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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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(お悩み相談)私が調子が良いときは、主人は愛してるとかよく言うのですが、具合が本当に悪い時には声もかけてくれません。

こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。

今週はちょっと仕事が忙しくて、あまり余裕がなさそうだ…と思っていたので、週一の出社当番の帰り道にスーパーで食材類をまとめ買いした際に「おいしく甘い栄養補給」アイテムを買っておきました。

フルーツ風味のクリームがたっぷりの 和風なんだか洋風なんだか ワケワカメなおやつですね

どら焼きと言えば「あずき」だとばかり思っていましたが、数年くらい前から「クリーム入り」だったり「あずきにバターが乗ったり」と、和と洋が入り乱れた感じの変化を遂げていますよね~。

しっとりしたどら焼き生地に、フルーツゼリーやジャム、フルーツフレーバーのホイップクリーム入りの「冷やしておいしいどら焼き」を見つけて、迷ったけれどマンゴー味とレモン味の2種類を買ってきました。

今日のお昼にどうしても甘いものが食べたくなって、冷蔵庫の中にあるどら焼きを取り出してパクリ。

レモン味の方を食べましたが、爽やかな香りの甘さの程よいクリームとレモンゼリー風のソースが不思議なハーモニーを奏で、あっという間に完食。
しつこいお味では全くないのに、しっかりと食べた感のある満足系のオヤツでした。

夏は冷たく冷やせる美味しいオヤツがあるのが幸せ♡
スーパーで買って来た「和洋折衷などら焼き」をご紹介した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)ブログに届いたお悩み相談をしたいと思います。

こんにちは。新婚2年目のさくらと申します。以前、主人が緊急入院した時にご回答いただきありがとうございました。
本日はその逆で、私が調子が良いときは、主人は愛してるとかよく言うのですが、私が精神的に発作がおきた時とか、具合が本当に悪い時には、主人は固まってしまい、動けず、私には近寄らず、声もかけてくれません。またそんな時に何かいうと声を荒げて、全く頼りにならないと感じてしまいます。
本当にしんどい時に頼りたいのに、声を荒げて固まられると、調子の良い時に愛してるとか言われても、は?とか思って心の底から頼れません。もう諦めて自分で全て対処したほうがよいでしょうか?
ご相談:さくらさん

さくらさん、こんにちは。
今のお気持ちを届けていただき、ありがとうございます。

ご主人の喉の調子は順調に回復されていでしょうか?
そして今は、さくらさんが逆に不調になっていて、心や体がしんどい状態になる機会が多いのでしょうか??

病気や精神的な発作が起きてしまう時って、とっても苦しいですし不安で心細さを感じるものですよね。
そんな時にこそ、一番側にいるパートナーだからこそ、察して理解して側にいて欲しいと思ってしまいますよね。

以前届けていただいたお悩みの中で、さくらさんはこのような言葉を届けてくれていました。

(お悩み相談) 主人を信頼出来ません。何も、出来ない自分が、価値がないと感じてしまいます。
(お悩み相談) 主人を信頼出来ません。何も、出来ない自分が、価値がないと感じてしまいます。
こんにちは。あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。 先月くら.....
https://many-smiles.com/trouble/i-cannot-do-anything-and-want-to-disappear
(ご感想)まみこさまの返事は、時々読み返し、自分に優しく優しくを先にやろうかなと思います。
(ご感想)まみこさまの返事は、時々読み返し、自分に優しく優しくを先にやろうかなと思います。
こんにちは。あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。 今日はホ.....
https://many-smiles.com/impression/tc-impression-190

さくらさんは、ご主人が命に関わるほどの重症で入院した後も、食事のケアや空気の管理など、どこまでも気を配って細やかにご主人のことをケアされていましたよね。

それはきっと、さくらさんがご主人のことを大切に思い、大事な人だからこそ、不調の時には献身的にケアをして愛を届けたいという思いがあったからですよね?

