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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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「十分愛してあげられなくてごめんなさい」という罪悪感について

昨晩書いたブログが公開前に消えたって言ってヒーーッってなってましたね

私の中でとびきり深くて暖かい気付きがあり、それをブログに書き終わったタイミングで、なぜか保存・公開ができなくなりました。

こまめに保存しつつ書いていたので、「一度ログアウトして入りなおせば公開できるでしょ!」とログアウトしたら…

書いていたはずの記事自体がなくなってるじゃないですかーーーー。(白目)

今まで、うまく保存できないことは幾度かあったけれど、記事はちゃんとバックアップが働いて復旧できていたのに、バックアップされいないなんて、どゆことーーーー?!

タイトルの通り『十分愛してあげられなくてごめんなさい』という言葉が持つ罪悪感についての話を書いていたのですが、自分でも思いがけない言葉や暖かい気持ち、愛されていたことを嬉しく思う気持ちになれました。

今だから気付けて、今だから受け取れて、あぁ、そういうことか!と思えた、私にとってすごく大きな気付きと共に、その瞬間に出てきた素直な言葉が並んでいたものでした。

感情が言葉に乗るというか、あの思いを同じようには表現できない…

とガックリしましたが、一晩明けてまた少し熟成して(?)、改めて書き直しました。

* * *

先日、仲良し女子トーーク(メッセンジャーだけど)で「三大ニーズ」が話題になりました。

・愛して欲しい
・分かって欲しい
・助けてほしい

話はここから横に脱線していったのですが、これが心の中に落ちた小さな種になったのか、ぼんやりと出てきたのが”罪悪感”について。

加害者的な行動をとったときに起きる罪悪感以外にも、してあげられなかったことへの罪悪感というものも大きいものです。

「十分愛してあげられなくてごめんなさい」というものも、罪悪感のひとつ。

この言葉を目にした瞬間、元・旦那さんのことを思い出しました。

夫婦問題の最中にあったとき、彼が私に対する大きな罪悪感を持っていることが分かりました。

浮気や不貞行為といった「出来事」に対する罪の意識があったのだろうと思っていましたが、私を見るのも苦しくなるくらい「大きすぎる罪悪感」になるものなのだろうか?と、ちょっとだけ不思議に思っていました。

逃れないと彼自身がつぶれてしまう…と思うほどの大きな罪悪感を抱えていた。

そしてふと、その罪悪感が「十分、愛してあげられなくてごめんなさい」だったのかもしれないな…と思ったんです。

私は私が思っているよりずっと、彼に愛してもらえていたんだ。
深く強く、とても愛されていたんだ。

夫婦問題の渦中にいた時、私は「また彼から好きになってもらいたい」と願い、愛してもらいたくて必死でした。

けれどそれ以前に、愛させないようにしていたのは私でした。

愛を差し出されても全部を跳ね返しておきながら、愛して欲しいと泣き続けていました。

私は生粋の自立なので、愛する・役に立つ・助けることをするのは私の役目であり、私がもらっていいとは思えていませんでいた。

どんなに愛を示そうとしても、全部「めっそうもない!」「私なんて!!!」と受け取り拒否をされたら、受け取ってもらえない彼の「愛したい」気持ちはどうしたらよかったのだろう。
彼はいっぱい愛そうとしてくれて、手を変え品を変え行動してくれたはずなのに、そのすべてが届かなかった日々は、どれだけ空しく切ないものだったのだろう。

愛が届かないって、とても悲しいことです。

毎日ラブレターを書いて渡しても、自分の想いが全く届かなかったら(全く受け取ってもらえなかったら)、いつしか愛を伝えるラブレターを書くのを諦めてしまうと同時に、自分の愛や自分の価値をちっぽけに感じてしまいます。

私では足りないんだ。
私では「愛してあげられないんだ」、と。

愛したいと思ってくれていた分だけ、愛せないと分かったときの無力感と罪悪感は大きいのは当然ですもんね。

自立していることに加え、私が持つ大きな罪悪感が彼の愛を受け取れなくさせていました。

私が抱えていたのは、神様に中指を立てて逃げ出したというとても大きな罪悪感。

禁固100年の罪。もう、許してあげてもいいよね。
禁固100年の罪。もう、許してあげてもいいよね。
お弟子さん講座の4回目で、まさかまさかの大号泣をしたのですが、私は今年に入ってから、カウンセリングを毎月体験す.....
https://many-smiles.com/about-me/100-years-sentence

相手は神様です。
大いなる存在にたてついた罪深い存在なのだから、幸せになんてなれるはずがない。
ううん、幸せになりたいなんて願うこと自体が間違っている。
私は牢獄の中で罪を償う生き方しかできない。

