無駄遣いをさらに考えた結果、自分に優しくしていいし、自分のことを認めていいと強く思ったYO
今日は「飛び石連休の合間」という表現がいいのか、とにかく「祝日と週末の間」の労働日。 ← 言い方
休み明けの気分で「あーぁ、また1週間が始まる」と気重な気分で朝を迎えましたが、いやいや、今日は金曜日じゃないか!と気付いた途端、うひゃーー!今日はお疲れビールの日だー!!と気分が180度方向転換。
「明日から週末」で浮かれてまーーす。まーーす。まーーす。 ← ご機嫌ヤッホーな一人やまびこ
ギンちゃんのお尻の脇にある「肛門腺」の破裂は、私が見る限りではまだ傷が癒えている感じはないのですが、ギンちゃん自身は痛み止めの注射や飲み薬が効いてきてくれているのか、痛そうにする姿は少し落ち着いてきました。
できれば「エリザベスカラー」をつけずに過ごさせてあげたいのですが、やはり傷の部分を気にして舐めてしまう仕草が見られたので、しばらくの間はエリザベス装着をしてもらうことにしました。
ギンちゃんは尻尾の過剰グルーミング癖があるので、あまりに尻尾を舐めたり噛んだりして出血の可能性がある時のために「柔らかタイプのエリザベス」を常備しています。
顔周りにエリザベスがあるのはやっぱり不快だとは思うのですが、クッションタイプのめちゃくちゃ軽量のこのエリザベスは、枕のようにして使うこともできるので、傷が落ち着くまでは嫌だろうけれど我慢してつけてもらおうと思っています。
人間も含め…ですが、投薬って嫌なものですよね。
自分で理解して飲む薬であっても「苦い」とか「飲みにくい」とか「メンドクサイ」という気持ちになるものなのに、動物であればなおのこと、薬なんて嫌なもの。
味に敏感な子や繊細な子は、お気に入りのフードに混ぜたらそれに気づいて口をつけないという話も聞きますし、そうなると口を開けて飲み込ませて…と、投薬が大変です。
「変化に敏感」で、薬を入れたおかげでお気に入りのおやつやフード自体を食べなくなるという子もいると聞いていましたが、幸いにもギンちゃんは薬を混ぜたちゅーるでもおいしそうに完食してくれて助かっています。
ほんと、ちゅーるっておやつとしても便利なうえに、お薬を混ぜて食べさせるのも楽。
イナバさん、ありがとうございます!!!
* * *
昨日、無駄遣いについての話をブログに書きました。
自分を心地よくする、自分を喜ばせるもの、自分が大事にしている「価値あるもの」にお金を使うのは無駄なんかじゃないよね!ということを書いたのですが、寝る前にベッドの中でふっと思ったんです。
無駄遣いって言う言葉はやっぱりネガディブな気持ちになるよなぁ~。
私は少しずつ「お金を使った後の罪悪感」が和らいできて、自分へのご褒美や好きなもの・喜ぶことにお金を使えるように離れてきたとはいえ、まだまだ初心者。
それでも「5年くらい前」と比べたら、遥かに多く自分のためにお金や時間を使えるようになっていると思うけれど、果てさて、5年前の私って自分のことを好きって思えていなかった…
ちょっ、ちょっと待って!!!
と、思いついたことを忘れないようにスマートフォンのメモ帳に書き記して置きました。
【無駄遣い】
価値のない無駄な私が使うもの(無駄な存在の私を喜ばせるもの)なんて無駄の極み!!
そんな風にに思っていたら、自分がかわいそう過ぎない?
