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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】どうやって生きることを自分に希望として願えるのでしょうか。

入院の時に使う 気分アゲアゲリップですね。

こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。

早いもので2022年も1月が終わろうとしていてビックリです。
明日からもう2月なんですよね…

私は節分の日に入院をするので、入院までがカウントダウン体勢に入りました。

もともとリップクリームをこまめに塗る方なのですが、それを知っている妹から「病院で使ってね」とプレゼントしてもらったリップ用のシアバター。
わーい。今使っているリップもあるけれど、せっかくもらったものだし、少しでも「新しいもの」「お気に入り」がある事で塞ぎがちな気分が上がるならばいいですもんね!

まだ何も準備していないので、2日の夜に慌てそうですが、入院して手術を受けたらしばらくはお風呂も楽しめないと思うので、今日を含めて3日、残り少ないお風呂タイムを満喫しようと思っています。

気分が上がりそうなリップをもらったという話をした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

初めまして。
約二年前にセルフで自分を消そうとしたら、折り悪く弟のひとりと友人のひとりに察知されてしまい、のうのうと生き延びてしまった者です。

趣味という趣味、好きなことから根こそぎ興味が奪われ、無為に生きている中、どうやって社会復帰を果たせばいいのか、完全に自分を見失っている現状です。

楽しいとか嬉しいとかそんなこと感じるのが許されるのか、今までしでかしてきたことを思えば生き直すとか許されないのではとか、苦しいのが当然とか、そういう。

現状、実家に無理矢理送還されなかっただけでも大変にありがたいのですが、実家に戻ってまた自分を追い詰めて死んでしまった方が楽だったかもなとはよく思います。
こんな状況でもなんで生きてるんだろう、どこかでやり直せるとでも思ってるのか図々しい、と。
やり直せるならさっさと回復すべきだし、いつまで立ち止まったままでいなくてはいけないのかと。

昔は愛情深い人間だったような気がしてます。幻かもしれないけど。
今は愛する人などこの世にひとりもいなくて、踏みとどまる理由もなにもないのです。
でもすぐに終わらないことが苦しい日々です。

生きたいと思ったことなど生まれてからずっとなかった人間が更に絶望した場合、どうやって生きることを自分に希望として願えるのでしょうか。
生きていい理由がほしかったし、生きていたいと思える心がほしかった人間は、本当に生きている必要などないのに。
どうやって自分が生きることを許せるのでしょうか。
ご相談:かなめさん

かなめさん、こんにちは。
2年前にご自身のことを消してしまおうとされたと書いてありましたが、そこで「消える」事がなかったからこそ、こうやってお話を聞かせてもらえて、このご縁が生れてよかったなぁ、嬉しいなぁと思っています。

とはいえ、かなめさんが「自分を消そう」と企てる程ですから、今こうやって生きている事はかなめさんにとって不本意な事で、願わしくない現実なのかもしれません。
でもね、やっぱり、生きてくれていてありがとう、って思います。
(ありがとう、って言われても困っちゃいますよね。)

> 折り悪く弟のひとりと友人のひとりに察知されてしまい、のうのうと生き延びてしまった者です。

かなめさんが「のうのうと生き延びて」と書いてくれていますが、のうのうと生き延びたように、のうのうと生きてもいいのではないでしょうか?
生きるために何か壮大な事を成す必要なんてないんですもの。

かくいう私も「のうのうと生きて」います。

私の場合は…ですが、一人で生きるために働かざるを得ないのでかろうじて働くことはしていますが、人とも会う事はほとんどありませんし、今日はまだ一歩も外にも出ていません。(ベランダにもゴミ出しにも行っていないので、本当に家の中のコタツの周りでしか動いていません。)

生きる目的…って、ないといけないものではありませんよね。
あった方がきっと楽しいでしょうけれど、無理して探して辛いならば、目的はないけれど今日をただ「生き延びる」だけでヨシなんだと思うんです。

> こんな状況でもなんで生きてるんだろう、どこかでやり直せるとでも思ってるのか図々しい、と。
> やり直せるならさっさと回復すべきだし、いつまで立ち止まったままでいなくてはいけないのかと。

急いでやり直さなければいけない理由があるのでしょうか??
焦っても気持ちが動かない時って、きっと「動けない時」なんです。
動かなきゃ、このままじゃダメだ!!ってもがいても動けないならば

くっそー、今は動きたいのにうごけないんだーーー!!

