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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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大きなことまではまだ分からないけれど、小さなワクワクから許可するようにして、今の私は笑顔です

東京でもオレを思い出して買っちゃったんですね

ちょうど1週間前の今日、魔女フェスのために「前入り」で東京に新幹線で向かったその足で…。

東京駅からすぐの丸善書店の2階にある『EHONS TOKYO』に直行しました。

ここには絵本から飛び出して文房具になった色んなアイテムがあって、見ているだけでムズムズ・キュンキュンしてしまいます。

以前、ふらりと立ち寄って興奮して以来、東京に行ったら絶対に立ち寄りたいと決めているスポット!

今回もかわいいものが次々に誘惑を仕掛けてくるので、アレも欲しい、コレも欲しいと『欲の塊』になったオマミーヌ嬢ですが

なにしろ東京に着いて、まだ30分も経っていない

という状態なので、ここでアホになり過ぎてはいかん!!とお財布のヒモを締め、本当に欲しいものだけ買うことにして、思いっきり厳選。

林明子さんの「こんとあき」のメモもカワイイ。
布川愛子さんの「ひみつがあります」のお洋服を着た動物たちのシールもカワイイ。
「ぐるんぱ」のミニレターセットもカワイイ。

はぁ…。
かわいいものに囲まれて困惑し過ぎの幸せのため息。

厳選してねこまたごよみの文具を買ったんですね

イエーーーッス。そのとーーーーりっ! ← いつまでも大好き、タケモトピアノ

石黒亜矢子さんの「ねこまたごよみ」は、ネコの妖怪たちがビッシリと描かれている絵本。
初めて見た時に、私が子ども時代に大好きだった「かこさとしさん」の『カラスのパン屋さん』と似ている!!と思ったんですよね。

タッチや雰囲気は全然違うのですが、絵がビッシリと丁寧で細かくて、隅々まで見てニッコリしちゃう、あの感覚が似ているなぁって。

ギンちゃん風の猫の妖怪には抗えませんでした

ぐるんぱのミニレターセットにするか、ねこまたごよみのミニレターセットにするかを最後まで迷ったのですが(どちらも「そえぶみ箋」という同じシリーズ)、ギンちゃんみたいな色の尻尾が裂けているネコちゃんが愛おしくて、購入したのはこちらの2つ。

くはーーー。嬉しい。

これを使って、ますますノート作りが楽しくなること、間違いなし。

そして、迷って今回は買わずに見送ったアイテムたちは、また今度東京に行ったときに買うんだ!と”未来のお楽しみ”として残してあります。
まとめてドンと手に入れるのも楽しいし、チビチビと好きなものを増やしていくもの、どっちも楽しいですもんね~。むふふ。

* * *

今でも「自立」の立ち位置で、何かと勝手に背負い込んだり、弱さをさらけ出すのは苦手で、つらいことがあっても歯を食いしばって耐えて…という生き方に寄りがちな私ですが、なんで「甘えてはいけない」「弱音を吐いてはいけない」という掟を自分に課したのかは、実はあんまりよく覚えていません。

多分、子どもなりに体験した出来事で悲しんだり、怒りに震えたり、無力感に苛まれたり、こうあるべき!という言葉を信じたりして、少しずつ「自立の道」に進んで行ったんだろうなぁ。

あ、あとは「長女」というのもあるのかもしれません。

ちょっと先にこの地球に生まれただけなのに、「お姉ちゃんなんだから」という思い込みや肩書を大事にして、勝手に「与えるポジション」におさまったんですよね~。
でも、妹たちは愛おしいし、役割分担のようなものがあれば「お姉ちゃん」という役割をやらせてもらっているのは嬉しいので、いいのだけれど。