そしてそれは自分の中の「観念(無意識のルール)」「当たり前のこと」でもあると思うんです。

「私は大切で愛する人が病気の時は、側にいてその人のためにできることをしてあげたい。優しく寄り添って献身的に支えてあげるのが愛だと思う。」

病気の時には優しく看病する、気を利かせて相手が楽になれるように環境を整えたり寄り掛かってきた時に抱きしめてあげる、という思いを持つ人も沢山いますが、それとはちょっと異なるやり方で愛を表現する人もいます。

愛し方というのは100人いれば100通りあるもので、ものすごく身近な存在であるご主人であっても、全く同じ愛し方をしてくれる・同じ愛の示し方を持っている訳ではありません。

たとえば、自分が悩んでいたり落ち込んだ時には、まずいったん一人になってじっくり静かに考えたいと思う人であれば、悩みを抱えている時に「話を聞くよ!」と側にいてくれることではなく、一人にさせてもらう事を望みます。(これは男性に多いタイプです)

自分の望みが「悩んでいる時は一人で静かにそっとしておいて欲しい」という人であれば、もしもさくらさんが悩んでいるというのを感じたら、どんな風に「優しさ・思いやり」を示すと思いますか?

きっと、自分がされたら嬉しい事 = 自分なりの愛情表現として、何も聞かずにその場を離れてさくらさんを一人にしてあげようとすると思うんです。

そこで、さくらさんも同じ思いで「悩みがある時は一人にして欲しい」というタイプであれば、なんて彼は優しい人だろう!!と思えるのですが、さくらさんが「悩みがある時には側にいてほしいし、慰めて欲しい(側にいてあげたいし、慰めてあげたい)」と思うタイプであればどうでしょうか?

側にもいてくれなくて、まるで私の悩みなんて無視するみたいにいなくなるなんてどういう事?!
私は彼から全然愛されていないんだ…
だって私は、彼が悩んでいる時にはいつだって励まし、側にいて話を聞いて元気づけてきたのに…

って思ってしまうのではないでしょうか。

ちょっと極端な例を挙げていますが、自分の中にある「愛し方」と相手が持っている「愛し方」は必ずしもイコールではなくて、お互いにそれぞれ相手をとても思っているのに、愛情表現・愛し方が違う事ですれ違ってしまう事ってあるんですよね。

> 私が調子が良いときは、主人は愛してるとかよく言うのですが、私が精神的に発作がおきた時とか、具合が本当に悪い時には、主人は固まってしまい、動けず、私には近寄らず、声もかけてくれません。

調子が悪い時ですもの、上手にあれこれできなくとも「大丈夫?具合はどう?食べたいものはある?」くらい言ってくれて、優しくしてもれてもいいのに…って思っちゃいますよね。

ましてや、ご主人は自分が体調を崩した時にさくらさんに献身的なケアをしてもらい、つらい時にしっかりサポートしてもらって「そのありがたみ」を身に染みて感じているんですから。

さくらさんが「精神的に発作が起きた時・本当に具合が悪い時」というのは、非日常の緊急事態ですよね?

「ちょっと疲れたみたい」「ちょっと風邪っぽいかも…」という、まだ緊急性の高くない不調であれば、「今日は早く寝たらいいよ」「風邪薬飲んで寝なよ」などと言葉をかけたりいつもより少し優しくすることができたとしても、大好きな人が本当に具合が悪そうな時に

心配はしているけれど、どうしていいか分からない。
心配過ぎて、どうすればいいか途方に暮れる。

という人って、実は意外と居たりするんです。

『主人は固まってしまい、動けず、私には近寄らず、声もかけてくれません。』とありましたが、ご主人は固まって動けなくなるくらい、どうしていいか分からないのかもしれません。

大好きな人であればある程、その人が不調になると、足がすくんだり何をしてあげたらいいのか分からずに何もできなくなって、何もできない自分だからこそ、近寄れず声もかけれずにぶっきらぼうに見えることをしてしまっているのかもしれませんよね。

そして、とてもそうは見えないのですが、何もできない自分というのが苦しいんです。

大好きな・愛している妻が苦しんでいるのに、自分は何もできなくて役に立てない。どうかしたくてもどうしていか分からなくてイライラする…。
その苛立ちや不愉快さは、不甲斐ない自分への怒りや罪悪感というもの。

> またそんな時に何かいうと声を荒げて、全く頼りにならないと感じてしまいます。

こんな態度を取られたら、どこに罪悪感なんてあるの?と思ってしまいますが、罪悪感というのは、自分はダメで役に立てなくて情けない存在だから罰せられるべきだと思う感情ですから、愛する人の緊急事態に何もできない自分がいたとしたら、チクチクと心は痛むしとっても嫌な気持ちでいっぱいになります。
その感情は重たくて苦しくてイヤなものだから、感じたくないとこんな風に抵抗します。

オレは悪くないし!!

