こちらこそ、出会ってくれてありがとう。私に話を聞かせてくれてありがとう。
履歴書に「好きな食べ物」という欄があったら、ソフトキャンディ(ハイチュウ・ぷっちょ等)と迷わず書き込む自信があるくらい、ハイチュウが大好き!!!
魔法使いジーニーが3つの魔法を叶えてくれると言ったら、その一つは「水道のような蛇口をひねると、いつでもハイチュウが出てくるシステム希望」と言うと決めているくらい大好きです。
その、私が大好きなものをいっぱい詰めてプレゼントしていただいちゃいました~~♡♡
じゃじゃーーん!!
いちご味のお菓子に目がない私なので、苺チョコに感嘆の声。
そして、個包装のフレーバーの付いたコーヒーも、ちょびっと贅沢したい日の幸せなご褒美として自分でも買うのですが、ハニーキャラメルなんて絶対にとろける幸せ味ですよね~~。
じゃじゃーーーん!
そしてこちらは、大好きなお風呂の入浴剤(どれも可愛らしくてキュン♡)と、仕事柄パソコンを見続けて目が凝る事が多いのでここぞという時に浸かっている「目元ホカホカシート」(しかもかわいいタイプ)には優しい気持ちが詰まっているのを感じますし、タオルハンカチ愛用の私がキュンキュンして悶えたのが…
松尾ミユキさんの描くネコちゃん柄のかわいいタオルハンカチなのですが、もうグレーのネコちゃんがギンちゃんにしか見えなくて(← 親バカ)大感激!!!
…
ギンちゃん、顔…
いただいたプレゼントは、どれも全部「私が喜ぶ・私が好き」を覚えてくれている、暖かい思いを感じるものでした。
包みを開けて飛び出した一つ一つに、あったかい喜びを頂きました。
Mさん、とっても嬉しい笑顔になれちゃうプレゼントを届けていただき、ありがとうざいました。
早速美味しいお茶とチョコ、ぷっちょやハイチュウは勉強の合間にきっとあっという間にペロリ!としちゃうと思いますが、Mさんを思い出しながら味わおうと思います。
* * *
Mさんからは、私の手術の無事と合わせて贈りものをしたいと申し出を頂きました。
そのお気持ちだけでもう存分過ぎる程でしたが、色々考えて「甘えちゃおう♡」とお申し出にお返事をさせていただき、メールでも少しやり取りをさせていただきました。
その中で、私のブログを通して「まみこさんはみんなに愛されているんだなぁと思った」と書いてくださっていました。
うふふ。
本当に嬉しい事に、私は今、Mさんを始めとした沢山の人に暖かい愛を向けてもらえています。
私はずーーーっと「私は愛されない」という国で生きていました。
私が周りを愛することはあっても、私は愛されるような素敵な存在ではない、と。
だからきっと、私を愛したいと思ってくれた人の気持ちを「遠慮」という鎧で弾き飛ばして、愛させないようにしてきたんだと思います。
自分で跳ね返しておきながら「愛されたい!!」と自己啓発本を読んでは自分を責める…という、
もはやコントか?!
