【ココロノマルシェ】なにも満足を感じることができず、不平不満、不足にばかり目がいって、とてもしんどいです。
こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。
先日、スーパーでまとめ買いをしてレジに並んでいたら「バイヤー一押し」と書かれたレジ前の「最後の最後にお買い忘れはありませんか?」的なエリアでこのお菓子に出会いました。
えぇ、まんまと買ってしまいました。
海外のおやつで、しっとりしたワッフル記事にネットりしたキャラメルやナッツのソースが挟まったものがあって、それがすごく好きなんですよね~。
でも、輸入菓子っていつでも買えるわけではありませんし、お高いですし、ねぇ。
で、そのワッフルっぽいお菓子に似ている!!とワクワクして買ってみたのですが、8枚入りで150円弱の「お財布に優しいお値段」も嬉しい限り。
外国のワッフル系のお菓子よりも、生地は上品に柔らかく頼りなく口の中でほどける感じがしますが、キャラメルソースがねっとりしていてなかなか美味しい!!
1枚で十分に満たされる感じがあり、仕事中にちょっとした息抜きタイムのお供として食べています。
子どもの時から「お菓子大好きっこ」だったのですが、大人になったら食べなくなる…と思いきや、やっぱり好きなものは好きなんですよね~。
最近スーパーで買って「マミコ的高評価」がお菓子に出会ったよ~!という誰トク情報をお届けした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
私には、舞台アーティストとして活躍し、それを仕事にしたいという願いが幼い頃からあり、5年前、40代にして安定していた仕事を辞め、思いきって上京しました。
しかし、行動したことに満足したからか、上京してからなぜか急にやる気がなくなり、もしかしたら、前の仕事を辞めたかっただけじゃないか?本当にやりたいことをやる!なんて仕事を辞めるための逃げだったんじゃないか?と思うようになり、それから、3年ほどは舞台活動をしていましたが、人間関係もこじれたり、妙なプライドからバイトも続かず、生活も困窮してしまいました。
そこから、やりたかったことを仕事にするなんて、やはり無理なのかもと思い始め、いろいろ行動してみるものの、そんな気持ちなので、うまくいくはずもなく、こんなことしてもどうせ無理、とか言い訳ばかりで、何もできなくなってしまいました。
地元で、趣味のようにやっていた頃の方がよほど拡がりもあって、本業だった仕事もやりがいがあったため、今では、毎日のように上京したこと、仕事を辞めてしまったことを後悔してしまいます。
周囲からも、「なんで辞めたの?もったいない!」とか「今からプロになるつもり?」と鼻で笑われたりして、自分の選択に自信をなくしてしまいました。
やりたいことができるはずなのに、ダメな自分を受け入れることができず、周囲にダメな自分を見せられず、見栄ばかりで、何も幸せを感じられなくなってしまいました。こんなことなら、あのまま地元にいれば良かったと毎日のように後悔しています。
生活するためのバイトも、仕事があるだけありがたいと思いつつも、こんなところで何をやってるんだろ?私は何しにこんなところにきてるの?と自責してしまい、そんな日がもう2年近く続いています。
それでも、何か学びになるはずと自分を騙しながら日々過ごしていますが、本心では情けない気持ちでいっぱいです。
安定した仕事を辞めてまで始めるのだから、なんとしてでも成功したい、いや!しなくては!という執着だろうと思います。
趣味や副業ではなく、本業にすることでようやく認められるはず、だから成功しないと!失敗できない!こんなところにいちゃダメ!という焦りもあります。
いい仕事を辞めてまで、うさこさん、挑戦するなんてスゴーい!と言われたかっただけかもしれません。
自信過剰だったかもしれません。
でも、舞台の表現活動はやはり私には生きている証のようなもので、本当に幸せな時間であり、生きる歓びを感じることができるのです。
それほどにやりたかったことなのに、周囲の目を気にして、何もできなくなってしまい、現実は甘くなかったなあと感じ、
そもそもそんな才能もなかったし、地元でセミプロとして楽しんでいるくらいの器だったのかなあ、と考えてしまったりすると、なんだか悔しさと情けなさでいっぱいになり、自信もどんどん喪失してしまっています。
あの頃の方が良かったなと。
さらに、2年前には、東京で一緒にやろうと言ってくれてたパートナーから裏切られ、うつ状態が1年近くありました。今もこのことについて完全に立ち直れてはいません。
それでも、やはり、自分の才能を役立てたい、たくさんの人に楽しんでもらいたいと思うのです。
覚悟が足りないのかもしれません。表に立てば批判も称賛もあるはずですが、その両方を受けとる覚悟がないままで、地元の小さなコミュニティで、お山の大将のようにやっているくらいが身の丈に合っていたのかな?と思うと寂しく感じます。
このまま、諦めたくないと思いつつも、こうでなくてはいけない、という思いが離れません。
夢を叶えられなかった人、挫折した人って恥ずかしい、という考えもどこかあり、それが自分を苦しめていることもわかるのですが、
そこから解放されるにはどうしたらよいのでしょうか?
