私は私を信じているから、暖かく待ってあげようと思う ~眠る前の優しい言葉~
風邪で熱が出そう…と、早目にベッドに潜り込んだおかげもあってか、鼻がグズグズしてはいますが発熱せずに月曜日を迎えられました。
そこから「あっ!」という間に水曜日。
ひえー。
時が立つのが早過ぎる。
ここしばらくは、サラリーマンの仕事で「頑張り時」なので、集中してバリバリと『出来る女気取り』で仕事に向き合っています。
まぁ、実際には「キレッキレ」な感じは皆無で、アワアワとしながらもがいている感じが周囲にはバレているんですけれども。えへへ。
さてさて、仕事の話は横に置き(← じゃぁ、するなよ!!)
昨年秋の「和梨」の食べ納めと同時に、私の中では「フルーツ納め」をしていました。
私はそこまでフルーツに興味・関心がなかったのですが、ここ数年は以前よりフルーツを食べることが増えました。
好きなフルーツは春から秋にかけてのものばかりなので、冬場はあまり触手が伸びず。
がっ!!
待ちに待っていた「はるか」ちゃんのシーズンが始まりました。
好きスキすきSUKI。
普通の「みかん」にはあまり興味はないのですが、私はちょっと大玉の柑橘系には目がありません。
伊予柑やはっさく、夏みかんやグレープフルーツなどの他にも、近年は「柑橘大国から離れた新潟」でも、色んな種類の柑橘を見かけるようになりました。
新しい出会いから、「これ好き♡」が増えていくのが嬉しい。
比較的新しい出会いで好きになったのが、日向夏。
数年前に初めて食べて、あまりのおいしさに「なんじゃ、こりゃぁ」と太陽にほえろの松田優作さんばりの衝撃を受けました。
そして去年。
日向夏より少しだけ早くに実をつける『奇跡の日向夏』と呼ばれる『はるか』と出会ってしまったのです!!!
黄色い果皮なので、ちょっと酸っぱさを連想させますが、はるかは酸っぱさはなくとにかく甘い!!
はるかが「奇跡の日向夏」の名を持つのは、品種改良で作られたものではなく、日向夏の種とはっさくが自然交配したものが偶然発見されて、それがとんでもなく美味しかったことが由来なのだそう。
去年、東京に住む妹が「とにかくおいしいから!」とオススメしてくれたので買って試したのですが、あまりのおいしさに何度追加購入したことか…
今年も楽しみに待っていたので、早速5㎏をポチリとしました。
私は「のむちゃん農園」から『はるか』をお取り寄せしています。
先々週に届いたのですが、まだ少し硬そうだったので3~4日寝かせてから食べたら、これがもうほんと、やっぱりおいしいのなんのって!!!
すぐに食べ終わってしまいそう…と、追加購入しようと思ったら、現在完売中。
くーーーっ。
日々サイトをチェックして、再販される日を待ち焦がれています。
のむちゃん農園の「はるか」以外にも「スイートスプリング」という大玉の柑橘も美味しかったので、それも購入したいのですが、こちらも現在完売中。
ここからしばらくの間、柑橘を思いっきり満喫できる季節。
はぁ~、幸せ。
今年もいっぱい食べるぞー。エイエイオー!!
