私の中のもう一人の私=無意識の私は、とっても健気に私を愛している
実はずっと前から気になっていたものの手を出してこなかった「厳選素材のきのこの山」を買っちゃいました。
パッケージを見せられずにお皿にきのこの山だけが盛られたたら「これは厳選素材ね!!」と分かっちゃうくらいグルメな舌の持ち主であればいいのですが、私は多分、そんなに敏感な味覚の持ち主ではないので、差が分からないのではないか??と買うのをためらっていました。
そして結局…
チョコが濃いというか、甘さが控えめな分だけチョコチョコしくて重い
という個人的感想を持つ以外は、自然派なクラッカー部分の差などが分からずじまいでした。あはは。
そう、これこそが「豚に真珠」ですね。あはは。
きのこ・たけのこと2種の熱い戦いが昔から繰り広げられていますが、私はクラッカーのカリポリした感じが好きなので、圧倒的にきのこ派です!
* * *
突然ですが、先日”脳”と”細胞”について調べていた時に、インターネットの記事で興味深いものを読みました。
サブリミナル効果のような感じの実験なのですが、私たちの目が何かを判別できないどころか自覚すらできないくらいの一瞬の時間に「食べ物」の写真を見せられると、自分では「見えた」と認識していなくても目はそれを捉えた瞬間に脳に信号を送っていて、結果として食欲が刺激されるというような記事。(すごくザックリ)
この手の実験の話は聞いたことがあったのですが、私がとても興味深いなぁと思ったのは、この部分。
本研究の結果は、ひとの食習慣において行われている『食べよう、いや、やめよう』という意志決定は、自らの自覚とは関係ないところで勝手に働く脳や自律神経の習性に左右されている可能性があることを示唆しています。
(引用:academist Journal / 食べる意欲や我慢は、無意識に働く脳活動と関係するか – 脳磁図実験で探る!)
これを読んで思ったのが…
自律神経、マジdeスゲーーーーッ!!!
パネェ奴じゃん!!
というもの。
だいぶ軽めに書きましたが、自分の意思には関係なく、私たちの生命維持をするための意識である「潜在意識の領域」のものって、自分が知覚できるものをはるかに超えたすごい力があるということが脳の動きからハッキリ証明されたということ。
潜在意識と顕在意識の話は、氷山の図を用いて説明されることがあります。
私たちが日常的に「思考」で使っているのは、氷山の外に見えている部分に例えられる「顕在意識」を使っています。
その大きさは、ほんのわずか。
対して「無意識」と呼ばれる領域で、引き寄せなどでも出てくることでおなじみの「潜在意識」は、自分で意識してハンドリングできないものである『生命維持』の仕事もしている領域。
私たちって普段は”意識して呼吸をする”なんてしていませんよね?
その逆もしかりで、もう死にたい…と思っても心臓の動きを”意識して”止めることはできませんよね?
このように、私たちが知覚していなくても仕事をしてくれるのが「潜在意識」で、そこに体の中の自律神経や内臓とか、いろんなものが絡み合っています。(超ザックリのわたし的理解)
話は先ほどの「食べる意欲・我慢」のインターネット記事に戻るのですが、顕在意識の領域では判別すらできないような刺激をキャッチした潜在意識の力は、勝手に脳を刺激して行動となる「食欲」のスイッチを押すって、すごい事ですよね。
私たちは無意識の領域を日常で気にすることはないけれど、ふと考えてみたらこんな風に思ったんです。
無意識の領域の知覚できない「潜在意識の私」もいれば、思考することをしていて自分だと認識できている「顕在意識の私」がいるんだろうな、って。
二重人格ともまた違うのですが、自分で自分だと思っているのって、氷山の図のように「自分の中のほんの数パーセント」であって、無意識で自覚できない自分というものがあるんですよね。きっと。
* * *
少し昔の私の話ですが、私は自分のことをちょっとだって「肯定的」に見てあげることができませんでした。
なんで私はこの地球に生まれてしまったんだろう?
