「誰か、助けて」を言ってみて気付けたこと ~自立な私が頑張った!すごい!エライ!~
スーパーマーケットは大好きでよく行くのですが、あまりコンビニに行く機会のないオマミーヌ。
先日の出社当番日の帰り道、無性に甘くて冷たいものが食べたい!と思い、脳内コンピュータで帰り道で買える「冷たくて甘いもの」を考えたところ
セブンイレブンのソフトクリーム
が久しぶりに食べたい、とピコーンと鳴り響き、マンション近くにある通り道のセブンイレブンに寄り道することにしました。
セブンイレブンのソフトクリームには、ちょっとリッチな「金のシリーズ」などもあるのですが、私は200円前後の「リッチミルク」の方が好きで、この日も完全に「リッチミルクの口」になっていました。
冷凍ケースに一目散で駆けより、お目当ての「リッチミルク」を手にし…って、美味しそうな「バナナシェイク」があるじゃない!!
バナナシェイクと書かれていたので、かなり甘いのを想像していましたが、いい意味で想像は裏切られて、バナナヨーグルトっぽい感じのお味。(冷たいので甘さの感覚が弱いのかな?)
そして、ところどころ黄色くて甘いバナナソースが隠れていて、見た目にも鮮やかで楽しい!
なにこれ、めっちゃ好き。
お値段はシンプルなワッフルコーンより数十円お高いのですが、それでも300円せずに買えるので、ちょっとしたご褒美にピッタリ。
あまりに美味しかったので、翌日の出社後もセブンイレブンに寄り道。
冷凍ケースには「2つ」しかなかったので、また入荷するのかな?と思いつつも、もしかしたら限定品かな…と、2つ買ってきて1つは冷凍庫に入れて残しておきました。
先日東京に行った際に妹の家の近くのセブンイレブンに寄り、「おいしいんだよ!」と熱弁をふるった時には、まだ冷凍ケースに沢山アイスがあったので、新潟に戻っても買えるだろうと思ってました。
それなのに、それなのに…
今日、お客様訪問があって外出した帰りに、バナナシェイクアイスを買って帰ろ~♪と思ってセブンイレブンに行ったら、
もう、売っていないんです!!!
え、うそ。ショック。
職場に一番近いセブンイレブンに寄り、そこで売っていなかったので、帰り道の途中にあるもう一軒別のセブンイレブンで買うか…と移動したら、そこでも売り切れ。
ええーーっ。
帰り道、マンションを通り越して車で2分くらいの場所にあるセブンイレブンに行ったものの、ここでも売り切れ。
ないものは仕方ない。
と思い、一度家に戻って仕事をし、昼休み時間を利用して「近辺のセブンイレブン」にバナナシェイクアイス探しの旅に出ました。
結果は、撃沈。
7店舗回って、全部売り切れでした。
私は普段コンビニに寄ることがないので、きっと最近というよりは「少し前」から店舗に並んでいて、シーズンが終わってしまったんだろうなぁ。
くーーっ、もっと早く出会っていたら、もっとたくさん食べれたのに。
冷凍庫の中に残っていたバナナシェイク味のソフトクリームを、今日のお昼休みに名残惜しくも味わいました。
あぁ、美味しい。
またきっといつか、再販してくれる…ことを期待しつつ、美味しいソフトクリームに出会えてニッコリした私の独り言でした。
* * *
私の働いている職場では、コロナ禍がキッカケで、それまで出社勤務だけだった働き方が「ハイブリッド」な形に変化しました。
ワクチンの登場や、コロナが猛威をふるっていたときより弱毒化したこと、さらには5類に移行したこともあり、それまでの「出社人数の厳密な制限」などは廃止され、今は出社が週2日で3日は在宅勤務ができるスタイルになっています。
出社はローテーションで当番制。
私は「火・水」が出社日ですが、それ以外に全員が参加する会議の日や、お客様の所に行く用事がある時などは出社しています。
※私は顔の皮膚トラブルがあり真っ赤な状態が治らないため、上長に相談し「午前中」だけの出社にさせてもらえています。ありがたや。
在宅勤務が始まることになり、それまで会社に据え置きのデスクトップパソコンだったのですが、新たにノートパソコンを支給してもらい、デスクトップパソコンのデータは「クラウド」に移動しておきました。
…が、クラウドに置いたはずの「古いデータ」の一部が、上手くアップロードされていなかったようで見当たらず。
数年振りにお客様から連絡があり、古いデータを少し修正する作業依頼をもらったので、出社日に久しぶりにデスクトップパソコンを起動させることにしました。
そこでちょっとした問題が起きました。
今、出社時にノートパソコンを大型モニターに繋いでいるのですが、デスクトップパソコンの方にコードを付け替えて画面を写そうとしてみたら、全く反応しないんです!!!
