当たり前に「見える」ことは、意識していないけれどすごい価値があることを痛感した話 ~プライスレスなものが備わっているんだものね~

妙齢なもので、ちょっと前から『老の眼かもしれぬ…』と目薬を買ったり、ブルーベリーサプリを飲んでみたりと試行錯誤をしています。
目薬は、タイミングによってはとんでもなく染みる(クーーーーッ!となる)ので、おそるおそるの使用ですが、ブルーベリーサプリのおかげで視界が少し開けたような、いい感じのような。
プラセボ効果かもしれませんが、なんにせよ「よくなる」というのはいいものですね。
目がショボショボしてかすむので、目薬に加えてブルーベリーサプリを始めたということを、職場で近しい世代の人と話してキャッキャしていたら…

そうなのーーーー!!
引き寄せちゃった。
話をしていた職場の人の家で、ブルーベリーがたくさん収穫できたからとお裾分けをいただいちゃいました♡
「マミコさんの目に効くといいな」
というやさしい魔法の言葉つきでいただいたので、うん、こりゃ、いい感じにしょぼつきが治るはず…
と思いきや、朝から目がヒリヒリしていたのですが、そのヒリヒリは時間を追うごとに悪化し、目を開けていられないほどに。
目をつむると涙がボロボロ落ちてきて、目を開けるとまたヒリヒリして。
出社日だったので会社で泣きながら作業していましたが、限界を迎えて仕事を中抜けさせてもらい、眼科へ行ってきました。
●黒目にキズがある
●アレルギー反応
●ドライアイ
という診断結果となり、ステロイドの目薬とドライアイ用の目薬をもらって治療することになりました。
しかしこれがまた染みるんです!!
アレルギーの目薬も染みますが、ドライアイの目薬も染みまくりで、カラムーチョのパッケージに描かれているおばあちゃんのように「ひーーー!」と叫んでいます。
昨日は夕方には目を開けるのもしんどくて、もう寝るしかできなかったのですが、目薬が少しずつ効いてきてくれて、ヒリツキや涙が溢れるのは続いていますが、昨日と比べたら痛みが軽減してきてます。

フレッシュなブルーベリーって、小さなパックに入って売られていてもなかなかいいお値段。
それがこんなにいっぱい!!!
ブルーベリー長者になれて、嬉しい笑顔。
そのままつまんで、パクッ。
甘酸っぱくてキュンな味に、アオハルかよ!!と一人で突っ込んでニヤニヤ。
こんなにフレッシュな味だもの、そりゃ、目にも効くよね~。(多分きっと)

フルーツが好きなワンちゃんは多いのですが、仁くんは全くフルーツに興味なしでした。
晩年、「梨」のおいしさに目覚めたので、ようやくフルーツのおいしさを知ったのかな?と、今年になったらイチゴや桃やスイカなど、仁くんも食べるかもしれないな~と思っていましたが、残念ながら春から夏にかけて美味しいフルーツは試せず。
こはるちゃんはフルーツ食べるかな?と、最初はバナナから挑戦させてみたところ
フルーツ好きなの♡
と、いろんなフルーツをおいしそうに食べています。
バナナ、イチゴ、メロン、桃、スイカ。
少量ずつですが色々な味に出会い、美味しい世界を広げているところです。
調べたところ、ブルーベリーは犬が食べても大丈夫なフルーツだったので、カットしてあげてみたところ、これまたお口にあったようで美味しそうに食べてくれました。
今朝、私がフルーツを食べようとして用意したものを、ジーッと見つめるこはるちゃん。
テーブルの上の食べ物を見つめる姿が、ちょっとだけ仁くんを彷彿させます。