それでも、私は自分が夢を叶えて体現していくことで、誰かの背中を押すことができれば、と思っています。誰からも頼まれていないのに、変な義務感のようなものですが、私にもできるかもしれない、と思って他の人も新しい一歩を踏み出してくれるといいなと。
でも、今の私には、「安定したところにいた方がいいよ、バカなことなんてしない方がいい!」って言うことしかできません。
やりたいことをやればいい、なんて説得力の欠片もありません。
私が成功しなくちゃという縛りから抜け出すことだと思っているのですがどうしたらよいのか分からないのです。
やはり成功したいからです。
しかし、成功し、うまくいってる自分になる、ということに執着してしまっているのです。
そうならなければならないと。
そして、
「うさこさん、いい仕事辞めて東京行って、うまくいかなくてうつ病、バカなことするからよ、40歳もすぎてから。上京した意味なんてあるの?」と思われたくない!という下らない妄想にとりつかれてしまっているのです。
なにも満足を感じることができず、不平不満、不足にばかり目がいって、とてもしんどいです。
こんな執着を手放すにはどうしたらよいのでしょうか?
諦めてしまえば楽になるのでしょうか?でもそれはしたくないのです。やはり、プロとして自信を持って仕事にしたいのです。
好きなことをするのはこんなに苦しいことだったのか?そんなはずはないと思うのですがどうしたらよいのか分かりません。
例えば、家がある、仕事がある、食べるものがある、などといった、今、目の前のことに感謝し、そこに目を向けて満足しましょう!といった類いの回答は、もう他で聞き飽きていますので、できれば他のご回答だとありがたいです。
勝手を言ってすみません。
長くなりましたが、どうぞよろしくお願いします。
ご相談:うさこさん
うさこさん、こんにちは。
40代で安定しているお仕事を辞めて夢に向かって行動されたこと、大きな冒険・挑戦をされたんですね。
石橋を叩きすぎて身動きがなかなか取れない私は、お悩みを読ませていただいて、葛藤も色々ありながらも夢に向かって「今だ!」と思って行動されたうさこさんがとても眩しく見えました。
> やりたいことができるはずなのに、ダメな自分を受け入れることができず、周囲にダメな自分を見せられず、見栄ばかりで、何も幸せを感じられなくなってしまいました。こんなことなら、あのまま地元にいれば良かったと毎日のように後悔しています。
ダメな自分を受け入れるって、簡単な事じゃないですよね。
言い換えると「ちゃんと自分に期待できる気持ちがある」「自分の事を信じている」からこそ、見栄も張りますしダメな自分を隠して気丈に振舞うのではないでしょうか??