いわゆる逆切れの状態なのですが、具合が悪いさくらさんを目の前にして何もできなくて戸惑っている俺に、声をかけてきたさくらさんが悪い!!と言わんばかりの態度をとってしまうんです。

本当にややこしいですよね…

罪悪感は本当に嫌な感情なので、それが大きくなればなるほど「自分を正当化」することで罪悪感から目を背けないと、自分がその重みで潰されてしまうから、悪いのは俺じゃない!と怒りの表現を使って自分を守ろうとします。

自分を守ることに精一杯で、目の間の人に優しくしてあげたり、うまくやれなくてゴメンネなんて言えないんです。

大事な人を守ることをしたい!と思っている、自立したプライドのある男性であればあるほど、自分が何もできないことが許せずに、罪悪感を強く感じます。

さらにややこしいことに、病気のさくらさんを見るたびに自分のダメさや弱さを感じるので、下手をしたら「さくらさんが具合が悪いのが悪い!」みたいな態度をしてしまう事すらあります。

罪悪感という観点でみると、自分が加害者(なにも助けられない)でさくらさんは被害者という図式になり、そうなると「さくらさんが具合が悪い=罪悪感の象徴」のように見えるので、目を背けてしまいます。
ご主人の中で、体調が悪いさくらさんから声をかけられると、罪悪感が発動してしまうんです。

* * *

女性は本能的に「周りを見て察する」という事が得意な人が多いですし、さくらさんは献身的にご主人の看病することが『当たり前のように』思えたとしても、先にも書きましたが、察して行動するのが不得意な人であれば

心配はしているけれど、どうしていいか分からない

と、動けなくなって固まってしまいます。

心配したところで体調が良くなるわけじゃないし…と、どうしていいか分からない自分を正当化することもあります。

でも、病気の時に優しく寄り添ったり、気遣いのある言葉をかけられないことに、ご主人が罪悪感を感じているとしたらなぜでしょう??

大事でもなんでもない存在であれば、気にかけなくても胸がチクチクすることはありませんが、自分を責める気持ちを持つというのは

さくらさんのことを「愛している」と思っているからではないでしょうか?

例えば、冷蔵庫の中に冷やしておいたペットボトルの水が1本あると想像してください。
キンキンに冷えた美味しい水を、さくらさんがゴクゴクと飲み干したところに、「暑かったー」と汗をいっぱいかいているご主人が帰ってきて、「冷たい水が飲みたい!」と冷蔵庫を開けたとしたら、どんな気持ちになるでしょうか?

さっきまで冷たい水があったのに、私が飲んじゃった…
あぁ、彼に飲ませてあげたかったなぁ

と思うのではないでしょうか?

自分を責める…というほどのものではなくとも、どこかちょっとだけ「あちゃーー」というような、胸がチクッとするような感じを味わうと思います。

では、ペットボトルの水を飲みほした後で、テレビのCMで「水道のない地域の子供たちが水を汲みに行く姿」「冷たい水がすぐには飲めない環境」が映し出されているのを見たとしたらどうでしょうか。

その子供たちの環境に思いを馳せたり、水道や冷蔵庫がある環境に感謝したりはすると思いますが、自分が今、冷たく冷えた水を飲んでしまった…とチクッと胸が痛むという事はないと思うんです。

