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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】今まで棚上げにしていた自分を振り返り過去切り捨てて来た本音と向き合う一貫として、こちらにアウトプットさせて下さい。

オレのご飯スペースにあるねむの木が めちゃくちゃ成長してるんですよ…

こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。

我が家は1LDKの賃貸マンションなのですが、角部屋ということもあり窓が多く、リビング・寝室共に日当たり良好で明るいのがお気に入りのお部屋。

引っ越してきてから「観葉植物」を幾鉢か育てていて、寝室には「エバーフレッシュ(ねむの木の仲間)」とサンセベリアやフレボディウムといった植物の鉢があります。

その中でもエバーフレッシュは、毎年グングンと成長し、今年は何かの成長スイッチが入ったのが「爆発的な成長」をしていて、写真には納まりきらないくらい大きくなりました。

やばい…
このままでは天井に着いてしまう…ということで、若く柔らかい枝を紐で縛って曲木にしているところですがもうじき秋がやってきて成長は緩やかになるとはいえ、まだまだ新芽を広げているので、あとどれくらい大きくなるのか??と嬉しいけれどドキドキという感覚を味わっています。

我が家の観葉植物をご紹介した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

開設当時から時々読ませて頂いています。
どの方のご回答も読むと自責感覚が薄れ緩め癒されます。
ありがとうございます。
感謝と共に今まで棚上げにしていた自分を振り返り過去切り捨てて来た本音と向き合う一貫として、こちらにアウトプットさせて下さい。
また、アドバイスなど頂けましたら幸いです。

私は現在40歳です。
未婚でパートナーは同性です。
6年前から自営をやってますが、何度も燃え尽きがあり今は無気力状態で2年になります。
新規を増やす努力を思い切って一切辞め継続仕事と時々来る単発仕事をこなしてほぼ開店休業状態です。
パートナーが家計を支えてくれているのでそんな状態でも成立しています。
感謝してるし申し訳無さもあります。
また強烈な恥ずかしさがあります。

無気力は物心ついた頃からありました。
その起源を探し本音を探る作業を今やっています。
今の所見えてくるのは明治生まれの厳しい祖父母です。
母が精神病で入院していたので祖母と共に居た幼児期に厳しくされた記憶があります。
いくつかのシーンを思い出せますが、遠くから当時の私の姿を見ているようで感情などは再現されません。
確かすごく泣いたとか怖かったと映像としては残ってるのですが生々しさはありません。
そのせいかそれらの記憶を詳細に書き取ってもあまり変化はありません。

また私が今強烈に感じる羞恥心は祖母から受け継いだものだと思います。
大変プライドの高い人で弱さを見せることが出来ず常に苛立ちまた鬱々としてました。
私も「大丈夫な自分」でしか人と繋がれず30代半ばまでは何とかそれでやれましたが、落ち込みからの回復に時間を要するようになり、現在の長期の無気力状態に至ってます。
祖母は苛立ちを露わにする人でしだが、私は怒ることが苦手で、それは祖母を怒らせないようにする癖があったのと、重い鬱症状で依存心の強い母を怯えさせないために取った選択でした。
それは愛からというより期待しないこと自分から感情を切り離すことで楽になる方法でした。
私はそのような手法で無気力ではあるけど情緒的には安定した人格形成が成され逆に兄は家族の病理を引き受けるように幼児期から様々な問題を呈しました。
また祖母がそのような苛立ちの中に居たのは情緒的に欠損した祖父への不満や淋しさからだとこの振り返りから考えるようになりました。
祖父は紳士的で穏やかですが子供心に違和感がありました。
例えば長時間自分の用事に幼児の私を連れ回しても私の心身の疲れを慮ることは一切なくまた自分だけ飲み物を買って飲んだりします。
それは「意地悪」ではないのです、それは子供心にわかりました。
ただ単に「相手の様子を見る」や「共感」がないのです。
また一方で社会ルールには馬鹿みたいに従順で一円でも拾ったら交番に届けていました。
こうかくとアホのようですが市役所勤めの後70歳を越えても集金の仕事をしてたり勤勉でした。
情緒的コミュニケーションだけ出来ない感じです。それ以外は模範的です。
その2人の長男である叔父がまた問題を抱えてました。
情緒欠損は今思えば祖父から受け継いでいたのでしょうが、社会的現れ方が真逆で窃盗など幼児期から繰り返すいわゆる反社会性人格障害でその叔父の経験から祖父母は本家の内孫である私達兄妹に厳しく教育にあたりました。
やんちゃだった兄はよく折檻を受けていました。
その頃の記憶に母と父は登場しません。
母は病院に父は仕事を常にしていました。
父は叔父を反面教師に過度に実直な性格です。
また祖父とは違い無口ですがとても情を感じる人で私はファザコンだと思います。
母へは長年わだかまりがありましたが母もまた10代で発病する前から姉達に情緒的に搾取され親代わりの兄達は相次いで自死し依るべは常になく依存的にならざるえないなと思えました。

