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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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【ココロノマルシェ】思いやりがない。という母親に言われた言葉から解放されたいんです。

マミコちゃんのお仕事の隣でえへへーでち!

在宅勤務中の私の隣で、何やらご機嫌そうにゴロンとしているかわいい仁くん。
ちょっとだけ私に触れているのが、これまた愛しい♡

私の座っている長座布団のようなものは、前に住んでいた家で使っていた「大型爪とぎ(別名:ソファー)」の背もたれ部分。
引っ越しの際にギンちゃんが不安にならないように、前の家の馴染んだ匂いがあったほうがいいかな?と持ってきたのですが、これがまた座り心地が良くて、新しい環境になじんだ今も捨てずに活用しています。

で、もう一つ仁くんを挟んで左側に移っているグレーのクッションのようなものも、先日買い替えることにして捨てた古いソファーの背もたれ。
W旧背もたれの間でにっこりしている仁くんですが…

はわわ。落っこちたでち!!

だんだんと体が傾いていき、コテッと隙間に落っこちて「はわわ」と慌てていました。

慌てた姿もかわいいなんて♡
親バカな私がかわいい仁くんをとくとご紹介した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

相談させてください。
私は、アラサー独身実家暮らしです。

2年ほど前、母親に突然すごい剣幕で怒鳴られ、
あなたは思いやりがない子に育ってしまった。こんな子に育てた覚えはない。空気が読めない。などたくさんの罵声を浴びせられました。

待ち合わせがうまくできなかったという些細な理由でです。
普段から私に対する不満を溜めてたんでしょうね。申し訳無い気持ちでいっぱいになりました。でもとても悲しくつらく、それ以来母の顔がまともに見れなくなりました。昔から優しい反面、機嫌が悪い時も多く、家の中で私から逃げているのがわかりました。私がリビングに行くと、違う部屋に行くとか。母も子育てが大変だったんだろうな、一人の時間が欲しかったんだろうなと今は思います。
2年の月日で忘れてきてもいるのですが、 思いやりがない。という言葉だけがずっと心に残ってしまって、ふとした時に思い出されて、私は思いやりがないのかぁ。という疑問と母親が言うから納得しなきゃいけないという感情の間でモヤモヤしています。私はおばあちゃんになるまでこの思いやりがない。とゆう言葉を思い出して苦しくなって涙を流して生きなきゃいけないのでしょうか。解放されたいんです。アドバイスいただければ幸いです。
相談者:るいさん

るいさん、こんにちは。
感情的になってしまったお母さんから言われたトゲのある言葉が、今でも胸の中に鋭利な形で突き刺さり、時々グサリとるいさんの心を傷つけているようですね。

私もそうですが、言葉を投げつけらると素直にそれを受け止めてザックリと傷ついてしまうことがあります。

言葉について、東京大学名誉教授であり医学博士の『養老 孟司さん』のこと言葉が私にはとってもスーッと染みたことがあります。

言葉というのはいいかげんなもの。
『人が何を言おうが、どう思おうが知った事ではない』そのくらいの気持ちでいることです。
そもそも言葉というのは非常にいい加減なもの。ところが現代は『言葉=真実』と受け止めてしまう人が多い。
言葉をまともに受け止める必要なんてない。イヤなことはかわしてしまえばいいんです。それは真実とは違うのですから。
言葉は時代によっても状況によってもコロコロ変わるもの。いちいち一喜一憂しないことです。
(明日はきっといい日になる/養老孟司)

養老孟子さんが言うように、言葉というのは「まともに受け止める必要がない」ものなのだと思うんです。
確かに言葉は大切なものだけれど、その言葉を発しているときの相手の感情面だったり背景だったりというのは一定ではなく、その時々の状況に引っ張られてしまいます。

「これ、嫌い」という言葉だったとしても、それを笑顔で言われているのか怒った顔で言われているのか、はたまたその時にその人の感情が安定せずにイライラをぶつけるようにとげのある口調で言われるのかによって、まったく違った意味を持ちますよね。

