【ココロノマルシェ】カウンセラーとの関係について「こんなものなのかな?」とお聞きしたくご相談させて頂きます。
今年の春、顔周りをトレーニングするために買った「PAO」。
マウスピースを加えて唇ではさんでブルンブルンと両翼を震わせるというトレーニングなのですが、これがどうして、なかなかコツがつかめずブルブルできずでした。
両翼の端にはキラキラ光る重りが入っていて、青緑(軽量)ピンク(中くらいの重さ)オレンジゴールド(重い)とトレーニングの負荷が変えられるようになっています。
最初は青緑を使っていたのですが、うまく動かせずに3か月が経過。
毎日使ったわけではなく週に3日程度というズボラながらに、6月の末頃にようやくコツを掴めるようになり、7月からはピンクのプレートに変えました。
僅かな重さの差だと思うのですが、それでもやっぱり重たい…とぎごちなくブルブルさせていましたが、ピンクもだいぶ上達したので今朝からオレンジゴールドのプレートに変えました。
最初は全くダメで使いこなせないかも…と思ったけれど、目標にしていた最重量の重りに変えられて感無量なので「見てーー」とアピールした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
タイトルの通り、カウンセラーとの関係について「こんなものなのかな?」とお聞きしたくご相談させて頂きます。
家族関係で悩んでおり、こちらとは全く関係のない所でカウンセリングを受けています。
カウンセリングは文章でのやり取りです。
カウンセラー氏(以後A氏と表記)とのやり取りの上で、家族との関係について実例ではなく心理学的な見解から述べていた時は同意を得て理解してくれている感じがありました。
ただ、実際の例を挙げた所事実とは異なる状況がA氏の中で想像されたようでした。
その時は、当方の伝え方が下手なんだろうと思い「人に伝える練習」だと思って説明をし、状況を理解して頂ける運びとなりました。
実際、プロのカウンセラーならキーワードで理解してくれるだろうとの思い込みがあったため、当方の伝え方が足りなかったようでした。
再度思い返しA氏に説明する事で当方にとっても状況を一度クリアにする事が出来ました。
そのようにA氏の思い込みから学ぶところがあるので感謝しており、その事も伝えていました。
期間の経過と共に当方の元々の問題がひと段落しました。
そこから家族との新しい関係の構築が始まったのでA氏とのやり取りは続けていました。
やはり思い込みや、文章でのカウンセリング上の問題でしょうか、A氏の発言が時によって大きく異なるな、と感じることがありました。
そのうちA氏自身の話を例として教えて頂いたりしました。
当方が精神的に落ち着き、自分の考えを取り戻すことができた後に、A氏が休みのはずの日に当方が送った文章への返事を送って来ました。
「気になったから」との事でしたが、それが当方にはA氏自身が「課題の分離」が出来ていないよう思えました。
それと同時に少し依存されているのではないかという気持ちが当方に芽生えました。
その後、やり取りを続けA氏が他者に依存していると取れる発言がありました。
同時にA氏が「他人のため」にカウンセリングをしていると取れる発言もありました。
当方は家族との問題を「自分のため」になんとかしたかったのですが、家族のためではなく「自分のため」だということがA氏に理解して貰えませんでした。
なんとか説明しようとしたのですが、その中でA氏が「他人から何かをして貰った」からそれに感謝し、同様に「他人のため」にやっているのではないかと送りました。
それがA氏の気分を害したのか、通常の心理学的な話の最後に当方の家族が精神的に成長するために○○○を行うのは良いことだ、ただし当方にとっては良い影響ではないこともあるから良くないかも、と書かれていました。
当方にとって家族が精神的に成長した結果、全て自分に都合が良い方向へ転がるとは思っていません。
むしろそんなことはないと思うのでそちらに関して当方が思うことを述べました。
そのような当然のことをわざわざ文末につけるのは当方への嫌がらせのように感じました。
A氏からは過去に何度か当方を認める発言もあったため、やや依存されているように感じました。
当方にとっては、依存してくる人に対応するための練習だと思えますが、カウンセリングとはこのような物なのでしょうか。
ご教示いただきたくお願い申し上げます。
相談者:大地さん
大地さん、こんにちは。
せっかく受けたカウンセリングが、あまり相性が良くなく思ったものではなかったこと、しょんぼりしてしまいますし残念でしたね。
カウンセリングって今はだいぶ馴染みのある言葉になりましたが、やはりまだ浸透していない部分もありますし、どうやって自分に合ったカウンセラーを探すのかって悩みますよね。
