愛する命と別れを余儀なくされたときに感じる罪悪感についてと、誠実な病院と

え、えへへ。
頑張ってこれで終われるようにしたいと思うので、もうちょっと、もうちょっと、ね。
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手術当日、仁くんを預ける前の待合室での1枚。
最後の抱っこになってしまったけれど、最後になるなんて知らずに妹が何気なく写真を撮ってくれていたことがすごく嬉しい。
写真はちょっとブレているけれど、見てもらっても「いつも通りの仁くん」という感じ。
この後突然心臓が止まってしまうなんて、想像もしていませんでした。
仁くんが亡くなって少しして、当時のことを書いた記事がありますので、詳しくはこちらをご覧ください。

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手術前日。
翌日早くに家を出ることになっていたので、事前にガソリンを入れに行ったのですが、その時に仁君も一緒にパチリ。
ヘルニア部分に大きな不安を抱えてはいたけれど、それ以外は本当に「いつも通りの健やかさ」で、最後の最後までこんなに愛らしい仁くんのままでした。
手術当日は、私と一緒についてきてくれた妹と静岡に一泊する予定でした。
手術が終わった後で仁くんに面会し、様子を聞いてから宿に移動して、翌日も面会してから帰るスケジュール。
仁くんを預ける際に手術の時間のことを確認すると、外科の先生が来られてからになるが、遅くとも午後7時頃には面会できるだろうとのこと。

手術中も、待合室で待機していても何もできないため外出していていいと言われ、病院からそう遠くない展望台まで行ってきました。
曇った寒い日で、残念ながら富士山は見えず。
でもこの時は、この後で仁くんは手術をしてもらい「排泄の苦しみ」がなくなって、これからの日々を健やかに送れるんだ!!と、明るい希望でいっぱいでした。
病院の近くにいても何もできない…とは分かっていても、なんとなく病院の近くにいたいと思い、展望台を後にし、病院の近くのスーパーで時間を潰していたところで電話が鳴りました。
あっ!
きっとこれから手術が始まるんだ。
電話は病院からで、手術開始と終了予定時刻を告げるものだろうと疑わずに出ました。
でも、電話の向こうから届いた声は思っていたものとは全く違い、手術を受ける準備の段階で「仁くんが心停止した」というものでした。
あまりに予想外で、あまりにビックリして、最初は状況が理解できず、でも手足がガクガクして震えだしたのを覚えています。
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仁くんが心停止したので、病院へこれますか?
急がず、気を付けてきてくださいね。
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電話の向こうの先生は、突然の大きな出来事で動揺する私に優しく「慌てずに」「気を付けて」と繰り返してくれました。
スーパーからはじけるように駆け出し、
「きっと一時的な心停止があっただけで、もう蘇生しているだろう」
「手術は止めることになるということかな」
きっと大丈夫!と言い聞かせながらも、車で10分くらいの道のりが果てしなく遠く感じられました。
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病院に着くとすぐさま出迎えに来てくれた望月先生から、手術前の処置中に仁くんは突然心停止して、今も処置を続けているという話を聞きながら手術室へ。
手術台の上では、モニターに繋がるコードが付いた状態で心臓マッサージをしてもらっている仁くんが横たわっていました。
薬剤を投与し、蘇生のための処置を続けてくれている大山先生の目には涙が溜まっていて、その場の状況や仁くんの姿を見た時に
あぁ、仁くんはもう逝こうとしているんだ
と分かりました。
そこにいる仁くんは、もう自力では呼吸ができていない状態で、魂が抜けるってこういうことなんだ…と感じるくらい「肉体はあるけれど、仁くんがいない」というのが伝わってきました。
仁くんは、逝こうとしている。
分かるのに、分かっているのに、でも戻ってきてほしくて、仁くんの前足に触れながら「仁くん、戻ってきてよ」「仁くん、帰ろう。お家に帰ろう。」と泣きながら呼びかけました。
その間も、先生たちは諦めずに仁くんの命を繋ごうとしてくれていました。
あきらめたくなくて、奇跡が起きるんじゃないか?という気持ちも捨てきれなかったけれど、処置の合間にも自分で呼吸を取り戻すことが一度もない仁くんを見て、この言葉が浮かびました。
この子たちは自分のタイミングで逝くよ
グリーフケアの中で、何度も聞いた言葉。
本当だ。
この子が決めた、この子のタイミングで、お別れしていくんだ。
心停止した時からずっと蘇生を続けてくれていて、私と妹が到着してからも10分以上は経っていたこともあり、先生に聞きました。
「この状態から戻ってきてくれる子はいるのでしょうか?」
答えはとっても残念なもので、ここから戻ってくることはないというものでした。
嫌だなぁ。
嫌だよ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
でもどんなに引き止めたくても、もう仁くんの魂は体を脱ごうとしていて、無理矢理処置を続けてもらっても、どうにもならない。
悲しいけれど、受け入れがたいけれど、私が自分で決めました。
ありがとうございます。
もう、いいです、と。
心臓マッサージの手が止まって離れ、モニターに映し出されていた波形が徐々になだらかになってゆき、最後にまっすぐの線になって、仁くんは神様のもとへと還っていってしまいました。
あの時にはそう思えなかったけれど、今だからこんな風に思います。
最後まで聴覚は残るって聞くし、最後まで前足に触れながら、ありがとうと大好きを伝えながらお別れができて良かったな、って。
そして、仁くんは「突然死」で、誰にも予測できないタイミングで亡くなってしまったけれど、それって…
いわゆる『ピンピンコロリ』じゃない??
