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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】誰からも愛されることなく、そして愛することなく一人で暮らしてます。

ミーンミンって虫さんがないて 夏が来たね~ってマミコちゃんと並んで かき氷食べたんでちよー

連日の30度超えで、気がついたらミーンミンミンとセミが鳴いている声が聞こえていました。

あっついねぇ。

そう言って朝早くからエアコンを入れつつ、窓辺に並んで冷凍庫からだしてきたかき氷(ガリガリしたやつ。「しろ」という氷にシロップをかけただけのものがお気に入り)を食べている私に、一口ちょうだい!とアピールする仁くん。
ひんやりを一口お裾分けして、仲良く夏を楽しんでいます。

セミもいよいよこれからが本格的に鳴き出すシーズンですね!と、季節感を意識したところで(注:誰にも頼まれていない前置き)ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

私は30歳で誰とも付き合ったことがありません。
今まで素敵な人にも告白されたこともあるのにすべてお断りしてしまいました。

どうしても愛を受け取ることが怖いです。

そして、今は誰からも愛されることなく、そして愛することなく一人で暮らしてます。

こんな私が生きてていいのでしょうか。

周りは自己肯定感をあげようとか、幸せになることを決めるとか、許すとか言いますがよくわかりません。

ずっとノートに書いたり、褒めたりしますがうまくいかないことで、余計辛くなります。

今は消えたい。毎日そう思います。お母さんこんな娘でごめんねって思います。情けないです。
相談者:きぼうさん

きぼうさん、こんにちは。
少し前に「希望が持てない」というタイトルでお悩みを読ませていただいたきぼうさんと同じ方だと思って話を続けさせていただきますが、きっとお母様と助け合って生きてこられてたのだろうと思います。

きぼうさん、ずっとずっと寂しい気持ちを抱えたまま、頑張って生きてきてくれたことにまず「お疲れ様でした」という言葉と「生きていてくれて、ありがとう」を届けます。

> こんな私が生きてていいのでしょうか。

苦しんでいらっしゃるんですものね。
愛したいし、愛されたいと心の奥には「愛情」を探しているきぼうさんがいるのに、どうしていいか分からなくて、立ち尽くしてしまっているんですものね。
生きるって、時にとてもしんどいな…と思う事もあります。
私も「私なんかが生きていてもいいのかな?」と呆然として身動きが出来なかった時期があります。
「周りの人が当たり前」に出来ている恋も結婚も果てしなく遠い場所にあり、もうこのまま何をしても上手くいかず、ひとりぼっちで孤独に死ぬんだろうな…とすら思い、何のために生きているのかを見失っていた時期もありました。

仕事をして、淡々と人と付き合い、私が「世界には色彩がなく、毎日砂を噛んでいるような日々を送っている」とは周りの人は気付かないくらい普通にしていながら、気がつくとため息をつく日々を繰り返していました。

そんな私の心の声を代弁してくれたかのような、リリー・フランキーさんの著書「東京タワー」という本の一節に、涙が止まらなかった事があります。

子供の頃に予想していた自分の未来。 歌手や宇宙飛行士にはなれなくても、いつか自分も誰かの「お母さん」や「お父さん」にはなるんだろうなぁと思っている。

しかし当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、自分には起こらないことがある。

誰にでも起きている「当たり前」。
いらないと思っていた人にも届けられる「当たり前」が、自分には叶わないことがある。

難しいことじゃなかったはずだ。叶わないことじゃなかったはずだ。

人にとって「当たり前」のことが、自分にとっては「当たり前」ではなくなる。世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、自分にとっては「奇蹟」に映る。

歌手や宇宙飛行士になることよりも、はるかに遠く感じるその奇蹟。

大人の想う夢。
叶っていいはずの、日常の中ある慎ましい夢。
子供の時は平凡を毛嫌いしたが、平凡になりうるための大人の夢。

かつて当たり前だったことが、当たり前でなくなった時。平凡につまづいた時。
人は手を合わせて、祈るのだろう。
(東京タワーより引用)

この文章を読んだ時、私も「周りの人に当たり前に起きる事が奇跡」のように見えていた時期で、平凡につまづくという事が、どれだけ生きる力をなくすことかを身を持って体験しました。

