両手を大きく広げて取りこぼさずに「ほめ言葉」を集めよう ~長所は自分では分かりにくいから~
めっちゃかわいい「涅槃スタイルのネコ型最中」を、東京のお土産でいただきました。
その名も「たらふくもなか」。
なんとかわいい!!!
寝っ転がりながらも「クイッ、クイッ」と手を伸ばして福を招いてくれている姿の最中皮に、ズキューンしちゃいました。
白あん???
なのかなぁ。
濾されていない皮つきなので、皮が”あずき色”をしているのですが、あずきの中身自体は白っぽい不思議な感じ。
ほど良い甘さで炊かれた粒々したあずきが、最中の中にミッチリと詰まっていて食べ応えも満点!
カワイイ見た目で美味しいおやつって、思わずニッコリ笑顔になれちゃいますね。
幸せなおやつタイムになりました。
* * *
今日は、もうタイトルのまんまなんですが、自分の長所って見つけにくいよね?!という話。
自分の長所って、「持って生まれている秀でた能力」だったりするのですが、元々備わっている能力だと
頑張らずにできてしまう
当たり前にやれてしまう
ゆえに、全然「特別視」することがなかったりします。
さらには自分の長所・秀でた能力が当たり前過ぎて
このくらいじゃ全然足りない!
もっと凄くないと長所なんて言えない!
と、自分が力を持っているがゆえに、もっと上のレベルじゃないと「こんな程度では…」と自分を卑下してしまうこともあります。
かくいう私も、自分の長所を周りの人から教えてもらっても「うーむ」と納得できなかった時期があります。
…いや、厳密には未だに「そうなのかなぁ」と受け取れないものもあります。
その一つが『優しいところ』というもの。
正直に言います。
確かに私は「優しい」か「厳しいか」の2択でグループ分けをしたら、優しいグループに所属すると思います。
がっ!!!
その優しいは「長所」として打ち出すほどではないと思っています。
以前、お弟子さん講座に参加していた時の課題で「私のいいところ」「私の長所」を100個見つけるというようなものがありました。(100個だったはず…。記憶が曖昧。)
自分で「こんな面が長所…だと思う」というものもリストアップしましたが、家族や友達、元カレや職場の人、お弟子さん仲間などなど、色んな人に
「あなたから見た、私の素敵なところや長所を教えてください」
と質問して教えてもらうという、歯を食いしばって価値を受け取る”荒行”のようなものの中で、全員が共通してあげてくれたものが
優しいところ
でした。
… 無。
そうなのか…
いや、そうなのか?!
親戚が集まる場などでも、「優しい子だよね」「その優しさが魅力だよ」などなどと褒めてもらってはいましたが
褒めるところがあんまりない私だから、社交辞令的なやつだろう
くらいに受け流してきました。
学校時代も、通知表に記載される先生からの言葉や、面談などで褒めてもらえるのは「優しいところ」というものでした。
学生時代、学校の課題で「長所と短所」をクラスの人から聞いて、自分の強みと弱点を知るというものがありましたが、そこでクラスメイトからあげてもらったのは
長所は「優しいところ」
短所は「優し過ぎるところ」
と言われて、でもそれもやっぱり受け取れずにいました。
他には、「意外と粘り強い」「割と前向き」「自分から挨拶する姿」「素直さ」「動物好き」「諦めの悪さ(頑固さ)」「マイペース」などなど、いくつか挙げてもらったものがありますが、
うーん。
そ、そっかなぁ。
と言いながらも、まだ少しは受け取ることができました。
がしかし!!!
「優しい」はどうにも受け取れない。
そんな私に、お弟子さん時代に質問されたのが
「マミちんの思う『優しい』って、どういうレベルなら優しいって言えるの?」
というものでした。
確かに。
自分が思う「優しい」と言っていいレベルをハッキリさせれば、分かりやすくなる!!
そこで出てきたのは、マザーテレサでした。
マザーテレサのように、無私で奉仕することを喜びと感じ、愛と優しさを体現できるレベルであれば、「優しいよね」と言われても認められるだろう、と。
マザーテレサのような優しさを体現できていない私だから、「優しい」を長所として受け取る訳にはいかないじゃん!!!
というようなことを伝えたところ…
ハードル、高っ!
それじゃぁ「優しい」を受け取れなないはずだわ。
と笑いながら、そこまでハードルを上げずに長所は認めていいんだよ、ということを教えてもらいました。
と同時に、こんなことも言ってもらえました。
– – – – –
多分ね、優しいのが「当たり前」過ぎて、他の人から見たら「すごく優しい」と思うようなレベルのことが、意識しなくてもできちゃってるんだと思うんだよね。
頑張らなくてもできちゃう、生まれつき備わっている能力だから、できて当たり前過ぎてハードルが高くないと”長所って言えないと思っちゃってる”んじゃないのかな?
