ちゃんと泣ける日が来るように ~喪失感を見て見ぬ振りせず、私が私のさみしさに寄り添えるように~
今朝、もうすぐ起きる時間を前にしてスースーと寝ていたところで「ミシッ、ユサユサッ…」と体にしっかりと感じる揺れがありました。
ちょうど入院する数日前に、今後1~2週間以内に大きな地震が起きる可能性があるというニュースを職場の人から聞いていました。
能登沖の地震で「佐渡沖の活断層に割れ残り」がある(あんまり動かなかった)のだそう。
日本海沖の地震では大きな地震の1か月後に最大余震が起きやすいことから、1~2週間の間に大きな地震が来る可能性があるということのようでした。
今朝の揺れは「震度2」だったようで、これが予測されていた大きな揺れの可能性の地震だといいなぁ~。
最初に早まった退院予定日が今日。
さらに早まって昨日退院できましたが、もしも病院で揺れを体験していたら、ただでさえ「心細さ」を感じる環境なので、ものすごくドキドキしたんだろうなぁ。
退院できていて、よかったーー。(涙)
* * *
丁度2年前の今頃に、子宮摘出のための開腹手術を受けました。
主治医はおじーちゃん先生で、手術への立ち会いもしていたそうなのですが、執刀医は別の先生。
その時の執刀医だった先生が、新しい主治医として今回の手術を執刀してくれました。
術後の傷についての話は、ちょっとまとめて別の機会にしたいと思っているのですが、前回の手術時に「術後の傷のケアテープ」として『アトファイン』というものを紹介してもらい、長期使用を予期して4箱まとめ買いしていました。
アトファインは傷の上に直接ペタッと貼り、1週間くらいで張替えて使うだけの便利アイテム。
ズボラな私は、はがれてきたら張り替える…という感じにしていたので、だいたい10日に1回のペースで張り替えていました。
1箱6枚入りなので、2か月分くらいです。
病院で購入した「スキントンテープ」と使い分けをしつつ、傷もキレイになってきたこともあり、10ヵ月程度で傷ケアテープの利用を終了。
去年の夏に片づけをした際に、最終的に1箱残っていたのを見つけました。
開腹手術を受ける予定はもうないし、身近な人や知り合いで手術する方がいたら使ってもらおう思ってよせておいたのですが…
まさか、また私がお腹を切って使うことになるとは!!
いやほんと、未来って全く予測不能ですねー。
* * *
2度目の開腹手術は、同じ場所を切ってもらうことになっていました。
お腹を切るわけですから、どうしたってしばらくは痛みますし、思いがけない不調が続くこともあります。
前回の手術以降、傷の前後がしびれるような感じが続き、なんかお腹が不快な感じがすると思うと傷と傷周辺に蕁麻疹が出るようになりました。
まだ手術してから5日なので、傷周辺が腫れていて感覚があまりないのですが、前回とは異なり傷自体よりも体内・左下腹部が”キュウッ”となるような痛みがあります。
大きくなっていた左の卵巣を取り出したので、触れていて癒着していた部分をはがしたり、そもそも「切除」で傷付いた部分が痛いのだろうなぁ。
前回もですが、幸いなことに私は術後の傷の痛みが「比較的弱く」済んでいると思っています。
硬膜外鎮痛での疼痛コントロールがうまくいってくれたこともありますし、しびれや麻痺があることで「痛みを感じにくい」のかもしれません。
とはいえ、痛いは痛いんですよ!!
自分でボタンをカチッとして背中の管から痛み止め投与もしましたし、ロキソニンをもらって飲んだりもしました。
が…
術後の麻酔がどんどん醒めてきて、お腹の傷の痛みを感じるだろうと予測したのに反し、今回は驚くほどに痛みが弱く、看護師さんや先生がビックリ(ドン引き)するほどの回復力でスタスタと動けました。
あっ、無痛じゃないですよ!!
痛いのは痛いんです。
腸がコポコポッと動けば悶絶級の痛みはありますし、歩く時の痛みだってゼロではありません。
くしゃみが出そうになれば身構えてお腹を押さえ、クシュンとした後で「ヒーッ」ともなります。
痛みはもちろん弱いほうがいいに決まっています。
回復だって早いほうがいいに決まっています。
術後すぐに妹から届いたLINEで、主治医の先生からの術後の報告で「良性に近いと思う」という言葉をもらったことでものすごく安堵できましたが、張りつめていたものが緩んだというか、どう表現していいのか分からないのですが、
入院した後から、不思議な『離人感』のようなものを感じて今に至ります。
「ふーっ、よかったー。」という気持ちと共に、腫瘍発覚後に感情が乱高下してから、「良性から境界悪性」と言われてホッとしたものの、手術までに破裂しないようにという不安がどこかにあったり、右卵巣を残せるとしたらどうするか?という選択を前に悶絶したり、なんだかんだずっと気を張っていたんですよね。
もちろん、上手にガス抜きもしていましたし、悩んでばっかりということではありませんでした。
自分でも気付かないくらい無意識に、力を入れて自分を奮い立たせていたのかもしれません。
そうしないと自分が壊れちゃうから、力が入っていたのかもしれません。
入院したことで、この後手術をして「内側にある不安材料を取り除ける」という安心感や、これで先ずいったんゴールだ!というような思いがあったのかなぁ??
