【ココロノマルシェ】働かず両親に頼りながら好きなことをして暮らすことが幸せなのですが、このままではいけないなと悩んでいます
こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。
週末は再び寒気の影響で積雪予報が出ていましたが、朝起きたら地面が薄く白く積もっている程度で、対した雪の被害がなく過ごせています。
同じ新潟でも場所によっては全然違って、すでに数メートルにも雪が達している場所もあるんですよね。
明日からはまた仕事に行く方も多いと思いますが、事故などが極力少ないものであるようにと願うばかりです。
朝早い時間にうっすら積もっていた雪も、日が高くなってくるころには跡形もなく消え、今日は風は強くごぉごぉと唸っているものの、久しぶりに日差しが気持ちい午後の時間でした。
晴れているのに空からは細かい雪が舞っていて、少しずつ曇りだしているので夜中にまた雪が降るかな?とちょっとだけ心配です。
クリスマスの頃は一度寒気が緩むものの、年末はまた寒くなる予報ですよね??
寒くなるとやっぱり風邪をひきやすいので、お互いに体を労わりましょう!!と、珍しくちゃんとした話をした後で(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
こんにちは。
いつも参考にさせていただいています。ありがとうございます。
今は無職で実家に暮らしています。
仕事を辞めて2年。今まで仕事をしては1~3年で辞めることを繰り返してきました。正直、働くことが怖いし、働きたくないです。
今までの職場では、「どこでも働けないよ」と言われたりして、嫌な思い出が、働くたびに積もっていく感じです。
今は、絵を描くのが好きなので、貯金で画塾に通いながら、将来どうしようかと迷っています。絵の才能は、仕事に出来るほどではないし、やはり社会が怖いと思ってしまいます。
今は、働かず両親に頼りながら好きなことをして暮らすことが幸せなのですが、ずっとこのままではいけないなと悩んでいます。
どうすれば、自分なりに社会と関わりながら、稼いでいけるようになれるでしょうか?
よろしくお願いいたします。
ご相談:ゆりさん
ゆりさん、こんにちは。
決められない悩みを抱えている時って、ずっと心に重たいものを乗せられているような、すっきりしないいやーーな気持ちを感じ、同じことをグルグル考えて疲れて果ててしまうんですよね。
私たちは1日に「6万回」も思考をしているそうです。
ですが、その思考のほとんどは昨日と同じことを思考していると言われています。
だから、放っておけば毎日同じことを考えて、足踏みをするのが私たち人間なんだと思います。
ゆりさんが届けてくれたお悩みを読ませていただいて、随分とご自身を責めているような、ご自身に対して否定的な感情を抱いている印象を受けたのですが
ゆりさんはご自身のことを「好きだ」と思えていますか??
自分の事を過去も含めて今現在も、ダメなところがいっぱいある…と責めてしまっていませんか?
決められない悩みを抱えているだけでも辛いのに、その上で自分を否定したり虐めるような気持ちを持ってしまったら、その状況は本当に苦しいものだと思います。
私も何かと「悩んでしまう」タイプなので、悩むことの重たさやしんどさが嫌なものなど分かりますし、悩む自分・決められない自分の状況にもモヤモヤしてしまうのですが、
悩んでいる時というのは「決めなくていい」から、悩むという選択肢を選んでいるんだよ
という言葉を聞いてから、少しだけですが悩む自分を責める気持ちが楽になりました。
私たちに人間は、自分にメリットのない事を長く続けることが出来ません。だってしんどいだけですものね。
けれど「悩むことがしんどい」と言いながらも、決める事よりも悩んでいる方が「自分にとって今は都合がいい」と思っているからこそ決めないんです。
言い換えると、今はまだ「決めたくない」って思ってるんですよね。
悩んでいる時は「決めない」が自分の出している答えなんです。
いい・悪いではなく「今は決めたくないって思ってるんだね」と自分の大事な気持ちを見つけてあげることで、私は、迷っている自分のことを優しい目で見てあげるようにと意識しています。
ゆりさんも「決められない」ご自身のことを、責めるのではなく「今はまだ決めることができないんだ」とできるだけ受け入れ・ご自分のことを許してあげられたらいいな、と思います。(とはいえ、こんな風に簡単には思えませんし、そう思えたら悩まないよ!と言われちゃうんですけれどね…)
> 今まで仕事をしては1~3年で辞めることを繰り返してきました。
> 正直、働くことが怖いし、働きたくないです。
怖いと足がすくむようなものに対して、誰だってそこへ飛び込もうとは思えません。
ゆりさんは働くことが「怖い」と表現するほどなのですから、会社勤めをして働く気持ちなれないのは当然ではないでしょうか??
