『そのままの私が最高だー!』って胸を張って笑って言えるように
先日、通販で仁くんに着せたいと思って買ったツナギがサイズ計測違いでブカブカだった話を書きましたが、お店の納品書を見ると…
●1回に限りサイズ変更承ります。
(試着はOK。お洗濯等はNG。)
のなんとも神ってる文字を発見!!
足の部分をカットしてギンちゃんとお揃いで着せようと思ったのですが、猫ちゃんは肩回りが細いため首がずり落ちてしまい「大幅なお直し」をしないといけなさそうだったので、お揃い着用は諦め、サイズ交換してもらいました。
裏起毛の暖か生地で、少しダボッと着るようなのですが…
めちゃくちゃカワイイー。
色白(?)な仁くんによく似あう~♡
我が家のごきょうだいからは『ダサい』との訴えが届いておりますが、スポンサーのおまみーぬはかわいいと思っているので、ダサいの声は聞こえない振りをし続けています。
この冬、たくさん着ようね!
バナーヌな弟を見下ろして不敵な笑みのイケメンにーたん。
さて、いきなり話は変わりますが、昨日「私が自己肯定(自己受容)」するために取組んだことをご紹介しましたが、しみじみと自分自身を振り返って見るとこの1年で、私はうーんと生きやすくなりました。
自己肯定感を上げるために取組む「行動指針」をピックアップして、毎日5つの「褒めポイント」と「よかった事」を探していた頃、こんな記事を書いていました。
お弟子さんに参加して2カ月弱。
課題が毎月出されていたのですが、その中にお弟子さん同士でカウンセリング練習をする時間があり、私は「自分を好きになれない」「自己肯定できるようになりたい」「自分の気持ちが分かるようになりたい」というような事をカウンセリングしてもらっていました。
自分を認めるってどういう事なんだろう?
自分を好きって言えるようになるのかな?
自分を否定しない生き方ってどうすればいいの?
ってか、思考優先で「感情」を感じるってどうするの?
私に価値があるってどうしたら受け取れるの?
この当時の私は、毎日「脳内一人反省会」をするのが日課で、自分へのダメ出しがかなり酷いものでした。
とにかく何でも頭で考えるので「私が今どう感じている?」という事すら分からない程ガチガチの頭でっかちになっていました。
自分を好きになりたい…けど、好きになれるなんて思えない。
って心の奥で自分を嫌悪していたなぁ。
生きづらくて、苦しくて、毎朝起きるとため息をついていて、私の世界はグレーがかっていて「心から楽しい」ってもうこの先感じられないんじゃないか…と思っていました。
(一時的に笑ったり楽しむことは出来るけれど、胸の奥には穴が開いていてそこに大きな鉛の玉が入っているような重たい感じでした。)
カウンセリングの宿題の中で私の悩みを聞いてくれていた仲間のカウンセラーから「自己肯定感本」をもう一度読んでみる事を進めてくれたのですが、
「本に書いてあることが出来ていない」と自己否定して読むのではなく、辛い体験・悲しい体験・自分を嫌いになるような体験を通して
私が成長した点はどこ??
という見方をしながら読み、ワークを進めてみようね!と提案してくれました。
この本を買った時は、お弟子さんになるともカウンセラーを名乗るとも思っていなかったなぁ。(不思議な気持ち)
自分を何とか立て直したくて、自由で楽に生きたくて、セミナーに通い本を読んで奮闘していたのに何も変わらない…と思って自分を責め続けていた頃に、この本を買って師匠からサインをもらったっけ。(懐かしや~)
そのままが最高だ!
と書かれたこの言葉のように、いつか私も「私をちゃんと肯定して、愛せるようになれるといいな」と願い、試行錯誤し、自分に真剣に向き合うために「死にたい…」とまで悩むほどに大きな問題まで用意して(← 自作自演)何年も時間をかけて遠回りして歩いてきたけれど、私は今、ちゃんと胸を張って言えます。
うっかりもダメも過去の傷も全部ひっくるめて
今の私が大好きです!そのままで最高だ!
