眠る前の優しい言葉 ~私たちは神様のたからもの~
関東甲信地方が梅雨入りしたという情報を、今更ながら入手した「情報に乗り遅れがち」なおまみーぬです。
関東甲信…ということで、「越」である新潟はまだ梅雨入りしていないのかな??
今週は6月とは思えないくらい気温が低くて、タオルケットの上にモコモコのひざ掛けをかけないとガクブルして眠れないくらいでしたが、昨日までの雨が上がって久しぶりの爽やかな青空。
ずっと家にいてパソコンとにらめっこではありますが、時々フッと一息ついてベランダに面した大きな窓の方を見ると青空が広がっていて、それだけでなんだか「うふふ」と嬉しくなれます。(単純)
ここしばらくは忙しいので、手軽にパクッと朝ごはん。
終末にパン屋さんでまとめて買って来て冷凍して置いたパンを解凍して食べているのですが、今日は楽しみにしていたアップルパイでエナジー(やる気)を補給です。
歯を立てるとサクッとした食感と同時に、ふわーーっと広がる少し香ばしいバターの香り。
中からはトロッとした餡と一緒にシャキッという食感の残る角切りのリンゴがこんにちは。
はーーー。幸せ。
あっという間にペロリと食べてしまいましたが、朝から好きなものを食べて「よしやるぞ!」と自分を奮い立たせ、その後はギンちゃんと仁くんの小さな手に強引に私の手を重ねて
今日もがんばるぞー!エイエイ・オー!
と、3魂での円陣を組んで集中して仕事をしました。
円陣のおかげか、今日はすこぶる順調に予定していた仕事をこなして行けました。
まだしばらく緊張感のある日々が続きそうですが、今の所は順調に作業進行できていてホッとしています。
* * *
朝起きた時とか、何かに集中して「無」になった前後で、ふと気になる音楽とか情景とか、なんだか分からないけれど急に思いついた言葉とか、何かしら突然脈絡なく思い浮かぶものってありませんか?
この『なんだか分からないけれど思い浮かんだもの』『なんでか分からないけれど気になるもの』というのは、
いわゆる直感というもののサイン。
その他にも「なんとなく」というのも直感のメッセージです。
でですね、この直感は、言語化したり感覚を人に伝えるのがなんとも難しいのですが、私たちが普段自分では知覚できない潜在意識の奥であったり、脳の中に記憶しているものがふとしたはずみで「必要なタイミング」で湧き上がって感じることがあるんですよね。
意識せずに直感をスルーしちゃうことも沢山あるのですが、この「なんとなく」「なんでか分からないけれど思いついた」というものには、実は大事なメッセージがあることが多いもの。
…と、もっともらしく前置きをしたところで、私が今日、直感から受け取ったメッセージ(?)について少し聞いてください!!!
仕事に集中していたら、脳内でなぜか「ちいさな生まれたての雲は~」という歌詞と音楽が流れだしました。
????
あれ?この歌って何の歌だっっけ??
てか、どんな歌詞だったっけ??
