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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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禁固100年の罪。もう、許してあげてもいいよね。

まぶたパンパンで妖怪警報ヤバ目に発令ですよ

お弟子さん講座の4回目で、まさかまさかの大号泣をしたのですが、
私は今年に入ってから、カウンセリングを毎月体験する事で、どんどん自分を癒すことができ、そうしていたらまた恋をすることができたり、ちょっとずつではありますが

私って、そんなに嫌いじゃないかも。
私の長所は「優しい」って認めよう。

と思いはじめられるようになったのですが、何か心の奥に見えない鎖のような、重石のような、得体の知れない『不安』のようなものが根を張っているのが気になっていました。

でも一体、何を抱えているのだろう???

もともと自己肯定感は低めだったけれど、少しずつ自己受容の方法を学び、実践し、自分に「ありがとう」という気持ちを持ち始め
随分と自分でも分かるくらい、自己肯定感は上がり始めていて、それが嬉しかったのに

うまくいっていいはずがない。
何かあるはずだ…

という、漠然とした不安・一抹の怖れのようなものを感じていました。
でもなんで???
その正体は、わたしには全く分からなかったので、とてももどかしい感じがしていました。

一緒にいても寂しいでちか?

うん。そうだね。寂しいって心の根っこにあったと思う。
うーん、寂しいというのか【幸せであってはいけない】という気持ちなんだと思うの。

矛盾しているけれど、幸せになりたくて自分を満たす努力をしながら
心の1番奥の、自分でも見たくない部分では

「わたしは幸せになってはいけない。幸せになる権利なんてない」

と自分で自分に呪いをかけていたんだ、と分かりました。

それは、講座の最後に行われるデモセッションを通して分かったことなのですが
わたしは石橋を叩きすぎて渡る前に破壊して「ほーらね」とうまくいかない理由を探すことが得意でしたが、
それは、自分自身でうまくいかない理由を考えて潜在意識にインプットし、

うまくいかないことがわたしにとって「当たり前」だとラベルを貼って決めてた、ということ。

受け取ることが苦手、つまり与えられても「わたしなんて!!」と全力で拒否している私は、誰のことも受け入れない、話を聞かずに自分の世界を幾重にも壁を作って強固に守っていた状態である、と。

変わりたい!と顕在意識では思っているのに、何か引っかかり変わるのが怖いと思っていた私の心のずーーーっと奥底にあったものは

私が作った心の世界には、誰にも入って欲しくないし、入れない。
変わるのは嫌だ。このままでいさせて!!!
という、外からの意見や圧ではビクともしないくらい頑丈な「自己否定の壁」でした。

頑丈に自分の心に何も入れないように護り続けているのだから
周りの人から届けてもらう、愛や思いを受け取れず、長所をはじきとばし、欠点だけを集め続け、どんどんと自己否定の壁を厚くすることを頑張ってきたのです。

その鉄壁の守りは、それだけ私がずーーーっと寂しかったから。

「寂しい」という感情を感じたくないから、自分でも見つけることすらできない心の奥の1番深いところに鍵をして、壁を積み上げて守ってきたのです。

なんでそんな壁を作ったんですか?

それはマミコちゃんが、まだとっても小さかった頃のお話なの。
ちょっと長くなっちゃうけれど、聞いてくれる??

私が物心つくかどうかという頃、お父さんの転勤があり、私の家族はお父さんの両親と同居することになりました。

おばあちゃん(お父さんの母)は、ずっと後に分かったことだけれど、精神に疾患を持っていて、とにかくキツく当たり、理不尽で家族の中で絶対の権力を持ち、私のお母さんとはもちろん合わず、

嫁・姑問題

で、いつも泣いていました。
お父さんは仕事で家にいないことも多く、お母さんは泣きながら

あなたたちが居なかったら、離婚するのに。

という言葉を何度も繰り返し、その度に私は何もできず、無力なまま聞いていました。
お母さんは、私と妹を愛していたから「投げ出せない」から離婚はしないという意味で使っていたはずですが

私がいなければ、お母さんは泣かなくて済むんだよね。
泣いているお母さんを助けてあげたいのに、何にもできない。

と、小さな私は自分を責めることを始めました。
それはあまりに無意識で、自分でも気付かないくらいに自然に。

そしてそれから間もなく、お母さんはある宗教に出会い、そこに自分の生きる希望を見つけました。

その宗教は、終末思想のあるキリスト教で
あと数年のうちに神さまによる裁きがあり、神様の教えを守っている人だけが救われて永遠の命をもらい、楽園と呼ばれる地で生きるという教えでした。

