その花が咲くのはいつかは分からないけれど、咲くのは突然だから諦めずに待っていいよね?!
そろそろ開花するのかな?と、エバーフレッシュのつぼみを見守り続けていましたが、今日の夕方、水やりをしようと鉢を見たら、突然「パァン」と咲いていました。
エアコンの風を「直撃」で受けて気持ちよさそうに寝ていた仁くんですが、「咲いたよー」と見せると、寝ぼけ顔のまま
ゾワゾワの実が咲いたでちか?!
と、一緒に開花を喜んでくれました。
緑色の蕾の先端から「ファサッ」と広がる黄色の綿毛のような花。
まぁるいホワホワ飾りのようなかわいいお花が、とってもかわいい。
でねでね、今日のお昼過ぎの状態がこちら。
カメラが高機能ゆえ、おしゃれにボケるんですよね…。
で、なぜか仁くんもつぼみも両方ボケて、手前の液肥がクッキリしていて分かりずらいのですが、まだ全然つぼみなのが「うっすら」お届けできたと思います。
あぁ…ゾワゾワしますね。
見るたびに「ヒーッ」と鳥肌が立ってしまい、両腕をボリボリ書きながらも観察がやめられない「ゾワゾワが密かな快楽」になってしまったオマミーヌ。
小さくて分かりずらいのですが、心なしかつぼみの先端の茶色が「柔らかく熟れてきたような」感じがありましたが、まさかこの状態から数時間後にいきなり「パッと開花する」なんて、全く想像もしていませんでした。
エバーフレッシュの花が咲くタイミングは、この木が選んだ「今だ!」というベストなタイミングだったはずです。
直前まで、咲くなんて思いもしないくらい「固そう」に見えていたのに、思いがけない瞬間に花が咲きました。
願いが叶うときも、努力してきたものが実るときも、同じですよね。
こんなところから叶っちゃうの?
ここでいきなり結果が出るんだ!?
自分が思いもしないような瞬間に、自分が願っていた花が咲きます。
自分にとってのベストなタイミングで。
その「ベスト」は、知覚できる顕在意識で思っているものではなく、思考できる範囲ではない場所でチクタクと時を積み重ね、咲く準備をしているから、分かりようがないのがもどかしいけれど。
たった数時間前には、咲くなんて思えなかったものがいきなりフワッと開いて咲くように、もうダメかもしれない…と思ったそのほんの少し先で、咲く予定だったものがあったのかもしれません。
咲く少し前に水やりをやめてしまって諦めてしまい、結果を結ぶことが見れなかったことは、きっと私の人生でもたくさんあったと思います。
それもそれで、しょうがないよね。
そして、時間がうーーんと経ってから、また別のやり方で「見れなかった花を見たい」と種を蒔き、前回より柔らかくなった土壌のおかげで、ずっとスムーズに結果を出したり、夢が叶ったりして
あの時見れなかった花を、今だから咲かせることができた
なんてこともあるのだから、人生は面白い。
毎日は大きな変化をしていないように見えても、1日1日を積み重ねていると季節が大きく変化していくように、何もない…と思うことの積み重ねであっても、いつか気付くと大きな変化をしています。
予期せぬタイミングで、自分の夢が叶っていい。
思いがけない瞬間に、積み重ねてきた努力の実を刈り取っていい。
いつ咲くかなんて分からないのだから、手放せない願いや思いは、諦めずに持っていたっていいじゃない!!
咲かないかもしれない?
それでも、咲いて欲しいと思う「自分の願い」を大事に持っていたっていいと思うんです。
だって、手放せないんでしょ?
だって、手放したくないくらい、大切なものなんでしょ?
