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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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笑顔の種と、これまでの経験が自分の糧になっていること

桜が咲いたですよ! 春になって、マミコが浮かれてますよ

遅ればせながら…ですが、私たちが暮らす新潟市にもようやく桜の便りが届きました!

とはいいつつも、咲き始めてからは曇りがちなお天気が続き、なかなか華やいだ気分にはなれなかったのですが、明日はきっとお花見日和。
ギンちゃんと実家の近くの公園に行けたらいいな~と画策しています。

冬の間は葉を落とし、枝だけになっていた寂しそうな桜の木が、春の訪れとともに薄いピンクの花を満開にする姿は圧巻ですね~。

華やかで、空の水色とのバランスもとっても良くて、気持ちが勝手にウキウキします。

春がきた!!
ワクワクする、新しいスタートの季節がやってきた。

私は圧倒的に「春・夏」が好きなので、今からワクワクしています。
楽しい時間を味わいつくそーーっと。むふふ。

* * *

早いもので、仁くんが旅立って一ヵ月が過ぎました。

ペットを亡くした人の特効薬は「時間」であることが多い。少しずつ、少しずつ、時間をかけて、傷つき号泣した苦しみから立ち上がっていく。
ようやく立ち上がれるようになったころ、最愛のペットを亡くした人は、その人なりにさまざまなことを受け入れて、消化して、何かを達観していることが多い。
(引用:ペットがあなたを選んだ理由/塩田妙玄著・ハート出版)

ずっと昔に読んだ本の言葉ですが、愛する小さな命を見送った後で、この言葉がとてもしっくりと染みています。

全てにおいて「時間」が薬になるとは限らないけれど、時間の持つ力は大きくて、とてつもない衝撃の角を丸める力を持っているなぁ、と感じています。

暴力的に悲しい「死」という出来事以外にも、これまでにいくつもの『喪失』を体験してきました。

例えば、離婚だったり失恋だったりといった「愛する対象の喪失」でも、心に大きな穴が開いたようにスース―して、しばらくは現実感がなくて肩を落とす日々が続きます。

でもそれもいつしか、時間をかけて『過去』にしていくことができて、軽口を叩けるくらいに回復していける。

悲しみが深い時には、すぐさま楽になりたくて「明日起きたらすべてを忘れたい!」なんて願うけれど、現実は何も変わらず悲しみに支配されたままで、いつになったら笑えるんだろう…と泣けてしまうけれど、それを続けているだけで少しずつ少しずつ、元気になれていく。

時間という船がゆっくりと流れに乗り、気付いた時には岸からうんと離れて違う景色が見える場所にたどり着くように、何か特別なことをしなくても、時間が自分の心を軽くする場所へ連れて行ってくれるのかもしれません。

悲しみの元となった出来事は変わらずに存在していても、そこから離れていくことで「見え方」が変わっていく…のかな?

鋭利な悲しみの痛みが和らぐまでの時間は、人によって違うものだけれど、時間の持つ「やさしくてたくましい力」を借りて、私たちは自分なりに悲しみを消化しながら、受け取り方を見つけていく。

折れたように見えながらも、立ち直る力を備えている。
それがきっと、レジリエンスというものですものね。

我が家の「かわいい担当」を神様にお返ししてから、あっという間の1か月。

衝撃が強かった時期には、生きる力すらわかない状態だったのに、今ではすっかり日常生活を取り戻して、仁くんの思い出話をして笑えるようになりました。

まだ時に、極まって泣いちゃったりすることもあるけれども。えへへ。

でもね、それでいいんだと思います。

時間が経っても涙が出たり、会いたいなぁ~って思ったり、ふとした時に悲しい気持ちを感じるのは、仁くんと暮らした時間が愛おしいものだったから。

幸せと暖かさに包まれていた、一緒に過ごした時間があった、という証なのだから。

それでもね、泣くこともうーーんと少なくなって、想い出話をするときに「あったかい気持ち」になれる時間の方が増えています。
うふふ、嬉しいな。

* * *

気になっていたお店へ行くために有休をもらいました

かわいいイラストでおなじみの「てるふく商店」さんのアトリエが、先月オープンしたというのを知り、気になっていました。

アトリエは、なんと新潟市!!