見たことも、会ったこともない「自分にとって特別な存在ではない人」に対しては、「愛する人、大切な人」に対する時と同じ感じ方はしないんです。

あぁ、もっとこうしてあげたい。
こうやってあげられたいいのに。

そう思うのは、愛しているからです。

そして、それが上手くやれない時に、私たちの心は「罪悪感」だったり「無力感」を感じます。

日常生活を普通に暮らせている元気な時に、ご主人が「愛している」と伝えてくれるのは、きっと本心なのだろうと思います。
緊急時にさくらさんの助けになれない分だけ、平常時に一生懸命愛を伝えているのかもしれません。

でも、さくらさんは「具合が悪い時には優しくして欲しいし、そういう時にこそ愛しているかどうかが分かる」と思っているのであれば、どうしていいか分からない彼のことを見てガッカリしてしまいますよね。
私は愛されていないんだ、と。

ご主人が、気遣いが下手な人なのか、具合が悪い時にどうしたらいいのかという発想がないのか、出来る力はあるけれどうまくやれないのか…。
そこには「知識不足」「能力不足」「経験不足」という、まだまだ足りていない未熟さがあるのだとしたら、それが原因で愛情がすれ違って不協和音が出てしまうのは悲しい事ですよね。

私たちは自分の中で「こうするのが当たり前」「これが常識でしょ?」と思ってしまうものに関しては、言わなくても出来るだろう・分かるだろうと思ってしまいます。
そして、自分にとって当たり前にやれる事であったり、自分にとって「病気の時には、懸命に看病して寄り添うのが愛情表現の形」だと思っていれば

何でこんなこともできないんだろう?
何でこんなことも分からないのだろう?
寄り添えないなんて、愛していないんだ…

と解釈してしまい、「私は愛されていないならもういい」と、相手に対して『こうして欲しい』を伝えるのをやめてしまうことが多々あります。

…と書いてて、ちょっと自分の胸がチクッとしますが、過去の私がこう思っていたんです。

結婚していた時に彼が風邪を引くと、あれやこれやと飲み物や食べ物を用意して仕事に行き、仕事中も心配して急いで帰り、着替えを用意したり体調を気遣って身の回りのケアをするのが「私にとっての当たり前。だって好きな人だから。」というものでした。

でも、私が寝込んだ時に彼は飲み物は買ってきてくれたものの、自分用のお弁当をコンビニで買ってきてテレビを見ながらそれを食べて、特にいつも以上の気遣いを示す…ということもなく、お休みと言って寝てしまう。

私は病気の時に、私のことも気にかけずに自分の分のお弁当だけ買ってきて食べる・テレビなんて見てのほほんとしてる姿を見て、彼は私のことを愛していないのでは?と思って拗ね、ある時ケンカをした際に「病気の時だって!!」と我慢していた思いを伝えてみたら

・熱があって家事はさせたくないから、自分のお弁当を買ってきた(優しさ)
・食べたいもののリクエストがないから、食欲がないと思っていた(気遣い)
・具合が悪い時は寝るのが一番だから、テレビを見て邪魔せずに眠らせてあげようと思った(思いやり)

という事を言われて、あぁ、私とは表現の仕方が違うだけで、愛されていない訳じゃなかったんだ…と驚愕したことがあります。

彼なりに思いやってくれていたことが、見事に私と噛み合わずに空回っていたんです。

ちょっと長い自分語りをしてしまいましたが、彼は彼なりの愛し方で思いやりや気遣いを示していたけれど、それは私が思う形とは違っていました。
そして、どうして欲しいのか、こうされると愛されていないと思って悲しくなるんだという「私の気持ち」を彼には伝えていなかったんです。

自分にとっての当然だから、彼だってこうするのが当然でしょ?

と、勝手に自分のメガネで世界を見て、勝手に愛されていないと思い込んでいたんです。

もしもご主人が、さくらさんが不調の時に上手く立ち回る「やり方」が分からないのであれば、こうして欲しいというのを伝えて、ご主人が少しずつ経験値を積んでいくことで、さくらさんが苦しい時に欲しい助けを差し伸べられる力を身に着けられるかもしれないとしたら、

自分のして欲しい愛し方を、ご主人に伝えてみる

というのは、二人の関係を壊してしまう前にやってみる価値はあるのではないでしょうか?

