手のひらサイズの幸せのお友達

手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

MENU

【ココロノマルシェ】独身ぼっちの私には、 自分の幸せと家族への責任をきちんと果たしてる友人たちは眩しすぎるのです。

なんですか、それ??新しいおもちゃですか??

お風呂で体を洗うのに、それぞれ好みのものがありますよね?

過去のことですが、良かれと思ってゴシゴシしたら湿疹が出て乾燥してしまい、皮膚科の先生からは、さーっと手で撫でるようにして洗い流すように勧められ、しばらく実践してだいぶ肌の状態が落ち着いてからは、できるだけ繊細に泡立てて「泡で洗う」ようにしています。

そこで、ボディソープ類をモコモコに泡立てるのに、バススポンジを使っているのですが、私はお風呂場に色がいっぱいになると落ち着いてお風呂が楽しめないので、出来るだけ「白」でまとめてスッキリさせるようにしています。
(お風呂場が白っぽくて明るいため、白系統にしています)

バススポンジって、明るくてカラフルな色が多く、白いバススポンジを探して辿り着いたのが「ボディショップ」と「無印良品」。
ボディショップのスポンジの方が柔らかいのですが、消耗品ですぐにへたって交換することを考えると、無印良品のバススポンジに軍配が上がり、ここ数年は浮気をせずに使っています。

ギンちゃんのおもちゃではないのですが、先日テレビでこのスポンジが紹介されたらしく、お店に買いに行ったら「テレビで紹介されて品切れです」という張り紙がされていて、買えずじまいでした。

先日やっと新しいものを買えて嬉しくてギンちゃんに見せびらかしている写真をお見せした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

こんにちは。
私は現在仕事を辞め失業手当で暮らしています。
時間が欲しいので手当が終わったら適当な職業訓練校に入ろうと考えてますし多少の蓄えもあります。
また格安の物件に初期費用抑え越せたのでのんびりする時間は少し確保できました。

だからやりたいことをやろうとYouTubeで人気の最新エクササイズをやったり着古した服を買い替えようとショッピングに行ったりするのですが「なんでこんなことしてるんだろ…?時間の無駄じゃなかな、お金になるもっと建設的なことやったほうが良くないか?時間せっかく出来たのだから」とつい考えてしまい虚しくなります。

じゃ何か次の仕事や将来に向けての行動をやるかというと、それには体が動かずそういうことをやろうとするとお腹も空いてないのにご飯をたくさん食べてしまうのです。

友人達は出産ラッシュで以前のように気軽に会えなくなりました。
といいますか私とはライフステージが変わってしまったので私の方が避けてしまってる感じです…

喜ばしいし良かったね、と思う気持ちとともに焦りや寂しさがあり複雑な心境なのです。
また一人じゃないので出産祝いも正直痛い…というのもあります(ゴメン!狭量な人間でほんとゴメンよ…)

隣のおじさんのタンがからんだ咳が、夜な夜な聞こえるようなボロアパートで、取りきれない程の毛玉に覆われたセーターを着てる独身ぼっちの私には、 新築の家に赤ちゃんと優しい旦那さん幸せそうな両家のご両親と…自分の幸せと家族への責任をきちんと果たしてる友人たちは眩しすぎるのです。

人と比べるのこそ時間の無駄。
これは私が選んだ人生。
納得して選択したこと。
と思える日もあれば深いクレバスに落ちて凍える日もあります。

ここ数日はクレバスに落ちて身動きがとれない感じです。
このままではアイスマンになってしまいそう…と山岳救助隊を探してたらこちらのサイトを発見しました。

そんな凍える日々はカウンセラーの方はどのように過ごされるのでしょうか?
お聞かせいただけたら幸いです。
ご相談:エッツィさん

エッツィさん、こんにちは。
隣の芝生は青く見えるし、私の人生は他の人と比べる必要なんかないんだ、と分かってはいても心が付いてこなくて寂しさに震える日ってありますよね。
私もエッツィさんと同じように、周りの「当たり前の幸せ」が羨ましくてキラキラ輝いて見えて、自分にはなぜ「平凡で当たり前な小さな事」すら叶わずに周りを妬ましく思っているんだろうと悲しみの底に落ち込んでいた時期があります。