なんで私は存在しているんだろう?
と生まれてきたことを呪ったこともあるくらい、自分を嫌悪していたこともあります。
自分の意識できる力・領域を使って、散々に自己攻撃や自己否定をしてきましたが、それでも私の無意識の領域(潜在意識)は、私を懸命に生かすために活動していました。
心臓の鼓動を止めようとはしませんでしたし、生命維持のために体が疲れれば眠たくなって休めるようにしてくれて、エネルギーを体に循環させるために空腹のサインを脳に送り出して食べることを促し、転んで擦りむいた傷もちゃんと治癒していきました。
自分が考えていた「意識」では自分を嫌いだと言っていましたが、自覚できないくらい深い場所にある私の意識は、ちゃんと自分を愛していたんですよね。
だって、愛している人には元気でいて欲しいと生命維持を応援しますもんね。
自分なんか大嫌い!!って虐めてきたけれど、それでも自分のために食べることを無意識は指示してきて、先ほどのインターネット記事の話のように『自らの自覚とは関係ないところで勝手に』自分のことを世話しているんです。
自分の意識が及ばない「眠っている時間」も、私が息絶えてしまわないようにと、不眠不休で私の無意識は私を生かすために懸命に働き、私という人間を構成している細胞を入れ替わらせたり活性化させて、健やかさを保とうと頑張ってくれている。
自分の無意識の中にいる「自覚していないもう一人の自分」は、私の一番の味方であり応援団であり、ものすごい熱量で私を好きでいてくれているんです。
自分では自分が嫌いだとか自己肯定感が低いと悩んだりするのも、もしかしたら無意識が「私は私のことが大好きだよ!だからね、気付いて!!」と、悩みという形や問題を起こして懸命に気付かせようとしているのかもしれませんね。
自分が意識しているほんのわずかな領域でとことん自分を嫌っていても、それ以上の大きな力を持つ深い領域では、自分のことを誰よりも愛しているんだって思ったら、なんだかすごく嬉しくなりました。
私はブログのお悩み相談などで「顕在意識VS潜在意識」の話を、綱引きする人数で表現することが多いのですが、
・自分のことを大好きな心の中の小人(潜在意識)=97人
・自分のことを嫌っている否定的な心の中の小人(顕在意識)=3人
だとしたら、綱引きでも殴り合いでも多数決でも…
とにかく圧倒的に「自分を好き」が大きいって思えませんか??
自己肯定感を上げたい!と思っていた時、私は中々うまくいかずに”顕在意識”の領域で、「またダメだった」「どうしても私は私を好きになれない」と途方にくれていました。
今、少し昔の私のように自分を思いやりたくてもうまくやれなかったり、自己否定が強くてそんな自分に情けなさや嫌気がさしていても、それでも大丈夫。
だってね、自分では思ってもいないくらい自分の無意識は、あなたのことを愛しているんだから。
あなたには、あなたの中にいる無意識のあなたという凄い力持ちの味方がいるんだから。
あなたがどんなに自分を否定しても、それは小さな子ども3人が肩を組んであなたに向かって必死に野次をいれたり抵抗しているだけなんだ…って想像したらおかしくなって愛おしさすら感じるかもしれません。
それは小学校の学級会で、97人を前にして「お前なんかここがダメなんだからな!!」って必死に反論しているようなものですから。
他の97人はどっしり構えて、あなたのすばらしさ・価値を知っていて、3人の反論なんて気にも留めていません。
ね!無意識のあなたが自分を愛しているって知ったら、すごく心強くなれますよね。
自分の中の知覚できない私は、こんな風に叫んでいます。
アナタガ、好キデス!
シヌホド、好キダカラーー!! (by チャン・ドンゴンさん)
心の中のチャン・ドンゴンさんは、熱くあなたに叫んでいるって思ったら、なんだか肩の力が抜けてうふふってなりますよね。
無意識のあなたは、ちゃんとあなたを大事に愛しているから、だからきっと、大丈夫。