生きているって、何でこんなに苦しいんだろう?
楽しいって笑えない毎日を送る事が、こんなにしんどいなら、もういっそ生まれてこなければよかったのにな。

そう思って空っぽな自分がいるのに、あまりに空っぽすぎて涙も出てこなくて、毎日を「ルーティーン」のようにこなしていたから、きぼうさんが「生きている意味」を見失う気持ちは、本当によく分かります。

きぼうさんの問いかけに対する答えは、もちろん

生きていていいし、生きていよう、ね。
愛されていいし、愛していいし、分からないなら分からなくてもいいから、ね。

というものなのだけれど、生きる力を失いそうな時は、何もなさなくていいし、何も感じなくてもいい。
ただ今日を生きた事でヨシとする事でいいんです。

大きなことにつまづいたり、とてつもない悲しみに襲われた時に、私たちは途方にくれて心が折れて「どん底」に突き落とされるけれど、そこからは少しずつ浮上する事ができます。

でも、平凡な当たり前が「奇跡」でしかないとしか思えない時、
私たちは人生に絶望し、生きることすらしんどくなります。

そりゃそうですよね。
周りの人はいとも楽々と恋をしたり、結婚したり、子供がいて、または家なんて建てたりしているんだもの。
何も持っていない自分、日常にその片鱗すら見えない自分、頑張ってあれこれしてみたのに何も変わらない毎日の中にいて、喉から手が出るほど欲しいものが何も手に入らないんだとしたら

なんで私には何もないんだろう

としか思えませんし、そんなのちっとも楽しくないし、生きている事がただどうでもいいことの繰り返しにしか見えないのも当然です。

でもね、きぼうさんは繰り返しここに「助けて」と救いを求めるように言葉を発してくれています。
それは自分でも気付いていない無意識かもしれませんが「ちゃんと幸せになりたい」と思える気持ちがあるからこそ、幸せを諦められなくて苦しみ、ヒントを探したくて、自分のことを決して見捨てず、自分を諦めていないという事のあらわれ。

本当は生きたいし、愛されたいし愛したい。
その思いがちゃんときぼうさんの心の中には存在していて、だからこそ「何とかしたい」とSOSを発してくれているんだもの。

声を出してくれて、ありがとう。
今日も生きていてくれて、本当にありがとう。

> ずっとノートに書いたり、褒めたりしますがうまくいかないことで、余計辛くなります。

上手くいかない時って、何をやっても空回りしてしまうし、やればやるほど追い込まれていきますよね。
私も「ほめ日記」を書いた時期があり(なんと3年間、毎日)けれどそれは「こうやれと本に書いてあったから」「これをやるとポジティブになれるらしいから」というものを【苦行】のようにやっていたから、何一つ響かなかったんです。

こんなこと書いて、何になるんだろう?
無理やり日常の中で拾った「興味のないこと」を褒めて、何がしたいんだろう?

結局私は、3年間のこの記録で「自己肯定感」が上がることはなく、むしろ虚しさだけが募り、ある日突然、やめた!!とほめ日記を書くのをやめました。

やり方って無数にあります。
きっと「ほめ日記」にしても、私の場合は紙に書き出すよりも、夜寝る前やお風呂の中のリラックスした時間に、

今日は予想していた範囲より多く仕事ができたなー。やればできるね!イエーイ!
食べたいものがないって思ってたけど、お惣菜を買ってみたら思ってたより美味しかったからまた買ってみよう!

とかとか、自分に「にっこり」微笑みかけてあげて、イメージの中の私とハイタッチしたりハグしたり、一緒に泣いたり怒ったりするのが「性に合っていて」このやり方に変えてから、私の『ほめ日記』(というか、ほめ振り返り)は飛躍的に楽しいものになり、知らぬ間に自分を受容したり褒めることができるようになりました。

きぼうさんにとって、書くという事が楽しくないのなら、無理にやる必要はないと思っています。
苦しい事、上手くできなくて自分を責める道具になってしまっているなら、やりたくなるまで「おやすみする」のもいいでしょうし、やり方を変えてみるのも一つの方法です。

