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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】優しくされることに慣れていないし、好きが伝わってくるたびに逃げたくなります。

胃痛が直った途端旺盛な食欲を見せていますね…ダイエットってこんなに食べても出来るんでちね…

朝から健康的な食欲を満たして幸せなおまみーぬ。
先日スーパーに行った時に「ビアソーセージ」が本日のお買い得としてワゴンに乗っていて、なんとなしに買ってみたのですが

〈和〉beer+sausage

ということで、ビールのおつまみとして食べるために作られたソーセージ(をスライスしたハム状で売っている)ものなんですね~。知らなかった!!
少しクセのあるルッコラを愛してやまない私は、まだ「ルッコラとクルミのサラダ熱」が冷めやらずなのですがビアソーセージをサラダに混ぜてみたら彩も良くなったうえに少しクセのあるルッコラとも相性良く美味しく食べられました。

サラダにプラスしただけでは食べきれず残っているビアソーセージですが冷蔵庫に入れておくとカピカピになるので、今晩の晩酌時に「その名に偽りなし!」という感じでおつまみにしてペロリと食べようと思っています。
私の朝ごはんというどーでもいい無駄な情報をお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

ずっと恋愛がうまくいかず、付き合っても追いかける恋愛ばかりでした。

職場の上司と付き合っている時は、仕事して助けなきゃと思いすぎて働きすぎたり、給料滞納されても文句言えず何年か経ったり。
尽くそうとしてるわけではないのですが、結果的に尽くしてしまうタイプです。

婚活をして、色んな人にたくさん会いましたが、全然好きになれる人がおらず、1人だけいいなと思う人がいましたが、相手は私に興味なし。

好意を持ってくれる人にはこちらが全然興味が沸かない。
自分がわがまますぎる、理想を持ちすぎているのか?
自分のことを心から好きになってくれる人なんて家族以外ではいないんじゃないかと悩んでました。

そんな時に出会った彼を好きになり、出会って2ヶ月、付き合って1ヶ月なのですが、あまりに優しすぎて良い人すぎて戸惑っています。

今まで優しくされることに慣れていないし、好きが伝わってくるたびに逃げたくなります。
隣に立っているのはいいのに、向かい側から面と向かって見られると逃げたくなります。
優しさを疑っているのではなく、真っ直ぐな好意の受取り方がわかりません。

嫌いなのかな?合わないのかな?と思いましたが、付き合うまでは好きでした。 付き合ってから急に向き合うことが怖くなって、どうすればいいのか分からないです。
だからなのか、付き合うまでは気にならなかった細かい言動が気になったり嫌かもと思ったり、、
でもなんとなくそれは私の本心じゃないような気がするんです。

無理矢理嫌なところを見つけて、自分に言い聞かせているというか、、
あとは親が引っかかって、学歴の高い家族だから、学歴のそんなに高くない彼だと親が何か言うんじゃないか?とか失礼なことばかり気になっちゃってつらいです。

今まで親の期待を裏切らず、弱音を吐かずに生きていた私は、しっかり者のなんでもこなせる人間と家族からも友達からも思われています。
だからそんな思いになるのかもしれません。
ちなみに家族仲はすごく良いですが、父とは深い話をしたことがないです。
父はドライな人なので、大切に育ててくれましたが、可愛がってもらったみたいな記憶はあまりないような、、
本音は家族誰にも言えないです。

プライドも高いので、優しくて良い人!こんな私を受け止めてくれる人は今後いないかもしれない、でも本当にこの人で落ち着いていいの?
とかよくわからない感情が出てきます。

でもそんなん思ってるから好きじゃないのかな?別れようとはならない自分がいます。
何か自分と向き合わなければならない気がしてるんです。

でも何をどうすればいいのかわからないので、アドバイス頂けると助かります。
宜しくお願い致します。
相談者:ふーさん

ふーさん、こんにちは。
素敵な人を好きになってその人とお付き合いを始められたこと、様々な思いがあるとはいっても、まずはとっても嬉しい出来事ですよね!
お付き合いできるようになったこと、おめでとうございます♡

せっかく素敵な恋が叶ったはずなのに、彼から向けられる好意に戸惑うのは気が重いですよね。

> ずっと恋愛がうまくいかず、付き合っても追いかける恋愛ばかりでした。

過去の恋愛では、お付き合いしても「どちらかというと大切にされない」というパターンが多かったのでしょうか?
その恋愛の間は好きな人を気持ち悪く感じたりする事はなかったのでしょうか?

