【ココロノマルシェ】亡くなった先輩への罪悪感が呪いとなって、私は恋愛がことごとくうまくいかないのでは…?
先日の3連休中、ダラダラしている私のお部屋に、妹が「ギンちゃんと仁くんのお誕生日だから」とケーキを買って泊まりにきてくれました!
(すっぴんダラダラデーの中、すっぴんで活動したのは唯一この日のみ。)
で、せっかくなので王冠を被ってもらって記念写真を撮りたかったのですが、クリームを前にテンションのあがるきょうだいを前に、写真がブレブレで断念。
ギンちゃんや仁くんには、ほんの1フォークだけクリームをお裾分けし(仁くんはお隣のスポンジも一口もらってご満悦でした)、後は私と妹で仲良く甘くて幸せな時間にとろけました。
シャインマスカット…スーパーで見る度にため息をついて諦めていますが、ケーキに乗っていたそれは夢のように美味しくて、ちょっと贅沢だけれどスーパーで一房行ってみようかなぁ?と逡巡中だという私の小さな悩みを発表した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
以前、恋愛のことで相談させていただきました。
その際に、温かいアドバイスをいただき、何度もも読み返して癒されています。
ありがとうございました。
今回は、人間関係のことです。
新卒で入った、前職場にいた先輩のことです。小さい部署で、年齢の近い女子社員は密な連携をしていました。
その先輩は、ある人を徹底的に無視していて、お茶汲みをしている時もお昼休憩の時も、その人がいないかのように振舞っていました。
そのときに、私の中で「この人を怒らせたら怖い目にあう。」とインプットされたため、言動に気をつけて接していたので、おかげで可愛がられるようになりました。
数年が経ち、ささいな誤解が元で、ある日から急に私が無視されるようになりました。
挨拶をしても、空気のように扱われ、毎日職場のトイレで泣いてやり過ごす日々。
時間が経ってから、他の先輩に理由を聞きましたが、全くの誤解。
一度だけでも話をしてほしいと、メールをしても全て無視され…
段々私も嫌気をさしてきて、私には他にも味方になってくれる先輩はいると言い聞かせ、つらいながらも半年経ちました。
その頃、転職が決まり、その先輩も病欠でしばらく休職され、もう会うこともないのかなと残念に思っていました。
そして、さらに半年が経ち、新しい職場で働くようになった頃、その方が亡くなられたと連絡をもらいました。実は、末期の卵巣癌だったそうです。まだ30歳の若さだったのに…
はじめに「私に対しての怒りが原因で病気になられたの…?」と思い、お通夜に行くことすら迷いました。
でも、結局何の和解もできないままの別れが悲しく、お通夜で私の気持ちを書いた手紙を棺に入れました。
その人の病気と私とのことは関係ない、と思うものの、たまに思い出すことがあります。
そして、その人は独身で、結婚したがっていました。
そして、私は恋愛がうまくいかず、婚活をしたもののうまくいかず、独身です。
その人に対しての罪悪感が呪いとなって、私は恋愛がことごとくうまくいかないのでは…?なんて、被害妄想的に思ってしまうことも…
前に進んでいくために、もう二度と会えない人への罪悪感をどうやって癒していったらいいのか、アドバイスをいただけたらうれしいです。
相談者:さらこさん
さらこさん、こんにちは。
身近な人の死に接し、振り返って罪悪感を持たれて苦しまれているようですね。
私たちは身近な人が「死ぬ」という事を意識して暮らしてはいません。
だから、突然の訃報を聞いて呆然としてしまいます。
なぜあの人が?
なぜまだ30歳という若さで??