パソコン自体は電源周りのボタン部分が発光して、ウィーンと小さな音を立てていたので起動しているようなのですが、モニターとの接続が上手くいかない。
オーマイガーーーッ!!
私、パソコンの詳しいこととか、接続とか、メカニックな感じのことは全く分からないんです。
いつもノートパソコンとつないでいる「HDMI端子」の刺し口が、デスクトップパソコン側にもあるので差し込んでみるものの、『Entering Power Save Mode』とメッセージが出るものの、モニターに画像が映らない。
何度も抜き差ししたり、モニターの電源を入れたり切ったりするものの、全くダメ。
デスクの下に潜ってゴソゴソしている私を、その日出社していたスタッフはチラッと見るものの、それぞれの仕事をこなしていて、ヘルプの手はなし。
困った。
お手上げだ。
20分程、一人でやれそうなことを全て試してみて、白旗を挙げました。
自立な私は、人に「助けてください」と頼むことが苦手です。
申し訳ないと思い、できるだけ頼らずに自分で何とかするべきだと思ってしまうんです。
いくら何でも自分でやれるようになりたいと思っていたとしても、不完全な人間ですから、何もかもをマルチに理解してこなせるわけなんてないんですよね。
自分で「できる範囲」の手を尽してみましたが、分からないならば「助けてもらう」「教えてもらう」ことをしなければ、問題は解決できません。
なので、自分の胸に手を当てて「スーーッ」と大きく息を吸い込んで、トンッと1回、自分を鼓舞するように胸を叩いた後、フロアにいるスタッフさん全員に向けて、声を出しました。
配線関係に詳しい方がいたら、助けてください。
デスクトップパソコンとモニターが繋がりません。
職場にいたスタッフさんがみんな、手を止めてこちらにやってきてくれました。
現状を一緒に確認してくれた後、他のケーブルを探しに行ってくれたり、つながらないことについてインターネットで調べてくれたりと、それぞれに助けようとしてくれました。
結果、ノートパソコンにつなぐための端子が変換用のコードだったらしく、デスクトップに繋ぐための別のコードに付け替えたら、見事にモニターがつきました。
モニターがついた時に、助けてくれるのに集まってくれたスタッフさんたちが「おおーーっ!」「よかったー!」と一緒に歓声を上げてくれた後で、笑顔で自席に戻っていきました。
助けてもらったことで、10分弱で解決しましたが、もしも声を上げずに一人でガサガサやっていたら、解決するのにもっともっと時間が必要だったでしょう。
ううん、解決できずに諦めたかもしれません。
もしかしたら、職場のスタッフさんたちも、私がガサゴソやっていることが気になっていたかもしれません。
けれど、私が声をかけないので「声をかけていいのかためらっていた」のだろうと思います。
困っているのならば、困っていると声に出していいんだ。
そして、助けてもらって一緒に喜んでいいんだ。
「そんな小さなこと?」と思われるようなことかもしれませんが、自立な私は「助けてください」という言葉が、ずっとずっと長い間喉につかえてしまって、スルッと口にすることができませんでした。
だから本当に、私にしたらスゴイ一歩なんです。
そして、助けてもらうって「一人で頑張るのとは違って、助けてくれた人と喜びを分かち合えるんだ!」というのも大きな発見でした。
当然ですが、助けてくれた人への感謝の気持ちがわきますから、この先にこの人が何かで助けが必要なときにお返ししたい!という思いが芽生えます。
相手にとっては難しいことでも「私にとっては簡単にやれること」があれば、私が助けてもらって嬉しい気持ちを先にプレゼントしてもらったように、私も相手にプレゼントしたい!と思って、暖かい気持ちで行動できます。
ありがとう。
私が今度は、あなたの助けになりたいな。
助けてもらうことで、優しい循環が生れるんだ!!