ココロノマルシェの他の方へのお返事でもご紹介したことがあるのですが、周りが当たり前に手にしている幸せが羨ましい気持ちを感じた時、リリー・フランキーさんの著書「東京タワー」のこんな一節を思い出します。

人にとって「当たり前」のことが、自分にとっては「当たり前」ではなくなる。世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、自分にとっては「奇蹟」に映る。(中略)
当たり前でなくなった時。平凡につまづいた時。人は手を合わせて、祈るのだろう。

リリーフランキーさん著/東京タワー

本の一節にもなるくらい、きっとみんなどこかで同じように「周りの当たり前が奇跡のように見えて泣ける」事を体験しているんだと思うんです。

リリーさんの一節を借りれば「平凡につまずく」って、ものすごく寂しく悲しく、そして孤独で深い深い穴に落ち込んだように、ごくごく当たり前の世界が眩しく見えちゃうんですよね。

> 私は現在仕事を辞め失業手当で暮らしています。
> 時間が欲しいので手当が終わったら適当な職業訓練校に入ろうと考えてますし多少の蓄えもあります。
> また格安の物件に初期費用抑え越せたのでのんびりする時間は少し確保できました。

エッツィさんがお仕事を辞められたのはご自身をゆっくり労わるためだったんだろうと思いますし、自分のために「ここから離れたい」という思いを叶えてあげて、しばしゆっくり休養して自分を労い大事にしようとしての行動だと思います。
それはとっても「自分に愛のある」優しい行動です。
私たちは仕事を辞めたいと思っても、生きていくためのお金のことを考えて二の足を踏みますから、辞めるという勇気を持つこともすごい大きな力が必要ですよね。
優しく、勇気のある行動を取れている事、とっても素敵です。

また、自分をのんびりさせるために経済的な面でストレスになってしまったり追い込まれてしまわないように「格安物件」を見つけることで安心できる城を構えるという行動も、エッツィさんを思っての立派な行動ですものね。

まずは、ご自身のことを「私は勇気もあるし、自分に愛をもって優しく接している素敵な女性だなぁ」とうんと褒めてあげてくださいね!

自分が望み、自分が描いた形で仕事から離れてホッとすることが出来ると同時に、仕事から離れるとどうしても「社会から離れて取り残されたような寂しさ」を感じることもあります。
金銭的な面ですぐに仕事をしなくても大丈夫ではあるけれど、いずれは働かないといけない未来があれば、せっかくの休みの間に自分を喜ばせて楽しませるためにお金を使おうと思っても、これを買う事でお金も減ってしまうというどこかしらの不安も沸いてしまいますよね。
不安があれば、心から楽しいなんて思えませんし、気分がワクワクしていない時に買い物をしても、今一つ高揚した気持ちになれないんですよね。

> じゃ何か次の仕事や将来に向けての行動をやるかというと、それには体が動かずそういうことをやろうとするとお腹も空いてないのにご飯をたくさん食べてしまうのです。

仕事を辞めて格安の物件にお引越しをしたり職業訓練校で学ぼうと思うのは、しばらくはゆっくりしたいと思っている、つまりすごく疲れてしまって休息したいからですもよね??
とはいえ家賃を抑えているという事は、しばらくしっかり休息するためにできるだけ出費は押さえたいからで、そうなると「何かお金を産むような生産的な事をした方がいい」と思考はせかしてきますし、けれど体と心はしっかり休みたい…と

休みたいのに休めていない状態で、強いストレスを感じているんだろうと思います。

また、仕事をしなくてよくなった安堵感と同時に、ずっと会社だったり学校だったりと「決まった枠組みのある社会に属していた」のであれば、そこから離れた場所に居る事は体験したことがなかったり慣れていないがゆえに、少しの居心地の悪さと不安や寂しさを感じますから、ストレスに加えて心細い気持ちで、休みたくても休まらないものがあるのだろうと思います。