きっとうさこさんは今までも「何とかしてきた」方なんだろうと思います。
頑張って、成果を出して、ここまでやってきた。
そういう実績があるからこそ、自分に期待してあげられるんですよね。きっと。
私たちは順調な時は後ろを振り返ったり周りを見渡す事はあまりしませんが、道につまずいたり転んだりして「身動きが取れない」時には、どうしてもそこに留まるしかないため
普段見てこなかったものを見る、立ち止まってあれこれ考えてしまう
という時間を持ちます。
すると、選ばなかった道の事を思い巡らせ「あの時こうしなければ…」と仮定の世界をあれこれ想像し、苦しくなってしまうんですよね。
選ばなかった選択肢は、いくらだって自由にその先を「想像」することが出来るので、道に迷ったり途方に暮れている時は「いいように考えらえる方」が眩しく見えて、今いる道をなぜ選んだんだろうと後悔します。
私はうさこさんと違って「選べない」事で立ち止まる自分が嫌いでした。
今も決断力はなく、自分の選択に自信を持てないので大きなジャンプができません。
何かを選ぶときに不安になり、出来るだけ失敗や後悔の少ない選択をしたいと身構える私ですが、この言葉に出会ってから、選択を前にして悩む時に自分を勇気付けることが出来るようになりました。
うさこさんにももしかしたらお役に立てるかもしれないのでご紹介します。
本で読んだのかインターネットで出会ったのかは忘れてしまったのですが、私がノートに書きとっておいた言葉です。
どっち選んでも絶対後悔するから安心して選んじゃったらいいよ!
どっちに行っても後悔するけど、どっちに行っても幸せになれるんだよ。
私たち人間は、何を選ぶときであっても「選ばなかった方」に後悔を感じる生き物なのだそうです。
あの時こっちを選んでいたら…と、ついつい後悔をしてしまう事がありますが、例えもう一つの選択肢を選んでいても同じように後悔するんです。
であれば、どちらを選んでも後悔するのですから、感じる気持ちはきっと一緒なんですよね。
そう思うと、ほんのちょっとだけ心が楽になりませんか??
また、この言葉にあるように「どっちに行っても後悔するけど、どっちに行っても幸せになれる」というように、私たちは時に『勢い』だったり『何かに押されるようにして』物事を決めることがあります。
なんとなく選んじゃった…
と思うようなものであっても、私たちは必ず「その時に自分にとってベストだと思うもの」を選択するように出来ているのだそうです。
なぜなら、選ぶという時に「自分にとって不利益」になるものを無意識のうちにはじくんですよね。
私たちは自分にとってメリットにならないものを選ぼうとはしませんものね。
そして、選択した時にはベストであっても、そこから時間も経過していきますし、人間としても成長します。
また、環境も変化したり側にいる人も変わっていけば、おのずと「選択したとき」と同じではありませんから、そこで
過去に道を選択した「あの時」よりも、色々出来るようになった「今の自分」が考えている
のですから、もっとできる!もっとやりようがある!と、後悔が強くなってしまうんです。
それは「後悔できるくらい成長している」という事でもあります。
その時には「ベスト」を選んだのに、今その時と同じ選択をするのであれば「もっとやりようがある」と思えるくらい、成長しているんです。
> 生活するためのバイトも、仕事があるだけありがたいと思いつつも、こんなところで何をやってるんだろ?私は何しにこんなところにきてるの?と自責してしまい、そんな日がもう2年近く続いています。
> それでも、何か学びになるはずと自分を騙しながら日々過ごしていますが、本心では情けない気持ちでいっぱいです。
> 安定した仕事を辞めてまで始めるのだから、なんとしてでも成功したい、いや!しなくては!という執着だろうと思います。
> 趣味や副業ではなく、本業にすることでようやく認められるはず、だから成功しないと!失敗できない!こんなところにいちゃダメ!という焦りもあります。
誰しもが「順風満帆」な未来であって欲しいと願いますし、成功したい!と思って挑戦をしている人は誰だって「成功までの道筋」を最短ルートで描き、そこに向けて奮闘するはずです。
けれど、人生は色んな出来事があり、思ったようにいかずに「前よりも悪く見える」ように落ち込むこともあります。
先日読んでいた本の中で「人生は波のように変化を繰り返して成長する」という言葉がありましたが、いい時もあれば、ストンと穴に落ちたように下降したように見えて、そこでしばらく動きがとまるように感じる時期があります。
うさこさんが自分の人生の浮き沈みをグラフにしてみてください、と言われたらどんな図になるでしょか??