アトリエがオープンしている日は月に数日。
4月の予定を見たところ、8日はお店がやっている日でもあり、仁くんが旅立って丁度1か月の節目の日。

そっかー。
仁くんが、「有休取って笑顔になるんでちよーー!」って言ってるに違いない!

と、脳内で都合よく変換し、有給休暇をもらってお出かけしてきました。

センスのある人が作ることができるオシャ空間

住宅地の一角。
突如現れるオシャレな世界。

石の階段をテクテク登った先にお店があります

駐車場の脇にある石の階段を上った先にアトリエがあるのですが、途中の看板もかわいい。

突如現れるオシャレな世界

ごくごく普通の一般住宅がありそうな場所に、かわいい世界が広がります。

オシャレな人にしか作れない「オシャレな空気」というか「オシャレなオーラ」というのか…。

私にはない「センス」というものが溢れている感じで、うらやましいゼ…。

一筆箋とメモ帳を購入して嬉しくてホクホクな私

イラストの雰囲気そのままに、アトリエの中も「ふんわりかわいい」空間で、あれもこれも目移りしちゃいました。

迷って迷って、ミニメモ帳と一筆箋を購入。

「かわいいイラストが描けるって羨ましいです!」と、作家さんにお声がけできる時間も贅沢だなぁ~とニンマリしながら、お買い物して嬉しい姿をパチリとしてもらいました。

お店の紙袋がお店の外観にとても馴染む…

ナチュラルなのに「オシャ」な世界。

かわいい文房具に触れることが出来て、有休をもらって英気をたっぷり養えて大満足でした。

お店を出た後は、嬉しくてホクホクした気持ちのまま、スターバックスに寄ってノートタイムを満喫。

実は、仁くんの初めての「命日」に、スターバックスに行こう!と決めていました。

仁くんが旅立ったことを伝えてすぐ、私のことをとても気遣っていただく言葉と共に、Aさんからスターバックスのドリンクチケットをいただいていました。

一息つきたいと思ったときにお役立てください

と、優しい気持ちをいただいたのが、本当に嬉しくて。
すぐにはお返事もできずにいましたが、優しさがとっても染みました。

少しずつ元気になり始めた時に、いただいたチケットを「初めての命日に使いたい!」と思ったので、その思いのままにGO!

迷って選んだ「かわいい文具」を眺めながら、平日で人のまばらなスターバックスで、大好きなノートを開いてしっかり充電することができました。

優しい思いと、仁くんの命日に『献杯』しながら。

好きなことを、また少しずつ「笑顔」で楽しめるようになれた自分がいることに、ホッとしています。

本を読んだり、本の言葉をノートに書き留めたり、シールや付箋・メモ帳を眺めては「デコセンスないけど、貼っちゃうぞ!」とニヤニヤするのが、私の好きなこと。

その好きなことをする時間の側には、ギンちゃんと仁くんがいて、健やかな寝息や時折邪魔されたりして「ちょっとー!」なんて言ってたなぁ。

そんな時間があったことを思い出して「ふふふ」って笑えるようになっていることに、またニッコリ。

私が楽しそうにしていること、笑っていること、ふざけている時間の側で、ギンちゃんも仁くんも安心した姿を見せてくれて、ちぎれんばかりに尻尾を振って喜んでくれていたのだから…

私が私を笑顔にすることを、これからも増やしていこう。
私が好きなことを楽しんで、いつしか再会するときに「笑顔のお土産話」をたっぷりもっていこう。

と思っています。

仁くんが旅立って1か月。
いわゆる「月命日」を伸びやかに過ごしましたが、私はいつしか

『月命日』も忘れちゃうくらいになりたいな~

と願っています。

実家の愛犬たちを神様にお返しした後、いつしか命日を忘れていました。

お誕生日は覚えているのだけれど、亡くなった日時は「3月」「11月」という感じでザックリした感じ。

そして、亡くなった日を詳細には思い出さない代わりに、似たような姿のワンちゃんを見れば「ハナちゃんって、いつもテーブルの下の特等席にいたよね~」と思い出しては話題にのぼり、笑顔で愛しいその姿を思い浮かべています。