というようなことを、長年やり続けてきました。
そうやって生きるしか、生き方を知らなかったんだからしょうがないんですけれど。
自分を否定してきてしまったり、自分の価値が分からなくなってしまうと、愛される事が怖くなります。
だって、この愛を知ってしまって与えてもらえなくなったら傷つくから。
「こんな私なんか」がずっと愛してもらうためには、とてつもなく努力しないといけないから。
与えてもらった分だけ、返せる自信もないから。
でも、愛したい人はそこに見返りなんて求めていないんですよね。
愛したいから、愛する。
それだけ。
与えてもらったら返したくなるのは当然のことで、お返しするものが同じものやそれ以上である必要なんてないのに、どうにも自分の事を低く見てしまっていると、自分が与えているものの価値がないものの様に思ってしまいます。
けれどちゃんと、自分が与えているものも、受け取る側にとってはあったかい大事なものなんですよね。
受け取り側を信頼して、自分の持てるもの(思いや祈り)を与えることでいいのに、いつもどこか「申し訳ない」「こんなもので…」って言ってしまうんです。
ほんと、私は随分とこじれてめんどくさい事をしていました。(えへへ)
でも、このこじれててめんどくさくて、愛されたくてモジモジしていて、愛されたらキョトンとしちゃうのが、私なんです。
今でこそ少しずつ「わーい♡」と受け取れるようになってきたけれど、まだまだ受け取り下手のテンテコマイなのが、私なんです。
そんな私の事を、私は「愛され初心者だから、ちょっとずつ慣れていこうね!」と笑いながら応援しています。
こんな風に自分に言えるようになった今日が、しみじみと幸せです。
私はずーーっと寂しかったし、愛されたかったんです。
だから、その「寂しい、愛されたい、私は情けなくて恥ずかしいと自分を嫌っている」という事を受け入れました。
そんな気持ちで頑張っていたのに、見ないふりをしてきた私の事を許してね、と何度も自分に謝りました。
そして、その寂しさや愛されたい、恥ずかしい気持ちや情けなさも少しずつ解いて行けるように、私が私の味方になる事を決めて、自分にどこまでも優しくしようと決めました。
だって、それが私の欲しいものだったから。
誰よりも身近な私が、私に惜しみなく与えてあげる!私が私を愛してあげる!!と私に約束しました。
それと同時に、欲しいものを受け取る覚悟もしました。
私はずっと「愛されたい」を握りしめながら、「愛されるのが怖い」と弾き飛ばしていたのですから、愛してあげる!!という私の決意をちゃんと受け取る「愛される覚悟」ということをしようと腹を括りました。
ですがこれが怖いったらなんのって…
どうやって受け取ればいいか、ぎこちなくてヘゴモゴしっぱなしでした。
初めのうちは自分に優しくしても、自分に愛情を向けても、心が動くことはなかったけれど、諦めずに毎日自分を労っていたら、カラカラで干からびていた土壌に少しずつ水が蓄えられて行って柔らかくなるように、ある日気が付いたら自分に優しくしてもらう事が「嬉しい」と思えるようになっていました。
そして、自分が自分に対して暖かさを与え・受け取る事になれてきたと思ったら、周りの人がきっと以前から与えてくれていたであろう優しさや愛に気付き、ありがとう!って笑顔で受け取れることが出来るようになってきました。
幸せの青い鳥のお話ではないですが、ちゃんと「そこに愛はあった」んですよね。
ほんと、愛はあるんかい??って指さし確認すれば、いーーーっぱいあったのに、自分が自分に結界を張って、見えない・受け取らない・気付かないをやり続けていたんです。
ほんと、コントですね。えへへ。
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Mさんとは、ココロノマルシェのお返事をきっかけとしておおよそ2年間、色々なお話を聞かせてもらいました。(これからも幸せおのろけ報告含め、近況報告お待ちしています!)
プレゼントと一緒に、Mさんからのお手紙もいただいたのですが、そこに書いてくれた言葉は、私が大事に思っていることを肯定してくれる、私にとってのお守りになるような言葉でした。
・安らげる居場所だった
・いつもここにいるよ、大丈夫だよ
・前に進めない私を見守ってくれた
それしかできない私ですが、それがMさんのお役に立つことが出来ていたと知れて、私の方がブワーーーッと涙が出ちゃいました。
Mさんが揺れる気持ち、誰にも言えない気持ち、それを「話してもいい」と思う相手に選んでくれた事、本当にありがとうございました。
私にできることは何もありません。
私はここで、保健室になりたいよーー!と言いながら、その人が持つ力を応援し、一緒に考え、一緒に迷う事しかできないけれど、「誰かに話したい」という気持ちを安心して吐き出せる場所になれるように、これからも私にやれるやり方でやって行こうと思っています。
苦しい時に、気持ちを届ける場所に選んでくれて、ありがとう。
そしてこれからのMさんが、今以上に笑顔で幸せを感じる時間が長くなり、願った形で大切な人を愛し・愛されるようにと祈っています。
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