> 今まで優しくされることに慣れていないし、好きが伝わってくるたびに逃げたくなります。
> 隣に立っているのはいいのに、向かい側から面と向かって見られると逃げたくなります。
> 優しさを疑っているのではなく、真っ直ぐな好意の受取り方がわかりません。

大切にされる・大事にされる事に「慣れていない」というのもやはり大きい要因だと思いますが、丁寧に扱われたりまっすぐに向き合ってくれる人に対しての嫌悪感や逃げたくなる気持ちの根っこには

・私は価値がないと感じる無価値感
・大切にされて愛されて幸せを感じていい存在ではないという罪悪感

があるのだろうと思います。

突然ですが、ふーさんに「これあげる」と小さな虫を手渡されたらどう感じますか??

え??ちょっと何??
え…気持ち悪い…

虫が好きなら話は違いますが、虫が苦手だったら嫌悪感を抱きませんか?

では今度は、ふーさんに対して大好きなお花が入っている花束を手渡されたらどうでしょうか?

素敵!嬉しい!!

と素直に価値を受け取って喜ぶのではないでしょうか?

ちょっと極端な例だったかもしれませんが、自分に対して与えられたり届けられた物に対しての「価値」を感じていないと、私たちはそれを素直に受ける事が出来ません。

自分に対する好意や愛情も同じです。

大切に扱ってくれる・優しくされるというのを「ありがとう」とただ返せる時というのは、自分が自分の価値をちゃんと認めている時です。
自分は与えらえる程の価値がないのに…と思っていると、受け取る事が出来ません。

自分には「価値がない」と無意識に刷り込まれていると、こんな私を好きになるなんてどうかしているんじゃないの??私を好きになる人なんていないはずなのに??と「愛されない前提」があるため、例え素直な愛情表現であっても相手を信じる事が出来ず、それを回避するための心の反応として「気持ち悪い」と嫌悪感を感じてしまいます。

この「愛されない前提」は、子供時代からの体験だったり、過去の恋愛経験だったりを通して自分が信じてしまった「悪い呪い」のようなものなのですが

・助けなきゃと思いすぎて働きすぎる
・給料滞納されても文句言えず何年か経経過
・追いかける恋愛ばかり
・結果的に尽くしてしまう

という過去の恋愛からも「何かを差し出さないそのままの私は愛されない」と学習してしまい、自分の価値を信じられなくなっているのかもしれませんね。

彼がふーさんのことを大切に優しく扱ってくれるのは、彼から見たふーさんには素晴らしい魅力がいっぱいで価値があるからなのですが、ふーさんは自分の魅力を「私なんて…」と許可できていない状態なのかもしれませんよね。

ふーさんはご自分の魅力をどれくらい数える事ができますか?
自分の長所、自分が人から褒めてもらえる面、自分のここが好き!と思える事はどれくらいありますか?

何もしない私は愛される価値がない。
私が愛されていいはずがない。
幸せになりたけれどなれる気がしない…

実は、私もふーさんと同じように「追いかける恋」「尽くしてばかり」「最後には望んでいないのに捨てられる」という恋を繰り返し、自分に対して好意を持ってくれる相手がいるとその人を気持ち悪く感じて遠ざける事をしてきました。
その私がもれなく持っていたのが「無価値感」と「罪悪感」でした。

無価値感については、自分がそのままで愛されていいと思えないから受け取れないという話を先に少ししていますが、もう一つの罪悪感は「自分を幸せにしてはいけない」と自分を罰する感情です。
つまり、好きな人に好かれるという事はとても嬉しくて幸せなはずなのに、自分が幸せになる事を心の奥で禁止しているのであれば、幸せを感じれば感じる程苦しくなって逃げだしたくなります。

> 嫌いなのかな?合わないのかな?と思いましたが、付き合うまでは好きでした。
> 付き合ってから急に向き合うことが怖くなって、どうすればいいのか分からないです。

好きな人が「こんな私」を好きになるなんて…と、自分を否定してたり過小評価していれば、価値のない私は嫌われるんじゃないか?何も差し出せない私では愛されていいはずがないのだから、彼の負担にならないうちに身を引いた方がいいのではないか?とおのずと逃げ腰になってしまうと思いませんか?