でもどこか自分の事じゃないような、順調なのも変なアドレナリンが出ているのか、とにかくどこか「他人事」のような感覚があります。
術後・翌日と、ほぼほぼ動けずにベッドの上で過ごします。
コロナもあって病室への家族の面会が不可なこともあり、できることと言えば「寝ること」と「思考すること」だったのもあり、とりとめのないことをグルグル考えていました。
病院という空間もあって、イエーイ!!という気分にはなりにくいですし、驚異的な回復と真逆にドキドキしたりモヤモヤしたり、心が置いてけぼりのような感覚がありました。
漠然としていて形がつかめず、でもなんかある…。
術後間もなく、ベッドの上で過ごす夜に、入院中は時間があるから読みたい本を読もう!と思って買った電子書籍を読みました。
(11日入院の予定だったのでたくさん買ったのに、予想外に早く退院できて全然読み切れなかったー。あはは。)
いくつか買った本の中で、その時の気分で読めるものを決めよう!と思っていましたが、入院最後の夜、変なアドレナリンのせいで一睡もできず、その中で読んだのが藤川るりさんという漫画家さん『元気になるシカ! アラフォーひとり暮らし、告知されました 』というコミックエッセイ。
骨盤内腫瘍があると言われて不安になり、卵巣がんかもしれない…と震えていた時に藤川さんのことを知りました。
藤川さん自身が卵巣がんを患い、かわいいシカをご自身に見立てて書かれた闘病コミックエッセイ。
いろいろあってすぐには読めていなくて、入院中のベッドの上で「分かる、分かる!!」と赤べこりながら読みふけりました。
クスッとできる明るい闘病記なのですが、病気自体は嬉しいものではなく、がんはどうしても死が近い病気でもあります。
だから途中で涙なしに読めない部分もあるのですが、何気ないページのちょっとした話を読んだところでポロッと涙がこぼれました。
悪性の卵巣腫瘍の場合、両方の卵巣・子宮・大網を摘出するのが手術治療のガイドライン。
悪性度や状態により、リンパ節を追加して切除する場合もあります。
術後、卵巣がんの藤川さん(シカさん)がふざけた口調でお友達にこんなことをいうシーン。
卵巣と子宮がないなんてさウソみたいだろ。
そもそも産めても高齢出産だしね。
でも産めれば産みたかったなぁ。
もう子供、産めないんだなぁ。(ポロッ)
初めて泣けた、大泣きできた。
(元気になるシカ! アラフォーひとり暮らし、告知されました /藤川るりさん著)
私も子宮を摘出した後で、もう子供を産むということはどんなことがあっても無理なんだと思ったときに、グッとさみしさを感じたのを思い出しました。
そこでハッと気付いたんです。
あっ、私、さみしいんだ、って。
何がさみしいというのかは、おいおい探っていくとしても、ずっとずっと私の根っこにあるのは「さみしい」という感情なのかもしれません。
入院してから感じている離人感も、さみしさを置いてけぼりにしていて感じているような気がします。
私の根っこにある大きな「さみしさ」もあると思いますが、私は今回、左の卵巣の摘出をしているので「体の一部の喪失」というのを体験しています。
右が残せているので、女性ホルモンの分泌などの「機能的」なものは変わらずだと思います。
先に子宮を摘出したときに書いたブログとも似た内容ですが、体のパーツにはいろんな心理的な役割があり、子宮や卵巣は言うまでもなく「女性性」の象徴。
さらに「命」を生み出す大きな力を持つものでもあります。
子宮を喪失したときに、藤川さんが感じたような「もう子供、産めないんだなぁ」という悲しさやさみしさがありました。
でもどこかに『諦め』のようなものもあったんですよね。
私には手にできないものがあるし、しょうがないことだから、って。
子宮の摘出をするのに、迷いはありませんでした。
手術する場合は、病巣部分だけではなく子宮全摘になるという説明の際に、主治医のおじーちゃん先生が言っていた言葉があります。
人によっては子宮を失う事でとてつもない喪失感から心のバランスを崩して、よりよい生活ではなく”よりつらい生活”を送る人もいますから、よーく考えてね
どっちかというと、私は子宮よりも卵巣への思い入れの方が強いみたいです。えへへ。
自分ではそんなに気にしていないつもりでしたが、右の卵巣はできれば残したいと思って迷い抜きましたし、大きくなり過ぎて摘出(お別れ)する左卵巣があることが、ショックだったんです。きっと。
毎月の生理はないけれどPMSのようなものはあり、卵巣がずっと懸命に働いてくれていたのを感じたときに、自分の体のまっすぐさや健気さにウルッときたこと、女性として傷ついたことや諦めに似た思いを持っていることなどの「心理的なもの」も無意識に投影していて、すごく悲しくてさみしくて、つらかったんだ、って。
喪失というのは、悲嘆(グリーフ)を連れてきます。
文字通り「体の一部を喪失」しているのですもの、ショックを感じたりポッカリした気持ちになるのはおかしなことなんかじゃないんですものね。
藤川さんがコミックエッセイの中で「初めて泣けた、大泣きできた」と書かれていましたが、私も自分の喪失を受け入れる準備ができたら、自分のために大泣きできるといいな。
私のさみしさも、私の痛みも、ちゃんと感じて受け止めて、ちゃんと泣ける日がくるように。
元気な私も、さみしい私も、自立過ぎて周りをドン引かせる私も、健やかにぐんぐん回復する私も、心がちょっとついていけないと感じる私も、みっともなくも愛おしい私も、いろんな「私」がいっぱいあるのが、他の誰でもない私だから。
前向きな時とき後ろ向きなときも、前進するときも足踏みするときも、幸せなときもモヤモヤしているときも…
これを愛し敬い、これを慰め助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うと決めたのだから。