家族の歴史を振り返るほどそれぞれにそうならざる得ない事情がわかり1番苦手だった叔父にすら祖父の合せ鏡として病理を引き受けていたのではないかと思うと1番の被害者に思えます。

幼児期の自分の不満を解消するつもりが辿るほど家族への理解がただ為されるだけで、それは目新しくはなく言語化する前に私がすでに幼少期からやってたことのように思います。
故に今の自分の長年の無気力と抑鬱に繋がると理解してるのですが進みません。
冷静に考えれば例え大人達にそれぞれの事情があったとしても小さな子供の心が圧迫されることは許諾しかねることで、当時の私も兄も相対的にどうであれ不幸は確かにあったのだろうと思います、思いますがそれは頭で考えてのことで、心で寄り添う感覚ではありません。

兄もいとこ達も皆大人になるほど生きづらさを体現し母方のいとこは何人か自死し父方は皆四十を越え独身。ほぼ社会的ひきこもりで寂しい生き方をしています。
私が1番マシな方で皆、私は何も問題ないと思ってると思います。
性的嗜好も長年の仕事での失敗や社会不安も知らないので。
また習性で親族で集まる時は誰よりもまともに振る舞います。
一緒にいる人を安心させたいという意識が強迫的なほどあり空気を軽く楽しく問題はない、という風に作る癖があります。
そのためには私自身が最も安定して幸せな人物だと思わせ無ければとなります。
だから問題にされるのは未婚のことくらいです。

自分に集中しようとすると意識が自分以外の家族や親族に向かってしまいます。
自分のネガティブな感情からの逃げ癖だと思います。
とりとめなくなってしまいましたがアウトプットさせて下さりありがとうございました。
ご相談:書割さん

書割さん、こんにちは。
自分の過去を振り返えり「棚卸」をしてみて、書割さんが一番大きく感じた「気持ち」はどんなものだったでしょうか??

ザワザワする??
怒りや悲しみがヒタヒタとしている??
何も感じない??

過去を思い出してまとめていく過程の中で、心が何か揺れたり嫌な気分になったりした場面はあったのでしょうか??

> いくつかのシーンを思い出せますが、遠くから当時の私の姿を見ているようで感情などは再現されません。
> 確かすごく泣いたとか怖かったと映像としては残ってるのですが生々しさはありません。

子どもの時って、親が全てといっても過言ではないくらい大きな存在です。
そして、子供はまっすぐに親を愛そうとします。

おばあ様はきっと複雑な環境の中で「良かれ」と思って厳しく書割さんに当たっていたのだろうとは思いますが、子供心の中で大事で大好きな「お母さん」が入院しているという心細さや寂しさの中で、本当はただただ「寂しいよね。お母さんがいないのは悲しいね。」ってお膝の上に乗せてもらい、抱きしめ、頭を撫でてもらい、安心したかったんですよね。

すごく泣いた、怖かったという映像として過去を記憶しているとのことでしたから、子供ながらにすごくすごく不安や寂しさを抱えて心もとなかったのだろうと思います。

子供時代の不安ってものすごく巨大なもので、ショッピングモールで迷子になった時にそれを見つけてくれた大人やお店の人に「大丈夫?はぐれちゃったの??」と聞かれた時は、涙をこらえて迷子センターまで連れて行ってもらい、いい子にして待っているのに、お母さんやお父さんが迎えに来て呉れた途端、ワンワンと泣き出します。

その涙は、怖かった・寂しかった・どうしよう??って不安だった、もうお母さんやお父さんに会えなくなると思って辛かった、という気持ちがほぐれた安堵の涙です。

書割さんが幼少期に、すごく泣いたのも「不安だ」「寂しい」「辛い」「お母さんに会いたい」というような気持ちがあったからかもしれません。
けれど、お母さんに甘えて安堵の涙を流すことは叶わず、お母さん替わりをしてくれていたおばあ様からも「子供が欲しい形」での愛を与えてもらえず、泣いて辛さを訴えても届かず、いつしか書割さんの中で