遺される側は、あまりに突然で気持ちが追い付かないけれど、旅立つ側としては「日常の延長の中で死がやってきて、苦しみも痛みもなく旅立つ」ことができたのだから、きっときっと、仁くんの死は穏やかなものだったのだろう、って。
* * *
仁くんが亡くなったのを確認した後、機械を外したりエンジェルケアをしてもらうため、待合室で待機していました。
妹は涙を流していましたが、私はなんだか呆けてしまって、涙はほとんど出ませんでした。
しばらくして病室に呼ばれて入っていくと、きれいにしてもらいかわいいタオルに包まれた仁くんがいました。
仁くんを腕に抱かせてもらうと、まだ暖かくて柔らかく、いつものように眠っているようにしか見えないのに亡くなっているなんて…と、ポロポロ涙が出ました。
預けていた荷物を引き取ったり、経緯や状況を説明してもらったはずですが、具体的な話の内容がスコーンと記憶から抜けてしまっています。
覚えているのは目に涙を溜めて…というか、ちょっと泣きながら
「ごめんなさい。助けてあげられなくて、ごめんなさい。」
と何度も口にされていた大山先生の姿と、私たちを気遣いながら帰路に就く前に私がいくつか質問したことに誠実に優しく答えてくれた望月先生、ずっと心臓マッサージをしてくれていた看護師さんが唇をキュッと結んでいる姿でした。
まっすぐで優しくて、バランスが取れているというか…。
すごく悲しくて、すごくどうしていいか分からない状態だったはずなのに、その場に「嫌な空気」が全くなかったんです。
この後、やり場のない怒り(他責)や罪悪感(自責)でしばらくは感情が乱れたりしましたが、でもやっぱり思い出して立ち止まると、ずっと一貫して、
仁くんの最期が「みなとまちアニマルクリニック」さんで良かったな
という気持ちは変わっていません。
もちろん、死を受け入れられずに「なんでなの?!(怒)」とか、「ちょっとした異変に気付いてくれていたら突然死しなかったのでは?」という気持ちが1㎜もわかなかったわけではありません。
でも他責の感情がわいた後に浮かんでくるのは、本当に動揺した姿で涙を浮かべながら懸命に手術室で処置をしてくれていた姿や、病室で「ごめんなさい。ごめんなさい。」と繰り返していた大山先生の姿。
そして、私たちが車に移動する際にもずっと傘をさして邪魔にならないように側にいてくれて、適切な表現が見つからないのですが、「安心感」を与え続けてくれた望月先生の柔らかくしなやかな笑顔。
困ったなぁ。
いっそ、「病院や先生のせいだーー!!」って憎めたらいいのに。
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静岡から新潟に戻るまでは、緊張感もあったのか現実感は全くなく、帰ってきてからとんでもなく深い哀しみに飲み込まれました。
ギンちゃんがいるのに「後追いして今すぐ会いたい」と思ってしまうし、食べれず眠れず、じっとしられずにウロウロしていないと悲しくて壊れそうだ…と部屋の中をグルグルしたり。
完全に取り乱していました。
そんな中、みなとまちアニマルクリニックのホームページにブログ記事が公開されました。
号泣しました。
私のブログを読んでいただけてはいないと思うので、黒やぎさんと白やぎさんのお手紙じゃないけれど、私もあのブログに救われました。
仁くんのことを、忘れないでいてくれる人がいること、仁くんの旅立ちが、他の命を救いたいという力に変わってくれること。
そう思ってくださったこと、本当に嬉しかったです。
ブログに書いていただきましたが、新潟に戻ってきてからご挨拶とお礼の電話をしました。
仁くんを腕に抱き、病院を後にする際の記憶がおぼろげで、きちんとご挨拶もしてこなかったことと、改めて伝えたいことがあったから。
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手術を受ける前に、同意書に署名して提出しています。
いくら最善を尽くしていただいても、手術にはリスクがあり最悪の場合には亡くなることもあり、その場合の手術費用等の取り決めなどが書かれているもの。
