、なんか全部が「オシャレ」でした。
ファッションも、さりげない片耳のピアスも、ゴールドのインナーカラーを入れた外巻きのヘアスタイルも、目元のハイライトが細かいラメでキラキラしているのも、カバンや手帳カバーなど持っているアイテムも全部、めっちゃオシャレ!!!
お洋服もヘアスタイルもメイクも小物も、全てが彼女の雰囲気にピッタリなのは、きっと彼女が「好きなもの」をまとっているからなんだろうなぁ。
私が真似してもきっと「おいおい…」という惨状になることは想像に難くないけれど、かわいくオシャレしている素敵女子を見ると、刺激をもらって「私でも取り入れられそうなもの」を背伸びして真似したくなります。
ハイライトがさりげなくキラッと艶っぽくて素敵だったので、週末は「繊細なラメ」がキラキラするハイライトを探そうと思います!
打合せを終え、せっかくお店に来たのだから…と、ドーナツをテイクアウトして帰ってきたのですが、今日のおやつに選んだのは『メープルリング』と『ハニーチュロ』の二つ。
どちらも甘くて午後3時のコーヒータームにピッタリでした。
メイプルリングは初めて食べたのですが、個人的にはハニーディップの方が好きなことが分かりました。
次はハニーディップを食べよーーっと。
* * *
先日、セクシャリティについて『女性として見られることへの抵抗』『大人のアハンなことへの恥ずかしさ』があることにつて、自分自身を恥ずかしいと思っている事とつながりがあることに気付いたというブログを書きました。
性やら性行為やら、とにかく「私」という命に関することがすべて『セクシャリティ』だとして、私に付きまとう「恥ずかしい」って何でだろう??とちょっと考えてみたら、そこには『宗教観・罪悪感・無力感・寂しさ』なんかか複雑に絡み合っていて、なんだか胸がギュッとなりました。
宗教観に関するセクシャリティの抑圧は、少しややこしい話なのでまた別の機会にさせていただこうと思うのですが、私が自分のことを『恥ずかしい』と感じていたのはいつからだろう??と過去を振り返ってみたら、それはずーーーっと小さな物心がついた頃から感じていたものでした。
自分の意思を持って成長を始めるその初期の段階からずっと、「私は恥ずかしい存在」なんだというものを握りしめていたんだな…って思ったら、小さな小さな子供の私がかわいそうになって、胸がギューーッと詰まる感じがしました。
* * *
私は「ごくごく普通に見えるどこにでもありそうな一般家庭」で育ちました。
父がサラリーマンで、母は専業主婦、年子の妹と9歳離れた末の妹がいる3姉妹の長女。
父は男きょうだいの長男で、仕事で転勤していた際に母と結婚。
同居とは無縁だったはずなのですが、転勤が終わり新潟に戻ることをきっかけに途中同居がスタート。
ですが「嫁・姑関係」がとんでもなく大変で、父の実家から歩いて15分くらいの借家に引っ越しました。
同居よりは遥かに自由とはいえ、毎月幾度かは祖父母を招いた食事会があったり、私たちが祖父母の家に呼ばれたりと、近過ぎず遠過ぎず…の距離感でした。
(※その後、私が小学校5年生の夏に二世帯住宅に増改築して再同居となりました)
過去のブログでも書きましたが、私は「グランパコンプレックス」なる、おじーちゃん大好きっ子で、本当にめちゃくちゃかわいがってもらいました。
おじいちゃんは優しい人なのですが、我が家での『最高権力者』はおばあちゃんで、とにかくキツイ人でした。
定年退職するまでバリバリ働いていた職場でも、幾人もの職員をやり込めて退職させてしまう…という、いわゆる『おっかなすぎるお局様』『女帝』として君臨し、家でも絶対王者。
ご近所やお稽古事の場でもケンカ上等!で、恨まれるようなことも数知れずでした。
あまりに気性が激しく、激高すると収集がつかなくなるので精神科の受診を勧められた祖母は、そこで何かしらの疾患(症状?)をコントロールする薬を飲み始めたことで、若干は気性の粗さがコントロールできるようにはなったそうですが、理不尽な暴君としての存在は変わらずでした。
私の母との関係や、大人の社会のアレコレがあったと思うのですが、そんなの小さな子供の私には分かりっこないもので、私はただ「見たもの」「言われたこと」「感じたこと」がすべてで、それはまるで呪いのように私を縛るものになりました。
「私は恥ずかしい」は、色んな体験を積み重ねて私の中にドーンと太い柱として存在するようになったのですが、私は幼少期にお世辞にもかわいくなく、背が高くて不器用で、出来ないことがいっぱいある泣き虫な女の子でした。
子供の愛らしさって、大きさに反比例すると子供時代に思っていたのですが、私はとにかくグングン背が伸びてしまい、身長の伸びに体が追いつかずにヒョロヒョロしていて関節がいつも痛くて、背が高いことから実年齢よりもお姉さんに見えてしまっていました。
中身は5歳の保育園児なのに、見た目が8歳の小学生なのが災いし、身長と中身が合わずにチグハグで幼稚に見えていたんですよね…。そして、大人が勝手にガッカリする表情を私に向けるたびに、自分はダメなんだと感じていました。
さらにビビリの泣き虫で、ぬいぐるみや人形遊び、本を読むのが好きなインドア派で、今と変わらず行動がワンテンポ遅くてウッカリしていました。