お勤めをされていた中で「働くのが怖い」とまで思ってしまうほどに、積み重なってしまった嫌な体験があったんですものね。
その「嫌な思い出」「苦しく辛かった時間」「きつくて悲しかったのに頑張っちゃったこと」ってどんなことなのでしょうか??
お料理をする際に包丁で指を深く切ってしまうと、その傷が疼いている間・血を流している間は痛みが強くて包丁を再び握る事が出来ませんし、痛みがあれば怖くて包丁を見るのも嫌になります。
必要に迫られてであっても、再び包丁を握って料理をしようと思えるようになるために最低限必要なのは
ちゃんと傷を手当てして、痛みを取ってあげること
ではないでしょうか??
心の傷も同じです。
働くことが「怖い」と感じている恐怖の根っこになっている傷を、ゆりさんはちゃんと手当してあげられているでしょうか??
私がダメだから…と、その傷を無理矢理に抑えてしまっていませんか??
仕事をしていた時に「どこでも働けないよ」というような否定的な言葉を浴びせられるたびに、ギューーッと心は委縮してしまったんだと思います。
私だってそんな言葉をかけられたら悲しくなります。
本当は怒りを感じていいのに、自分が自分をダメだと思っていたらその言葉を真に受けてしまい、とっても深く心は傷付きます。
「どこでも働けないよ」と言われた時、ゆりさんは周りの人にどんな声をかけてもらいたかったでしょうか?
傷付いた時に、どんな風に手を差し伸べてもらい、辛かったね、悔しかったね、悲しかったね、って抱きしめてもらいたかったでしょうか??
私たちの心は「時間の概念がない」と言われています。
数年前の出来事なのに、まるで昨日のことのように思い出して「うわーーー」と叫びだしたくなったりする事ってありませんか?
だから時間を飛び越えて、傷ついているその当時の心を「今」のゆりさんが優しく手当てしてあげて、働く事への「怖れ」を癒していきましょう。
今からでもその時のゆりさんが欲しかった言葉や態度を、いっぱい届けてあげましょう。
心にそっと手を当てて、当時の自分が泣いていたらその話を隣で聞いてあげるイメージをしてあげて「悔しかったね、一生懸命頑張っていたこと私は見ていたよ。」「不器用だから上手にやれなかったけれど、私なりに精一杯だったよね。それを否定されて切なかったね。」とその時の痛みに絆創膏を貼るような言葉を沢山かけてあげてください。
理不尽な事に一緒に怒り、一緒に泣き、怖いと感じてしまうまでに委縮してしまったゆりさんの側にいてあげてください。
ゆりさんは「働く気持ちになれない自分」「好きな事をしているのにそれもダメなんだと落ち込んでいる自分」を前にして、私はどうせ…と自分を責めているのではないでしょうか??
責めるしかないくらい心がキューーッと縛られているのだと思いますが、苦しい時や辛い時は「責められるのではなく、優しくされる時間」だと私は思っています。
働くことが怖くなっちゃった由利さんの事を、元気づけることが最優先です。
責めるのはもう充分に「他の人」がしてくれましたよね??
いっぱい心に傷を負っているゆりさんをさらに追い詰めてしまうのではなく、今度は優しくされる番ではないでしょうか??
車はガソリンがないと走れません。
ガソリンを満タンにするために給油をしても、ガソリンタンクに大きな穴が空いていたら、どんなにガソリンを足しても満タンにならずに走りだせません。
心も同じように、大きな傷や穴が空いていれば、必死に何かで埋めようとしても埋まらないと思いませんか?