「なぜ?」「なぜ?」と答えのない問いかけを自分にしてしまうことも沢山出てきます。
死別を体験した時に、様々な感情の変化が同時に起こりますが、その中にはこのようなものがあります。(本当に色んな症状があります。)
【ショック】
身近な人がなくなった事への驚きと混乱、悲しみ。ごくごく自然な感情です。
【否認】
まさか…?嘘でしょ?!と、死を認めずに否定しようとします。これは心の防御反応の1つでショックな出来事から心を守ろうとして起こります。
【怒り】
自責の念からの怒りであったり、強いストレスから身を守ろうとして怒りという激しい感情を持つことがあります。
【思慕】
夢でもいいからもう一度会いたい…というように、恋しい気持ち・会いたい気持ち・慕う気持ちが激しく募ります。
【孤独感・虚無感】
一緒に過ごした場所などで、もう自分の隣には居ないのだ…とひとりぼっちで取り残された気持ちになります。
【寂しさ】
もう二度として触れる事も、話す事も出来ないと感じることで途方も無い寂しさを感じます。
【後悔】
あの時この言葉を伝えておけば、あの時なんでこんな事を言ったんだろう、と二度と取り返しのつかない状況を嘆きます。
【不安】
生きがいや支えだった人がいなくなる事で心細く、不安に苛まれます。
【逃避】
現実から目を背けるため、仕事や趣味に忙しくし、自分の声を無視します。
【罪悪感】
あの時にこうしていれば…という後悔の他に、喧嘩をしたままだったり何もしてあげなかった事を悔いたりして罪の意識にかられます。
【ちらつき】
亡くなった人がその部屋にいることを感じたり、道ですれ違った!などというように故人が見える現象。
死別を体験すると、大きさや強さは異なるとはいえ、このような様々な感情や心の揺れ動きがあり、周りの人は自分が抱えている思いに対して「そんな事関係ないよー」と言ってくれたとしても、自分の中で因果関係を持たせてしまい罪悪感や後悔で苦しい思いをする事は死別体験をされた方の中に沢山見られます。
心残りがあったり、何もせずに離れてしまった事で「自責」の念が強い場合は特に罪悪感を抱えてしまいます。
> はじめに「私に対しての怒りが原因で病気になられたの…?」と思い、お通夜に行くことすら迷いました。
因果関係がハッキリしていない事であっても、亡くなられた方が死ぬことになった病気の原因が「私の態度や言動だったのかも…」と結びつけて罪悪感を募らせてしまわれたようですが、誤解だったとはいえ自分が原因なのではないか?と思って罪悪感を募らせてしまうというのは、本当に苦しい状態だと思います。
あの時には「こうするしかなかった」「これしか出来なかった」と分かっていても、もっと歩み寄ればよかったのではなかったか?自分の我慢が足りなかったのでは?と後悔はいくらでも湧いてきますものね。
残念ながら『完璧な人間』というのはこの世界にはおらず、私たちは欠けた部分があり、それ故に後悔してしまう事がありますが、私たちは【自分に出来ること以外は出来ない】のですから、その時に出来る「ベスト」を選んでやってきています。とはいえ、強い罪悪感を感じているときにはなかなかそうは思えないのですけれど、ね。
> でも、結局何の和解もできないままの別れが悲しく、お通夜で私の気持ちを書いた手紙を棺に入れました。
何もしなかったことで持つ罪悪感というのは、自分の中で大きな罪として心を苦しめます。
あの時にこうしていれば…と自分をどんなに責めても、時間を遡って亡くなった方に会いに行くことは出来ませんし、直接話しをして誤解を解く事も、謝る事もできませんから「自分は取り返しのつかない事をした」と責めてしまうとしたら、その罪の重さはとても重いものとして心を押し潰すのだろうと思います。
あまりに罪の意識が強い時には、実際には因果関係が正当化できない事についても「自分がわるいから」「あの人が亡くなったのは自分に原因がある」という呪術的思考に囚われて、そこから抜け出せずにウツのような状態になる人もいるほどです。
実際に死別を経験した人を対象にした調査では、9割の人が「自責の念」を感じてたと答えていることからも、さらこさんが感じてしまったような罪の意識を持つのは何もおかしな事ではないんです。
さらこさんがお手紙を書いて棺に収められた事、とても良かったと思います。
生前に届ける事は出来なかったとしても、伝えたい事を手紙にして旅立つ時に持たせてあげられた事で「出来ることを精一杯やった」と認めてあげて欲しいな、と思っています。
心残りがあるのは「死別」という状況下では仕方のないことです。
それを踏まえてなお、深呼吸して考えて見て欲しいんです。
確かに先輩は「誤解」をしてさらこさんを攻撃していました。その誤解を解く事をしていたら、ここまでの罪悪感をさらこさんが持たずにいられたかもしれないのに、さらこさんは誤解を解かずに職場を離れてしまい「何もしなかった」と罪の意識を募らせてしまいまいたが、その場でひたすら耐える事で、先輩の誤解を解くことができたでしょうか?
