泣いたり、拗ねたり、迷ったり、笑ったり。私は「今の私」が愛おしい。
あはははー。確かに。カニ。(← こういうウザさに定評のあるおまみです)
チオビタ氏(時にチオ様・チオビー)を好きになり、昨年の今頃は「花火に行って、海にいって、縁側ならぬ窓辺でスイカを食べて、星を見て、オリンピックを見て興奮して、蚊に刺されたところにムヒ塗ってもらって…」と2020年の夏がこうだといいなという妄想をしてきました。
はぁ、なんて幸せな時間でしょう。こんな夢を描かせてくれたチオビー、改めてありがとう。
今年は叶ってないから来年におあずけだね!!楽しみを取っておきます♡
私は「愛されたい」という思いがとっても強いと自認しています。
家族・友達・動物・読書・手芸・学ぶこと・お昼寝・お風呂・お酒…
好きなものはたくさんありますが、パートナーシップ・恋愛については、もう本当にライフワーク!と思うくらい熱量があります。
大好きな人を愛したい。めいっぱい。
大好きな人に愛されたい。思いっきり。
多分、家族や友達に見せない顔や態度、ダメなところからかわいいところまで、大好きな人に見せてきました。
あ、でも動物にはパートナーに見せる以上のことを見せているかも…えへ。
いきなりですが山本文緒さんの【恋愛中毒】という小説をご存じでしょうか?
この小説を読んだ時に、ここまでのことはしない(できない)けれど、私もこの要素があるんじゃないか??と思ったくらい、恋愛を通して(厳密には好いてくれる彼がいるという事で)自分の価値を確認したり「私は大丈夫」と平常心を保っていたような部分がありました。
ほんと、私も恋愛中毒でした。えへへ。
えーっと、ちょっとやなヤツ的カミングアウトをします。
二十歳を超えて大人になってから、
彼がいない期間がこんなに長いのは、初です。
言っておきますが、モテるとかじゃないんです。だから皆さん、石とか生卵とかは一度定位置に戻して冷静に!!
なんというか「恋愛依存・恋愛中毒」だったんです。ほんと。
自分にとって「特別」な存在がいないなんて耐えられず、失恋すればすぐに紹介してもらって…とか偶然とか、とにかく男性が切れた最長期間が3か月くらいでした。(← 今の私からしたら白目案件)
ブログでも幾度か、旦那さんだった人が大好きだったことを書いています。
本当に本当に素敵な人でした。キラキラ輝いていました。
私が持っていないものをたくさん持っていて、笑顔が世界一で、前向きで、繊細で。
大好きな人からのプロポーズはロマンチックじゃなかったけれど、でも今でも思い出すと涙ぐむくらい嬉しくて、彼と暮らせた年月は振り返ると悩んだり困ったりしていた時間が多いのだけれど、それ以上に全力で幸せでした。
この人以上に好きになる人なんてきっといない。
そう思えるくらい大好きな人と結婚出来て、だからこそ、めちゃくちゃに執着しました。
私が離婚を決めるまでに「思考」で色々考えた不安の中に、彼以上に好きな人は現れないであろうから、私はもう笑う事も楽しい事もなくて不幸せでしかないという偏ったものがありました。
あとは、世間体とか年齢とか、まぁ色々と「大好き」だけではない不純な思いもありました。
さらに、自己肯定感なんて全く持っていなくて、パートナーがいる自分でやっと自分に価値を感じていたので、もうボロボロでした。
ただ、今までの失恋とは違って自分に対して決めていたことがあります。
今度こそ「自分を助けたいし、誰かがいるから私に価値があるのではなく、私が私であるからいいんだと思えるようになりたい」「またいつか、誰かを好きになる気持ちを持ちたい」「私は結婚生活がとびきり楽しかったから、また楽しいパートナーシップを築きたい」。
実は、離婚を受け入れると決めてから離婚が決まるまでの間に、私の事を気にしてくれた友達から幾人かの素敵な人をご紹介いただきました。
ありがたいことに関心を持ってもらえたけれど、私がどうしてもダメでした。
それは、私が私を嫌いだったから。
こんな私を好きになってくれる相手が気持ち悪くなってしまい、どうしても好意を受け取れませんでした。
それは今までの私では感じられない思いでした。
だって、今まではすぐに次のパートナーがいないなんて考えられなかったから!!
しかも、紹介してもらった男性たちはどの人も本当に素敵な人でしたから。
幾人かの素敵な人の好意を受け取らない自分に愕然として(なぜなら私はパートナーや再婚を望んでいたので)自分を助けたいと心から思いました。
彼がいてもいなくても私が私だという事を愛したい。
自分と仲直りしたい。自分の足で立ち、笑っていたい。
そしていつか、私が誰かを好きになってまたトキメキたい。
何よりも私は幸せを感じたい。
そう思った数年前の私に、今日の私の「私は今の私が愛おしい」という言葉を届けたら困惑するんだろうと思います。
だって、パートナーはいないし仕事での悩みもあるし、なーんにも変わっていないはずなのに、ちゃんと自分を大好きだと胸を張れているから。
ほんと、弱音も吐くし現実は願ったものではないし、時に本当に泣けてきて苦しい日もあるし、未来をネガティブ全開で予測して怖くて震える日もありますから。
でも幸せです。
私は私を好きになりました。
弱さも情けなさも、欲深さも愛情深さも、涙もろさもアホさやうっかりしているところも、全部私だからね!と受容できるようになりました。
私が願ったり想像した「今日」ではなくても、ちゃんと楽しくて幸せだって自分に言える今日が、何よりも幸せです。
1年前の今頃、私はチオビタ氏と両思いになって幸せにイチャイチャできたらいいなぁと妄想し、それが叶っていない今なのに、幸せです。
いいんです。幸せを感じて。
今、願いが叶っていなくても幸せを感じちゃダメなんて誰が決めたの???
叶ってなくても幸せ。
叶ったらそれはとびきり幸せ。
でも多分、あんまり変わらないくらい、幸せな気持ちは一緒。
私は自分がどんな未来を手にするのか分からないけれど、都合よく妄想して笑っていたい。
自分がそうしている方が幸せだと知ったから。
コロナの関係で今年は大きな花火大会がなくて、あぁ、今日もし花火があったらチオビタ氏と行きたいと思っていたなぁ。
それが叶っていないけれど、願いはおあずけ!って笑って今日を幸せに生きられている自分が愛しくて涙ぐんだ…という事を書きたくて、なんか支離滅裂になりました。
幸せでありましょう。
もっともっと幸せになりましょう。
今、そう思えなくても「苦しかいからこそきっと」幸せになりましょう。
大丈夫!!私たち女は強い。
少しだけ先の未来の私たちは、今以上に幸せじゃなきゃね!!
なんだか熱く語った上に支離滅裂なので、〆られないが故に禁じ手を発動します。
これにてドロン!
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