自分をマイナスに見てしまう癖があったり、人の事が気になって生きづらいと感じている人は私と同じで『自己肯定感低め』な事が多いと思うので自分を優しく見つめて、少しずつ自分を肯定できるようになれたらいいですよね!
そしていつか、みんな揃って『そのままの私が最高だー!』って胸を張って笑って言えるようになりますように。
どんな私も肯定できる、そんな自分になるためにゆーっくり、ゆーっくり歩いていきましょう、ね。
(2019.02.25 マミコ記述による)
いつか「そのままの私で最高だー!」って笑って言える日がくるように…と願っていた私の夢は、今日、ちゃんと叶いました。(← 忘れていて読み返して思い出したのですけれども…えへへ)
変化がなく道に迷っていた時の私は、自己肯定レベルが上がったら体がピンクになる!とか分かりやすいヒントがあればいいのに…と思う位に、本当に自分を受け入れられずに肯定できずにいましたが、毎日ただ同じような事を繰り返して自分に愛を注ぎ続けて諦めずにいたら、ちゃんと自分を愛せるようになりました。
不思議なもので、2月頃の自分を振り返って見ても「やばい…自己肯定感低いってどんな感じだったっけ??」と思う位、あの時のややこしい自分嫌いの感情を思い出せません。
それくらい、自分を否定する事ができなくなっているんですよね~。
ん??軽くディスられてない??まぁ、いいけど。
今朝、お弟子さん講座を修了した最後にもらったファイルに挟まれていた、最後の課題の『卒業文集』のように書いた紙を読み返して、一人でウルウルしました。
文集に書いていた言葉の一部をご紹介します。
「自分をカウンセリングして助けたい」と勇気を出して申込んだ私は、地中にめり込むくらい自己肯定感が低く、毎日忙しく思考ばかりしていて「自分の感情」に気付けない状態で、そこから脱したくてもがいていました。
何もかも上手くいかない、幸せなんて感じられない…と感情をなくした私は、スーパーマーケットに買い物に行き「何を食べたいのか?」すら分からなくて、食材を前にして泣いていました。
そんな私を助けたいと自分を諦めず、必死に自分を愛そうとした私に大きなハナマルを授与してあげたい!(偉いね、私。頑張ったね、私。)
6月に私は自分の足でちゃんと立っている感覚を取り戻すことが出来るようになったものの、まだグラグラ揺れていました。
揺れながらも自分を諦めない!と思い続けて、必死に自分を愛してくれたから「そのままで最高でちー」と言える私になりました。
人はいくつでも、いつでも、大きな傷があってもなくても、自分を愛する事で「本来の自分に戻る」事ができると、私は自分の体験を通して知りました。
私たちは生まれてきたときは、誰一人として自己肯定感が低い状態ではないんですものね。
おぎゃー!!と泣いて思いっきり依存して助けてもらって、好き勝手振る舞って、そして「私が存在しているだけで」周りの人は目を細めて幸せな空気放ち、愛される自分でした。
私の笑顔が周りの人を心からの笑顔にできる事。
私の一言が周りの人を和ませて喜ばせる魔法である事。
私のキスが世界を柔らかくする事。
私が存在している事で笑ってくれる人がいる事。
私たちはみな、望まれてこの世界にやってきました。
無事に生まれてくれるだけでいい、といくつもの祈りの中で愛されるためにやってきたんです。
そして愛してもらったお返しに沢山の愛を返したくて、健気にも自己否定や犠牲を覚えて息苦しくなってしまったとしても、またちゃんと、自分を肯定して愛し・愛される場所に戻ることができるんです。
ちょっと寄り道しても大丈夫。
ちょっと遠回りしても大丈夫。
険しくても、遥か彼方にゴールがあるように見えても、諦めなければちゃんとたどり着けるのが「自己肯定の道」なのだと、笑って言えるようになりました。
私は何十年もさまよったけれど、ね。
自己肯定できずに立ち止まっても大丈夫ですからね!!
私の願いだった『そのままの私が最高だー!』って胸を張って笑って言えるように、というものはきちんと叶いました。
あなたも同じように、そのままのあなたで最高なあなたを取り戻せますように。
心からのエールを込めて。