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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】ぐるぐるして余計な一言を言ってしまい、さらに落ち込む自分が嫌いです。

アイス買ったんですね。マミコ、このメーカーさん好きですよね。

まだすごく小さな子供だった頃。
レディーボーデンアイスは「高いアイス」という認識があり、大きなカップのものを年末に買ってもらい、妹とカレースプーンで掬って食べるのが夢の時間でした。

大きくなって色んな美味しいアイスに出会いましたが、時々無性に恋しくなるレディーボーデン。
年末だし、お家でのんびり読書とかするためのお供にアイスは必需品よね??という事で、ミニカップが6つ入ったカップセレクションを買ってきました。

ハーゲンダッツはすぐには食べごろにならずカチカチですが、レディーボーデンはスプーンをすぐに受け入れてくれる柔らかさ。ミニカップ1個でもしっかり満たされた気分になれるから、アイスって何気にスゴイですよね〜。
オコタでアイス!の贅沢な休みを満喫中という個人情報をお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

アラフォー武闘派女子独身です。

こう書いたら、こんなこと言ったら、この言葉を使ったら、傷つくかな、こう思われるかな。さっき言った言葉、もしかしてこう思われたかな。

そんなことばかり考えすぎて、ぐるぐるして余計な一言(言い訳とか変なフォローとか)を言ってしまい、さらに落ち込む自分が嫌いです。

多分頭の中がシンプルじゃないんだと思います。

原因としては、10代で家を出るまで、父親が情緒不安定でよくわからない理由で激怒したりしていたこと(怒りポイントが予測不能)、母親から「お父さんにあなたからこう言ってくれない?」と夫婦喧嘩や不和において味方につけさせられ、母親の作った台詞を言わされていたことだと思います(笑)

何か救いの一言をお願いいたします。
相談者:K子さん

K子さん、はじめまして。
言葉を伝えるときにあれこれ考えてしまい、結果「あんな事言うつもりやなかったのに…」と自責の念に駆られてしまう毎日を過ごしていたら、とっても疲れてしまいますよね。
誰も気にしていないのにフォローのつもりで発した一言で空気が変わったり、やってしまった!という体験を通して、ますます言葉に対して敏感になってしまっているのだと思います。

周りの人の事を思いやることができる点で、K子さんはとっても気遣いができる優しい方なんだと思いますが、一番大切にしてあげるべきK子さんを振り回してしまっているのだとしたら、それはちょっと悲しいですよね。

> 10代で家を出るまで、父親が情緒不安定でよくわからない理由で激怒したりしていたこと(怒りポイントが予測不能)

お父さんの地雷がどこにあるのか予測不能であれば、きっと行動・言動一つにビクビクしてしまい、何かする前に「大丈夫かな?」と一生懸命予測の思考をフル回転させてきたのだろうと思います。
そうやって言葉や態度を選ぶ事でお父さんの怒りに触れずに平和に過ごせるように「自分」と「家族」の平和を一生懸命守ってきたんですものね。

自分とみんなを守りたくて、知らずのうちにお父さんの顔色を伺って行動するようになり「他人軸」での生き方を一生懸命練習し、結果、自分の事を後回しにしても人の気持ちを先回りして考える事を優先するようになってしまったのだろうと思います。

K子さんは「これを言って大丈夫かな?」「今の言葉は不快じゃなかったかな?」「誤解されていないかな?」と毎日ずーーっと気を張っていると思いますが、自分の気持ちではない相手の気持ちは一生懸命読み取ろうとしても