私の寂しさも辛さも届かないんだ

と、その気持ちを感じるのが辛いからこそ「感じないように」と感情を切ってしまったのかもしれません。
小さな書割さんはそうすることで一生懸命に自分を守ってあげていたのだろうと思います。

そして、それを選んだのもまた「おばあ様なりの愛」を、敏感に察知できていたからかもしれません。
書割さんが欲しい形ではなかったにせよ、おばあ様が厳しくするしかなかった『事情』を、小さな子供の視点から観察して感じ取り、おばあさまの為にも受け入れてこられたんですものね。

> 無気力は物心ついた頃からありました。

希望が打ち砕かれたり、期待したことが叶わない時に悲しい思いをしたくない…と、ワクワクする事や願いを描くことを禁止してしまえば、だんだんと無気力になっていきます。
寂しさや悲しみも、感じたくないと抑え込めば「何も感じないように」と一歩引いた場所に自分を置こうとします。

感情って不思議なもので「どれかだけを抑える」という事ができません。

楽しい・興奮する!という喜ばしい感情も、悲しみも怒りも、何かを抑圧しようとすると、一緒になって全ての感情が抑え込まれて行きます。

気力を持つことが出来なかったのは、書割さんが自分の心を守り、少し離れた場所で「冷静に」家族を見ることを、子供なりに選んだからかもしれませんね。

自分史として書いてくださった内容を拝見して、私が感じたのは、問題を抱えている家族のひとりひとりに対して、愛ある視点で観察・理解している書割さんの素晴らしさでした。

> それは愛からというより期待しないこと自分から感情を切り離すことで楽になる方法でした。

書割さんは「愛からではなく期待して傷付かないように」と自分を守るための感情の切り離しをされたと書いてくれていますが、書割さんが書いて下さったご家族への『理解・共感』は、書割さんに愛がなければ見えないものです。
だって、書かれている事に「否定や攻撃的な言葉」が含まれていないんですもの。

ともすれば、とても複雑ゆえに『私がこんなに無気力になったのは祖母がいたからで許せない!!』とか『両親が病気や仕事に忙しく、きょうだいに手をかけてくれなかったせいで不幸だった!』などと、誰かに強い怒りや攻撃的な視線を向けてもおかしくない中で、誰のことも決して責めるでもなく『理解し、分かろうとしている』んですから。

> 幼児期の自分の不満を解消するつもりが辿るほど家族への理解がただ為されるだけで、それは目新しくはなく言語化する前に私がすでに幼少期からやってたことのように思います。

書割さんが、ご家族とのことを振り返って『理解がただ為されるだけ』『幼少期からそうしていた』と書いてくれましたが、改めてご家族への理解を深めた際に感じているのは

しょうがないから、という諦めでしょうか?
こうなるべくしてなるしかなかったんだ、という感情的理解でしょうか?

多分、どちらか一方だけではなく両方が絡み合っているとは思うのですが、理解することで書割さんが『楽になれる』のであれば、「今」過去のことを深堀してあれこれ考えなくてもいいのだと思います。
どうしても過去を振り返りたくなる事があったり、思い出して解決したい問題があれば、その時に過去にまた対峙すればいいのですものね。

私が感じた事、なので書割さんが思っている事とは違うとは思いますが、幼少期から少し離れた立ち位置でご家族のことを観察し、しかるべき理由があってこの人はこういう事をするんだ、と理解をして納得してこられたというのは

理解をすることで、嫌いにならないようにしたい

という、書割さんの深くて大きな愛情や、家族に向けた暖かい思いやりの気持ちがそうさせていたのではないでしょうか??

そして、書割さんの望んだ形とは違っていても、不器用でもちゃんと書割さんを愛してくれている事を受け取っていたから、嫌ったり憎んだりするのではなく「理解したい」と願っていたのかもしれません。

祖母が厳しいのも、叔父さんのことがあり、書割さんを「祖母が思う正しい道」に導きたいという思いを理解していたから受け入れた。
祖父が感情面で気付けない事があっても、実直で家族のために働くことで家族を支えてきたことを理解していたから受け入れた。
仕事ばかりで甘えられた記憶は少なくとも、ファザコンだと言えるくらいお父さんが家族のために頑張ってくれていて優しい態度で接してくれたから、忙しさも理解して受け入れた。
思い鬱の症状を抱えるお母さんを理解していたから、お母さんを怯えさせないように怒りの感情を露わさないように、祖母が怒りを出さないように努力した。