実際にそれは「現実的」だと思える選択肢だったでしょうか?
そうする事ができた「かも」しれませんが、その時のさらこさんの状況では、その場を離れる事が「最善」だったと思えたからそうしたのではなかったのでしょうか??
私たちはどんな選択をしても過去を振り返る時に「後悔」をする生き物です。
あの時、あの選択をしていれば…と常にいくつもの選択肢から「何か」を選んで進んで行きますが、選ばなかった(選べなかった)選択肢の道を歩んでいたら…と思いを馳せる生き物なんです。
確かに「もっと何かを出来たかも」しれません。
けれど、完璧な人間はいませんから、さらこさんはご自分が置かれた状況下で一生懸命頑張ったのではなかったでしょうか???
誤解され苦しんで奮闘していた時の自分を思い出してあげてください。
そうするしかなかった…と自分の事を見てあげることはできませんか??
以前、ブログ記事で書いたことがるのですが、私たちは自分の命の炎が消える時に「持っていけるもの」は何もありません。
記事の中でご紹介しましたが「role letter」(役割のある手紙・遺書)を書く事で「死」に向き合ってみるというのも、罪悪感を癒す手伝いをしてくれるかもしれません。
この手紙は、自分が「今、1番大切な人」を思い描いて書いて見てください。
自分が何を届けたいのか、何を伝えたいのか、死に向かっていく自分は何を残したいのか?
沢山涙を流すと思いますが、きっと最後に伝えたいことは
「ありがとう」や「愛しています」だと思うんです。
先輩は30歳という若さでご病気をされ、その中で沢山「命」と「死」と向き合われたと思います。
遺書を書くワークをしていただくと分かると思いますが、最後の最後に「誰かを呪って死にたい」とは、やはり思わないと思うんです。
先輩はきっと、大切な人たちやこれまで出会って関わりのあった人たちに「先に行くけれど、出会えてよかった。いろんな体験を(怒りも涙も、喜びも感動も愛も感じることも)今世でできたなぁ。」とどんな過去にも【呪い】をかけるのではなく懐かしさを感じて生涯を終えたと思いませんか??
先輩に伝えられなかった言葉、後悔している態度、思い残すことは沢山あると思います。
仏教にもキリスト教にも【懺悔】というものがあり、抱えきれない罪を「告解」(告白すること)し、赦しを神に求める事が出来るようになっています。
そして、神様はどのように考えていらっしゃるかというと
罪を赦し、生きていくように
と、いつまでもその罪を背負い続けるのではなく、赦されていいのですよ、と手を差し伸べてくれています。
そして、1人で抱える事が無理なほどの罪悪感であれば、それを「告解」することで罪を解くように心から解放する事、つまり、誰かに今の気持ちを聞いてもらう事で心の中に大きくのしかかっている罪悪感を溶かす事をする事も助けになります。
宗教的なものではなく、誰かに聞いてもらう事が必要であればカウンセラーに自分の気持ち(辛さ・後悔・後ろめたさ・今の思い)を存分に吐き出し、聞いてもらう事も助けになります。
話すは放す、という事になりますから抱えている苦しさを吐き出すように楽になってもいいんですよ。
また、私たちが持つ「思い込みの力」というのはかなり強力で、サプリメントを「病気に効く特効薬です」と言われて処方されたものを飲んだだけで、病気が改善する【プラシーボ効果】というのを聞いたことはありませんか?