あくまで予測してみるしか出来ない

ですし、ほんの一瞬、お相手の表情が曇ったなどの変化を見つけてしまうと、最悪のシナリオを考えて、自分を責めてしまっているのだろうと思います。

もしかしたら、お相手は話をあまり真剣には聞いていなくて別の心配事を持っていて表情が曇ったのかもしれませんし、どんなに予測しても相手の心は分からないのに

分からないものを必死で考えて予測しようとする

事で、自分の神経を擦り減らせるから、グッタリとしてしまうんですよね。

私たちはどんなに他の人を気遣って、相手の立場に立って物事を見るようにしていても、相手の気持ちを100%理解することはできません。

自分が分かるのは「自分のこと」だけで、それですら時に分からなくなったりするくらいに複雑です。

そして不思議なことに、外側である周囲の人の気持ちを推し量ってグッタリしているように見えて、実は「こう言われたら嫌われるのでは?」「余計な一言をいう人だと思われるのでは?」と

自分がどう思われるか?

という自分を思いっきり意識している状態でもあるんです。

> 母親から「お父さんにあなたからこう言ってくれない?」と夫婦喧嘩や不和において味方につけさせられ、母親の作った台詞を言わされていたことだと思います(笑)

お父さんの地雷に怯えながら、お母さんを助けてあげなくてはいけなくて嫌な役回りをしてきたのですもの、ずっとずっと「私の言動一つで大変なことになる」とビクビク・オドオドもしますし、お母さんから頼まれた一言がお父さんを沸騰させて険悪になったりしたら

私の言い方が悪かったのかな…
私がうまくできなかったからだよね…

と、助けてあげられなかった分だけ心の中で罪悪感を感じてしまったり、自分の力の無さに歯がゆい思いや無価値感を育てていってしまったのかもしれませんね。

子供の時から日々「人の顔色を見ること」や「地雷を踏まないように注意する事」「言いたくない事を言う役回り」を繰り返して反復練習する事で

自分軸を見失って他人軸で生きる私。
自己価値を見失って、周りを優先する私。

と言うのを一生懸命に作り上げてきたのだと思います。

> 多分頭の中がシンプルじゃないんだと思います。

自分の価値が分からなくて、周りを優先させて自分が傷つかないように立ち振る舞わなくてはいけないのですから、シンプルに物事を見ることなんて難しいですよね??

シンプルでない = 考え過ぎている
シンプルでない = 感情を無視している

のだろうと思いますが、シンプルに考えられないくらい小さな時から周りに気を使う健気なK子さんだったんです。
子供時代に一生懸命愛する人たちや自分を守るために身につけてきた「他人軸」ですもの。
ずっとずっとしんどい生き方を選んで、頑張ってきた自分にこんな風に声をかけてあげてみてください。

よく頑張ってきたよね。
自分を優先してあげていいのに、一生懸命自分を抑えて押し殺して、気を張って生きてきたね。
お疲れ様。ありがとう。
でもね、K子ちゃんの気持ちを置き去りにしてしまって、構ってあげなくてごめんね。
これからは少しずつ、自分の気持ちを優先させて、自分の魅力や価値を見つけて行って、自分を優先させるようにしていこうね!

一生懸命だったんです。
両親がケンカするのを見たくなくて、みんなが笑顔で暮らしたくて、K子さんは一生懸命自分を犠牲にしてきたんです。

小さな子供時代のK子ちゃんの努力や健気さを思い出したら、その子をギューッと抱きしめてあげたくなりませんか??
優しさ、気遣いができる暖かい気持ちを持っているK子さんですから、自分軸を意識して自分を大切にできるようになった上に、その強みを発揮できたら「まさに最強」のステキな人になれると思いませんか??