何事も順調で真っすぐに成長する線を描けるでしょうか??
それとも、良い時期もあればダメな時期もある…というように山り谷ありの折れ線図になるでしょうか?
私が本で読んだ図の説明はこのようなものだったのですが、どの人もみんな「理想の成長」のピンクの線のように順調に真っすぐ・最短距離で目標の位置にたどりつきたいと願います。
ですが現実には「ちょっといいかな?」と順調な時期があったり、なんだかうまく行かない…と下降したように見えて、あぁどん底だ…というように落ち込んだ時期を経て、また少しずつ足掛かりを作って変化していくというようにして、ある時振り返ると
色々あったけれど、成長したよなぁ。
そういえば、あの時に落ち込んだ経験があるから今があるんだよなぁ。
などと言うんですよね。
今のうさこさんは、挑戦をしてみたものの思っていたような成長が出来ずに、以前よりガクンと折れ曲がった谷にいるような状態なのだろうと思います。
この谷にいる時は、うまく行くようになんて思えませんしとても苦しい時間です。
うさこさんはチューリップの球根を植えた事はありますか??
チューリップは秋の爽やかな時期に土の中に植えます。
そしてその球根は、しばらくはうんともすんとも言わず、世界は冷たく寒い冬に覆われ、芽を出すどころか土の中で球根はじーーっと寒さを感じています。
そして、いつまでも続くのではないかと思うような寒い時間が少しずつ緩み、暖かくなるのを感じると、少しずつ根を伸ばし春の訪れとともに土から芽を出し明るくカワイイ花を咲かせます。
うまく行かない時期、落ちている時期は言わば「冬」のような時間です。
何をしても空回りしたように見えますし、あと少しで春が来るから!と言われても、今が寒くてしんどいんだ!!!と泣けてくるような時間です。
けれど、この時期だって足踏みしているだけでもちゃんと成長のための時間を過ごしているんです。
そして、この時期に「もう充分に頑張ったから、今は時期じゃない」と選んできた道から別の道に進んでもいいですし、じっとただ待つようにして時を過ごして変化を待ってもいいですし、何を選んでもいいんです。
また、上の曲線のように人生は波のように変化するとはいえ、やはり落ちている時というのはしんどいものです。
そんな時に自分に対してかけてあげるお気に入りの言葉があるので、うさこさんにもご紹介させてください。
それは、結婚の誓いの言葉です。
健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、悲しみのときも、
順調な時も、逆境の時も、
富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?
人生の門出に問いかけられる言葉にあるように、私たちの人生には「順調な時も逆境の時も」あるものです。
お天気のいい日にピクニックに出かけたら、突然の雨にびしょ濡れになり、楽しかった気分が一転し、寒くて震えることも長い人生の中では起きることがあります。
この言葉は「結婚の誓い」なので、パートナーと寄り添い助け合うようにという祈りや願いを込めた言葉ではありますが、自分自身に対しても当てはめられる言葉だと私は思っています。
だって、世界中で誰よりも大事なのは自分です。
その自分に対して、慰め、愛し、助けてあげたいですものね。
神様がこのようにして「誓いの言葉」を問われるという事は、私たちの人生は先ほどの図のようにまっすぐにいい事だけがある・うまくゆくのではなく「良い時も悪い時もある」と言われているんですものね。
挑戦をしたうさこさんにとって、今は「健やかではない逆境のような時」を生きているのかもしれません。
こんな時こそ、うさこさんを愛し・敬い・慰め・助け・真心を尽くすように自分に接してあげたいですよね。
上手くできない「グラフでは谷の部分」にいる自分の事を、叱咤激励したり虐めるのではなく、
この時期をどう乗り越えて行こうか?