と、脈絡なく湧きあがった歌が気になって検索をしてみました。
するとどうやら、世界名作劇場という昭和の時代のアニメの歌のようで、多分中学校時代に全校朝礼などで歌の練習時間に歌った(と思われる)曲。
私の通っていた中学校は、全校集会や朝礼で歌を歌うのが伝統だとかで、私の親世代の歌や学校の先生がおすすめの歌などをみんなで歌う風習があったのですが、そこで幾度も歌ったものが急に思い出されたようです。
正直、毎週歌っていたはずの「校歌」ですら歌詞が思い出せないのに、脳って本当に不思議なもので、突然ふとした瞬間に記憶がふわっと紐解かれて、意識に上がってくることがあるんですよねー。
で、で、この思い浮かんだ歌を
小さな生まれたての雲 歌
で検索したら、「アンネットの青い空」という歌だという事が判明。
改めて歌詞を読みなおしてみたら、思わず号泣してしまいました。
ということで、今日ご紹介するのは、アンネットの青い空という歌の中の素敵な言葉です。
友達は 神様のおくりもの
アンネットの青い空より(作詞:阿木燿子さん)
私たち 神様のたからもの
▼アカペラでもお届けしています
もう、どこを切り取っても全部が素敵な歌詞なのですが、個人的に泣けた素敵な部分を勝手にご紹介しちゃいます。
どこにあるの 青い空 私の心の中ですね
どこにいるの 青い鳥 みんなの心の中ですね
青空は 神様のおくりもの
すなおさは 神様のたからもの
あこがれは 神様のおくりもの
やさしさは 神様のたからもの
(引用:「アンネットの青い空」より / 阿木燿子さん作詞)
私たちはついつい「幸せの青い鳥」を探してしまいます。
幸せは自分の目の前ではなくどこかほかの所にあって、頑張ることで「幸せになることができる」と躍起になります。
でも、幸せの青い鳥はちゃんと自分の心の中にいるんですよね。
幸せってなにかどこかにあるものではなく、その時々で自分が「感じて心地よくある」ことで得られるんですものね。
私がこの歌詞で号泣してしまったのには理由があります。
今でこそ自覚できるようになったので随分と楽にはなりましたが、私には大きくて償いきれない『罪悪感』があります。
それは『神様への罪悪感』というとてつもなく大きなもので、子ども時代に母の信仰していた宗教の教えの中にいたのに、どうしても私はその宗教のことを信じ切ることができませんでした。
この話は長くなるので、過去に書いたこの記事をご紹介します!
罪悪感は気付いたからといってなくせるものではありませんし(小さくしていくことはできても、罪悪感を癒すのは簡単な事ではありませんもんね)、実はちょっとだけ最近はまたこの罪悪感が強く出てきているなぁ…と思っていた中で、直感がこの歌を教えてくれました。
私は「ダメ」な部分が多くて、何かに秀でることも、何か価値あるものを残したり成し遂げたりも出来ていません。
だけれどずっと、私が自分に対して「こうありたい」と子ども時代から思い続けていたことが
・できるだけ素直でありたい
・できるだけ優しさを持てる人でありたい
ということでした。
そして私が大事に思ってきたことについて、ありがたいことに周りの人から「長所」としてあげてもらえることが増えました。
そしてこの「素直さ」「やさしさ」が、
神様にとっての宝物である
という歌詞に、もう声をあげてワンワンと泣きました。
悲しみの涙ではなく、自分を許すような慈愛の涙でした。
あぁ、私は神様にとって「罪」のある存在ではあっても、神様にとって「宝物」と言ってもらってもいいんだ、と。
そして同時に、私は罪深くて自由や幸せを手にしてはいけないと思っていた中で、あこがれ(妄想)をすることで自分を救って生きてきました。
心理学的なものでいう「ファンタジー(慰み)」を使って、私はそこで自分を生かしてきました。
でもその「あこがれ」が、なんとなんと、神様からのおくりものだったならば、私はちゃんと神様に愛され、ギフトを届けてもらっていたんですもんね。
そして、私が大事にしてきた事を見て、神様は「私の宝物だよ」と思って笑っていてくれたと想像したら、もう泣けて泣けて大変でした。
そして最後の歌詞である、友達が神様から届けられた素晴らしく素敵な贈りものであることを誰しも疑わないと思いますが、何よりも素敵なのが
わたしたちが神様にとっての何よりの宝物である
という言葉です。
私たちは神様から、誰かの友達として存在することで、誰かにとっての贈り物として役割を果たす素敵な仕事を託されている、神様から見たら愛おしくかけがえのない宝物なんです。
急に頭に浮かんだフレーズがきっかけとなって、また一つ私は「自分を柔らかく癒す」ことができました。
そして、神様の宝物であることをどうしてもお届けしたくて、ちょっと熱が入り過ぎて「安定の長文」になってる…と思いつつ書きました。えへ。
あくまでも「歌詞」ではあるけれど、それが心を柔らかくほぐしてくれるならば「素敵な言葉を採用」して、自分をよりまろやかに軽くしてあげていいんですもんね!!
私たちは誰一人として例外なく、神様の宝物です。
さてさて、、今日もおやすみなさい。
私もあなたも、明日が健やかに始まりますように。