仁くんは手術に入る直前だったとはいえ、手術室に入ってからの心停止ですし、県外から外科の先生にも来ていただいていました。
手術のための各種薬剤や準備、外科の先生の交通費、蘇生や対応に当たってくれた先生方の人件費。
いろいろかかっているので手術費用はお支払いする必要があるはずです。
病院で支払いをしようとしたところ
お支払いはいただかなくて大丈夫です
と受け取らずに、私たちを見送ってくれました。
同意書にサインもしていたのに、です。
それなのに、きっと私は動揺していてきちんとお礼も伝えられいなかったはずです。
亡くなったことは悲しいけれど、最後に先生方に出会い、「この先の仁くんのQOLが向上するはず!」と希望を持てたことへの感謝も伝えられていません。
同時に、涙を流しながらなんとか立っていたように見えた先生のことも気になり、「どうか自分を責めずに、他の動物たちの診察を続けていただけますように」と伝えたくて電話しました。
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「ありがとうでち!って伝えてでちよ」って、きっと仁くんも私に託してくれているはず。
私のために、仁くんは生きようと頑張ってくれました。
ヘルニアになるくらい咳をしていた時点で、気管支の状態はよくなくて、しんどい時間もたくさんあったはずです。
私が選択し、私が決めて来た治療や処置を受け入れ、「マミコちゃんがニコニコしてるなら、がんばるでち」って付き合ってくれていたのだと思います。
まっすぐ生き抜いた仁くんは、最後の最後まで、諦めの悪い私に付き合ってくれて、「もしかしたら」という希望まで抱かせてくれました。
でも、きっと、もう体は限界だったのだと思います。
誰が何をしたからではなく、その日が仁くんが決めた「旅立ちの日」だったんだ、って。
排泄の苦しみも続き、過去に手術をしても肥大し始めていた心臓も、潰れてしまった気管支も、仁くんの日々の生活に「しんどさ」を与えていたと思います。
仁くんを亡くして自分を保てなさそうだと思い、動物医療グリーフケアの阿部美奈子先生にカウンセリングをお願いした際に、この言葉をもらいました。
排泄の時の苦しみ、咳をするときのしんどさが続いていただろうから、麻酔前の鎮静が入ってきたとき、きっと「ふわー」って体が楽になって、すっごく気持ちよくて、そのまま逝っちゃったのかもしれないよね。
心停止した原因も理由も、本当のことは分かりません。
でも、なんとなく想像ができました。
私も自分が幾度か手術を経験していますが、麻酔の前に鎮静が入ってきたときの、不思議な「ふわー」とした感じ。
そっか。そうかもしれないよね。
仁くんは、すごくすごく体がゆるんでフワーッとして、嬉しくなって神様に報告しようとして、逝っちゃったのかも、って。
手術が無事に終わりヘルニアが治ったとしても、気管支は治ることがないためこの先も呼吸苦や咳が続き、仁くんの毎日には「しんどさ」が付きまとっていたでしょう。
もちろんそれでも、少しでも長く仁くんとの日々を続けていたかった。
でも、でも、仁くんは楽になって、最後は気持ちよく潔く、自分の命を閉じたんだ。
仁くんが、自分のタイミングで「力を抜いて楽な状態」で心臓の鼓動を止めるキッカケが、きっと鎮静処置。
そして「一番やりたくない役目」を担ってくれたのが、大山先生はじめみなとまちアニマルクリニックのみなさん。
仁くんは、何も苦しまずに「ふわーっ」と緩んで、その心地よさの中で心臓が止まり、でも本当に旅立ってしまうまでに先生方が処置を続けてくれたおかげで
前足に触れながら、「ありがとう」「大好きだよ」「またね」を伝えて、旅立ちに立ち会えました。
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電話では、こんなことを伝えました。
先生方に出会えて、手術できるだろうと希望が持てて嬉しかったこと。
私と仁くんのことを考慮した入院の提案など、その気持ちがあたたかかったこと。
仁くんのために、すごい先生方にご連絡してくださったこと。
手術にかかる費用や、ご負担いただいたお金もあることへの感謝。
仁くんはきっと「気持ちいいな!」って思ったから、「もう行くね」って旅立ちを決めたのだろうということ。