サプリメントは単なるビタミン剤だっとしても、治験者が「自分の病気に効く素晴らしい薬だ!と思い込む」事で、因果関係のない病気すら良くしてしまうくらい、思い込みというのは力があります。
プラシーボ効果はプラスに働きますが、その逆の働きをする事を【ノシーボ効果】といいます。
つまり、先輩への罪悪感から「呪い」にかかり、不幸になる…と【思い込む】事で自分を不幸にすることは可能なこと。
だから、さらこさんが「私は先輩に『何もしなかった罪悪感』ゆえに呪いにかかり、先輩が望んでいた結婚ができない」と思い込めば、先輩が実際にはかけていなくても自ら【呪い】にかかることは可能なんです。
長くなってしまいましたが、先輩はきっと「幸せなパートナーシップ」を望んでいたのであれば、自分が病気になりそれが叶わなかった病床で命の長さがあと少しだと思った時に、わざわざ『同じ苦しみを味わってほしい』と、残された人に呪いをかけるような事をされると思いますか?
これは「私が思うこと」なので先輩の意見ではありませんが、もしも私が今、突然の病で命の灯火を消したとしたら、たまにどこかで誰かが私のことを思い出したり、なにかの席で話題に登ってくれたら「幸せだなぁ」と思うと思います。
残念ながらどんなに思いを馳せても故人と再会することはできません。
もう再会はできなくとも、これから「新しい故人との関係」を作っていく事はできます。
先輩を思い出したら「あの時にもっと先輩にぶつかっていけばよかったと思っています」と天に向かって話しかける事もできますし、なにかの折に先輩を知っている人と集まった時に、みんなで献杯をして思い出を話し合ったりすることで、先輩との【新しい付き合い】を始めることができますよね。
出せない手紙を書く事も、自分の心を優しく癒す作業になります。
綺麗な便箋を用意して、懺悔のように思いを書いてもいいですし、後悔の念を吐き出すのもいい事です。
そして、苦しみの手紙の後には、先輩に出会えて成長できた点、先輩から学んだ事、先輩の魅力だった部分、誤解されて上手くいかなかった時期があったとはいえ、それを超えてなお届けたい感謝が湧いてきたら、それを手紙にして見ることも罪悪感を優しく癒す助けになってくれます。
死別で受ける様々な感情に、時間はゆっくりと薬のように効いてはくれますが、完全に癒す事は難しく、喪失への適応は長い時間(数年単位)でかかるものですから、波のようにいろんな感情が沸く事は仕方のない事…として、1人で抱えるのがしんどすぎる時には、SOSとしてカウンセリングを活用してみてくださいね。
さらこさんは、きっと「優しい方だからこそ」自分が罪を背負ってしまったのだと思います。
その優しさは先輩にも届いていたと思いますよ。
完璧な人はいませんから、その時に精一杯だった自分を追い詰めすぎず、心の中にある「何もしなかったことを後悔しているんだよね。」という気持ちにゆっくり寄り添ってあげて、その後悔の痛みに「こんなに後悔するのは、私が愛情深くて先輩のことを思えているから感じるんだよ。」と優しく届け続けてあげてください。
罪悪感の奥には大きな愛があることについては、師匠である根本さんが心に届く本を書かれていますので、本を読んで見ることで自分の罪悪感のパターンや癒し方を知ることができると思います。
長々と書いてきましたが、死別に伴う感情というのは、本当にいろんな形で現れますので、どうぞ、揺れ動くものだから仕方のないことであることを忘れずに、さらこさんが自分の人生を苦しみすぎずに歩んでいけるように祈っています。
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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡
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ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。