でもね、生きる希望がないような時には
無理せずに「寝る」という事で思考をストップさせてあげる事も役に立ちます。

私たちは1日に6万回以上も思考していると言われていますが、その中でもネガティブな思考が圧倒的に多いのだそうです。
普通の状態ですらそうなのだとしたら、生きることに絶望している時は、もっともっとネガティブな思考をしていると思いますし、だったらいっそのこと

やーめた

って寝てしまって思考しないであげる事で、自分を追い込むことを緩めてあげられます。
頭で考えている時は、思考のおしゃべりがどんどん膨らみ、自分をさらに追い込むことになりますので
あまりにしんどくなってきたら、何が不安なのか??何が寂しいと思わせているのか?を紙に書き出すのもおススメです。

ここでは感情を伴うことは一切必要ありません。

何が不安か、怖いか、恐れているか、寂しいと思わせているのか?
思いつく要因をただ箇条書きにしてあげます。

書き出したものを見てみると「これが今の私を苦しめている原因なんだ」とそちらに思考がフォーカスされて、ぐるぐるしていた思考のおしゃべりが一旦止みます。ぐるぐる考えることから一瞬でも抜けてみる事が大事です。

そして、また自分を責めたり悲しくなったり、虚しくてしんどいと感じた時に、その想いに対して、きぼうさんがそっと声をかけてあげてください。

箇条書きにした理由を読み上げてあげて、

結局は孤独って感じちゃってるし、解消していないから虚しいのも仕方ないよねー。
楽しいことを感じられていないんだもん。笑えなくてしょうがないよねー。
生きている意味は分からないのに、今日も生きてくれてありがとうねー。

そんな風に、今の「マイナス」な自分にもたくさん共感してあげて欲しいんです。私たちは『分かってもらえる』と安心します。『認めてもらえる』とまた歩き出せます。

どうせダメな私。
どうせ幸せになれない私。
どうせ愛されない私。

と、自分で自分がうまくいかないことを責め続けてしまうと、本当に味方がいないと思ってしまうと、心もスネていきます。

そして、孤独を感じ切るというのも「もう一つのやり方」です。

感じたくない!!と抵抗していても、ため息をついたり希望を持てないのであれば、無理にポジティブに考えずに寂しい、悲しいと転げ回って泣いていいんです。感じ切って疲れたら、眠りましょう。
不思議なことに、私たちは大事に抱えている悩みの素である感情を「感じ切る」とそこからスーッと楽になります。

大声をあげてもいいし、泣き叫んでもいい。(その場合は、枕に顔を埋めて声が外にこぼれないようにしたり、カラオケなどの大声を出せる場所がおススメです。)
寂しさの感情を抑え込むのではなく外に出してあげることで、泣き止んだ後にはスッキリした気持ちになれます。(何度だってやっていいんですよ!泣いても怒ってもいいですからね!!みっともない私、でいいんです。)

さんざん感じてあげると、だんだんネガティブな感情に「飽きて」きます。

私たちは一つの感情だけを味わい続けることを飽きてしまうんですよね。
不思議ですが、飽きやすい生き物なんです。
だから、悲しい気持ち・虚しい気持ちもとことんまで感じれば「飽きる」んだなーと知っておくだけでも、少しだけでも楽になる事があります。

きぼうさんに、今はこの言葉は届かないかもしれませんが、
私は自分が世界からつまはじきにされたような、ひとりぼっちの孤独に壊れそうになった時に思っていた事があります。

【ひとりぼっちでいる人 = 寂しいかわいそうな人】

なによりも自分がそういう「思い込み(観念)」を強く握りしめていたから、ひとりぼっちになった自分、ひとりぼっちで恋人もいない自分を責め続けていたんです。

1番身近にいて、常に自分を見張っている自分が「私って本当にかわいそうだよねー」と呪いの言葉を浴びせていたんですもの、心が晴れる事なんてないですよね。

パートナーがいる人が幸せで、ひとりぼっちの私は不幸せ。

こう決めたのは、他でもない「私自身」なんだと気がついたのは、ずーっとずーっと後になってからでしたが、自分が自分を裁き続け、人と比較し続け、何も持っていない自分を否定し続けていたんです。