そして、カウンセリングって決してお安いものじゃないですし、自分がお金を払ってカウンセリングを受けようと思う時ってどんな時だろう?と考えると「本当になんとかしたいとき」だと思うので、相手に対する勝手な期待値ってすごく膨らんでしまっているのだろうと思います。
これはあくまで「私が」という話なのですが、自分の事を話すので分かってもらえるのだろうか??とその人の発信しているブログだったり、本を書いている人であれば本を読んだりレビューを見たり…と、申し込むまでに結構慎重になります。
調べるうちに期待が積み重なるようにして大きくなり、ある程度の金額を払ってカウンセリングを受けよう!と思って申し込む時には、うわーーっと分かってもらいたいことがあって勝手に妄想が広がっている事があります。
自分が思い描いていたものと実際のカウンセリングは温度差があって、うーん…って思う体験もありました。
あくまで『対人間』なので、やっぱり合う・合わないって出てくるのは仕方のないものなんですよね。
また、カウンセリングと一口に行っても、提案型のカウンセリングをしているカウンセラーもいれば、傾聴をメインとして共感して理解を示すカウンセリングをしているカウンセラーもいますので、形も様々です。
カウンセリングについて、辞書を調べてみたらこのように書かれていました。
カウンセリング(英: counseling)とは、依頼者の抱える問題・悩みなどに対し、専門的な知識や技術を用いて行われる相談援助のことである。
コーチングの技法を取り入れて、問題解決に導くための具体的なアプローチやビジョンを描く!ゴール設定をして実際の行動を提示して背中を押してくれるタイプもありますが、カウンセリングというのはあくまでも
問題や悩みを抱えた相談者さんの気持ちを聞いて、そこに対して自分が持つ専門知識や技術を使って『相談に関する援助』をする
という事で、解決に導くアプローチを提案するものとはまた違うものだと思うんです。(コーチやコンサルなどがそのお仕事を担っているのだろうと思います)
あくまで「話を聞き・問題解決に向かう相談者さんをサポートする」という事しか出来ないんです。
なぜなら、問題に向き合い解決のための努力をするのも、行動をするのも、全て相談者さんご本人だから。
いくらカウンセラーから見て「このアプローチは相談者さんの抱えている問題は早く楽になる」と思って提案しても、相談者さんが「それを受け入れるかどうか」は相談者さんの選ぶことです。
また、どんなに良かれと思った事であっても、どんなに最短な道を示したとしても、相談者さんにとってそれが「苦しい」「しんどい」と思うやり方であれば、合っていませんし続けられませんものね。
> 家族との問題を「自分のため」になんとかしたかった
とありましたから、問題を何とかする = 穏やかに幸せに平和を感じたいという事だと思いますが、そのために「歯を食いしばって」自分を虐めるやり方ってもしも提案されても私ならできませんし、残念だけれどそのカウンセラーさんとは合わなかったんだなぁ、って距離を置きます。(否定するとかではなく、離れるという意味での距離です)
> その時は、当方の伝え方が下手なんだろうと思い「人に伝える練習」だと思って説明をし、状況を理解して頂ける運びとなりました。
>
実際、プロのカウンセラーならキーワードで理解してくれるだろうとの思い込みがあったため、当方の伝え方が足りなかったようでした。
カウンセリングって「分かってもらいたい」「受け入れてもらいたい」と思って受けるものです。
理解してもらえるだろう…と思いつつも、うまく受け取ってもらえないのはガッカリしてしまいますし、そう感じることは何も悪い事ではありません。
とはいえ、カウンセリングって『話をする場』であって一つのコミュニケーションでもあるので、噛み合わなかったり会話をキャッチし損ねてしまう事は気を付けていても起きてしまう事があります。
プロであっても完璧な人はいません。
目の前の相談者さんの事を知りたい・知ろうと注意を払い、相談者さんの問題の背景などを少しずつ会話を通して教えてもらって理解しようとしていくのですが、キーワードだけだとどうしても「足りない部分をカウンセラーの想像力・過去の事例」などで埋めてしまう事があり、そこで「分かってもらえていない」と感じさせてしまう事があったのかもしれません。
大地さんがより具体的に話をしてくれたことで、カウンセラーと理解を共有できたのは良かったですね。
とはいえ、大地さんは「伝えるのが苦手」という事だったので、気苦労をかけてしまいましたね。
> 当方にとって家族が精神的に成長した結果、全て自分に都合が良い方向へ転がるとは思っていません。
> むしろそんなことはないと思うのでそちらに関して当方が思うことを述べました。
> そのような当然のことをわざわざ文末につけるのは当方への嫌がらせのように感じました。
嫌がらせをされているのでは?と感じるというのは、このカウンセラーさんと大地さんが残念ながら『合わない』という事なのではないでしょうか?