と「降参」してみてもいいんですよ。

少し暗い海の中で小さなボートに乗ったかなめさんが、陸地を目指して「素手」で水をかいているような状態を想像してみてください。
必死になって焦って、でもこの状態ではボートは陸に向かって勢いよく進むことはできませんし、力尽きてしまいます。
オールがない訳ですから、大型船が通った時にパッと起きて見つけてもらえるように、ただ体力を温存しながら待つのが得策だと思いませんか?

何かをしたいと思える力がない時に、空ぶかしするように頑張ってしまったら、疲れ切って生きるということすら続けられなくなってしまうのではないでしょうか?

何かを見つけなくても、何者にもならなくても、愛する人がいなくても、踏みとどまる理由が見つからなくても…

死んで欲しくないんです。

何か専門的な知識やアドバイスを持っていないのが本当に悔しいし、ただの個人的なお願いになってしまうけれど、ただ生きている事で、こうやってつながることが出来た人が亡くなってしまうというのは本当に悲しい事です。

死にたいと思うのはとても辛く悲しく苦しい事だけれど、それはいけない事でもおかしなことでもありません。

生きるって本当に過酷だと思います。
死んだ方が楽なのに…と思う事や、生きる希望が持てない時に「ただ生きる」ことがどれだけ苦しい事なのか、想像するだけで胸が潰れそうです。

かなめさんと同じではありませんが、わたしも希死念慮のある存在でした。

子ども時代、私の母は終末思想のあるキリスト教を信仰していて、私もその教えの中にいました。
けれどどうしてもその教えに馴染めず、終末(神様によってこの地球の悪が一掃される)時に起きると予言されている諸々が恐ろし過ぎて、生きることに絶望しました。
怖くて怖くてたまらず、どうやったら死ねるだろうか?と子供ながらに考えましたが、死ぬことも怖くてできず、ただ何となく生きてきました。

正直に言うと、20歳まで生きると思っていなかったので(それまでに週末が来ると思っていた)、大人になってからの人生設計なんてありませんでしたし、ただ生きていたら少しずつ人生を楽しめるようになり、宗教からも離れて、少しずつですが未来を希望で見れるようになりました。

そして、いくつかの恋をして結婚をし幸せな人生だ…と思ったのも束の間、大好きだった人に背を向けられて手を振りほどかれ、離婚したいと言われ、この時は本当に生きることに絶望しました。
そしてフラフラと道路に歩み出たところでハッとし、心療内科への通院を続けて色々あって今がありますが、生きる希望が持てない時に「生きている」「また眠ったら朝が来る」ということが、どれだけ大きな絶望だったかは、種類が違えどきっとかなめさんも絶望と戦っているのだと思います。

かなめさんのお悩みにお返事を届けたいと思った際に、今の日本でかなめさんと同じように「生きる事に希望が持てない」と思っている人はどれくらいいるのか調べてみました。

日本財団というところが調べた「第4回 自殺意識全国調査報告書」というものによると、2021年に「本気で自殺したいと考えたことがある」と答えた人が24.0%にのぼりました。
自殺を考えた時期についての質問に対して「過去1年以内」と答えた人が27.7%、「いま現在」という人は6.4%もいました。この数字が表すものは、この1年以内に本気で自殺したいと約4人に1人は考えたことがあり、今、この瞬間に約16人に1人が「死にたい」と考えているということ。

「生きるのをやめたい」という気持ちは、何かダメなもののような感じがしますし、そんなことを思う人は身近にいないように見えますが、実はとても身近なところで同じ絶望を抱えている人がいるんです。