エッツィさんが今、「強いストレスと心細さや不安感」という重たいものを背負っていたとしたら、それは幸せを感じる状態ではないですものね。

私たちの脳は、満足感を得ると幸せを感じるという仕組みがあります。
食べることで満腹になると、満足感を得られるため「食べることで幸せな気持ちになる」事が出来るので、私たちは食事を楽しいと感じます。

でも、ストレスだったり重たいものを抱え込んで気持ちが晴れない時は、満たされない気持ちがあるために、お腹が満たされても満足な気持ちが得られずに「もっと食べて満たされたい」とついつい沢山食べてしまいます。

きっとエッツィさんは「今の気持ち」を満たして幸せや安心感を感じたくて、自分を満たした気持ちにしてあげたいがゆえに「食べ過ぎる」という事をしてしまっているのだと思います。

それを責めてしまうのではなく、食べ過ぎてしまう「満たされていない気持ち」を癒していってあげたいですよね。
せっかく自分を労わって休ませてあげて、心地よく元気にならせてあげたいのに、幸せになりたくて自分で勇気を出して自由になったのに、寂しさや悲しみ・不安や絶望的な気持ちを感じていたら、それを楽にしてあげたいですものね。

> 友人達は出産ラッシュで以前のように気軽に会えなくなりました。
> といいますか私とはライフステージが変わってしまったので私の方が避けてしまってる感じです…
> 喜ばしいし良かったね、と思う気持ちとともに焦りや寂しさがあり複雑な心境なのです。
> また一人じゃないので出産祝いも正直痛い…というのもあります(ゴメン!狭量な人間でほんとゴメンよ…)

今まで同じような歩幅で仲良くしていたお友達が、自分とは違うライフステージに行ってしまう事で感じる寂しさって、言葉でうまく表現できないけれど、ぽっかりと心に穴が空いてスースーと風が吹き抜けるような、がらんどうのような気持ちになりますよね。
私も同じように感じた時期がありますし、私の周りの友達もこのような気持ちになったことがあると言っていましたから、誰しもが持つ思いとして

大好きな人と家族をつないでいく、ごくごく平凡で当たり前にそこにある幸せが自分にはまだ手に出来ていない

と感じたら、どこか寂しさを感じるのはいたって普通の気持ちだと思うんです。
お友達を避けてしまうのも「自分が寂しさを感じて傷つきたくない」からこそで、おかしくもなんともない感情です。

大事なお友達の幸せを願わない人はいませんから、喜ばしいし嬉しいけれど、同時に今まで一緒に歩いていたライフステージからちょっと離れた別のステージに移動してしまうと思えば、嬉しいけど悲しい複雑な気持ちになりますものね。

> 隣のおじさんのタンがからんだ咳が、夜な夜な聞こえるようなボロアパートで、取りきれない程の毛玉に覆われたセーターを着てる独身ぼっちの私には、
> 新築の家に赤ちゃんと優しい旦那さん幸せそうな両家のご両親と…自分の幸せと家族への責任をきちんと果たしてる友人たちは眩しすぎるのです。

私たちはそれぞれ「必要なタイミングで引き合うように出来ている」と私は思っています。
学生時代には同じ行動をしてくれる友人がいて、社会に出てそれぞれが違う環境・違う人たちと接するうちに少し疎遠になりますが、必要であれば集まれますしそのまま離れていく人もいます。
そして、自分自身に関しても「新しい環境」で巡り合う人たちと新しい人間関係を構築して暮らしていきます。

実際に独身の時と結婚・出産をした後では、話題だったり生活リズムも違ってしまうため、合わないと感じることもあります。

それはまるで、デパートの別の階にいるようなものだと思うんです。

仲良くなれたという事は、お互いに共通点があったり好きだという思いがあるからこそで、同じ建物の中に集まれる仲間です。
一緒に3階でレディースファッションを見ていたはずなのに、お友達は子供が中心になって5階のキッズフロアに入り浸るようになれば、別々の階で見ているものが違う間は引き合いませんが、子供が大きくなってキッズフロアへの用事がなくなり自由に時間を使えるようになったら、上の階のレストランで一緒にお茶をしたりご飯を食べたりと、また繋がることも未来にはあるのだろうと思います。