叶うとか、現実になるとか、結果が出るとか、目に見える結果が欲しいのは当然ですが、自分の中にある「手放したくない思い」を分かってあげて、一緒に持ち続けてあげることも、自分に優しく寄り添うことのひとつだと思っています。
ただ、自分が分かってあげて、自分のことを応援してあげる。
そうやって、自分が咲かせたい花が咲く日まで、側にいてあげられたらいいですね。
私も、いつかまた大好きな人と共に暮らして年を重ねていく、パートナーシップという花を咲かせたい!という夢を諦めてはいません。
具体的な活動とか、出会いとか、片思いの攻略法を編み出した…なんてことはなにもないのですが、私が「こうなったらいいな」と心から願っている希望は、私が大事に分かってあげて、諦めない自分を私が応援し続けていきたいと思っています。
もしも、パートナーシップが叶うより先に、今世の魂の学びが終わって「花が咲くのを見ずに」死を迎えたとしたとしても、最後まで応援してくれた、最後まで自分の希望を一緒に支えてくれた私がいたことをニッコリ嬉しく思うでしょう。
なーっていってますが、「とにかく早く、叶って欲しい!!」って、強く強く思うけれど、ね。
だってそれが、強欲な私だもの。えへへ。
ずいぶん昔にブログでも紹介したことがあるのですが、100%雨乞いを成功させることができる部族の話があります。
雨乞い…ですから、雨がずっと降っていない苦しい状況に置かれている訳ですよね。
雨が降ることを望むどころか、喉から手が出るほどに渇望している状態です。
それでも空は晴れ渡り、来る日も来る日も、雨は降りません。
そんな状況ですから、もう「神頼み」しかなくなります。
神様どうか、私たちの村に雨を降らせてください。
そう祈りを捧げ、雨が降るのを神様に委ねて待つ。
それでも次の日も、そのまた次の日も、また次の日も…と、雨乞いをし続けても一向に雨が降ることはありません。
数日、数週間、数か月と雨乞いを続けても、雨は全く降らないとどうでしょうか?
他の部族の人たちは、祈りが届かず雨が降らない…と、雨乞いすることを諦めてやめていきますが、この部族は、毎日、毎日、雨乞いを続けます。
雨が降って欲しいという願いを、手放せない思いを大事にして。
そしてある日、雨が降ります。
思いもよらない日に、待ちに待った雨が。
雨が降るその日がいつかは、誰にも分かりません。
でもこの部族の人たちは、雨が降るその日まで諦めずに雨乞いを続けるんです。
だから「100%雨が降る雨乞いができる部族」と呼ばれてる、という話。
叶う・実現するまで「諦めずにいれば」叶う日がくるかもしれない。
当たり前のことなのですが、これがまぁ、難しいんですよね…。
自分の願いがいつまでも叶わないと、努力している事の実がいつまでも結ばないと、自分が夢や希望を持ち続けていることに引け目を感じたり、恥ずかしいと感じて諦めてしまいます。
スラムダンクで安西先生が呟く、あのセリフの通りで
諦めたらそこで、試合終了
なんですよね。
いつ咲くかは分かりません。
咲かないと思って諦めかけたその翌日に、何の前触れもなく咲くことだってある。
咲かないかもしれないけれど、それでもいいじゃない。
私の大切な希望を、私のために諦めずにいられるって、すごくすごく素敵じゃない!!
自分を好きになること、自分と仲直しして自分を大事に思えるようになること。
私は何十年も「叶えたい」と思い、あの手この手を試しては撃沈してきました。
でもね…
諦めが悪いのが、私の取り得だ!
粘着質で執着系・しつこいことで定評ありの「すっぽんのオマミ」だぞ!!
と、諦めずにやれることを続けてきたらそれが実って、今ようやく、私は私の一番の味方になれましたし、どんな私のことも大事に思えるようになれました。
花開くのがいつかは、誰にも分からないから、諦められない願いや希望は、自分が大事に応援してあげませんか?
手放せない大切な気持ちは、私が分かってあげて、持ち続けませんか?
雨乞いではないですが、ある日突然「もう雨が降らなくても大丈夫かもしれない」と、その願いへの執着がほどけて手放す未来があるかもしれません。
その時はきっと、手放すという花が開く瞬間ですものね。
どう転んだって、何かしらの花がきっと咲く。
だから無理しないで、ゆっくりゆっくりでいきましょう。
ということで、私もスッポン改め、亀の歩みのオマミとして、私の大事な夢や希望をふくふくと応援していこうと思います。