* * *
ちょっと前に、家の近くの図書館で気になる本を見つけました。
『「言葉にできない気持ち」の言語化ノート』、というNHKの番組から派生した「揺れ動く気持ちをどう言葉で表現するのか」というテーマの本。
様々なテーマをもとに、様々な言葉が散りばめられた一冊。
そこには、番組に出演されている方のコメントだったり、小説やエッセイの言葉の引用や、歌詞の中にあるフレーズ、作家さんや脚本家さんの書き下ろしの文章が並んでいて、読んでいてとっても面白いものでした。
テーマも様々で、『恋に落ちた瞬間』をどう表現する?というものや、『スター選手や推しが引退するときの気持ち』とか、『仕事で失敗したときの気持ち』などなど、もうほんとタイトルそのまんまで
言葉にできない気持ち、核心の熱を伝えたいのがもどかしい気持ち
がいっぱい。
またいつかきっと、この本の言葉をご紹介しちゃうと思うのですが、今日寝る前にお届けするのは、『親友から結婚報告を受けたとき』の言葉。
これこれ、これーーーっ。
なんとも言えない寂しさと、嬉しさと、自分がちょっとだけ置いていかれたような、距離ができちゃったような、なんとも言葉にしがたい気持ちがするんですよね。
大好きな親友の喜ばしい報告は、ほんとに嬉しいのに、自分と繋いでいた手が離れてしまったような心細さというか、どこか心に穴が空いたようなスースーする気持ち。
よしもとばななさんが、この気持ちに関して書き下ろしで言葉を紡いでいたのですが、その言葉がとても優しいので、ご紹介させていただきます。
今はだたぽつんと淋しい。
(中略)
でも、顔をあげて自分の道のこれからを楽しみに思うおう。
いくら悲しんでもいい、私は私のことを長い目で見てあげよう。
(引用:「言葉にできない気持ち」の言語化ノート/よしもとばななさん書き下ろし部分・NHK「言葉にできない、そんな夜。」制作班 著)
親友の結婚報告以外にも、私たちは生きていると、どこか、さみしい気持ちになる日ってありますよね。
日が長くなってきて、気持ちも高揚していく時期なのに、なんでか分からないけれど泣きたくなる日。
小さなミスや、うまくいかないことが重なって、すごく大きい悲しみではないけれど心に小骨が刺さってチクチクする日。
自分の望んだものが、自分にだけは届かないような気がして、虚しさや悲しさに取り込まれてしまう日。
何もないのにホルモンバランスが乱れて、さめざめと悲しくて寂しい日。
失恋して少し経ち、もう大丈夫!って思えるはずなのに、気持ちはやじろべえのように揺れて、悲しみの方に寄ってしまう日。
今はだたぽつんと淋しい。
吉本ばななさんが表現される短い言葉に、赤ベコのように頷きマクリーヌなくらい「ただただポツン」とした寂しさを感じる日ってありますよね!!
しょうがないのよ。
感じちゃうんだもの。淋しさは勝手にわいちゃうんだから。
だって、人間だもの。(by 相田みつをさん)
さみしい気持ちをなんとか取り除きたいけれど、淋しさが消えゆくまでは「ただ、淋しさと共にいる」しかできません。
「今」はしょうがないよ、ね。
「今」はポツンとしちゃうんだよ、ね。
と、どうしようもない気持ちの側で、ただただ「そっか」と言ってあげるだけでいい。
でも、顔をあげて自分の道のこれからを楽しみに思うおう。
いくら悲しんでもいい、私は私のことを長い目で見てあげよう。
そんな自分の背中を、優しくさすってあげながら、少しだけ「これからの自分の道」にもあたたかい眼差しを向けられたらいいですよね。
淋しいとき、悲しみが側にあるとき、頑張れないとき、自分が弱っているときに何度だって思い出したいと思ったのが
『いくら悲しんでもいい』
『私は私のことを長い目で見てあげよう』
という、お薬のようなふたつの言葉。
すぐに立ち上がれたり、元気になれるんだったらいいけれど、そうじゃないから苦しいんですもんね。
感じたくないのに、まとわりつくように寂しいときって、途方に暮れちゃいます。
淋しさや悲しさは、しんどい感情だからこそ、早くなんとかしたいと思うけれど、重たいからこそ簡単にはそこから抜け出せない感情でもあるのが、ほんとに困っちゃう。
何とか自分を元気にしたい!と、私たちは寂しさや悲しみの中にいるときにも、一生懸命に立ち直ろうと頑張っています。
頑張る力なんて本当はないのに、頑張ってるなんて、何て健気なんでしょうね。
んもーー、ほんとに、愛おしい。ギュッ。
淋しさや悲しみから、すぐには抜け出せないからこそ、自分にそっとこの言葉を届けてあげませんか?
私は、私のことを長い目で見てあげるよ。
私は、私のことを信じているから、暖かい気持ちで待つよ。と。
自分に対しては、ついつい「短い目」で結果を出せ!と思いがちだからこそ、意識的に「長い目でみてあげるよ」って言ってあげたいですよね。
あなたも私も、ちゃんと淋しさをなんとかしていけるすごい力を内側に持っているから、大丈夫。
それにはちょっとだけ「長い時間」が必要かもしれないけれど、でも、大丈夫。
長い目で暖かく、自分を見守ることは大切なこと。
遠回りしたり、足踏みしたり、うずくまっているときに気付けることも、感じられるものも、見えるものもあるのだから。
そしてね、淋しさを知っている人は、淋しさを抱えている人の背中を優しくさすってあげられる「暖かい手」を持つ素敵な人でもあるのだから。
ではでは。
優しい言葉を胸に、今晩見る夢が暖かいものでありますように。
おやすみなさい。