エッツィさんの感じている「新築の家に赤ちゃんと優しい子供、それぞれの両親も笑顔」という図は、私から見ても眩しいし羨ましいです。
それはきっと「エッツィさんが憧れている・望んでいる姿」だからだと思います。
(私も幸せなパートナーシップや家庭を自分が作ることに憧れがありますから、幸せそうな家族がモデルルームを見に行く姿を見ると羨ましいと感じます。)

その反面、「新築・旦那さんと子供、両親たちとの関係も良好」な人を見ても「ふーん」と感じる人もいるんですよね。
それは、自分がそうなりたいと別に望んでいないから。
欲しい・なりたいと思っていなければ、自分と比較して落ち込むことはないんですものね。

人生って時にとても疲れてしまい、頑張りたくても頑張れない時間があります。
当たり前のように生きてきて、何も悪い事もしてないし、なんなら人のためにも自己犠牲してきたり「いい人」として生きてきたのに、周りが当たり前につかむ幸せが自分には手が届かないと感じる時に、私たちは劣等感も感じますし寂しさと悲しさも覚えます。

どうして私ばっかり…
って泣きたくなる時もあります。

それは、エッツィさんがこれまでをしっかりと歩いてきて、頑張って生きてきたからです。

一生懸命生きてきました。
頑張って歩いてきました。
勉強に、恋に、仕事に、自分なりに向き合って努力もしましたし、叶えれたこともあったと思います。

頑張って生きてきた道の途中で、ふと立ち止まってしまった時に自分と周りを比べて「差が出来てしまったな」と感じて孤独感を感じると、そこで身動きできなくなってしまうんですよね。

エッツィさんは今、人生の中で少しの休息を自分に与えてあげようとしていますよね。
お仕事を辞めて、自分のために時間を大事に使い、自分を満たしてあげようとして立ち止まりました。
それはきっと今までの生き方と違って、ちょっと「力を抜いている」状態だと思います。

ぜひ、エッツィさんに声に出して言っていただきたい言葉があります。
エッツィさんの胸に手を当てて、リラックスして力を抜いて、ぜひ自分に優しく語りかけて見てください。

– – – – – – – –
これまでよく頑張ってきたんよね。お疲れ様、ありがとう。
ふと涙が出ちゃうことがあっても、それは普通のことだからね。
頑張りすぎてきたから、力を抜けた時に涙が溢れちゃうんだもんね。
私、偉かったね。今も偉いね。
– – – – – – – –

寂しさ、悲しさ、孤独を感じている時は頑張る時ではないと私は思っています。
不安な気持ちや孤独を抱えている時は、だた優しくしてもらい、頑張っている事を褒めてもらい、暖かく抱きしめてもらう時間が必要です。

エッツィさんがこれまでの人生で、うーんと頑張ってきたこと、懸命に生きてきたこと、それを身近な人たちに分かってもらえていますか?

少しだけイメージしていただきたいのですが、ふわっとエッツィさんが幽体離脱して少し高い場所で気持ちよく揺れながら、ゆっくりと下界を見下ろすと、そこには一人の女性がいます。

その女性は、エッツィさんです。

当たり前そうに周りが手にしている幸せを羨んで泣けてきちゃう気持ちを抱えて、それでも前を向こうとしているエッツィさんのことを少し高い場所から見ているとしたら、どんな風に接してあげたくなるでしょうか。
胸がギュッと掴まれるように感じて、愛おしいエッツィさんにいっぱい優しい言葉をかけてあげたくなりませんか?
一緒に泣いてあげたくなりますし、側にいてその手を握って「辛いよね、寂しいよね。その気持ち分かるよ。」って何度だって言ってあげたくなりますよね?