まぁ、ハッキリ言うと「のんびり屋さんでどんくさい、おとなしい子ども」だったわけです。
そんな私を祖母は「色黒で器量の悪い、棒切れみたいな孫」と言い、すぐ近所に住む一つ年下の”はとこ”(祖父同士がきょうだい)と比較されてため息をつかれるたびに、私も色白でお人形のようにかわいい”はとこ”みたいだったらよかったのに…と、自分のことを情けなく恥ずかしいと思うようになりました。
とはいえ、そんな「色黒で器量の悪い、棒切れみたいな私」のことを、おじいちゃんは「かわいいよ、いい子だね」と愛してくれました。
* * *
私が通っていた保育園が、町か市の何かしらのイベントで「鼓笛隊」として登場することがあり、園の子ども達全員が、それぞれに楽器を担当することになりました。
私は鼓笛隊の中でも一番人数の多い「小太鼓」担当。
首から下げた小さな太鼓をトントンと叩くといい音がして嬉しくて、小太鼓チームには仲良しのお友達も一緒だったのでとても楽しく練習していました。
いつも祖母が私と比較する「かわいい”はとこ”」は、小太鼓より前を歩くピアニカ。
そして、なんと!!!
バトンを振って笛を吹き、鼓笛隊を先導する「リーダー役」には、私の妹が選出されました。
演奏会当日。
保護者や祖父母たち、全く知らない観客らが沿道にいる中で、妹が吹く笛の音を合図に商店街を歩きながら演奏したのですが、私はその他大勢の小太鼓の中でも、背が高いのでピョコンと頭が飛び出している上に、子供の演奏ですからお世辞にもピッタリ揃う訳もなく、その中でもきっと私は下手さが際立って見えていたのでしょう。
演奏会を終えて、その晩は家の近くにある「お祝い事があると家族で行く中華料理屋さん」でご飯を食べることになっていました。
もちろん、リーダーとして鼓笛隊を引っ張って行った妹の勇士についての話題で持ち切りでしたが、みんなで乾杯した後に
それにしてもマミちゃんは小太鼓だなんて、本当に「恥ずかしい」ったらないわね。
と祖母が私を冷ややかな目で見て言い放ち、その場の空気がシーンと凍り付きました。
すぐに祖父が「小太鼓の中でも、一番上手だったのはマミちゃんだよ!」とその場を和ませるように褒めてくれましたが、場が白けてしまったというか、私が小太鼓だったばっかりに何とも言えない空気になったことがつらくて申し訳なくて、楽しかった気持ちが一気に「恥ずかしい」に変わっていきました。
* * *
他にも、少しずつ自我が育ち成長していく中で、習っていたバレエの発表会でも、私だけ背が高くて一人だけピョコンとはみ出すことが恥ずかしいと思うようになりました。
そんな中で、先にも登場した「1歳違いの”はとこ”」が、元々の華やかさとお人形さんのような容姿に加え、バレエをやっていたのがキッカケでモデルとしてお声がかかるようになり、なぜか私も「子どもが必要な場」でエキストラモデルのようなことをすることが幾度かありました。
主役は”はとこ”ですが、一緒にバレエを習っていた仲良しの子ども達で揃ってエキストラとして遊園地のカレンダーの撮影をするというような楽しい「お出かけ」のようなものもあり、報酬として少しのお金(これはお母さんがもらう)と、かわいい文房具をもらえるのが楽しかったなぁ。
楽しいこともあったのですが、そうじゃないこともありました。
なんのイベントだったのかは全く覚えていないのですが、ホテルの宴会場のような場所で偉い人達の会合のようなものがあり、そこで「花束」を贈呈する仕事を”はとこ”がやることになりました。
私は関係なかったはずが、何かを受賞された方がお二人いるということで、急遽もう一人の「花束を持っていく子ども」が必要になったようで、私より器量の良い妹に白羽の矢が立ったのですが、妹が熱を出したために私がその役をやることになりました。
主役の方に花束を渡す”はとこ”は、事前に用意されていた子供用の振袖を着て髪を結ってもらい、愛らしさがより一層引き立つメイクをしてもらっている脇で、私は着物と身長が合わないことからよく分からない膝丈のワンピースを着ることになりました。
身長が伸びるのが早く、とにかく関節が痛かったのでシップを貼った左膝を包帯で巻いていたのが見えて、すごく自分のことが恥ずかしくてモジモジしたなぁ。
よく分からない会場で”はとこ”と一緒に花束以外にも来場者に何かを渡す作業もあったのですが、華やかな振袖姿の”はとこ”を見て目を細めては「かわいいねぇ」「お着物よく似合うわねぇ」と口々に褒められる脇で、私はまるで透明人間みたいに誰からも見向きされませんでした。
モデルのお仕事の一環だったと思うのですが、会場にはカメラマンさんも来ていて「記念に」と”はとこ”と二人で並んだ写真を撮ってもらいました。
笑顔で腕を広げてポーズを取る華やかな”はとこ”の脇で、サイズが合わずにツンツルテンにも見える膝丈のスカートから包帯が見える私の写真は、自分で見ても「かわいくないな」って思ったのに、やはり祖母はため息をついて
あぁ、恥ずかしい。
とその写真を一瞥したきり、テーブルの上に置きっぱなしにして別のことをし始めました。
* * *
私は自分の存在を「恥ずかしい」と思っていた、と今までブログで書いてきたけれど…
いや、実際に「恥ずかしい」って言われてきてるがな!!!