> 2年ほど前、母親に突然すごい剣幕で怒鳴られ、 あなたは思いやりがない子に育ってしまった。こんな子に育てた覚えはない。空気が読めない。などたくさんの罵声を浴びせられました。

罵声とのことですから、そこでは感情的に激高したお母さんが怒りに任せて言葉を発したのだろうと思います。
時に感情的になり過ぎて怒りに震えているときというのは、誰かを傷つけよう!と意図的にキツイ言葉で攻撃してしまうことがあります。
後で冷静になって自分の発した言葉を覚えていれば反省したり「あの時は感情的になっていて、本当はそう思っていないのについ…」と謝ることもできますが、感情が高ぶって口から飛び出した言葉というのは、案外本人は「そんなこと言ったっけ?」と覚えていなかったりすることも多くあります。

突然ですが、るいさんは今日の午前中9時~10時の間に、どんな言葉を話したかすべて覚えていますか?
すべて思い出すことができますか?

今日、自分が発した言葉だったとしても案外忘れてしまっていることに気が付きませんか?
言葉というのは、それくらいあいまいなものなので『真に受ける必要はない』ものなのだろうと思うんです。

また、相手の発する「言葉だけ」を捉えてしまうとその言葉に振り回されてしまいますが、私たちはどんなに相手が「こう思っていたのだろう」と想像をすることができても相手がその言葉を発した本当の意図というのは分からないんです。

> 普段から私に対する不満を溜めてたんでしょうね。申し訳無い気持ちでいっぱいになりました。

るいさんを傷つける言葉を聞いた時、るいさんは「私が悪いからだ」と自分をいっぱい責めてしまいましたよね。
けれど、これだって本当にお母さんは普段からるいさんのことでイライラしていたのかどうかは分かりませんし、その時になぜそんなにも感情を爆発させてしまったのかは、お母さんにしか分からない事です。

激高して罵声を浴びるというのは、誰しもが嫌な気持ちにになる体験です。
その言葉にザックリと大きな傷を受けて、しばらくその痛みに涙することだってあります。

私も言葉を真に受けて傷ついたことが幾度とあります。
今でもきっと、きつい言葉を言われたら涙が出て悲しくなります。

悲しいって感じてしまった、泣いてしまう自分のことは「よしよし」って抱きしめて寄り添ってあげるようにして自分自身の背中をさすってあげながら、きつい言葉に対して「こういう風に考えてみようか?」という提案を自分にしてあげるようにしています。

言葉というのは相手に発した言葉であっても「自分が聞いている言葉」だと聞いたことがあります。
だから、きつい言葉を相手に投げかけているつもりでも、その人は自分の言った言葉で自分自身を攻撃しちゃっているんだなぁ、それってとても悲しいことだよなぁ、と。

また、心理学を知ることによってとっても便利(私が便利に解釈しているだけですが)なものを手にしました。

【投影】というものなのですが、るいさんは聞かれたことがありますか?
ザックリいうと「自分のことを相手に映し出すことで自分自身を見ている」というようなことなのですが、これを当てはめてみると

るいさんに浴びせた罵声は、すべて自分の自己紹介であるということ。
るいさんを傷つけるために発した言葉は、すべてお母さんの中にあるお母さんが嫌だと思っている自分の内側だということ。

るいさんは「私がいい子じゃないから不満を抱えていたのだろう」とお母さんを思いやり自分を反省することをされていましたが、お母さん自身ももしかしたら「私にもっとるいさんを思いやるれる余裕があればいいのに」とうまくやれない自分に対する苛立ちを抱えていたのかもしれません。
自分を責めるってとてもつらい作業です。
もっと優しく愛してあげたいのに、余裕がなくてそうできない。優しくできる日もあるのについつい声を荒げてしまうそんな自分が嫌いだ、と自分を責める罪悪感というのをお母さんが抱き続けていたとしたら、その辛さから目を背けたくなって『私は悪くない!私に優しくさせないような時間間違いをするあの子がいけないからイライラするんだ!』と言わば逆切れのようにして自分の心を守ろうとします。