私の記事でも師匠のブログでも、他人軸になってしまっている時によく出てくる呪文のようなアファメーションがあります。

私は私、他人は他人。

と言うものですが、どうしても相手の顔色を見てしまったり深読みして心配してしまう時というのは、どっぷり他人軸になっている時ですから、不安がムクムクしてきた時にこのワードを呟いて立ち止まることはとても効果的です。

精神医学学者フレデリック・S・パールの書いた詩は自分と周囲の人との間の境目が分からなくなって自分軸を失いがちな時に、そのままアファメーションのように使うことが出来るのでご紹介します。
『ゲシュタルトの祈り』という詩です。

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。
たとえ出会えなくても、それは仕方のないこと。
私は私。あなたはあなた。
あなたはあなた。私は私。

この詩の言葉は少し冷たく見えるかもしれませんが、誰かの期待に応えるために私たちは生きているわけではなく、自分のために生きていいんだよ!と自分に許可を出してあげると同時に、私とあなたは違う存在であると境界線を教えてくれている詩でもあります。

私も過去に自己肯定感がとても低く、人の顔色を見て先回りしてグッタリし、言いたいこと(誰かを傷つけるとかではなく自分の意見)を言うことが出来ず、飲み会などでちょっとハメを外したのでは??と考えたりすると、翌朝から数日間どんよりとブルーな気分で過ごす…と言う自分が生きづらくて嫌でした。

こう言ったら嫌われるのでは?
さっきの言葉はどう思われただろう?
フォローしないといけないかな?

と、言葉を選んでいる奥にあるK子さんの気持ちはどんなものでしょうか?
誰も傷つけたくないという愛と一緒に、嫌われることへの過剰な恐れがありませんか??

私たちは誰しも、人に嫌われたいとは思っていません。
だから「嫌われるのが怖い」という気持ち自体は正常なものですが、それが過剰になると言動一つ一つを自分で監視し、自分を疲れさせてしまいます。

K子さんは「2:6:2の法則」というものを聞かれたことはありますか??

社会や集団・組織の中では
・2割の人 … あなたの事が好き
・6割の人 … どちらでもない
・2割の人 … あなたを嫌い
な人に分かれるのだそうです。

あなたの事が嫌い!という2割を排除し残った8割の人だけで集団を形成しても、また同じように2割・6割・2割に分かれるのだそうです。
つまり、どんなに頑張って全員に好かれようと思っても、2割の人は良く思わないという現実がある、という法則です。

2割の人がよく思わないというのは「しょうがないこと」なのだとしたら、どんなに無駄に労力を使って気を配っても、それはK子さんをただ疲れさせるだけですものね。

この法則を知っておくだけでも、もし誰かに少し嫌な事を言われても「2割の方の人だったのか…」と思うことができますし、もう一つ重要なのが

6割の人は、自分が思っている以上に自分のことを意識していない(過度に気にしていない)という事です。

別の方へのココロノマルシェのお悩み相談でも、同じように「余計な一言を言ってしまう事を後悔」してしまったり、周りの人の顔色を伺う事で疲れてしまうというお悩みがあり、そこでもこの法則と一緒にお返事をかかせてもらっていました。
何かのヒントになれば…と思いご紹介させていただきますので、ご興味があれば読んでみてください。

先に「嫌われることへの怖れ」についても少し書きましたが、私たちは自分をちゃんと愛し自分を認めてその価値を受け入れてあげられていない時に、どうしても「周りからの評価」を求めて、それで安心しようとします。

けれど他者からの評価というのは、あくまで相手の言動や表情を見て判断しなくてはいけないですし、気を使い続けないと評価をもらうことが出来ないので、自分を満たそうとしながらどんどん自分をすり減らして行ってしまいます。

人のことを気にしすぎるのを弱めて楽になるためにも大事なことは

自分を肯定して自分で自分を愛する事。
自分を分かってあげて、自分に寄り添ってあげる事です。

K子さんは周りの人の顔色を伺うのと同じ量で、自分の心がどう思っているのかを理解してあげようとしていますか?
何かうっかりフォローした事が残念な結果になった時に、どんな風に自分に声をかけてあげていますか?

『なんであんな余計なこと言うの?ほんと、ダメだよね。』と一生懸命だった自分を叱責したり見離すように責めてしまうでしょうか??