私の朝ご飯は、基本「茶色」なのでまったくオシャ要素がないのですが、たくさんブルーベリーをもらったので贅沢にたっぷりと水切りヨーグルトの上に乗せて
ヘルシーでオシャな人になった気分
を味わいました。
はちみつもかけて、やだー、朝からおっしゃれ~~。
目薬&いただき物のフレッシュブルーベリーの効果で、きっと目のアレルギーも回復していくのであーる。
URであーる。
* * *
昨日、目が痛くてどうしようもなくなり、仕事を中抜けして眼科に向かう際、明るい日差しと青い空が広がる外の景色を見て、夏真っ盛り!というのを感じました。
空に向かって元気に広がる緑。
看板や建物、町の中に溢れる色彩。
道行く様々な年代の人や、行きかう車。
暑さで少し先の視界は陽炎のように揺れて見える。
見えるって、なんて素敵なことだろう。
目の表面がヒリヒリしていたので、ドライアイが悪化したのだろうとは思っていたものの、目が痛む病気として視力を失いかねない「緑内障」もあります。
痛む場所が違うから緑内障ではないとは思いつつも、とつぜん目が激しくヒリヒリしてくると目を開けることもままならず、そうすると固く目をつむることしかできず、明るい光が眩しい外の世界が急に消えて真っ暗になりました。
痛いし、暗いし、心細くなるものですね。
目を閉じたままあふれる涙を拭きながら、「もし失明するような病気で、この先に視力を失うと言われたら…」と考えて震えました。
当たり前に備わり続けていると思っている、見えるということ。
普段は見えることについて、ありがたさを感じることなく過ごしています。
その「当たり前」を失うなんて、想像もつかない恐怖です。
季節ごとに彩のかわるこの世界を、もうこの目に写して感じることはできないなんて。
周りにいる人たちの表情を、見ることができないなんて。
愛するギンちゃんやこはるちゃんの、動きや表情が感じられなくなるなんて。
色彩や明暗から感じられるたくさんの美しさを、味わうことができなくなるなんて。
本も読めなくなる。
映画やテレビも見えなくなる。
パソコンやスマートフォンを使って文字を書くことや、情報を取り込むことだって難しくなる。
仕事もできなくなるでしょうし、車も運転できなくなり、日常生活はとてつもなく不便になるでしょう。
言葉や音や匂いがなくても、ちょっとした表情を見て気付けることが、分からなくなる。
ギンちゃんやこはるちゃんの「見ることで見つけられる異変」を、見つけられなくなる。
嫌だ。
失いたくない。
見えるという「当たり前」を、なくしたくない。
失ったら本当に困ります。
もしも「5億円と視力を交換しませんか?」という取引を提案されたとしても、私は5億円より視力を取るでしょう。
5億円あったら、この先は仕事をしなくても過ごして行けて、老後の資金の心配だっていらなくなるし、喉から手が出る程欲しいけれど、それでも「見えなくなる」ことと引き換えにするなんてムリです。
じゃぁ、10億円なら?
ううん、100億円なら?
いくら積まれても、私は首を縦に振らないと思います。
お金がいっぱいあっても、この先の人生ずっと、目をつぶった時のように何も見えずにいるなんて、私はイヤです。
様々な色を、光を、景色を、表情を、自分の目で見ていたい。
いくらお金を差し出されても、見えることはプライスレスで代えがたいものなんです。
見える力を失ってしまったら、きっとお金をかけてでも「見える力が欲しい」と願うでしょう。
当たり前に備わっているから、普段は意識すらしないけれど
いくらお金を積まれても変えられないほどの価値があるものが、私たちには備わっているんですよね。
見えること。
味わえること。
触れて感じられること。
動けること。
痛みがないこと。
聞こえること。
匂いがわかること。
言葉を理解出来ること。
喋れること。
思考や想像できること。
愛することができること。
生きていること。
私たちには「素敵」がいっぱい詰まっている。
お金を積んでも手にできないほどの「すごい価値」が、標準でいっぱい備わっている。
改めて「当たり前に思い、意識すらしないもののすごさ」を確認して、自分がこんなにも恵まれていることの喜びと幸せを噛み締めました。
何にもいいことがなかった、という日だったとしても、匂いに誘われて美味しく食べることができたり、音楽に心を弾ませたり、会話する楽しさや澄んだ青空に笑顔になったりできる
当たり前というギフトが「当たり前に」与えられていた
なら、いいことだらけだったと言える日ではないでしょうか。
特別なことのない、昨日と変わり映えのしない、平凡で穏やかで地続きのような今日を送れただけで、充分幸せ!とニッコリです。
それは昨日、見えなくなるとしたら?というのを考えたから。
きっとこの「当たり前」にある喜びを、また当たり前の日々の中で、気付けなくなるくらい「当たり前」になっていくでしょう。
でもね、気付けないくらい「何でもない日」というのは、素晴らしく愛おしい日!
ではでは。
明日にはもっと目の痛みが楽になり、見えることを楽しめるように、今日はもう寝ようと思います。
おやすみなさい。
明日に備えて、しっかり疲れがほどける夜になりますように。