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【ココロノマルシェ】どのように自分の気持ちを持っていけばよいのか、母がなくなり私も存在価値がなくなった感覚に襲われます。

ダイエットしてるはずなんですけどね…うちのマミコったら…

え、えへへ。
2020年の目標として、ゆるふわボディを卒業してダイエットする!というのを掲げたはずなんだけれど、まぁ、意思が弱く薄っぺらいから、すぐにお菓子の誘惑にやられちゃうよねー。

私は子供の頃から「コロン」が好きなのですが、コロンは季節毎にいろんな限定味を出してきます。
この夏はバンホーテンココアを使ったチョコレイトクレープ生地に爽やかミントクリームを包んだ「大人のチョコミント」ですって!!!

買っちゃうよねー。

大人の、というネーミングだけあってすっきりしたミントはおこちゃま向けではなく大人向け。(← ほんとか?)
ミントがヒンヤリとした風をお口の中に運んできてくれるので、暑い夏に爽やかに食べれるお菓子だと思います。
また買うか?と聞かれたら、お口ミッフィーちゃんにして何も言いませんので、そこらへんは察してください。

一方的にお菓子のことを紹介した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

母子家庭で育ち、人生を共に暮らした母がなくなり、喧嘩したこと、最後に助けられなかったことで毎日悔やんでいます。
根本先生の本を読み、罪悪感の固まりの自分に気がつきました。
どのように自分の気持ちを持っていけばよいのか、母がなくなり私も存在価値がなくなった感覚に襲われます。
御指導頂ければ幸いです。
相談者:ふみさんさん

ふみさん、こんにちは。
母子家庭とありましたから、ふみさんもお母さんを助け、お母さんもふみさんの笑顔に救われ、かけがえのない親子関係を築かれていた大事なお母さまを見送られ、いっぱい気持ちが揺れている日々を過ごされているのだろうと思います。

気持ちをここで吐き出してくれてありがとうございます。

ふみさんは今、どんな感情が一番強いのでしょうか?
自分を責める気持ちが強いのでしょうか?
お母さんにもう一度会いたいという思慕の想いや、お母さんに伝えたかった言葉が喉の奥に引っかかったままになっていたり、あの時もっとありがとうを届けておけばよかった、もっとお母さんとの時間を大事にすればよかった…と、様々な感情が沸き上がって、自分でもどうしていいのか分からないくらいしんどいのだろうと思います。

大切な人を亡くすと、私たちは途方にくれます。

だって、その人がいなくなる世界なんて想像すらできないし、自分がこんなにも揺れ動くなんて思いもしませんものね。

お母さんという大切な愛着の存在を失ったことで、深い失望や衝撃、孤独や不安を伴う深い悲しみをふみさんは味わっていらっしゃる中で、さらに自分が「あの時もっとこうしていたら…」とご自身を責めて罪悪感を感じているのですから、どれほどに苦しい思いをしてるのでしょうか。

大切で大事な存在を亡くした時に起きる悲嘆の反応のことを「グリーフ」と言い、あまりに悲嘆が続きすぎる・自責の念が強すぎるような場合には、グリーフケアの専門機関で自助ワークショップなどに参加したり、専門家に話を聞いてもらう事も自分を助ける一つの方法になりますので、あまりに苦しすぎる場合はガマンせずに話を聞いてもらってください。

私がグリーフケアの事を学んでいる「日本グリーフケア協会」の悲嘆回復ワークショップについて、参考までにホームページをご紹介します。
ひとりで悲しみを抱え込みすぎなくていいよ、という優しい場所があるという事が分かるだけでもほんのちょっとでも気持ちが楽になれますように。

今のふみさんは、次々に湧き上ってくる「自分でも思わなかった」ような感情に、どうしていいか困惑されていらっしゃると思います。
グリーフ(悲嘆)というのは、大好きな存在を失った悲しさや、支えあい共に生きてきたお母さんとの『過ぎし日』を中心とした思慕の感情だけではなく、今からの現実を何とかして生きていかないといけないという現実への対処を試みようとする「2者」が共存する不安定な状態ですから、身体的にすごくぐったりしてしまう状態にあります。