さらにこの調査報告書を見ていたら、「過去1年以内の自殺未遂経験者」は2.1%と書かれていましたので、日本では50人に1人が一年以内に自殺未遂を経験しています。

ざっと数字を見て私が思ったのは、想像以上に生きることに希望がない人がいるんだというものでした。

これだけの数の人が、立ち止まって困惑しているのですから、かなめさんが立ち止まって今の位置にいることは、悪い事なんかじゃないんだ!って、ほんのほんの少しだけでも思ってもらえたらいいな、と思って数字について書かせていただきました。

> 生きていい理由がほしかったし、生きていたいと思える心がほしかった人間は、本当に生きている必要などないのに。

理由なんてなくていいじゃないですか。
ただ生かされているから仕方なく生きたっていいんです。

> どうやって自分が生きることを許せるのでしょうか。

許せない今の自分を許してあげませんか?
なんだか禅問答みたいな答えですが、生きることが許せない!という自分に対して、ただだた「許すも許せないもなくていいよ。ただ今日生きた。以上!」と自分を裁かずに、無理して肯定もせずにそのままでいてみましょう。

そして、生きている事を少しずつ【感じる】ことを取り戻していきましょう。

> 趣味という趣味、好きなことから根こそぎ興味が奪われ、無為に生きている

本当に小さな小さなサインを、少しずつ見つけていけたらいいですよね。
例えば何かを食べた時に「ちょっとだけでもこれは美味しいと思える」「これを食べたい」と思えるものを食べ、ただその味を感じてみる。

ベッドの上に横になって、手足に触れる寝具の感触を感じてみる。
お風呂の中でお湯が肌に触れる感じや、のぼせてくる感じを感じてみる。
朝日が昇ってきたら、まぶたを閉じてそこに当たる日の光がどんな色温度を持っているのかを感じてみる。
お散歩する元気がある日に、目についたものを見てただ観察してみたり、風や雲の動きを見て「あぁ、動いてるな」「ヒンヤリだな」などなどをぼんやり見つめてみてください。

youtubeでもゲームでも、何か少しでもやってみたい事、ボーッと見ていたいものがあればそれをしてあげてもいいですね。

何も感じられない時には「あぁ、なーんにも感じない」とだけ分かってあげて、今、目の前でやるべきことだったりゴロンと寝たりして過ごしましょう。

また、自分に対するスキンシップを増やして「暖かさ」を自分に与えてあげるのもとてもおすすめです。

深呼吸して自分の体に腕を回して、ただギューーッとしてあげてみてください。

初めのうちは何にも感じようとしなくていいので、ふれている手の暖かさだったり感触を味わってみてください。
1分くらいギューーッとしてあげて、またしばらくしたらギューーーッと。

私たちの脳は、抱きしめられた時に『オキシトニン』というホルモンが出ると言われています。
これは別名:幸せホルモンと呼ばれていて、愛情を感じる暖かいホルモンですが、人から抱きしめてもらうだけではなく、自分自身で抱きしめても分泌されると言われています。
また、ふわふわのぬいぐるみやブランケットなどをギューーッとするのも、優しい時間で穏やかな気持ちになれます。

オキシトニンは「自律神経」に作用しますので、続けることでなんとなく以前より生きている事が嫌じゃなくなる…かもしれません。
同じように、ストレッチにも自律神経を整える効果があるので、何もする気になれないならば大きく伸びをしてみるだけでも「自分に対して行動したからよし」と、自分に言ってあげてください。

生きるというのは、様々な事を感じて味わい、自分でそこに意味を付けて解釈する事です。

だから、少しずつでいいので「感じる」ことをしていくことを積み重ねていきましょう。
私たちに備わっている「喜怒哀楽」は、抑圧してしまうと感じることが難しくなり、そうすると「生きる意味」が分からなくなって、何をしても何を食べても心が動かなくなり固くなってしまいます。

喜怒哀楽ですから、イライラしたり悲しい気持ちになったり…と、時には味わいたくない感情も出てくることがあっても、ただただ「あぁ、私は今怒ってるんだ」「あぁ、今、私は泣いているんだ」と、その感情を見つめてあげてください。

感情がうまくわかない時にも、決して自分を責めないであげましょう!