おい、おばーちゃん、何言ってくれたんだ?!
長くなってしまうので、思い出した中でも「二つのエピソード」のみを書きましたが、他にも実際に「恥ずかしい」という言葉を、祖母から幾度も投げつけられて、私は自分のことを「恥ずかしいダメな存在」だという確信を強めて行ったのですが、「恥ずかしい」という言葉だけが、私の心をエグッて呪いになったのではなく
そこには「悲しい」「ごめんなさい」という感情がセットでくっついていたから、自分のことを嫌いになっていったんだ、って思ったんです。
練習も含めて、本番だって緊張しつつもみんなと一緒に楽しかった鼓笛隊の演奏。
その日の夜は、祖父母や”はとこ”の祖父母・親戚家族が揃っての楽しいご飯の場だったのに、私が「恥ずかしい」存在だったばっかりに、楽しかったこと全てを台無しにしてしまった情けなさと悲しさ。
発表会だっていつも端っこで、自分でも自分のことを恥ずかしいと感じていたのに、ツンツルテンのワンピースを着て包帯を膝に巻いていた私は、透明人間のようになんの役にも立てずに「恥ずかしいだけ」で泣きたかったこと。
私じゃなかったらよかったのに。
私は頑張ってもうまくやれなくて、ごめんなさい。
背が伸びて、みっともなくてごめんなさい。
膝や足首、ヒジや背中が痛くて苦しくて、泣いてばっかりでごめんなさい。
私が「恥ずかしい存在」で、本当にごめんなさい。
ごめんなさい、っていう言葉の裏には「頑張るから愛して」が隠れていました。
頑張るっていったって自分ではどうしようもない部分もあるけれど、それでも「役に立ちたい」「笑顔になって欲しい」「褒めて欲しい」という私がいました。
私のせいで変な空気になるとか、ガッカリさせてしまうことは、本当につらかったんだもん。
私だって、存在するだけでみんなを笑顔にしたかったんだもん、ね。
おじーちゃんと、県外に住む母方のおばあちゃん(距離もあってたまにしか会えない)は、私がひょろ長くて「恥ずかしい」存在でも、一度だって「恥ずかしい」と私に言うことはなく、愛してくれました。
大好き過ぎていつも持ち歩いていたせいで薄汚れてしまったぬいぐるみを持つ、泣き虫で、時に透明人間になってしまう私のことも、ちゃんと「透明」扱いせずに抱きしめてくれました。
たくさん愛してくれる人もいたけれど、絶対権力者のような「おばーちゃん」が言う言葉は、その場の空気を変えたり、強大な力を持っていたからこそ、私は強い呪いに縛られて「私は恥ずかしくてダメな存在」だと、自分を嫌っていきました。
傷付いちゃった私がいて、でもそれは「たった一人の言葉」で、私は小さな子どもなりに感じて悲しくて、頑張っていたんだなぁと思ったら、すごくすごく「小さかった私」がいじらしく、愛おしくて、もう大人になっているとはいえ、自分のことをギュウッと抱きしめました。
恥ずかしいって思っちゃうくらい傷付いた私を、分かってあげられるのも、そんなことないよ!って愛してあげられるのも、私です。
小さな時に感じた「恥ずかしい=悲しい」気持ちを、誰よりもクッキリ分かってあげられて、理解して癒していけるのも、私です。
「恥ずかしい私」は、この先もなくならずに私の心にあるだろうけれど、「恥ずかしいと感じた気持ちと一緒にある悲しさ」を少しずつ癒し続けてあげて、悲しみが凪になっていくときにきっと、「恥ずかしい私」は箱の中にしまって鍵をかけることができるのかもしれません。
セクシャリティについて考えてみた結果が、まさかの「悲しい」「ごめんなさい」「愛して欲しい」だったなんてビックリだけれど、きっと『今』だからこそ、そこに気付けたんですもんね。
悲しみを感じていた「恥ずかしさ」と、これからはゆっくり共存しつつ、大魔王・おばーちゃんにかけられた悲しみの呪いを少しずつ解いていこうと思います。
- タグ:
- 自己肯定