「何とか気持ちを落ち着かせて生きていきたい」という思いと「お母さんに会いたい」という思いの間で揺れ動くのがグリーフです。

グリーフの中にいる時は「どうして私だけがこんな思いをしなくてはいけないの?」と悲しみに対するやり場のない怒りを感じたり、前と同じ日常はもう戻ってこない…と考えてしまったりして、いつもの自分では考えないような事をたくさん考えてしまいます。

でもそれは、本当に普通のことです。

死別に伴う感情は「日常の自分」と異なっている事は、何らおかしいことはありませんから、そこで湧き上がる感情に対して、どうか自分を必要以上に責めすぎないでいてください。

> どのように自分の気持ちを持っていけばよいのか、母がなくなり私も存在価値がなくなった感覚に襲われます。

ふみさんは母子家庭で「人生を共に暮らした」と書いてくれていることからも、お母さんに対する愛着というのは、とてもとても大きく深いものだったのだと思います。
二人三脚で助け合い、支え合い、励まし合って、時には喧嘩したりしながらもお互いをかけがえのない存在として一番側で感じ、愛し続けてきたのだと思います。

お母さんという存在が、ふみさんにとって「安全な場所」であれば、自分がこの先も安全に生きられるのだろうか?ととてつもない恐怖を感じると思います。
また、愛着の存在を亡くすことで生きる意味や生活のハリが感じられなくなります。

自分の気持ちをどこに向けたらいいのか、自分の存在すらよく分からないくらい悲嘆の状態の中にいる時は、あれこれしなくていいと思っています。

ただ、毎日を生きることだけを目標にしませんか?

罪悪感を感じちゃう自分がいても仕方ないよねと言ってあげて「お母さんごめんね」という言葉が湧き上がるのであれば、ワンワン泣きながらでいいので「ごめんね」をいう気持ちを祈りの中で届け続けましょう。
罪悪感のある私が悪いとか、何とか気持ちに折り合いをつけて前を向かなきゃ、と急いで考えなくていいんです。
ただただ、今日をなんとか生きることだけで大丈夫です。

ふみさんはご自身がたくさんの罪悪感を抱えていると書いてくれていますが、大切な人を見送って残された遺族の心というのは、とても複雑な動きをします。

大切な人との別れという悲しみに潰されそうな心を抱えながらも「受け入れなくてはいけない。現実を何とかしなくてはいけない。」と、悲しみと同時に頑張ってしまっているんです。

何とかしなきゃ!と自分を頑張らせる中で感情は複雑に揺れるため、心残り・負い目からくる罪悪感を感じ、私だけが生きていていいの?と感じてしまったり、自分の罪から自分をうんと我慢させようとしてしまう事があります。
また、絶望・虚無感・生きがいを失ったことで力を失い、人に会いたくなくなってしまったり、何のために生きているのか分からなくなり寂しくてたまらない感情に繰り返し襲われます。

ふみさんが感じてしまっている「罪悪感」は、感じたくない!!と思ったとしても湧き上ってくる正常な悲しみの反応なので、急いでその感情を何とか整理しようと頑張り過ぎなくていいんですよ。
そう感じてしまう自分のことを、とにかく許してあげてくださいね。

別の方へのココロノマルシェへのお返事になるのですが、亡くなられた人への罪悪感を感じているというご相談へ宛てたものがあります。
その中に「死別を体験した人が抱えるであろう心の揺れ動き」というものにはこのようなものがあります、という事や、もう少し時間が経ってから取り組む内容だと思っていますが「今感じてしまっている罪の意識」をどう解き放っていけばいいのかについても書いていましたのでご紹介させていただきます。

生きる事や自分の生きる希望すら失うほどの深い悲しみの中にいる時ほど、自分に優しくしてあげられたいいのだけれど、喪失という現実を前にすると過去に思いを馳せて後悔や罪悪感に苛まれ、自分で自分を追い込んでしまうことが多々あります。