なぜ、感じられなくなったのでしょうか?
そこまで生きるのに絶望したり、希望を持てなくなるまでに我慢した過去があるのではないでしょうか?
自分では覚えていないような些細な出来事がきっかけとなって、感情を押さえてしまう事もありますから、

感じられないのはしんどいね
生きていたくないのに生きるって苦しいね
生きたいって思えなくてもどかしいね

と、自分の背中をいつも優しくさすってあげましょう。

だって、どう頑張ったって苦しいし希望がない時に「希望を持てよ!」って言って持てるならば消えたいなんて思ったりはしませんもの。
頑張れない時に鞭を打ち続けるよりも、頑張る事にすら力がわかない状況のかなめさんに、どこまでもやさしくしてあげて、どんなにダメな状況であっても「それでもいいよ」「こんな風に思いたくなんてないのにね。それでもいいからね。」と言い続けてあげましょう。

生きてさえいれば、どこかのタイミングで「生きる意味」に出会える可能性があります。

それがいつになるかは分からないけれど、生きてさえいれば、そのチャンスがあるんですもの。

希死念慮が強く自己否定して生きていた私は、今、生きています。
死のうと本気で思い、2年半くらい記憶が曖昧で絶望しかなかったけれど、それでもある時に本当にかすかに上を向けて、そこからボチボチと歩き出して、今もこうやって生きれています。

ほんとうにゆっくり、生きていてもいいかな…という気持ちになった時に、小さなことができるようになっていきますもの。

正論だったり励ましだったり、普通に生きている人が眩し過ぎたりするんですよね。
分かっているし、死ぬことがたくさんの人を悲しませるんだ…って分かっていても、生きているのが辛い時はありますものね。

聖人君子は存在しませんから、生きていれば人を落胆させたり傷つけたり、嘘をついてしまう事だってあります。
自暴自棄になったり、一人で体育座りをしておいおい泣く日もあります。
後悔するようなことは何度だって押し寄せます。

でも、それでも生きています。

明日もそんな風に「どうにか頑張って生きよう」とだけすることだって、辛い時の精一杯です。
その精一杯を生きていれば、どこかのタイミングで自分を許せるかもしれませんし、許せなくても生を全うするまで生きていいんです。
だって、何をどう頑張ったって、いつかの未来で私たちは死にますもの。
生きていたらいつかの未来に「生きるのをやめたい」という希望が叶う日が来るのですから、その日を希望に生きたっていいじゃないですか。

> どうやって自分が生きることを許せるのでしょうか。

「生きることを許す」と言うだけでいいから、そう言い続けてみてください。

許し方はきっとかなめさんの心のどこかに鍵をかけてしまっているだけで、知っていることなのかもしれません。
だけれど、鍵を持っていたからと言ってそれを誰もが上手に使えるかといったら、不器用でうまくやれない事もあるはずです。
死にたいのに死ねない、生きたいのに生きられない。
そんな葛藤と戦う事が、私たちなのかもしれません。

生きる事に「許す・許されない」なんて存在していませんもの。
生きているということがすでに「生きる権利がある」ことを実証しているのですから、許されるとかは考えずに、ポイッとしちゃいましょう。

何もかなめさんに対して伝えるすべを持たない自分が歯がゆいけれど、『三人寄れば文殊の知恵』ということわざがあるように、他のカウンセラーからもお返事があって、その何かがかなめさんの生きづらさを解くヒントになれたら何よりです。

とてもとてもお辛い中で、大事なかなめさんの気持ちを吐き出す場所にココロノマルシェを選んでくれたことを嬉しく思います。

また、機会があればお話をしましょう。
その時までただ、生きていてください。

お話しできたことへのありがとうを詰め込んで。

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