全部「理解しよう」という視点で見ていたから、受け入れることが出来たんですものね。
幼少期から、言葉にしなくても「分かりたい」と思ったんですもの。
拒絶することも出来たのに、受け入れたのは書割さんが家族を愛したかったからなのかもしれませんね。

ココロノマルシェへのお返事で、幾度か書かせてもらった事があるのでお読みになられたことがあるかもしれませんが、過去にとても悲しいこんな実験がありました。

ローマ皇帝フリードリヒ2世が行ったと言われている実験は、赤ちゃん50人を集め、命を生かすための最低限のお世話はしてもいいが愛情を注ぐ行為である「赤ちゃんの目を見ること・話しかける事・笑顔を向けてスキンシップを取る事」を禁止しするというものでした。

その実験の結果、赤ちゃんは誰1人として1歳の誕生日を迎えることなく死にました。
50人全員が、です。

これと似た悲しい実験が後世でも行われましたが、その結果も同じようなもので、愛を与えられなかった(感じられなかった)人たちは20歳の誕生日を迎えられずに死んでしまったそうです。

なぜ、この実験の話を書いたのかというと、書割さんが欲しかった形・得たかった種類の愛情表現ではなくとも、書割さんは愛を感じる事に対してきっと敏感だったから

不器用なそれぞれの愛情を理解し、受け取っていたのではないのかな??と思ったからです。

また、ご家族以外でも学校の先生であったり、ご近所の人、友達のお母さん、クラブ活動での先輩、よく行く文房具屋さんのおばちゃんの笑顔などなど、書割さんが子供時代に、色んな人の小さな小さな愛を機微に感じ・受け取ってこれる感受性が育っていたから、無気力になりながらも

家族を憎むでも恨むでもなく、理解を深めている

のではないのでしょうか?

無気力にならなければ、怒りや憎しみが噴出したかもしれません。
その感情を抑えてまでも、家族を円滑に保ちたかった。期待に応えたかった。
それってやっぱり、愛がなければ出来ない事です。しかも、とっても大きな大きな愛です。

もしかすると書割さんの知覚できる思考領域に登ってこないくらい「当たり前に」持っている、生まれつきの才能なのかもしれませんね。
愛を感じ、愛を与える、そんな才能を持ってこの世に生まれてきたのかもしれません。

不思議な事に、私たちは自分に「当たり前に備わっている才能」については、当たり前すぎて気付けません。

それはまるで、日常生活で酸素があることをありがたいと思わないのと一緒です。
酸素があるのは当たり前すぎて意識すらしませんが、水中に沈んでしまうと息をしたくて酸素がある世界がどれだけすごいか気付きます。

無意識のうちに「愛を持って理解できる力」がある人は、愛ゆえにそうできているんだ!なんて気付けないのも仕方ないんですよね。
だって、何か特別な事をしているのではなく「当たり前」に行動しているだけなんですから。

> 習性で親族で集まる時は誰よりもまともに振る舞います。
> 一緒にいる人を安心させたいという意識が強迫的なほどあり空気を軽く楽しく問題はない、という風に作る癖があります。

親族の前で、まともに振舞ってくれることで(周りは振舞っているは気付いていなくとも)、親族はみんな救われているのではありませんか??
誰かを傷つけたり、貶めたりしている訳ではありませんから、まともに振舞う事で「愛している」んだ!と書割さんの懸命の振る舞いを誇ってあげませんか??
私、本当にすごい!!!って自分の頭をポンポンしてあげて欲しいな、って思います。

習性で、というくらいですから何度も何度も繰り返して自分に言い聞かせて、少しでも周りを円滑に行かせられるようにと身に着けた「技」なんですものね。
家族を愛し、自分を守るために見に着けた武具があったから、耐えられたんですもの。
よくやって来たね、私!!って、抱きしめてあげてください。

そして、抱きしめてあげて「自分の事を受け入れてあげて」から、少しずつ、強迫的なクセを安心できる人の前で脱いでいけるようになれたらいいですね。
大好きなパートナーの前で、ちょっとずつ、ちょっとずつ。
上手くやれない事があってもいいんです。
長年かけて身につけてきた「習慣」ですから、いきなり変えようとしても難しいですから「少しだけ楽になるとしたら?」と、無理のない範囲で頑張らなくてもいい事を練習していけるといいですね。