もはや問題を解決して楽になるためというよりは、カウンセラーさんとどう付き合うのか?どう理解してもらうのか?なぜこんなことを言ってくるのか?と腹の内を探り合うのにお金と時間を使うのって、少しも楽しい事ではないですものね。
先ほどカウンセリングとはという辞書の定義について書きましたが、カウンセリングは『相談援助』という言葉にもあるように
カウンセラーが解決策を持っていて提示する場ではなく
心理的に安全な場所を提供し、そこで相談者さんがカウンセラーとの対話を通し自分の悩んでいる事や問題として困っている事について『考えていく』ことをする場所です。
あくまで相談者さんが自分の心を見つめ、話をすることで頭の中にあった思考を整理し、自身が変化していくのを見守りサポートをするのがカウンセラーの役割だと思っています。
また、話をすることで過去に体験した記憶がよみがえってきたり、心理的に安全な場所で気持ちを打ち明ける事で『過去の記憶に繋がっていた感情』を思い出して解放する事で、自身の問題の種になっていたものを軽くしたり解き放ったりすることが出来たりもしますが、これも全て相談者さんが自身の感情に向き合い感じることで起きるのであって、カウンセラーは側にいて整理のお手伝いをするに過ぎません。
カウンセリングの場は心理的に安全な場所であるべきですから、『この人には話せる』『安心していい』と思えないとそもそも心に警戒のアラームが鳴っていて、とてもではないですが自分の大事な感情を伝えることが出来ません。
大地さんにとって、とっても残念な体験ではあったと思いますが「私にとってこういうタイプのカウンセリングは合わないんだな」と、自分にフィットしないものを見つけるという意味で、次にカウンセリングを利用したいと思った時に気を付けることが出来ればいいですよね!!
私もカウンセラーとしての活動をしていますが、相談者さんの気持ちを理解したいと願いつつも、私では役不足を感じる人がいるかもしれませんし、大地さんが感じたように「合わない」と思われる人もいらっしゃると思います。
人間同士なので、相性があるのはしょうがないですものね。
実は、私は過去にカウンセリングで少し辛い経験をしたことがあります。
もともと苦手だな…と感じていたカウンセラーさんだったのですが、心理学的なアプローチも数多く知っていてキビキビとした方で、どちらかというと「コーチ」のような提案型のカウンセラーさんでした。
私自身が緊張していたこともあり、大地さんのようにうまく伝えられないかも…と不安を感じながらでしたが、カウンセリングの中で思い切り強い言葉で反論されて否定され、その場では必死にこらえましたがカウンセリングが終わってから号泣しました。
しばらく立ち直れませんでした。
カウンセラーさんに悪意があったのかどうかは今となっては分かりませんが、私はそのカウンセラーさんと距離を取り、離れました。
わざわざ苦しい思いをしたり、分かってもらえるまで粘ろう!!と大事な時間やお金を使うのって、それが「楽しい!やりがいがある!ワクワクする時間だ!」というのならいいのですが、そうじゃないとただ自分を虐めている時間です。
『わざわざ嫌がらせのように』とありましたが、カウンセラーはあくまでサポート役であり、安全な場所を提供する存在であるべきなのですが、本当に残念な事に
カウンセラー様
になってしまい、高圧的な態度を取ってしまう人も存在しているのもまた事実です。とはいえ、本当に少数だと思うのですけれど…
大地さんのご相談を読ませていただいて、改めてカウンセラーとして相談者さんに真摯に向き合う事の大切さ、自分がどうあるべきかについてを考えさせてもらう機会をいただきました。
大事な事を思い出させていただき、ありがとうございました!!
大地さんにとって「この人に話をしてみたい」「カウンセリングを通して自分の気持ちが整理されていった」と思えるようなカウンセラーさんに出会えますように。
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ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。