と、ここまでお母さんも自分に対して自分を責めているの「かも」しれないですよねという事を書いてきましたが、これも全て「かもしれない」という想像でしかなくて、お母さんが感情的になってしまった気持ちというのは、お母さんにしか分からない事なんです。
しかも時間の経ってしまった今、お母さんはその時になぜ強い言葉でるいさんを叱責したのかを忘れてしまっている部分もたくさんあると思いますから、その時にさかのぼって背景を知るのは難しい事ですよね。

相手のことを深く思いやれるからこそ、私がいけなかったんだ…と相手の感情まで慮って自分を責めてしまいますが、お母さんとの距離が近すぎて傷ついてしまうと感じるならば、境界線を持つイメージをするのも心を楽にする一つの方法です。

ブログやココロノマルシェのお返事の中でよくご紹介しているのですが、精神医学学者フレデリック・S・パールという人の書いた『ゲシュタルトの祈り』という詩は、相手のことを深く考えすぎたり思いやり過ぎたりしてしんどい時に自分をもとの自分の位置に戻してくれるのにとっても役に立つ言葉なのでご紹介させていただきます。

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。
たとえ出会えなくても、それは仕方のないこと。
私は私。あなたはあなた。
あなたはあなた。私は私。

お母さんから見た「思いやりのある子」というのはどんな子なのでしょう?
お母さんの希望している望みのところに到達できていなかったら、思いやりがない子なのでしょうか?

違いますよね??

お母さんが望む形の思いやりを上手に表現できなかったとしても、るいさんにはるいさんの思う「思いやりの形」というのがあると思うんです。
お母さんの望む思いやりの表現という期待には添えていなかったかしれませんが、だからといって100か0ではなく、お母さんの望む得点に届いていないというだけで、るいさんのもつ思いやりの価値がなくなるわけなんかありませんもの!!

> 2年の月日で忘れてきてもいるのですが、 思いやりがない。という言葉だけがずっと心に残ってしまって、ふとした時に思い出されて、私は思いやりがないのかぁ。という疑問と母親が言うから納得しなきゃいけないという感情の間でモヤモヤしています。

ずっと「思いやりがない」という言葉を思い出して傷ついてしまうのは、るいさんにとって「思いやり」というのを大事にしているからではないのでしょうか?

るいさんはピアスをされていますか?イヤリングでしょうか?
どちらかに置き換えて想像してもらいたいのですが、るいさんが欲しくて買った少し高価なピアスを大事に使っていたのに、ある日家に帰ってきたら片方だけなくしてしまっていたら、どんな気持ちになるでしょうか?

あー、どこで落としちゃったの?すごくショック!!

と悲しい気持ちになると同時に、もしかしたら帰ってくる前に寄った場所へ戻ってピアスが落ちていないか探しに行くかもしれません。

対して、思いれもあまりないピアスを落としてしまったら「あー、落としちゃった。がーん。」と少しだけしょんぼりはしますが、仕方ないか…とすぐに忘れたり気持ちを切り替えらるのではないでしょうか。

『思いやりがない』と2年前に言われた言葉を今でも思い出して苦しむというのは、るいさんがそれだけ「自分の中にある思いやり」を大事に感じ、大事に育て、大事に扱っているという証拠ではないのでしょうか?

自分の中の大事なものであれば、言われた言葉が何度も思い出されて自分を強く責めてしまうのも不思議ではないですよね。

もしも本当に思いやりのない人が「あなたは思いやりがない!」と言われたら傷つくでしょうか?
それはその人にとっての単なる事実であって、「うん。そうだよ。私はおもいやりなんてもってないしー」と傷つくことなくスルー出来る話です。
こんなに長い時間、深く苦しみ傷ついているという事は