大好物だったものを見れば、話題になる。
季節の変わり目や、一緒に出かけた場所を通れば思い出す。
なんでもない瞬間に「そういえば…」なんて、誰かが思い出話をすると、その話が膨らんで他の思い出も鮮やかに蘇る。

ギンちゃんや仁くんの行動を見て、「プルも似たことあったよねー」「ララちゃんの場合は…」と、愛犬たちの昔の姿をクッキリと思い出して、笑顔のおしゃべり時間が繰り広げられる。

愛らしくモフモフした肉体を脱ぎ捨て、先に神様のもとに行ってしまった愛犬やモルモットやウサギたちとは、今すぐには会えないけれど、

思い出すときはいつだって鮮明だし、愛おしいと思う気持ちは、今も褪せることなく変わらない。
思い出すたびに、いつだってすぐそばに感じる。

形は変わってしまったけれど、決して「なくなった」わけではなくて、ずっとつながり続けている気がします。

月命日を意識しなくても、あったかくニコニコといつだって思い出せるし、特別な日を忘れちゃうくらいに、不在が当たり前になっても大丈夫だから。

これまでに経験してきた、たくさんのお別れ。
死をもった別れ以外にも、喪失で涙しもう立ち直れない…と思うこともたくさんありました。

「死」という別れも、「喪失」という体験も、何度体験したって決して慣れるものではないけれど、過去の体験を通して『しなやかに立ち直る自分がいる』ことも分かっている。

そしていつしか、自分なりに過去を「心の大切な場所」にしまっておく方法を見つけ出し、慈しむこともできるようになり、過去の幸せをあったかく感じることもできるようになる。

どんな痛みも悲しみも、自分が経験したことはきっと、いつかの未来で自分を助ける小さな小さな力になるはず。

なーんて、その瞬間にはとてもじゃないし、悲しみや痛みから学べるものや糧を得るなんて思えなくてとうぜんだけれど。

でもやっぱり、自分の人生で起こったすべてのことは、自分を助ける力に変わっていくのだろうし…ね。
ううん、そうであってほしいなぁ。

今回、すごく悲しくて「ペットロス」に陥ると思ったのですが、もう立ち上がれない…と感じていた中で、過去に離婚問題があった時のことを思い出しました。

もう生きる意味が分からない。
生きる力がない。

と、フラフラと道路に進み出るほどの絶望を抱えて、数年間は真っ暗な世界で生きていました。

何をしていても笑うこともできない。
何を食べても味を感じない。
世界は色彩を失い、すべてがグレーに見える。
朝起きると絶望していて、感情を切らないと生きることができない。

真っ暗なトンネルには、つまようじで開けた小さな点程の光も見えず、ずっとずっと暗いままに思えていましたが、あの場所から十年近くの時間を経て、

『イエーーイ!』なんてはしゃいで、自分の毎日を慈しみながら人生を楽しめるようになっていました。

あぁ、死にたいくらいの絶望の時間を生きていたけれど、時間をかけて、またちゃんと笑って生きているじゃない、私。

そう思ったら、しばらくは立ち上がれないままでいても、またきっといつかの未来で私はなんとかなっているだろうと思えました。

だから安心して(?)、悲しみの沼に落ちて、周りの人の愛に支えてもらうようにして、ワンワン泣いて、ダメな自分のままで過ごしました。

何を言いたいのか、書いていてワケワカメになってきましたが(← 通常運航、いつものことです)

過去の経験が、自分を救う糧になるんだ

ということを知れたことも、大きな収穫だったよ!とお伝えしたかったんです。

どんな涙も、どんな失敗も、どんな痛みも、全部全部、あなたにとっていつしか優しい栄養分になってくれるはずだから。
大丈夫、大丈夫だから、ね。

ということで ← どういうこと?

仁くんの旅立ちから1か月の節目に、私は楽しいことと優しい思いをありがたく受け取って、ニッコリ過ごしました、という報告でした。

ではでは、素敵な金曜日の夜をお過ごしください♡

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