始めてその教えを聞いた時、私は怖くて泣きました。

だって、その裁きの日は、世界中の人が逃げまどい死んでいく、恐怖の日なのです。
教えを学び、神さまを信じた人たちは不思議な方法で神さまから守られ、助けてくれ…と叫ぶ人たちの中から救われ
裁きの日が終わると、生き残った人の足元には、無数の死体があり
永遠に生きる権利を与えられた人により、埋葬や「楽園を作る」作業が始まるのです。

そして、その楽園では神さまの教えを信じていない人はおらず
神様の教えを守れない人は、そこで裁きを受けて、楽園と呼ばれる地から排除される…という教えでした。

もしも私が、その教えを守って「裁きの日」を迎えることも、自分が助かる中で沢山の人が苦しんで死ぬのを見ることも怖かった。

そして何より、その裁きの日の前に神さまのテストのような「大きな試練」がやってきて、その宗教を捨てるようにと圧力がかかり、自分の命か神さまのどちらを取るのかを試されるような恐怖の出来事がある…ということが、心の底から怖くて、私は恐怖から夜中に目を覚まして眠れなくなることや、神経が過敏になり過ぎて「何かに触れると手が汚れている」と錯覚し、何度も何度も手を洗い、皮が剥けて赤くなるってもなお、石鹸で手を洗う…という状態になったこともありました。

私は知ってしまったのです。
知らなければ楽しく暮らして、ある日突然、神さまの裁きの日に、一瞬で死ねたかもしれないのに
その日が来ると知ってしまった私は、もう逃げることができないのです。

小さいながらに、なぜ私は生まれてきてしまったのだろう?
こんなに怖いなら、もう死にたい。

そう思うけれど、自殺をすると大好きなお母さんを悲しませてしまう。
けれど私はどうしても、恐怖に立ち向かうことができない。

私はこの教えを信じ、学ぶことができない。
私は永遠の命なんていらない。
最後の日に、できれば家族みんなで死にたい。

終末思想については、私はあまりの恐怖から、日常では教えの事を全く感じないように心にシャッターを下ろしました。

基本的には神さまの愛についてを教えていたはずなのですが
終末は私が二十歳になるより前に、西暦2000年はきっと迎えずにやってくると言われていました。(ノストラダムスの予言もごっちゃになっていたのだと思います)

小さな子供だった私に、お母さんの学ぶ宗教を拒否することはできず
私はお母さんと一緒に教会に通いながら、その教えを心の底から拒否し、神さまに反抗していました。

※私のお父さんは宗教をやっていませんでしたし、終末思想につていも私が勝手に怖がっていただけで、教えの中心は別だったように思います。
※日常生活ではキリスト教の教えなので家族同士は仲良く、楽しく暮らしていました。

私はすでに、大きな罪を犯しているのです。
それは神さまに対してです。
許される罪ではありません。私は罰せられ、幸せになることは許されません。

私は生まれてきてはいけなかったのに生まれてきてしまいました。

こんなに罪深い私は、牢屋に閉じ込められるのがふさわしく
その罪は禁固100年の刑であり、私は生涯、幸せになどなってはいけないのです。

私は自分を罰しておかなければいけない存在とし
私に関わる人を不幸にしてしまうから、1人で強固な壁を作らなければいけなかったのです。

これが私の持つ、深い深い自己否定を持つ罪悪感の正体でした。

ある程度大人になり、私や妹は宗教から離れ
宗教の教えの中でも終末思想は消えていったようですが
小さい頃から私の中に住む神さまがいて、その教えに背くたびに、私はどんどん罪悪感を強めて行きました。

結婚前の交際や、大好きだった人と体の関係を持った時には、喜びよりも後悔と絶望と悲しみを感じました。

私は教えから離れてもなお、罪を重ねる意識だけは持ち続け
その痛みが辛すぎるので蓋をして見えないようにしたけれど、潜在意識の奥の奥では、勝手に罪悪感を増やして、幸せになってはいけないと自分を罰し続けていたのです。

何にも悪いことしてないのに、牢屋に入ってるでちか??

ねー、変だよねー。
勝手に自分は罪があって、牢屋に入っていなくてはいけないと自分を否定して罰して、幸せから全力で逃げていたなんて、ね。

私はいてはいけない存在で、迷惑な存在だ、と自分に呪いをかけていたのは
他の誰でもない、私でした。

罪悪感という感情は、ずっと私を罰し、私は受け取ってはいけない、幸せになってはいけないのだ、と私をぎゅうぎゅうに縛って、牢屋につないでいたのだと、デモセッションを通して、初めてそのことに気付きました。

そしてその奥にあったものは、
お母さんや妹たち、お父さんには私と同じような恐怖は味わって欲しくなくて
私が一身に神様からの罰を受けるので、幸せになって欲しいという「深い愛」でした。