スマートフォンのメモの内容を転記しましたが、いわゆる『自己愛』とか『自己肯定』することが出来ない時って、自分自身に価値がないと思い込んでいる状態。
・価値のない私=無駄な存在
・無駄な存在の私のために使うお金=無駄遣い
自分を嫌っていたり、自分を認めてあげられないと、無意識レベルで『自分のために使うお金は全て無駄』って変換されちゃうんじゃないのかな??と思ったのですが、確かに過去の私は自分のことを好きじゃなかったがゆえに、自分に対してお金を使うことを楽しいとなんて思えなかったことに気付き愕然としました。
自分を嫌っている・自己否定している時って、本当に各方面に悪影響がでちゃうんだなぁ…とビックリしました。
自分を犠牲にしてすり減らせたり、自分を悲しませたり虐めるような仕事や恋愛をする…以外にも、自分を喜ばせてあげることすらも
価値のない私に何かしてあげるなんて、無駄。
って心が勝手にシャッターを下ろして、自分に対して冷ややかな目を向けちゃうんですもんね。
自分のことを無価値でダメな存在だと思っていたら、そんな自分を喜ばせることをしようと思いにくいですし、頑張って行動してみても「…無駄な私に何したって無駄でしょ?」って反発しちゃいますよね。
私は価値がなくて無駄な存在だ!という思いは、数字で言えば「ゼロ」のようなもので、ご褒美や自分の好きなものを用意しても、喜ぶのが難しいのかもしれません。
100×0は「0」で100が消えちゃうんですもんね。
「0」だと思っている間は、いくら与えてもシュルシュルって萎むようにして、受け入れたり受け取れないんですよね。
改めて「自己愛」を持つ事や「自己肯定感」を育てていくことって、生きやすくなるうえでメチャクチャ大切なものなんだと気付きました。
土台である「自分のことをどう思うか」を少しずつ整えるように耕し、そして自分という土壌が和らなくなったら、自分をもっと心地よくするための種を蒔いて栄養を与えて、いつしか花が咲くのを見たり種子や実を収穫できるようになる。
土台が大事!!!
自分に愛を向けてあげて、自分を受け入れてあげるって、すごく大事!!!
そしてね、まずは「あぁ、私は土台である自分を嫌ってしまっているみたいだなぁ」と気付くのが第一歩で大きな一歩。
私のことが嫌いだ、ということを「分かってあげる」ことも、実は自分を受け入れる『自己受容』ですから、肯定も否定もせず、現状の自分の状態を見つけてあげて、そこからゆっくりと自分を耕すように自分との関係を作り直していけばいいんですもんね。
私も3年以上かけて「自分のことを大事な存在」だと言える場所まで来ました。
そしてようやく「無駄遣いじゃない、有益遣いだよね!!」と言ったり、自分をより喜ばせる考え方をしたいと思うことが出来るようになりました。
…って言いながらも、「無駄遣い」って思わなくていいよね!って言いだしたばっかりで、まだスタート地点ですけれど。えへへ。
すぐに目に見えた変化がないことや、地味で手応えの分かりにくい作業かもしれないのが難点ですが、自分との関係をよくしていくって、本当に大事なことです。
そして、やりがいのある素敵な作業です。
自分には価値がないと思うほどに悲しい・痛い体験をしたことがあったり、誰かを愛し助けたかったのにうまくできずに無力感を感じたり、そうやってどんどん『自分を嫌いになる』しかなかったあなたですもの。
そんな暖かくて愛すべき素敵なあなただからこそ、その価値を受け取っていいのに、ね。
自分を愛するって、嫌っている時には難し過ぎるように感じますが、自分とは一生付き合っていく関係ですから、やっぱり嫌っているより仲良くなれた方がよさそうですよね!
自分に優しくしてあげましょう。
自分に笑顔を向けてあげて、自分の失敗を「そういうこともあるよね。」って言ってあげましょう。
難しいけれど、でもやっぱり、怒られるよりも優しくされた方がここちよいですもんね。
ダメな私だからこそ、変わりがいだってあるんですものね。
なんだか支離滅裂になってきちゃいましたので、突然ドロンのパターンが見えてきましたが…
私たちは誰一人として「無駄な存在」なんかではありません。
無駄に見える役割を演じる必要もありません。
人生の主役は、自分自身ですから、すこしずつ主役をどうハッピーエンドに導くか?と脚本を書き換えるようにして、自分を心地よい方向へ変化させていけたらいいですね。
ではでは、おやすみなさい。(唐突過ぎる終わり方)
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