頑張ってもいいし、諦めてもいいし、何を選んでもいいんだよ。
そして、また寄り道や休憩をしたり回り道をしながら、私の人生を歩いて行っていいんだから
どの道を選んでもいいからね。
そんな風に言ってあげて、うさこさんが「その時々」で選ぶ道を歩んで行ければいいんですものね。
迷っている時間・うまく行かない現実を前に途方に暮れている時間はとってもしんどい時間ですが、それでも「やめた!!」と言わないという事は
うさこさんにとって、しんどいと思う今の状況を必要としている
という事なんだと思います。
迷っている間は「選ぶ」という事をしなくていいんです。
だから、しんどくても迷い続けますし「決めない」という選択肢を自分が選んでいるんです。
だから、とても苦しいししんどい時間であっても「あぁ、私は決めるよりも苦しい方がまだいいと思ってるんだなぁ」と思ってあげることで、自分責めを少し弱めることが出来るかもしれません。
> 好きなことをするのはこんなに苦しいことだったのか?そんなはずはないと思うのですがどうしたらよいのか分かりません。
どうしたらいいか分からない。
決めることがどうしてもできない。
そう思う時は、無理に決めようとせずに「嫌だけどこの状況をもう少し続けよう」と思ってあげませんか??
だって、答えが欲しくても今は出てこないんですもの。
いつかきっと、私は私の道を選択できるし、今までだって自分のために決めることが出来たんだもん!!!
そんな風に、しんどい中で少し力を抜いて、自分の中で答えが見つかるまではただじーーっと待ってあげませんか??
人生の中では無駄に思えるような「待ち時間」も時にはあるものです。
乗っていた船が難破し、救命胴衣を着けたまま海に投げ出された時のことを少し想像してみてください。
上空をヘリコプターが飛んでいて「救助の船が今こちらに向かっています」とアナウンスが聞こえてきているとしたら、うさこさんは体力を温存するためにじーっと力を抜いて助けの船が来るのを待つのではないでしょうか?
助けが来るのは分かるけれど、ちょっとでもなんとかしたい!!とジタバタもがく事をしてしまう時間帯もあると思いますが、もがいて疲れても、ただじーーっと浮かんでいても、救助が来るまでの時間は同じです。
焦ったり、自分を攻撃したりしたくなりますが、そうやって虐めても答えが出せないのが「今」であれば、ただじーっと自分が答えを出すまで『ただ待つ』というのも一つのやり方だと思っています。
そしてこの「待ちの時間」に物事が変化することだってありますものね。
物事を良くしたい・結果を早く出したいと思う時は、どうしても力みますし必要以上に頑張ってしまいますが、うまく行かない時間は「しょうがないんだよね」とどこかで諦めのような力の抜き方をしてあげて、頑張り過ぎずに答えを探して行けたらいいな、と思ってお返事を書かせていただきました。
> こんな執着を手放すにはどうしたらよいのでしょうか?
> 諦めてしまえば楽になるのでしょうか?でもそれはしたくないのです。やはり、プロとして自信を持って仕事にしたいのです。
諦められないならば、もういい!!と思えるところまで執着してみませんか??
うさこさんは「諦めることはしたくない」とおっしゃっているんですもの。自分の中でとことんまで執着して「もうやり切った。もういいや。」と思えるまで執着してもいいんですよ。
実は私も、過去に手放せば楽になれる…のに手放せないと長い時間葛藤した過去があります。
その時に「とことん執着する自分」に許可を出したら、随分と気持ちが楽になりました。
諦めの悪い、手放せない私を責めるのではなく、諦めきれない執着してまでも叶えたい事がある自分をヨシヨシと言ってあげながら、うさこさんがご自身で「こうしたい」という答えが出るまでの時間を少しだけでも楽に過ごせるようにと祈っています。
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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡
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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。