しょうがなかったのに…
そうするしかできなかったのに…

次から次へと自分を傷つける言葉が湧いてきます。
自分を責めることでしか失ったものをへの想いを表現できないほどに複雑に揺れる感情の中にいるんですものね。

揺れている時間って不安なんですよね。
もう大丈夫だと思った次の瞬間に涙が溢れたりして、私は一体いつまでこうしていなきゃいけないのだろう?この気持ちの揺れはいつになったら収まるの?と、心配で不安になっちゃうんです。

喪失の後には、思考や心に悲しみが「侵入してくる」と言われています。

侵入ですから、入り込んでくるんです。
しかも勝手に。

だから、大きく揺れても大丈夫です。
振り子のように揺れるその感情の揺れ幅は一定ではないけれど、別れという体験は耐えがたい体験ですから揺れるのが「普通」なんだと、どうかご自分に優しく言ってあげてください。

人によって心が楽になるまでの時間は違いますし、比べられるものではありませんが「あぁ、もう居ないんだな」と思うために納得する答えを少しずつ探していく時間のことを【喪の作業】と呼んでいて、その時間は決して無駄ではなく大事な時間です。

愛着が大きく自分にとって大きな存在であればある程、失ってしまった時のショックは非常なまでに大きく、絶望を連れてくるものです。
ふみさんににとって助けたかった・愛し続けたかった最愛のお母さんですものね。
時に喧嘩したってたまに憎まれ口を叩いて本気で「もう嫌い!」なんて思ったとしても、心から愛していたお母さんなんですもの。
お別れは耐え難いものです。

それでも私たちには「立ち直っていく力」が備わっていると言われています。
悲嘆反応は通常数か月で緩やかに治まりだし、どんなに悲しくても未来に向かってまた歩き出そうとすると言われています。

けれど、これは「あくまでも一般的に言われている」事であって、立ち直るまでの期間は人それぞれです。通常の期間以上に嘆いてもいいんです。

立ち直る=悲しい気持ちを忘れるという事ではありません。

もしかしたら、悲しみを受け入れ自分なりに現実に折り合いをつけようと思えるようになることが、立ち直りと呼ばれているものかもしれません。

耐えがたいほどの悲しみに襲われている時は、ただ悲しみにくれる事。
湧き上がる悲嘆を押さえずに、悲しみ尽くしてください。

「泣くのはいけない」「早く立ち直らなきゃ」「もう考えないようにしよう」と、自分の悲しみに蓋をしてしまう事で悲嘆からの立ち直りのプロセスを遅らせてしまう事があります。
拗らせたようになかなか悲しみの小骨が取れないのも、いつまでも痛みを引きずってしまうのも、忘れた頃に突然思い出して心のバランスを崩したりするのも、悲しみを抑え込んでしまう事で起きてしまいます。

グリーフの回復は、よい日もあれば悪い日もあるのが至極普通なので、落ち込みが激しい日がたくさんあっても仕方がないね、と言ってあげてくださいね。

この先はちょっとスピリチュアルな話なので、あくまでそういう話もあるんだな…という感じで読んでもらえたら嬉しいです。
以前読んだ本の中にあった言葉なのですが、今世の肉体での命を終えた後で神様に必ず聞かれる質問があるのだそうです。その質問は

人生を楽しみましたか?

というものなのだそう。
お母さんはこの質問をされていたとしたら、ふみさんはどう答えていると思いますか??

今のふみさんは罪悪感をたくさん感じているので、おかあさんは辛いばっかりで人生を楽しめなかったのではないだろうか?と胸が苦しくなるかもしれませんが、お母さんは果たしてそう思っているのでしょうか?