だからまず、悲しみや傷や痛みをケアしてあげて、心に出来た大きな穴を埋めることをしましょう。
そして少しずつ「うまくやれなかった自分」「分かってもらえなかった自分」「頑張ったのに空回りしてしまった自分」を許し、受け入れ、しょうがなかったんだよね、と肯定してあげて自分の心のタンクを「安全や安心」で満たしてあげましょう。
そうすればちゃんとまた歩き出せますから。
今目の前で起きている問題は、ほとんどが過去の出来事を映し出したもの(心理学では投影と言います)だとも言われていますから、こんなに怖いと思って身動きできずに自分を責めている「自分責めや自己否定のルーツ」を探して癒していくことは大切な事だと思っています。
根っ子にある「どうせ私はダメだ」「認めてもらえない」「好きな絵でも食べていけそうもない」と否定する感情を見つけて癒してあげることで、気付いたら問題が問題として存在しなくなるという事も多くあります。
そのために必要な事は、自分のことを許し・仲直りし・好きになって行く努力をすることです。
慣れないと難しいし、否定することがクセになっていれば自分に優しくしたり労いの言葉をかけてもそれを跳ね返してしまい、すぐに手応えを感じることが出来ずに「こんなことをしていていいのだろうか?」と思う事もあると思いますが、それでもあきらめずにゆりさんの事を大事にして愛してあげてください。
自分自身を大事にして愛するようになると(どんな自分にもOKと言ってあげられるようになると)私たちは不思議と自分に合うものをちゃんと選べるようになります。
大事な自分に「ふさわしいものは何か?」と選びたいという意識が持てるようになると、必要なものを拾うアンテナが敏感になります。
そして、私たちは自分の思い描いたものを現実にしようとします。
だから「私はダメなんだ」「私は好きな事をすることも、仕事をすることもできないんだ」と思えば思うほど、その通りの現実を目の前に作り出して
ほーらね!やっぱり!!!
という事を必要とします。
本当はそんなの嫌なのに、決められない・ダメな自分というのは責めるのに好都合ですし、責めることに慣れていればそっちを無意識に選んでしまう「心のクセ」があるので、思考では必死に決められる自分になりたいと思っても、感情や心の方が現実化する力が強いため、目の前には「ほらね」という望ましくない現実が広がってしまいます。
それを変えていくために大事な事が「自分の事を信頼し、愛してあげる土台を作る事」です。
嫌いな人のために良いものを与えたい、素敵な事を提案したい、希望を持たせてあげたい、とはなかなか思えませんよね?
自分のことを嫌っていたり、情けないと見下してしまっていたり、信頼してあげることが出来なければ、自分に最良ののを与えてあげられませんものね。
だから、ちょっとずつ・少しずつ、自分のことを大事に思えるように自分の傷をしっかり手当てして、側で並走するようにして自分の魅力や価値を拾い集めながら、自分と仲直りしていきましょう。
ゆりさんがゆりさんの親友になってあげる、そんなイメージで自分に接してあげてください。
今まで自分を追い込むように責めていた自分と仲直りして、ちょっとずつでいいのでゆりさんのことを好きになっていってあげましょう。
何でも話せる大切な親友であれば、その子の幸せを一緒に考え、誰かがその子を悪くいっても庇ってあげて励まし、支え、その子がやりたい事を応援し、もしも失敗したり道に躓いたとしても、抱きしめて「どんまい!」と言うと思いませんか??
そんな風に自分との関係を作っていくと、また自分の道を決められるようになると思います。
自分自身を大事に思えて常に味方してくれる人がいれば、ちょっとずつ自信がついて今は「仕事にもならなさそうだし」と思ってしまっている絵に対しても、考え方が変わるかもしれませんよね??
働かなきゃいけない!ではなく、働いてみようかな??と間に進みだしたくなるかもしれません。
自分を大事にして受け入れ、愛を届ける作業を「自己承認・自己受容・自己肯定」というような言葉で表現しますが、自分の心の持ちようが変化するわけですから、その時にまた考えてあげればいいんです。
今、ご両親が好きにやらせてくれているんですよね???
であれば、その環境に「ありがとう」って甘えながら、心のケアと好きな事を楽しむ人生の夏休みを満喫しちゃっていいのではないでしょうか。
決めることが出来ずに迷っている時は、100%こうだ!という答えを出そうとして力んでしまいがちですが、私たちは常に迷い、変化し、成長している人間という生き物なので
完璧な答えや勇気を出そうなんて思わなくてもいいんだよ
と思えたらまた少し心が軽くなれると思います。
どうしても決めなくてはいけないシーンは人生の中で幾度も出てきますから、その時々で「出来ること」を決めていけばいいんです。
そして不思議と、人生は「何とかなる」んです。
その時には絶望するような選択であっても、後からあの体験があったから、って言ったりしちゃうくらい、人は変化しますから。
せっかく貯金を使ってやりたかった事に挑戦されているんですもの!
その時間をできるだけ楽しく、自分を笑顔にさせる時間に変えてけますように。
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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡
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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。