『ワザとじゃないのに、あれがマズかったのかー。どんまい。気にするなって言ってもも気にしちゃうよね。お疲れ様。失敗ではあったけれど、一生懸命頑張ってたこと私は見てたし知っているよ。』と優しく労って抱きしめてあげるように声をかけてあげるでしょうか?

K子さんはどちらの言葉をもらうと安心できますか?
K子さんが欲しい言葉を自分にかけてあげてください。いっぱい厳しくしてしまってきていたのであれば、いっぱい頑張らせてきた自分に、甘く優しいご褒美の言葉をいっぱい浴びせてあげてください。

私たちは自分軸を明け渡して他人軸で生きていると、だんだんと「自分の本音」「自分の気持ち」と言うのが分からなくなります。
人に尽くしてしまい過ぎると「私はこれをしたくない」「私はこれを食べたい」「私はこれがやりたい」といった『私の直感』と言うのが弱って行ってしまいます。

自分に寄り添う事をする中で、自分に対して声がけをする事をオススメしているのですが、その中で

「今、私はどんな気分?」「今、私は何を悩んでいるの?」「今、私は何をしてあげると嬉しい?」というように、いっぱい自分の気持ちを聞いてあげる事をしてみてください。
そして、叶えてあげられそうなものは出来るだけ叶えてあげて、自分を満たしていってください。

自分との信頼関係ができていくと、自分の気持ちに寄り添えて自分を大事にすることができるようになっていきます。
自分を大事にできたり、自分への問いかけが習慣になっていくと「私はどう思う?」「これはあの人の考えだもんね」と上手に線引きをしていくことが出来るようになっていきます。

また、自分を肯定してあげることで過度に自分を責めることをしなくなり、失敗や失言に対しても「しょうがなかったね」と言ってあげられるようになっていきます。
傷ついた自分を自分で助けてあげる力がつくので、落ち込んでも浮上するのが早くなっていきます。

自分をずっと押し殺して、自分よりも周りの人を優先して生きてきたのであれば、すぐに自己肯定するというのは難しいかもしれませんから、少しずつちょっとずつ、長期戦で行くぞ!という構えで、自分を「受け入れる」練習から始めてみませんか??

過去の私もK子さんと同じように自分の言葉が相手を傷つけることはないだろうか?自分の意見は人に受け入れられるものだろうか?と先回りして疲れて、だんだんと自分の意見がなくなり、自分の気持ちすら見失っていた時期がありました。
その時に読んだ一冊の本は、自分を愛する事で自分の意見を持てるようになるというのを教えてくれた本でした。
自分を分かってあげる自己愛心理学』(高橋美保さん:著)というもので、この中にコミュニケーション(相手との対話)の中で、自分の気持ちに素直になり表現する事を助ける考え方として【アサーション】(アサーティブコミュニケーション)という考え方を知り、随分と心が軽くなりました。

アサーティブコミュニケーションとは、自分を主語にして発言しながら、自分と相手を尊重すコミュニケーションの方法です。

お返事が長くなっているのでこちらの記事を紹介しますので、ご興味があればアサーティブコミュニケーションについて参考にしてみてください。

K子さんは周りの人に気を配れて配慮できる能力がうーんと高いという素晴らしい魅力を持っているのですから、自分の価値や自分を肯定する力を増やしていくと、自分と周りをバランスよく和ませて「平和で穏やかな人間関係を作れる」ようになれるはずです。

また、人の心の痛みも敏感に察知できて寄り添い、自分がずっと感じてきた事だからこそ「痛みに優しい言葉」をかけることも出来る、愛を贈れる人でもあると思います。

せっかくの素晴らしい思いやりや能力を、自分と周りを癒すために活用できるように、是非とも自分をもっともっと受け入れて肯定して行きながら、上手に自分軸を取り戻して行けるように応援しています。

話があちこちに飛んで、関連記事をご紹介してしまいましたが、何かのお役に立てたら嬉しいです。

年末年始、1年間頑張った自分を褒めて、ゆっくりと休んでリフレッシュできますように。

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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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