私は子ども時代から『甘えるのが下手』でした。

正直に言うと、甘え方が分からないですし、過去の恋愛でも「甘える」を自分なりに実践してきたつもりでしたが、

オレはお前の役に立てている気がしない。
お前は強いから一人でも生きていける。

的な言われ方をしてきました。

甘えられない・弱みが見せられない = しんどくてもそんな自分を見せることが怖いから、傷付いても苦しくても、平気な振りして頑張り続けるということをしていました。

私は甘えることができなかったし、弱みを見せるのは「死」と同義!とすら思っていたので、しんどいときに助けを求めることができず、気持ちに蓋をして頑張り続けました。

だから、あまりに苦しい時間の記憶がスコーンと抜け落ちていて、部分的に記憶喪失かのように思い出せない過去があります。

なんとなくは覚えているのに、記憶は色彩を失い、登場人物はのっぺらぼうで…というように、過去に出来事はあったはずなのに、つかみどころがない感じで思い出せないんです。

つらかった頃の悩みが、どんなものだったのか輪郭がぼやけて上手く思い出せないのだけれど、思い出そうとすると息が詰まるような苦しい気持ちになるので、相当参っていたんだろうなぁ。
助けて、って言えなくて、どうしようもなくなって、その時の感情や思考を切り離してしまったんだろうなぁ。

とはいえ、自分が体験してきたことだから、思い出せなくても「無意識の層」には刻まれていて、クッキリ思え出せなくても、何かで記憶の一部が刺激されると涙が止まらなくなったりして、そうやってちょっとずつ浄化して苦しみや痛みの角を和らげているのかな??

私は大丈夫だよ!っていう「ふり」をし続けるのは、本当はとってもしんどかった。
感じるのも、考えるのも限界で、耐えられないことはいっぱいあった。
逃げ出すこともできず、弱音も吐けず、ギリギリのラインを超えていたはずの私に、それでも尚、私は自分を頑張らせる言葉をかけ続けた。

私よりもっとつらい思いをしている人もいるのに、ここで弱音を吐いちゃダメだよ、って。

いやーー。
今の私では信じられないくらい、ひどい扱いを私にしていました。

耐えられるかどうかなんて、誰かと比べる必要はないし、背負えるものや頑張りが効く範囲だって、人よりも弱かったり狭くたっていいのにね。

耐えられる・耐えられないは、自分にしか分からないし、誰かと比べる必要なんてまったくないものなのに。

100人いたら、100人の傷や受け方があって、似ているように見えても同じものなんて何ひとつないのにね。

つらいものは、つらい。
頑張れないものは、頑張れない。
情けなくたっていいし、助けてもらってもいいのに、どうやら私は「頑張っちゃった」んです。

頑張ると決めたものの、現実は「耐えられない」と背負うことも向き合うこともできない状態だった私がしたことは

感情に蓋をして、感じないようにする

ということでした。

ずっとそうやって「自分の感情を抑え込んで、無視し続けて」生きてきたので、大きな問題が起きてセミナーに参加したり、色んな人のブログや本を通して言われていた「好きな事をする」という言葉を前にした時に、凍り付きました。

私が何を食べたいのかも分からない。
私が何をしたいのかも、何を好きなのかも分からなくなっちゃった。

自分のために何かしてあげようとしても、ワクワクできない。
私、笑えない。

自分の感情を抑え込んでいたことで、『無』になっていました。
自分のことなのに、冷え切っていて、全然心が動かなくなっていました。

大きな問題があったことの恩恵の一つが、自分に対する感情が切れている事に気付けたこと。

好きな事、喜ぶこと、楽しいことが分からないんだ…とビックリしたことで、自分に問いかける練習を続けて、少しずつ『感じること』を取り戻すことができたから。

振り返ってみたらなんだかんだと10年前に「私が楽しいと思えることが分からない」と気付いて唖然としたのですが、その後すぐに「ワクワク」「ドキドキ」「楽しい」を取り戻せたわけではありません。

どれが食べたい?
どっちの方が嬉しい?
今日は何をしたい気分?
ご褒美してあげたいけれど、どうしたらニッコリしてくれる?