最後に気持ちいいとゆるむきっかけを作る「嫌な役目」をしてもらったこと。
それはとっても苦しくて、つらい思いをさせてしまったこと。
私が手術を諦めきれず、もう体もしんどかったはずなのに、最後の最後まで私に付き合ってくれた仁くんは、ものすごくカッコよくて、強くて、私の宝物だということ。
病気をいくつも持ちながらも、生き切った姿はあっぱれだということ。
しばらくはきっと、私は悲しくてどうしようもないけれど、それは仕方のないこと。
愛するからこそ悲しいのだから、メソメソする日々が続くだろうということ。
でもいつか、仁くんを思い出して笑って話せる日が来るのを心待ちにしていること。
先生方の誠実さ、動物に向ける優しさ、相談できたことで沢山救われて、だから最期がこの病院でよかった、と。
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仁くんを見送ってからしばらくの間は、突然泣いたり、なんとか眠りについても心臓がドキドキして汗をかいて飛び起きたりして、日常生活がままならくなりました。
写真すら見れなくて、日々のご飯の準備もトイレの掃除も要らないんだ…ということに打ちのめされて泣きだして、情緒不安定過ぎる!という状態が続きました。
喪失の後は、悲しみだけではなく「罪悪感」もわきました。
やり場のない怒りが自分を責める方に働けば「罪悪感」になりますし、相手に向かえば「他責感情」になります。
誰のことを責めても、仁くんは帰ってこないのに。
なんでこんな感情や思考になるんだろう??
ただでさえ悲しみで耐えがたい中で、自分や誰かを責めるのはしんどくて、なんでだろう?を自問自答していてハッとしました。
グリーフ発生時の「罪悪感」について
『死』って理不尽で、受け入れられない。
なにか悪いことをした罰…と思わないとやり切れないし、でも亡くなった愛する命は何一つ罰せられるような対象ではない!!
だとしたら…
自分が悪かったからと自責したり、誰かが悪かったせいだ!と他責で「罪があった」としないと、死を受け入れられないのかもしれない。
だからグリーフ発生時には必ず「罪悪感」が湧くのかもしれないな。
ペットロスの状態の時に、毎日書いていた「ほぼ日手帳」のフリースペースに書いた言葉。
暴力的で受け入れがたい「死」を納得するために、何かしらの理由が欲しくて、自分のせいだ!誰かのせいだ!と思わないとやり切れないから、罪悪感を感じるのかもしれません。
感じたくないけれど、感情にはちゃんとその時々の役割があるんですもんね。
罪悪感も他責も、感じているのはつらいから「早くこの感情から抜け出さなきゃ」と、この感情や思考を悪者のように思ってしまいますが、
受け入れるための大事な時間
「受け入れられるように」していくための通過点
だから、ただただその感情や思考が落ち着くまで、そこにとどまって感じ切ればいいんだ、って。
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今でも時々ふっと「仁くんに会いたいなぁ」と感じることがあります。
そりゃ、そうよ!!
大好きでカワイイ、私の宝物だもの。
会いたいに決まってるもん。
そして、仁くんの好きだったものを目にしたり、こういうとき仁くんだったら…なんていうように思い出して話題にすることが増え
仁くんのことを、笑って思い出し、その瞬間に仁くんのことをクッキリと感じることができるようになりました。
思い出した瞬間に、ありありと仁くんの表情や仕草が浮かび、愛おしくって笑顔になれる。
今は肉体を持っていなくて、触れたり新しい思い出を作っていくことはできないけれど、亡くなってもくっきり思い出すときに、あっという間に「出会い直し」ている。
私が自分の人生の幕を下ろし、この肉体を脱ぎ捨てるときに、きっと仁くんが「待ってたでちよー」ってお迎えに来てくれるだろうから、その時まで『ガチの再会』はおあずけ…というかお楽しみとして希望にしておきます。
これまでも、これからも、仁くんは私の大切な宝物であることは変わりません。
仁くん、ありがとう。
大好きだよ。