好きな人に好かれるという幸せを許可してしまっていいのだろうか?と心の奥で感じていたら、どうしたらいいか分からなくなるというのも頷けますよね。

> 今まで親の期待を裏切らず、弱音を吐かずに生きていた私は、しっかり者のなんでもこなせる人間と家族からも友達からも思われています。
> だからそんな思いになるのかもしれません。
> ちなみに家族仲はすごく良いですが、父とは深い話をしたことがないです。
> 父はドライな人なので、大切に育ててくれましたが、可愛がってもらったみたいな記憶はあまりないような、、
> 本音は家族誰にも言えないです。

一生懸命立派に生きてきたふーさんは、本当はしんどい事があっても我慢してきたこと、しっかりしている事が時に負担になる事、出来ないことも一生懸命に向き合ってきたから出来ていたという「裏側」を見せる事は禁止して生きてきていませんか?

期待を裏切ってはいけない!!と、誰よりも強く自分を監視して「正しくあるべき場所」に立たせているのではないでしょうか?

本音を誰にも言えないのも、頑張れない私には価値がないと思っているからではありませんか?
期待に応えられない私が周りをガッカリさせてしまってはいけない!と自分を追い込んでいませんか?

期待通りに頑張り、痛みや不安を隠して弱音ももらさず、常にしっかり行動できる「ちゃんとした私」を演じる事をしていないと愛されないと、一生懸命に生きてきたんですものね。
間違っても許されていいし、弱音を吐いて投げ出してもいいし、ちゃんとしてなくたって愛されていいはずなのに、一生懸命自分に重荷を背負わせて頑張って生きてきたんです。

頑張らなくてしっかりしていない私でも愛される。
親の期待通りに出来なくても、私の価値は変わらない。
親をガッカリさせても親の愛情は変わらずに私は愛されたままなんだよ。

ふーさん、ご自分に対して「ダメでも愛されていいよ」って言ってあげられそうでしょうか?
もしもこの言葉に抵抗を感じたり上手く言えなかったら、ちゃんとしていない私じゃないと愛されてはいけない…と自分に呪いをかけてきてしまったのだろうと思います。
言い換えると、それくらい愛されたくて・受け入れて欲しくて・大切にして欲しかったんです。

頑張るから私を見ていてね。
尽くすから私を大事にしてね。
ガマンするから私を受け入れてね。

自分をいっぱい犠牲にして、耐える事で愛されようと頑張ってきたのではないでしょうか?

こうやって頑張らないと自分には価値がない、ちゃんとしていない私は愛されてはいけない、親の期待を裏切るなんてとんでもない…といっぱい自分にルールを設けてしまっていると、真っすぐに愛してくれる彼の愛情に対して、居心地の悪さを感じますし、逃げたくなってしまうのは仕方がない事ですよね。

犠牲する自分、尽くしてしまう自分、正しくないとだめだと自分を律している自分。
これらの「ねばらならい」がたくさんあると、出来ない自分を責める事が普通になってしまい、自己否定する事がクセになって行きます。
いきなり自分を縛っていたルールをなくすことはできませんが、今のままの私で充分に愛されていいんだよ!と自分を受け入れてあげながら、少しずつ自己肯定していく事で、与えられる愛情への嫌悪感・逃げ出したい気持ちは緩んでいきますから「自己肯定」という作業はとっても大切で有用です。