助け合うって、あったかくて素敵だな。
何もかもをひとりで頑張ってしまうばっかりではなく、助けてもらって「受け取る」って心地いんだね。
社会生活をおくっている大人ですから、何でもかんでもを「助けてー」「変わりにやってー」というのは、周りの人に負担になってしまうとは思いますが、それぞれに『得意・不得意』がありますものね。
自分にとっては不得意なことであれば、それが得意な人が手助けしてくれた時に、その人の能力に助けられて「スゴイ!」とその能力を感嘆の目で見つめます。
それが得意な人は、自分の得意なことで「役に立てた」という喜びを感じるでしょう。
その逆で、自分が得意なことがあれば、それが不得意な人の役に立てたら嬉しいと思いますよね。
助けてもらうって、あったかい!!
どこかに「助けてもらうことは、申し訳ないこと」のような思いがあったけれど、未熟な自分が云々…ではなく、単に『今の私では対処できないから、力を貸してもらった』というだけのこと。
助けてもらったら、ありがとうって伝えればいいだけ。
感謝して、喜んで、循環していつか何かで「助け」になれる未来が来たらお返ししたらいいんだもんね。
そしてもう一つ。
「助けてください」って声を出すことで、周りの人に『私はこれが不得手です』って分かってもらえるいい機会でもあります。
頑張って自分で調べて、無理したり泣きながらでも「何とかしてしまう」「諦めてしまう」と、周りの人は、私が何が苦手で難しいのかを知らないままです。
察するのを期待しても、相手が私の一挙手一投足を見ている訳ではないですし、頑張るのが好きだと思われていたら、逆に手助けするのをためらっちゃうでしょう。
でも、声に出して「苦手です」「難しいです」「助けが必要なんです」ということで、
周りの人に、私が苦手なことが何かを知ってもらうことができます。
そう言えば、あの人はこれが不得意だっだっけ?と、この先にも分かってもらえている分だけ助けてもらうハードルが低くなります。
例えば、ゴキのブリが苦手な人が「無理ーーッ」と言ってくれれば、次にGが出現した時にも私が対処しよう!と相手に無理させようと思わなくなります。
でも、無理してでもGに向き合って対処していたらどうでしょう??
そこまで苦手だと思われないどころか、またGが出てきた時に「この間も対処してたよね!なんとかしといて!」と苦手なことを頼まれてしまうかもしれません。
例がアレでしたが、私もGOKIのBURIは苦手です。
もしも、同じものが共に苦手だったら、なんだか親近感がわいて、ふたりで頑張って対処しよう!と力を合わせて怖さを半分にすることもできますよね。
弱さやダメさって、隠さなくてもいいんです。
その「足りなさ」があるまま、愛されたり助けてもらっていいんです。
当たり前のことだけれど、人に甘える・頼るのが苦手な私には、それがまぁ、難しいのなんのって。
職場でパソコンが映らないことを一人で対処しようとするなんて、時間の無駄!
それならさっさと「助けてください」って言うべきでしょ?
そうでしょう。そうでしょう。
そうだと思うけれど、頑張り屋さんや人に迷惑をかけると思って委縮してしまう人にとっては、声を出すのがどれだけ難しいことか。
だからね、これくらい些細なことであっても、
自分から声を出したって、私ってすごくなぁ~い?! ← ギャル降臨
私、めっちゃ成長した!
私、すごくすごくよくやった!!
って自分に対して満面の笑みを向け、自分の変化を大喜びしちゃっています。
自分が助けてもらって嬉しかったから、今度は私も自分が持つ「得意なこと」で、誰かを助けたいと思えるようになります。
そうやって、暖かく優しい循環が生れていくんですもんね。
自分が助けるばっかりじゃなくて、助けてもらって「嬉しい」を感じることで、次に自分が与える側になる時に「喜んでもらえるんだ」「喜んでもらえて嬉しい」を受け取れます。
あらあら、助けてもらうって素敵なことですね。うふふ。
勇気が要るけれど、困った時には言っていいんです。
「助けてください」って。
私と同じように、助けを求めるのが苦手なあなたが、いつか「助けてください」と言える日が来ますように。
そして、あったかい手助けを受け取れますように。