るいさんはそれだけ思いやり深く暖かい素敵な女性だから

だと私は思っています。
傷ついている分だけ、思いやりを持っている人なのだと思っています。

るいさんはおばあちゃんになるまでこの言葉を思い出して悲しい気持ちになるのかも…と憂いていらっしゃいますが、実は私も過去に大好きだった人からひどい言葉を言われた経験をしたことがあります。
後になってその言葉のことを聞いたら「え?そんなこと言ってないよ!」と全く覚えていなかった上に、心理学を知ってその言葉が彼の罪悪感からのものだったんだな…と思えることで楽になりましたが、頭の中で繰り返し再現される「傷つく言葉」を前に、どうにかこの記憶を消せないか?と考えて調べたことがあるので、その時になるほどと思ったことを少しご紹介させていただきます。

『記憶の4ステップ』
私たちは物事を記憶しようとする時、脳の中で4つのステップを踏んでいるそうです。

情報の獲得 → 記憶の固定化 → 記憶の再生記憶の再固定化

私たちは起きた出来事を記憶しておくために、出来事を繰り返し再生するように「思い出す」ことをして「覚えなおす」という事をしているのだそうです。
そして、繰り返し覚えなおすことでしっかりと記憶に刻んでいくのだそう。

つまり、強く記憶に残しておくためには反復が欠かせないんです。
一夜漬けだと試験が終わるとスコンと忘れてしまうように、勉強も何度も繰り返し書いたり考えることで、自分の中に定着しますよね。
それと同じく、嫌な体験があったときに悩んだり反省したり後悔したりして「自分の中で何度も何度も考えること」で脳に強く刻み込まれてしまうんです。

人間は思い出した段階で、何度も記憶を固定させるのだそうです。
つまり「嫌な記憶を忘れようとする」ことを意識し、忘れたい!!と思ったときに過去を思い出すことでより深い記憶としてしっかり刻まれてしまうそうなんです。

では、どうしたら「考え事をやめること」ができるのでしょうか?

●他のことに集中する
私たちは考え事で頭をいっぱいにしているときは「暇」だったりするときが多いものです。
何かに集中しているとき、夢中になっているときというのは考え事をする「隙間」がなくなりますから、嫌な考えがわいてきた…と感じたら、何か集中できること(読書でもゲームでも掃除でもお料理でも体を動かすことでもなんでもOK)をしてみて、思い出すのをストップさせるのも効果的です。

●自分にかけてあげる「魔法のひと言」を決めておく
嫌な記憶を引っ張り出してしまい、ネガティブな気持ちに引っ張られるのを断ち切るために「自分に効くおまじない」のような言葉を決めておくのはとっても効果的です。
「心配ないさ~(大西ライオンさん風)」「よーし、ここでストップ!」「そろそろいらない言葉はポイッてしようか?」など自分を責めるのではなく「もうやめていいんだよ」と優しく寄り添うような言葉だといいですね!

●思い出してしまう嫌な感情にニックネームをつけて茶化してあげる
「思いやりがない」と言われたことを思いしてしょんぼりしてしまうことに対して「かわいいニックネーム」をつけてあげましょう。
思い出して嫌な気持ちになったとき、そのニックネームを使って自分を俯瞰で見てあげます。
例えば落ち込む自分に対して「にゃんだふる」というニックネームをつけておけば、思いやりがないという言葉で落ち込もうとしたときに『あ!またにゃんだふるしてるー。もー、わたしったらにゃんだふるするのがホント好きだよねー』とニックネームを使って自分を軽く茶化してあげて、クスッと笑わせてあげることで、思い悩みすぎる状況から抜け出したりすることができます。
別の方へのお悩み相談で詳しいやり方を紹介していますので、よかったら見てみてください。

過去に思いがけないタイミングで思いもしない言葉に傷つけられた時に、すごく悲しい気持ちを体験されたるいさん。
過去のことを思い出してしまうとどうしても悲しくなってしまいますが、この先の未来はるいさんが自由に作っていけるものです。

あの時は本当に悲しかったね、と辛い体験で傷ついた自分を無視せずに大事に抱きしめてあげながら、るいさんが大事にしている「私らしい思いやりって何だろう?」「私が思う思いやりってどんなものだろう?」と自分を上手に表現出来ていける未来を作っていけますように。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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