今の時代、性差について言うのはどうかと思いますが、女性と比べてしまうと男性の方が「目の前で不調を抱えている人への立ち回り方が下手」だったりします。
そして意外にも、日常が脅かされたり大切な人が弱っているのを見た時に、腹を括る…よりも、うろたえてしまったり動けなくなってしまうのも、これまた男性に多かったりします。
いざという時や愛するものを守る時の女性の力って、凄いものがありますもんね!

言わなくてもやってくれる、望むものを与えてくれる…のが何よりの理想ではありますが、私たちはみんなそれぞれ違う人間なので、自分の思うやり方を相手が上手にやれないことが沢山あります。

もうご主人のことが嫌いで顔も見たくない!!と言うのであれば話は変わってきますが、さくらさんがお悩みを届けてくれたという事は

大好きな人との関係を、諦めたくないし大切にしたい。
キライになりたくないし、もっと良い関係になりたい。

という思いがあるからですよね!!

だって、好きで結婚した大切な人ですし、その人から「愛されていることを感じて」幸せな結婚生活を続けていきたいと思いますものね。

精神的な発作が起きた時には、こうして欲しい。
体調不調で寝ている時には、こうされたらありがたい。
弱っている時に、固まられたり、声を荒げられると「愛されていないと思って悲しくなる」。

伝えるのは勇気がいりますが、お互いにお互いを思いやっているのにそれがすれ違って壊れてしまう前に、気持ちを伝えて、やり方を届けることができたらいいですね。

夫婦ってとても身近な存在で、大事な人だ柄こそ「言いたい事を我慢して」気持ちを伝えずに遠慮してしまうこともありますよね。
そうやって配慮すことも一つの愛の形ですが、自分の内側にある気持ちは言わなければ分かりませんし届きません。

察する…としても、あくまで「こう思っているんだろうな」と思えるだけで、やっぱり言わないと届かないんです。

そして大事なことがもう一つ。

1度伝えただけでは、伝わっていないことが多い。

だから、小さな不調があるたびに「こうしてくれたら助かる」「こうしてもらいたい」と、さくらさんがしてもらいたい事を彼にその都度届けてみることがオススメです。

これは私が夫婦問題でつまづいた時に出たセミナーで、師匠である根本さんが話していたことなのですが

「彼に伝えました」って、それ、100回言ったの?
1回だけじゃないよね?
1回じゃ伝わらないし、遠回しじゃなく明確に伝えないと伝わらないよ。

と言われたのですが、本当にそうなんですよね。
私自身もそうですが、1回言われたことを忘れちゃうなんてありますものね。

そして、何を言わんとしているのか回りくどいと、せっかく伝えてもらっても「…で?」となっちゃうこともありますから、「具合の悪い時には側にいて手を握って欲しい。そうすると安心するから。」というように、明確に伝えるのも大事な事。

新婚2年目!
お互いに結婚前とは違う面が見えたり、身近な存在だからこそ言わずに飲み込んでいるものもあるかもしれませんが、色んなことを「伝え合って、深め合って」より一層よい夫婦になって行ける、夫婦としての道の途中ですものね。

いつか今を振り返った時に「昔は私が具合悪くなると固まってて、愛されてないと思って心閉ざしそうになったよー」って、二人の笑い話にできる未来が来たらいいですね!!

なんで私が言わなくちゃいけないの??と思うかもしれませんが、自分が欲しいものであれば「欲しい」と伝える方が、手に入る可能性は高くなりますし

言っても届かなかったら、その時にまた考えてみればいいんです。

今、ひとりでグルグルと自分を苦しめる考えで、愛する人の手を解いてしまう前に、挑戦してみる価値はある…のではないでしょうか?
もし、まだもうちょっとやれることをしてみたいと思われるようでしたら、伝えてみる・コミュニケーションをとってみる、というやり方もあることを思い出してもらえたら何よりです。

最後になりましたが、さくらさんの体調は今どうでしょうか?
ネコちゃんのお世話等、ご主人でもやれることをお願いして少しでもゆっくりと静養することができますように。
お大事になさってくださいね。

心を込めて。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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