眠る前の優しい言葉 ~もう少しの辛抱だよ。もう泣かないでね。~
私はノートをチマチマと作るのが好きで、カラーペン・シール・マーカー類を使って「私らしいノート」を作り、定期的に読み返しています。
このノートには「自分が勇気づけられたこと」「自分が役に立つと思ったこと」「自分にとって学びになったこと」などを、無作為にドンドン書き足しています。
ルールは特になくその時々でいろんなことを書き込んでいますが、このノートは自分を助けるための大事なお薬のようなものです。
今でこそ、私は毎日を思い煩うことなく楽しく暮らせていますが、4~5年前の私は絶望の中を生きていました。
もう二度と心から晴れやかな気持ちになれることなんてないのではないか?
ずっと寂しくて孤独で、世界は靄がかかったようにぼんやりしていて、生きていることに意味があるんだろうか?
私はまた心から笑えるのだろうか?
悩みやグルグルと思考する日々から抜け出す日があるのだろうか?
なんで私は愛されないのだろう?
なんで私には「ごくごく当たり前に見える幸せ」すら望めないのだろう?
なんで私は、またひとりぼっちになるのだろう?
私の何がいけなかったのだろう?
私はどうしてこんなにも価値がないのだろう?
離婚問題の中にいた時は、生きているのに心は死んだように硬くなり、涙やため息ばかりが次から次へと湧き上がる日々でした。
本当に辛くて辛くて、悲しくてどうしようもなくて、少しでも自分を助けたくて、ノートにたくさんの言葉を集めていました。
今日ご紹介するのは、私がしんどかった時に自分にかけてあげた私へのメッセージ。
あまりに辛くて「催眠療法」の先生を探し、お会いしに行く直前に書いたもの。(催眠術をかけてもらって思考を消したいと思うくらい毎日しんどかった頃)
これは誰かの言葉というわけではなく、私に対して当時の私が精一杯の思いでかけた言葉です。
私を幸せにするのは、私。
離婚問題で揺れていた時に私が私に贈った言葉
もう少しの辛抱だよ。もう少しで大切な事にきっと気付くからね。
必ず幸せになるんだから、ね。
だからもう、泣かないでね。
仕事を何とか終えて帰り、毎日お風呂の中で泣いていました。
ギンちゃんや仁くんは、泣いている私の側でいつも暖かく寄り添ってくれていましたが、私が不安定な状態を察知して不安そうにしていました。
だからできるだけ、ギンちゃんと仁くんの前では泣いたり取り乱したりしないように…と、お風呂で一人きりになるとワンワン泣いていました。
泣いても泣いても、毎日「見た目は普通そうに」日々を過ごして見せていても、少しもトンネルの暗闇の中に光は差し込まず、絶望しかなかった日々。
このまま苦しんでいるだけじゃ、私がかわいそうだ!
私も何か希望を持とう!
そんな風に思いながら、私が私にかけてあげた精一杯のエールでした。
希望も光も何も感じられない中で、自分を奮い立たせるために届けたのが「もう少しの辛抱だよ。もう少しで大切な事にきっと気付く。」という言葉でした。
大切な事が一体何かなんて分からないけれど、こんなに苦しいんだもん!!
絶対に絶対に、何か大切なものに気付けるはずだし、いつまでかは分からないけれど、また絶対に光を見つけられるようにと願いを込めて「もう少しの辛抱だから」と自分に何度も言い聞かせました。
必ず幸せになる。
これは私の中のコミットメントでした。
当時はもちろん、大好きだった旦那さんの手をもう一度つなげるように、愛されて家族をやり直せるようにというのが「願っていた幸せ」だったけれど、また絶対に幸せだと思える私になるんだ!!と、折れそうになる度に自分を鼓舞していたっけ。
いっぱい泣いたなぁ。
いっぱいもがいたなぁ。
この言葉を贈った後も、もう少しどころか「うーんとしばらく」苦しみと悲しみの沼からは上がれなかったけれど、この体験があったからこそ
私は今、私を愛して幸せに生きる事ができるスタートラインに立てた!と言えます。
ちゃんと私は、大切な事に気付けたよ。
私が私でいい、というとっても大事な事に気付けたよ。
私たちは幸せになっていいんですものね。
愛されていいし、愛していいし、何かを成し遂げなくても幸せを感じていいんだもの!
大丈夫、私たちは何度擦りむいても転んでも、そこで必ず「大事なものを」拾っています。
しんどいし悲しいし寂しいけれど、必ず幸せになろう!!
だから、もう、泣かないでいいからね。
ひとりぼっちで泣かないでいいからね。
さてさて、、今日もおやすみなさい。
私もあなたも、明日が健やかに始まりますように。