自分が選んだ人生かもしれません。
それでも「寂しい時は寂しんだ!!」って、泣いている自分のことを大事に包み込むように大切に扱ってあげましょう。

私たちは人生において、出会う事・起きること全てを「その時々で考えて選んで行動」していきます。
でも、どんな体験も過去に似たような事があったとしても『初めて体験すること』です。
だから、器用にやれずに躓くことだってあります。

人生において感じる事柄、起きる出来事は何一つ無駄ではないと言いますが、渦中にいる時はその出来事のもたらす恩恵なんて分かりませんから、ただただ辛かったりします。

でもね、私たちの人生の中で「未来」だけは本当にどうなるかなんて分かりません。

寂しいって泣いていた1年後に、びっくりするくらい条件のいい仕事に出会って、やりがいを感じてイキイキ働いていることだってあるかもしれませんし、明日出かけた先で出会う人に恋をしてドキドキすることだってないとは言い切れませんものね。

こんなにも手を伸ばしても掴めない…と思うような「周りの人同じような幸せ」がエッツィさんの元にやってきたら、その時に感じる喜びは生半可ではなく「あの時に悲しみを感じたからこそ噛み締める喜びがある」って、きっと未来にそう言うのではないでしょうか。

動き出せない時は、自分に栄養をあげるための大事な時間です。
寂しい時は、自分にとことん優しくしてあげて寄り添い続けて温め続けてあげる時間です。

決して「私が選んだから…」と自分を責めちゃダメです。
ただでさえしんどいのに、自分が自分を責めちゃったら本当に心が凍ってしまいますから。

そして、この先にエッツィさんが笑顔になれるために『私に合う幸せ』『私が居心地の良い環境』ってどんなものだろう?と、未来のために沢山想像してみてください。

隣の芝生…ではありませんが、羨ましい・眩しいと思ってみているものが自分に合っているかどうかは分かりません。
新築の家はマンションがいいのでしょうか?戸建てがいいでしょうか?
パートナーになる人は年上?年下?
共働きでしょうか?パートタイム?それとも専業主婦?
独身でいるとしたら、どんなことをしていたら楽しそうでしょうか?

他の人が持っているものだけではなく、私に合う幸せの形というのを、いっぱいいっぱい描いてください。

描けるという事は「叶える力を持っている」という事ですし、こうなりたいという目標が見つかると、そのために「今できる事」というのが探し出せるようになります。

あれこれ書いてきましたが、寂しい時ってどうしようもないんですよね。
元気を出そうとしても力が入りませんし、笑っていてもむなしくて。
そんな時は「ただ今日も一日を生きた」という事にマルをあげるだけでヨシにしましょう。

私も周りの人が羨ましく感じて気落ちすることがあります。
そんな時に自分に優しく響いた言葉があったのを、過去にブログでご紹介していましたので、何かの言葉がエッツィさんに届いたら嬉しいと思いご紹介させていただきます。
(冒頭でご紹介したリリー・フランキーさんの話も織り交ぜてありました)

幸せの形はそれぞれ。改めて自分に届け!
幸せの形はそれぞれ。改めて自分に届け!
私の住む町は、昨晩突然大荒れ。日中は健やかな晴天でしたが、夜になると雷と風と雨で少し怖いくらいでした。 今朝も.....
https://many-smiles.com/about-me/happiness-is-freedom

私の住む新潟は、お天気ではありますがキンと冷えていて、今日はあったかいお風呂を沸かして、そこに顎までつかって温まって自分をほぐそうと思っています。

エッツィさんもお風呂の中で温まった自分の体をギューッと抱きしめながら「いつもありがとう。一緒に幸せになろうね。」って凍えてしまわないように優しく声をかけてあげてくださいね。

涙が溢れたら沢山泣きましょう。
疲れたらふて寝しましょう。
美味しいものを食べて暖かくして、のんびりしましょう。

そうやって少しずつまた元気が出てきたら歩き出せばいいんですもの。
ゆっくりゆっくり、私も遠くで時に凍えながらも幸せを諦めずに歩いていますから、離れた場所に同士がいる!と思っていただけて、一緒に歩いていけたらいいですね。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

ココロノマルシェへ

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

ブログdeお悩み相談に応募する

  • HOME
  • >
  • お悩み相談
  • >
  • その他の問題
  • >
  • 【ココロノマルシェ】独身ぼっちの私には、 自分の幸せと家族への責任をきちんと果たしてる友人たちは眩しすぎるのです。