> でもなんとなくそれは私の本心じゃないような気がするんです。
> 何か自分と向き合わなければならない気がしてるんです。

こう感じられるというのはきっと「愛される価値がちゃんとある」と無意識の中で感じているからだと思います。
私はそのままでは愛されない…と一生懸命に無意識の層に植え付けてきていたとしても、本来は何もできなくてもそのままで愛されていい自分というのがちゃんとあって、もう我慢しないで愛されていいんだよ!幸せになっていいんだよ!!と内側から必死にふーさんの心をノックしてくれているからこそ、逃げずに向き合いたいと思っているのだろうと思います。

ふーさんは、まだ自分の価値を受け取って愛されることに「慣れていない」だけで、

・彼を信頼できる
・彼と良い関係を築ける
・愛情を与え、受け取る
・そのままで愛される

という力がもともとちゃーんと備わっているんです。
だから、その価値を彼が見つけてくれて大事にしてもらえているのではないのでしょうか?

愛情を与えてもらう事に対する居心地の悪さを感じたら「これはまだ受け取り慣れていないだけなんだよね」と、優しく自分の胸に手をあてて声をかけてあげてください。

彼が一生懸命愛してくれるけれど、まだ上手に受け取れないのは、自分の価値をそこまでまだ許可できていない私がいるんだからしょうがないんだよね。
ふーっ、焦らない焦らない。
でも、前よりちょっと逃げ出したいと思わなくなって…きてる???
うん、それって凄い変化じゃない??
嫌だな?って感じたのはどこらへんかな??それはなんでかな?
いいんだよ。今はまだ「受け取る練習」をしているんだもん。焦らなくていいし、頑張ってる私に大きくハグ!

そんな感じで、受け取り慣れていない・愛され慣れていない自分を否定せずに「ゆっくりやっていこうね」と抱きしめてあげ続けてください。
どんまい!って声をかけて現状をそのまま受け入れる事が「自分を肯定する」という作業です。
自己肯定できるようになって行くと、だんだんと愛されたり大切にされている事への抵抗も薄まっていきますから、焦らずに少しずつ、愛を受け取れるようになれますように。

自己肯定するためにも、頑張り屋さんで人のために一生懸命やってしまう「完璧な私」を楽にしてあげるためにも、大事なのは『ちょっとゆるく』という事。

しっかり者で何でもこなせるふーさんは、自分の価値や魅力を認めて自己肯定しましょう!と言われたら、完璧にそれをこなそうと力が入って頑張りすぎてしまうかもしれません。
力が入ってガチガチだと、瞬発力はあっても長続きしませんし、上手くできない時に自分を責めてしまいます。

だからこそ、ちょっと「ゆるく」考えてみてあげてください。

私も見方によってはいいところがあるんじゃない??
ちょっと力を抜いても大丈夫かもしれなくない??

こんな感じで、ちょっとゆるーく構えてあげて、頑張りすぎない事を覚えていく事もきっとふーさんを楽にしてくれると思います。

ふーさんのお悩みとは少し違うかもしれませんが、過去にココロノマルシェで「優しくされると辛い」と感じる気持ちについてや「大好きな人の事を嫌いになってしまう」というお悩みがありました。
どちらにたいしても同じような回答ではありますが、ふーさんにも何かヒントになる事があるかもしれないと思いご紹介させていただきます。

ふーさんが素敵だと思った彼が同じようにふーさんの事を素敵だと思ってもらい愛してくれるのは、自分で気付けていない位小さな事かもしれませんが「彼にとって惹かれる魅力を持っていて、彼がそれを発見して大切にしたいと思ってくれた」というサインなのですものね。
自分の中では「こんな小さな事??」と見向きもしていないような事が、彼にとっては大きな価値や輝いて見える魅力だったりするかもしれません。

彼とのお付き合いを通して、逃げ出すよりも向き合いたいと思えたんですもの。
自分では気づけなかった素敵な一面をこれから彼と一緒に見つけていけたり、教えてもらえる、そんな素敵な恋になりそうですね!

ふーさんが自分に対して「愛されていいよ」「恋を楽しんでいいよ」と笑顔で優しく届けてあげて、彼との始まったばかりの恋を楽しめますように。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

ココロノマルシェへ

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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