苦労の連続のように見えて楽しむなんて出来っこなかったと思えるお母さんの毎日は、苦労してでも見たい「愛しいふみさんの笑顔」を見ることで幸せをかみしめていたのではないでしょうか。

私は自分の子供を持ったことがないので心から母の気持ちを理解できてはいませんが、子供のようにかわいがっている猫と犬を引き取って離婚をしました。
離婚をするとき、それが子供でなくても「幸せにするって約束したのに」ととてつもない罪悪感を感じていました。
離別や死別、最初から一人で母になる決意など様々な事情で「母子家庭」になるしかないとしても、どこかに申し訳なさを感じている事があったかもしれません。
罪悪感を感じながらも、それ以上に「この子のために、この子の幸せのためにできることを何でもしたい」と思うのが深く大きなお母さんの愛。
ふみさんと喧嘩したり、雑談したり、一緒にテレビを見たり、ご飯を食べたりといった「何気ない日常」を穏やかに過ごす時間が、お母さんにとっての何より大事で大きな幸せだったのではないのでしょうか?

ふみさんのお母さんは、ふみさんを産み・育て・ふみさんと今世で出会えたことがかけがえのない「何よりの幸せ」だったと、神様の前で告げているかもしれませんよね。
私自身はまだ動物の「おかあさん役」という体験しかできていないけれど、それでもやっぱり『出会ってくれてありがとう』と思っていますし、神様に聞かれたら「この子たちに出会て幸せな時間でした」と胸を張って告げます。

苦労したように見えた時間が、お母さんにとっては「頑張るしかなかった時間だけれど振り返ったらちゃんと幸せな時間だったよ。あなたがいたから。」と言ってくれているかもしれませんものね。

根本さんの本を読まれて「罪悪感」でいっぱいだと気づかれたふみさんに、もう一つ届けたい言葉あります。

罪悪感は愛があるから感じる感情です。

『罪悪感の固まりの自分』というくらいに、お母さんを愛している愛情の塊なんです。
後悔してやりきれなくなるほどに、愛しているんです。
時間を巻き戻して「愛してる」って伝えたくてどうしようもないほどに、深い愛があるんです。
失いたくなかったと嘆くほどに、愛し・愛されることを知っているから「罪悪感」を感じるんですものね。

お母さんとふみさんがお互いに「深くて大きな愛」で繋がっているんからゆえに感じる罪(愛)の意識なんですもの。

死生観に関しては様々な宗教や考え方があり、どれがいい・悪いではなく「誰も分からない事」なのでどれが正解かは分かりませんが、私は死への恐れ(大切な人との別れを想像すると不安でたまらなくなる)が強かった時にすすめてもらって読んだ本に心が楽になった経験があります。
あくまでひとつの「見解」ですが、もしかしたらふみさんの気持ちを少しだけでも楽にしてくれるヒントがあるかもしれないのでご紹介します。

飯田 史彦さんという方の「生きがいの創造」いう本です。
(シリーズ物で複数出ているようです)

輪廻転成に近い内容だと思いますが、前世・現生・来世へと、私たちは肉体を離れた後も光のようなものとして存在していて、さらに現生で近しい存在の人とは過去生でも身近な存在を何度も繰り返していたり、何度も同じ人と親子や夫婦として次の命も選んでいる…というような内容でした。

最後は少しスピリチュアルな話をしてしまいましたが、悲しみや自分を責める自責と一緒に苦しみながらも「頑張る」ことをしているために、ある時急に

何もしたくない、頑張れない。

と身動きができなくなるのも、悲嘆反応のひとつです。
希望が持てない、何を拠り所にしたらいいのか分からない、苦しいけれどこの状況の中にいる時は何もできない自分を許し続けるだけでいいので、あまりにも苦しい場合は抱え過ぎずにどうぞグリーフケアの専門家に頼ってください。

今日は少し穏やかに眠れそうですか?
今日は元気が出ない悲しい日ですか?
揺れる幅は一定ではなく行きつ戻りつしながら一進一退を続けますから、辛い気持ちを吐き出したいときは、ココロノマルシェに思いのたけをぶつけてもらってもいいですし、私もお悩み相談をブログでやっていますのでただ「吐き出す」場として使ってもらってもいいので、話を聞いて欲しいと思う事があれば遠慮なく気持ちを届けてくださいね。

ふみさんの気持ちがほんのちょっとでも安らげる時間がありますように。
祈りを込めて。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

ココロノマルシェへ

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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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