それを知って、その思いがせり上がってきて、私は嗚咽しながら泣きました。

私がずっと見たくなくて蓋をしていた心の奥にあったものは
自己否定からくるとてつもなく大きな罪悪感でした。

そう思うと、ものすごく傷付いた離婚問題も、私による壮大な「自作自演」で、私は罪があるから幸せになれないからこそ、旦那さんだった人に裏切られることで罰してもらったし
罪深く許されない存在だった私に対して、一生懸命に愛して「与えよう」としてくれたものを、何一つ受け取れず、彼はずっと無力感を感じていたのだと思います。

ごめんね。
私が問題を作って離婚の道を準備したと、やっと今、理解することができました。

ありがとう。
一生懸命に私に愛を贈ろうとしてくれて。
嬉しかったよ。だけど受け取れなくて、本当にごめんなさい。

そう思ったら、もう涙が止まらなくなりました。
そしてこの涙は「自分を許すための」慈雨のような涙でした。

私はもう、十分に自分の罪を償いました。
ずっとずっと、頑張ってきました。
神さま、もう、私は自由になってもいいですよね?

私は、ずーーーっと自分の罪悪感の中で、自分を罰して償ってきたのです。
そしてもう、十分に刑期を終えて、そこから自由になっていいと思えるようになりました。

カウンセリングを通して、自分を諦めずに自分に向かい合い続けたからこそ
私は蓋をしていた罪悪感を見つけることができて、
きっとそこで、私の罪の償いは終わりを告げたのだと思います。

デモセッションを通して、私の心がすーーーっと軽くなり
いつもどこかに引っかかっていた小骨のような痛みが消えました。

そしてね、妄想大好き・妄想が得意な私は
目をつぶってゆったりとして自分の心の中で、牢屋から出てくるイメージワークをやってみました。(完全に思いつきのワークです。)

真っ暗で冷たい石の牢屋の中から
もう罪を償ったから出てきていいぞと言われて、私は厚い扉を開けてもらって
眩しいくらいに真っ白な明るい世界を目にしました。

その明るい世界に立っていたのは
なぜか二本足で立って、手を繋いでこちらを見ているギンちゃんと仁くんでした。

小さな手を繋いで立っているその場所へ、私が泣きながら進んでいくと
2匹はぎゅーっと私に抱きついてきて、

お帰りなさい。待ってたよ。
一緒にお家に帰ろう。

と言ってくれるのです。
ふわふわで暖かくて、太陽のような匂いとポップコーンのような、嗅ぎなれた2匹の匂いの中で、私は号泣しながら、1人と2匹で手を繋いで光の中を進み、家に帰ります。

すると、光の中にある家の前に、私の大好きで大切な家族や友達、師匠やお弟子さん仲間、私と親しくしてくれているたくさんの人たちが笑顔で待っていてくれて、私は泣き崩れました。

ギンちゃんと仁くんが、そんな私にピトッと抱きついてくれて
また立ち上がり、お父さん・お母さん・妹たちに抱きしめられました。

ごめんなさい。私を許してください。

私は抱きしめられながら、嗚咽してそう言い終わると
お母さんが私の頭をゆっくりと撫でてくれて、

もう、罪はないよ。
お母さんこそ、ごめんね。
もう大丈夫だよ。

と言ってくれました。

もう、大号泣で、私は自分の部屋の中で声を上げてワンワン泣きながら
ここまでイメージして、目を開けました。

私の中にある強く・大きな罪悪感は、100%全てが消えることはないでしょう。

これからだって、今までの生き方のクセで、迷ったり自分を責めたりするでしょう。

けれど、ここから自分を許して、自分の心の奥の蓋を開け、壁を壊して生きたいと願っているので
私はゆっくりと、自分を変えていくことができるのだと思います。

ううん。
自分を取り戻していく、というのが正しいのかな???

うーん。
なんか漠然としているけれど、ブロックが外れた?という表現をすればいいのかな???
うまく表わせないけれど、疲れたようなふわふわしたような、とても不思議な気持ちでいます。

これからは、牢屋から出てきた私に何をしてあげられるのか?
自分を罰したくなった時に、大丈夫だよ!と教えてあげる練習もしなくちゃだし…と、もう少し自分と向き合ってみようと思います。

あぁ、本当にお弟子さんに申し込んで「自分を癒せるようになりたい」と思ったことが叶いました。

苦しかったけれど、諦めなかった自分に、今日はハグして寝ようと思います。
そしてその私の足元には、グレーのあったかいふわふわのギンちゃんが、脇の下の腕の間にスポッと入り込んで甘えてくる小さな仁くんがいます。

あぁ、やっぱり幸せです♡

おやすみなさい。
今日は長くて意味がよく分からない記事になっちゃったけれど
これもやっぱり、マミコ・スタイル!!

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