パートナーがいたら、きっと楽しいでしょう。
ステキな恋ができて、甘えられたら安心するでしょう。

今の私はその「楽しく安心できる」ものは手にしていませんが、だから自分は不幸であるとは思っていません。
1人だからこそ気楽な時間を、せっかくだから楽しもう!と決めたんです。

もちろん、決めても定期的に気持ちが沈んだり、女性であればなおさら毎月のホルモンバランスの変化で激しく気持ちが揺れたり泣いたりする日もあります。
とことんまで落ち込んだから、落ち込んでも何もないと分かったから、それならばできる事をただやっていくだけでいいじゃない?と自分に言ってあげられるようになり、少しずつ私は「ただ生きているだけでいい」と自分に許可をしてあげる事ができるようになりました。

はじめのうちは、許可を出しても、気持ちに共感してあげても全く響かず虚しい気持ちは私を縛り続けましたが
3ヶ月もすると、なんとなく虚しい気持ちが緩むような感覚を覚え
少しずつですが「健気に生きてくれている私」が愛おしく感じられるようになりました。

1人で頑張っている私、本当はかわいいんです。
1人でも必死で生きて、幸せを探しているなんて、神様からみたら愛おしくていじらしくて守ってあげたい存在だと思うんです。
孤独の中で希望の光を探す私たちは、他の人より少し不器用で繊細で、遠回りしてしまうかもしれないけれど、人の悲しみや痛みに敏感になれ、何もできなくとも気持ちを分かってあげることができる「強み」を持っています。

どうやって悲しみや虚無感から私が抜け出したのかは、あれこれやり過ぎて(逆に何もしない時期もありました)これが劇的に効いた!というものを特定できないけれど

私が私を諦めないでいたこと。

幸せになれない…ときぼうさんが泣いているということは、幸せになる事を諦めていないということだと思うんです。
虚しさをなんとかしたいともがいているということは、そこから逃れる事を諦めていないということです。

きぼうさんが声を出したという事は、幸せになりたいということを諦めきってはいないという証拠。
諦めないってものすごい力のある事です。

別のお悩み相談でも書いたことがありますが、100%雨乞いが成功する部族がいるという話を聞いたことありますか???

100%です。必ず叶うんです。

どんな魔術を使っているのか?と思うのですが、答えは

雨が降るまで諦めずに毎日雨乞いをする

というものなんです。
諦めないっていう事は、本当にすごい事なんです。
雨乞いですから、雨が降って欲しくて必死な状態です。例えばその祈りが1週間続けても届かないとどう感じるでしょうか??
さらにもう1週間、もう1週間と諦めないでいる事って、どれだけ凄いか想像してみると泣けてきませんか?

叶っていない期間は不安で苦しいけれど、きぼうさんもこれと同じで「生きる希望すら持てない」くらいに打ちのめされていながらも、諦めていない自分を誇りに思ってあげて欲しいんです。
SOSを出せた自分を、諦めていない自分を、ギューっと抱きしめてあげてください。

きぼうさんは1人の時間に何をすると「楽しい」と思えそうでしょうか?
美味しいものを食べると、その時間は幸せでしょうか?
お料理を作る時間は「無」になれて集中できるでしょうか?
お花を飾ると心が潤うでしょうか?
ドラマや映画を見ると、その時間は現実を忘れるでしょうか?
本を読む時間はお好きですか?
運動するのが好きなら、走ったり踊ったりする事で気分が解放できますか?