私は罪深い存在だから、幸せなんて求めちゃいけない。

なのに調子に乗って「自分の幸せ」を手にしようとしました。
大好きな人ができて、その人と結婚をするという、とんでもなく幸せなことを叶えようとしました。

結婚っておめでたいことです。
祝福を受ける出来事ですが、牢獄で罪を償うべき存在の私が祝福を受けるなんて、許されていいはずがありません。

だから、祝福されないように、周りの人にも喜びを共有してもらえないようにしなくてはいけない…

楽しみにしていた入籍直前に、彼がオーバーワークで重度のうつ病になり、それを理由に、入籍の報告なども事務関係で必要な最小限度にすることにしました。

なんでこのタイミングだったんだろう?と、ずっとその理由は分からないままだったけれど、

「私を愛してるなら、祝福されない状況がいるから困難な役を演じて」

と、私が彼に無意識にお願いをし、彼はとんでもなく過酷でしんどい痛みを伴う役割を引き受けてくれました。
私を愛してくれていたからこそ、自分を犠牲にしてまでも。

知覚できている思考(顕在意識)では、幸せになりたい!愛されたい!と願っていると思っていたのに、感じられないくらい深い心の奥底(潜在意識)では、幸せを求める自分が許せない状態だったんです。きっと。

彼のうつ病は希死念慮を伴うとても重たいものでした。
彼自身、真っ暗で絶望に飲まれる1年半を過ごすのは、どれだけ過酷だったでしょう。
愛してくれていたからこそ、ものすごく苦しくて辛くて死にたくなるような役をやり切ってくれたんだ…

離婚問題があった際に、彼とは幾度も話し合いをしました。
その場で、必ず彼が言っていた言葉があります。

– – – – –
自分がうつ病になった際に、支え続けてくれたことを心から感謝している。
私がいなかったら死んでいた。
私だからさらけ出せたし、私が支えてくれたから生きている今がある。これだけは感謝しても仕切れない。
俺は何も返せない。
– – – – –

彼が負い目というか引け目を感じているようで、私はこの言葉を聞くたびにいつもギュッと苦しい気持ちになりました。

結婚の誓は「健やかなるときも病めるときも」であり、うつ病の状態は「病めるとき」だっただけです。

感謝して欲しい訳じゃない。
愛して欲しいんだ、って。

でも、彼はずっと「愛したい」と言ってくれていたんです。
たたただ、私が差し出され続けた愛を受け取らなかったから、どんなに愛したくても「愛せなかった」んです。

愛してくれない、ではなく、愛させなかったんです。

「愛せない(愛が届かない)」という罪悪感は、どれだけ悲しく重たいものだったのでしょう。
夫婦を諦めるほどになるって、どれだけつらかったのだろう。

「愛せない罪悪感」に押しつぶされそうで、苦しくて私を直視できなくなるほどになるというのは、言い換えると「それだけ私を愛してくれていた」ということだったんだ。

そんなときに、彼が背負ってしまった罪の痛みに優しい手を伸ばしてくれて、彼の愛を「ありがとう」と受け取ってくれる人が出てきたのだと思います。

現実では、その出来事にとても傷ついたし、今だって「よかった!」なんて100%言い切れはしないけれど

こうやって考えてみると、優しく愛情深いあなたの愛を受け取ってくれる『十分に愛せる』人に出会えて、よかった、って思えます。

傷ついたし、たくさん泣いたし、私もあなたのことが大好きだったからつらかったけれど。

でもね、あなたが今、愛せない罪悪感から解放されて自由になれているなら嬉しいと思っています。

愛を受け取ってくれる人と幸せであってね。
私もちゃんと、幸せだから。

私も次には「愛してくれる人の愛を受け取れる」ようになろうと思っているから。

結婚してくれて、ありがとう。
幸せだった時間を、ありがとう。

私に、有り余るほどのギフトをありがとう。

私に届けてくれたたくさんのギフトの中のひとつが、ギンちゃん・仁くんと出会わせてくれたことです。

私はあなたのような素敵な人が、愛することを諦めずに何度も向き合ってくれたのに愛を受け取れないくらい、自立が尖っていて罪悪感も大きくて、『人』には甘えたり頼ったりできないみたいです。

2魂のお世話をすることで役に立たせてもらいつつ、愛を素直に受け取り、依存させてもらい、頑張る力ももらえている。
だからきっと、銀ちゃん・仁くんという、もふもふの愛らしい魂と出会わせてくれたんだものね。

牢獄の中でボロボロになりながら、幸せになりたいと夢見ていた私の手を取ってくれてありがとう。

愛したいと思ってくれてありがとう。

全然、受け取れなくてごめんね。
あなたを傷つけた私を、許してね。

私の人生に登場してくれて、ありがとう。
私に深くかかわってくれて、ありがとう。
幸せなんて無理だと思っていたのに、幸せを味合わせてくれて、ありがとう。

いっぱいいっぱい、愛してくれてありがとう。
道は別々だけれど、共に幸せに人生を生きようね。

愛を差し出してくれていた時には、全然受け取れなかったけれど、気付けた今、こうやってあなたの愛に触れて、嬉しく受け取らせてもらっているからね。

私も自分の犯した過去の罪を、責めることを少しずつ手放しているところです。
完全になくすことはできないけれど、自分を罰し続けるのではなく、幸せになることを許していこうとしている道の途中です。

あなたが愛したい人に愛を受け取ってもらう世界で、私があなたに背負わせてしまった罪悪感が癒やされていますように。

あなたの愛は、本当に素敵な愛だから。
魅力的なあなたとして、輝きながら生きてください。

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