もはや、見ている「優しい」の世界が違うもん(笑)。
– – – – –
私は歌が下手です。
歌手の人や、カラオケ番組などで「歌ウマ」な人の歌声を聞くと、なんで音程が外れずに歌えるんだろう?と羨望のまなざしで見てしまいます。
歌手にならなくとも歌が上手い人がいますが、彼ら・彼女らに言わせると
「えーーっ。全然だよ!!!歌うのは好きだけど、うまくはないよーー」
と、もっと上のレベルじゃないと「上手だとは言えない」という風に言うことが多々。
私から見たら、「もう充分に上手だけどなぁ。もっと上手じゃないと認められないのかぁ。それくらい歌が上手な人って基準が高いんだなぁ。」と思うのですが…
あれ?
これって私が思う「優しい」と一緒じゃない??
備わっていて当たり前すぎる長所や才能は、当たり前すぎて価値が分からなくなっちゃう問題!!!
もうこうなっちゃうと、自分では自分の長所や能力を見つけるのって、難し過ぎますよね。
* * *
また、私たちはどうかしてか自分に対して厳しい目を向けがちです。
私たちはそれぞれが「個性」というものを持っていて、秀でたところもあれば欠けている部分もあって、そのいびつさが魅力でもあるのに、欠けている自分はダメだと思いがちです。
この世界には、誰一人として「完全な存在」はいません。
神の子と言われた、イエス・キリストでさえ「不完全な人間」でした。
不完全なのだから、完全な丸にはならないのに、いびつに凹んだ部分をなんとかしようと躍起になりますし、自分とは違う形をしている(欠点や長所が異なっている)人を見て
あの人はすごい!!
私も頑張らなくちゃダメだ!!
と比較して、自分が不得手な面を努力で補おうとして疲れ果てたり、うまくできない(その力を持っていない)自分にガッカリし、自分を嫌いになっていってしまいます。
自分にはない魅力を持っている人って、キラキラ眩しく輝いて見えませんか?
隣の芝は、いつだって青々して手入れされているように見えるものだもの。
私たちはみんな、より良く成長したいという意欲が備わっているので、周りの芝を見て欠点に目が行き、改善しようとしちゃう生き物です。
もうね、それはしょうがないことだから「欠点は目につきやすい。以上!」と、欠点に目が向いてしまう自分を責め過ぎず、長所にも目を向けて、それを育て・伸ばしていくのが大事。
…でも、長所は自分では分かりにくい。
以前読んだ何かの本(小説のフレーズか何かだったと思います)に、こんな言葉がありました。
長所は自分で見つけるものじゃなく、周りが見つけてくれるんだよ
もう”ほんそれ”よ!!
自分の秀でた能力や、持ち合わせている素晴らしい力は、自分にとっては「当たり前すぎて」すごい力だとは思えないんだもの。
当たり前すぎて、もっと凄くないと「長所」だと言えなくなりやすいんだもの。
だとしたら、周りから届く「褒め言葉」に、自分の素晴らしい価値や才能・長所が隠れているってこと!!
自分の魅力や素晴らしさって、当たり前だと思っているからこそ「そんなことないよー」と思いがちですが、
長所は自分では見えずらい。
でも、人の長所は確かに見える。
だから、褒め言葉は受け取るべし。
自分では見えにくいものは、人から教えてもらうしかないですもんね~。
でねでね、生きていると「褒めてもらえること」って時々あるじゃないですか。
そんなときには、その褒め言葉を「いやいや、そんなこと…」と否定せずに、むしろ大きな腕を広げ
えーーっ?!
私ってそんな風に見えるんですね~。
そこが私の魅力なんですね~。
あざまーーす♡
と、取りこぼさずに受け取って大事にしてみましょ!!
もちろん、とっさに「あっ、そんな」「いえいえ、全然です!」って受け取り下手を発動してしまっても大丈夫。
でも後でちゃんと、その言葉を反芻して手を広げて、取りこぼさずに大事に受け取っちゃいましょう。
でも、褒め言葉って社交辞令的な要素もあったりするから、真に受けるのはどうかと…
って思っちゃったそこのあなた!!!
分かります。分かりますとも。
私も親戚から「優しい子」と言ってもらっていたときに、褒めるところがないから社交辞令的に言ってるんでしょ?と思っていましたから。
でも、ちょっと考えてください。
もし「お世辞」でも相手を褒めなくちゃいけないとしたら、あなたなら相手のどんなところを褒めようと思いますか?
たとえちょっと「盛って伝える」ことがあったとしても、その人を見たときに素敵に見えないものを褒めるポイントには選ばないですよね?
ここがいいと思う!という点を見つけて、それを褒め言葉にして伝えますよね?
ネイルをしていない人に「そのネイル、かわいいですね~」「いつもネイルまできちんとされていて素敵です」なんて、言わないですよね。
背の低い人に「シュッとしてモデルさんみたいですね」と言ったりはしませんよね。
「お世辞」「盛られていた」としても、ないものを褒めたりはしません。
だから、あなたに届いた褒め言葉は、あなたが持っている魅力や価値に他なりません。
もしも受け取りずらかったら、
私に対して、ちょっと”盛り目”で褒めてくれて、ありがとう♡
とウインクしながら、両手を広げて「私の長所」「私の価値」を受け取っちゃいましょう。
だってー、長所は自分では見つけにくいんだもの。
長所や魅力は、周りの人が見つけてくれるものだから、照れ臭いけれど「そういうもの」としてありがたく受けとって、ますます素敵になっていっちゃいましょ!