何でもいいんです。
1人の時間が孤独だと思うのならば、その時間を楽しめる何かで埋めてあげる事も孤独を癒す力になります。

私は…ですが、もともと妄想というかイメージする事が好きだったので、本を読むことが好きでした。
お風呂も好きだったので、そのお風呂をより楽しむ方法(お風呂でご飯を食べてみたり、本を読むのに快適な方法を考えたりして)を編み出して、1日の中で自分をちょっとだけでも「ニッコリ」させる時間を作り出すことを意識しました。

そして、本の中で自分を元気にさせてくれるフレーズや、インターネットなどで見つけた心に響いた言葉を1冊の小さなノートに書き留め、元気がない時にそれをめくって自分を勇気付ける

私専用の頓服薬

のようなものを作りました。
読み返しては泣いたり、大丈夫と思えたり、また新しい言葉を見つけては書き足したりして、私は今でもこのノートを持ち続けていますが、自分を助けてあげるために「自分に合った」やり方を見つけてあげることも、自分を諦めない事の助けになりました。

それから、本当に苦しい時は、カウンセリングを受けることもおススメです。
私の経験からも言えるのですが、孤独を感じている時に「話す」事を「共感」してもらうというのは、どれだけ救われる事なのか…

私は泣きながらフラフラと道路に進み出てしまったことがあり(怖かったのに死にたかったんですよね。もう、希望がなかったんです)
その時に、心療内科の扉を叩いてみました。

そこで幸いにも「羊のような風貌の優しい先生」に丁寧にカウンセリングをしてもらい、私は死ぬ事をせずに、今、こうやって生きています。

もっとわがままになっていいんだよ。
それは悲しかったね。辛かったね。よく耐えてきたね。
涙が出ちゃうよね。いいんだよ。だって誰よりも必死にやってきたんだもん。
笑おうとしなくていいんだよ。頑張らなくていいんだよ。
もう、無理しなくていいんだよ。
もっと自分のことを中心に考えていいんだよ。
できなくていいんだよ。みっともなくていいんだよ。
あなたは何もしなくても大丈夫なんだよ。愛されていいんだよ。
愛し方が分からなくてもいいんだよ。

誰かにそう言ってもらいたかったんです。
「いいんだよ」「大丈夫だよ」って言葉で抱きしめて欲しかったんです。

きぼうさん、幸せになりましょうね。
私たちは遠回りして苦しんだんだもの、こんな私だからこそ、幸せになりましょう。幸せにならなきゃね。

人にどう思われたっていいんです。
出遅れたっていいんです。
また笑える日がくれば、それでいいじゃないですか!!!

私たちはどうでもいい事で悩んだり行き詰まったりしません。
大切なものであればあるほど、悩むのですから、ここまで苦しいという事は、それだけきぼうさんがきぼうさんのことを「愛おしい存在」だと潜在意識の中でちゃんと思えているんです。

無理にモチベーションをあげる必要はありません。
できない事をしたら、怪我をするように心も悲鳴をあげます。

私たちは好ましいと思っていなかったとしても「現状を維持しよう」として生きています。
幸せになりたい!と願いながら、心理的な抵抗を感じて現状を維持しようとするんです。
なぜなら「まだ手にした事のない幸せ」よりも「ダメな私」の方が圧倒的に共感しやすくそっちに引っ張られてしまうから。
だとしたら、幸せを感じられない現状を選んでしまっているのは「生理的なもの」だと受け入れつつ、その上で「いやいや、それでも諦めない」と選び続けていく事も、自分を幸せに導く手助けをしてくれます。

きぼうさん、うまく届けられないけれど
生きていてくれて、ありがとう。
悩みを書いてくれてありがとう。
きぼうさんに届くといいな、と思いながら、精一杯エールを送っていますからね。

フレーフレー!きぼうさん。

きぼうさん、もっと緩んでいいんですよ。一緒にノバノバしましょうですよ!

私たちは緩んでいる時、心地いいなと感じる時に「あー死にたい♡」とは思うことができません。
だから、意識的に緩むこと、寝ること、だらけること、ダメな私を許可することって大事です。

きぼうさん、一緒に緩みましょうね!

日向ぼっこするのも気持ちいいでちよ〜
お空見て、おいちーもの食べて、元気出してくださいでちよ!

陽の光を浴びることも、しょんぼりした気持ちを和らげる効果があると実証されているようですから
離れた場所ですが、私やギンちゃん、仁くんと一緒に同じ太陽の光を浴びて、深呼吸してみませんか???

きぼうさんがまた笑顔になれる日を、心から応援しています。

心からのハグがきぼうさんに届きますように。
1人だけれど、1人じゃないよ。
その想いを込めて、きぼうさんにメッセージが届きますように。

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