> 6年前から自営をやってますが、何度も燃え尽きがあり今は無気力状態で2年になります。
> 新規を増やす努力を思い切って一切辞め継続仕事と時々来る単発仕事をこなしてほぼ開店休業状態です。
> パートナーが家計を支えてくれているのでそんな状態でも成立しています。
> 感謝してるし申し訳無さもあります。
> また強烈な恥ずかしさがあります。

書割さんは「とても頑張る力のある人」であるにも関わらず、無気力さから何もできない2年を使って、大好きな人からの愛を与えてもらうステージにいるのかもしれませんね。
きっと奮闘すればやれちゃう力を持っているからこそ、何もできない無気力さが強くないと、愛を受け取らずに頑張っちゃうから

そろそろ、甘えることを学ぶステージはどう??
そろそろ、ただ愛されていいステージに進むのはどう??

という神様からの新しい提案かもしれません。
新しいステージでは、慣れない事もいっぱいあります。だって、初めての体験をしているのですもの。

なにも頑張らなくても愛してもらっていい、なんて、初めて体験するとしたらムズムズしちゃうと思いませんか?
でも、頑張れる力があったら、何かをお返ししようと頑張っちゃうからこそ、神様から「頑張れないように無気力にしといたから~」と粋な計らいで、受け取る練習をさせられているのかもしれませんね!

書割さんは、パートナーの笑顔のために「喜ぶことをしてあげたい」「何かあったら助けたい」「力になりたい」と思いませんか?
それはパートナーが大事で大切だから思う気持ちです。
そして、それはパートナーの方が書割さんに対しても思う気持ちです。

書割さんが無気力で動けないならば、私が助けになりたい!と持てる愛を書割さんに向けてくれているんですものね。

贈りものを「滅相もございません!!いりません!!」と受け取ってくれなかったら、どんな気持ちになるでしょうか?
せっかくその人に喜んでもらいたかったのに…と悲しくなりますよね。
愛情も同じで、届けたい人が受け取ってくれないと悲しくなります。

パートナーの方が届けてくれている「今」の環境を、申し訳ないと強く思うのではなく、ありがとう!!いつか何かあった時には私がお返ししたい!!と喜んで受け取る事が、パートナーにとっても嬉しい事ではないでしょうか?
(とはいえ、多少は申し訳なさを感じちゃうのは仕方ない事ですよね。)

素敵なパートナーがいらっしゃることも、パートナーが書割さんを選んでくれているという事も『書割さんが素敵な人だから』ですものね!!

誰も望むことではありませんが、人間には立ち止まってしまう時間、動けない時間が訪れてしまう事があります。
船が突然の嵐で揺れて、ポンと海に投げ出されてしまい、もがけばもがくほどに体力をなくしていくように、頑張らなくちゃ!と思ってもがいても、溺れるばかりでうまく行かない時は

ただ身を委ねて楽にして待つ

という事しかできないんですよね。
それはとても勇気のいる怖い事ですが、そうしている間に見えるものもきっとたくさんあります。
その時間の中にいる時には「この時間にどんな意味があるのだろう?」と分からなくとも、未来のいつかで

あぁ、あの時間があったから今の私があるんだな

と振り返る事が出来る日がやってくるんだろうと思います。
その日がいつになるかは誰にも分らないけれど、人生にきっと無駄な事はないんですよね。

書割さんは40歳と書いてくださいましたが、年齢的にもホルモンバランスが少し乱れがちになり、それに引っ張られて無気力さが出てきてしまう事もあるかもしれません。
女性ホルモンは年代で揺らぐものですから、サプリメントや漢方といったものや食事などから「体に向けたアプローチ」をして見る事でも、無気力さが改善されることもあるかもしれません。
メンタル的なアプローチに気持ちがいきがちですが、肉体的な部分にメンタルは引っ張られますから、ホルモンバランスやその他の疾患などがないか?というのも気にかけてあげてみてくださいね!

書割さんが自分史を作ってご自身を振り返る場所に、ココロノマルシェを選んでいただけた事、嬉しかったです♡

一方的にお返事を書かせていただきましたが、自分史を振り返る際にも「家族への理解を深める」と言える心優しく愛情深い書割さんが、これからは今以上に沢山笑い、沢山愛され、幸せを感じながら日々を過ごしていけるようにと祈っています。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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