日常の中で、一生懸命に色んなことを問いかけるものの、2~3年くらいは答えが出てこなくてもどかしい日々を過ごしました。

ほら、私って「粘着質で執着が趣味」といった「諦めなさ」があるので、自分に対してもしつこかったんですよね。
欠点と長所は紙一重なので、しつこさと粘り気があったおかげで、私は時間をかけて少しずつ自分の感情の蓋ずらしていき、凍りついた感情を溶かしていくことができました。

ありがとう、執着気質!!
ありがとう、粘着のおまみ!!!

自分への問いかけは終わったわけではなく、今もまだしつこく、ゆっくりじわじわと「自分の感情」を取り戻し中です。

何を聞いても無音・無反応だった私が、少しずつ「これをしてみたいな」「こっちの方が嬉しいな」「これを食べたいな」と思えるようになってきて、それを積み重ねているうちに、だんだんと好きなことが分かるようになってきました。

もともと、ノートを書くのは好きでしたし、シールや文房具を集めることも好きでしたが、感情に蓋をして「無」になってからは、それも楽しめなくなっていました。

ですが、少しだけでも好きなことだったから…と思い出して行動し、好きなものをご褒美にして届け続けていくうちに、やっぱり楽しい!これが好き!と思える感覚を取り戻すことができました。

自分の感情を切り捨てて蓋をしていたことに気付き、一足飛びで「大きな感情」を取り戻そうと焦った時期もあります。

日常の小さな喜びやトキメキではなく、もっと心がワクワクする大きなビジョンを描きたい!とか、もっと濃い感じの欲望とかを感じたい、って。

でもそれは、無理でした。

当然ですよねー。
だって、今コンビニで「どのお水を飲みたいか」というささやかで小さなことすら気付けない・感情が動かない状態のときに、刺激的なワクワクを感じようったって、無理があり過ぎますもんね。

時間をかけて抑圧してきた感情だもの、少しずつほどいて行けばいいじゃない!

そう思ってからは、小さな声掛けをひたすら続けて、自分の身の回りの小さな幸せや喜びを「感じる」ことを大切にして今に至ります。

おかげで私は、日常にある細かしい喜びや幸せに敏感になれました。
おかげで私は、日々を笑顔で生きれるようになれました。

ドーンと大きなワクワクは、まだシックリこないし描くのが下手だけれど、10年くらい前に感情がマヒしていることに気付いたあの時から見たら、随分と快適に自分の感情を感じれるようになっています。

自分の側にある「小さな好き」「小さな心地よさ」「小さなワクワク」を無視しないこと。
それをコツコツ積み重ねていたら、少しずつ感じられるセンサーというか、喜びを感じる器が広がっていき、前よりもずっと大きなワクワクを感じて生きられるようになりました。

私はきっと、この先も「小さなワクワク」「小さな幸せ」「小さなニッコリ」を集めながら生きていくのでしょう。
だってね、それがとっても心地よいから。

それが、マミコ・スターーーイル!なんですものね。

そしていつか、じわじわと「やりたいことやワクワクすること」が広がっていって、もっと大きな欲望や喜びを手にしたいと思えるようになっていくんだろうな、って思っています。

歩幅は人と違っていいし、喜びや心地よさの感度が人と違っていてもいい。

私の感情や感覚は、誰かのものさしは関係なく、私のものだから。
私のトキメキは、私だけのものだから。

あなたが笑顔になれるもの、あなたの心がフクフク喜べるものは何ですか?

大きなものが描ける人もいれば、小さなものを描いてニコニコする人もいます。
そこに優劣は1㎜もなくて、あなたが心地よければオールオッケー!!

大きなワクワクはすぐに描けなくても大丈夫。
ずっと自分の感情に蓋をしてきたならば、なおのこと小さなことから少しずつ「気付く」練習を楽しんでいきましょう!!

永久凍土になっていたかのような私の心も、小さなトキメキや好きを感じることを続けているうちに、ゆるゆると溶けて「感じる」を取り戻し、今はニコニコ笑って生きていますから。

今日のあなたを小さく喜ばせてあげる「手軽にできること」は何でしょう?
うふふ、金曜の夜だもの。お疲れ様~って自分にとどけてあげられますように。

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