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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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眠る前の優しい言葉 ~あなたも私も、どうあっても幸せになれる~

今日は11/11で ポッキーの日なんですね。

悲しいキモチ、マミコに話して半分こ。

こんばんは。
今日の新潟市は雨が降ったり晴れたり風が吹いたりと、かなりより取り見取りな感じのお天気でした。

今日は「11/11でポッキーの日」なんですよね~。
2年前の私は、こんな妄想を繰り広げていました。

(MOUSOU)今日はポッキーの日!の巻
(MOUSOU)今日はポッキーの日!の巻
今日11月11日は1がゾロ目の「ワンワン・ワンダフル」な日。そして小さい頃から大好きで、今でも時々食べてしまう.....
https://many-smiles.com/thousand-delusions/delusion-019

くはーーーっ。
恥ずかしいってか、青いっていうか、んもーーー。 ← 全力で照れてニヤリエンヌ

そういえば、妄想を最近はブログで書けていませんね。
またチマチマと妄想劇場も繰り広げていきたいと思った、ポッキーの日の私です。

2年後の今、2年前の私に言いたい。

あのねーーー!
2年経っても、ひとりでポッキー買ってポッキー食べてるよー。
2年後ではまだ妄想は叶っていなかったよーーー。
もうちょい待ってねーーー。

あぁ、悲報。

そんな悲しみに打ち震えている私に、優しいメッセージが届きました。

マミコさんの手術がうまくいって、より穏やかな時間を過ごせますように!祈ってます(●^o^●)
(ぽんさん)

昨日のブログで、子宮腺筋症の手術を2月に決めてきた話を書いたのですが、それを読んでいただいて気遣いあるあったかい言葉を届けていただきました。

ぽんさん!!!
手術に向かう際に、頂いた言葉を思い出して「大丈夫!」って思えるお守りにさせていただけそうです。
優しさ溢れる言葉を届けていただき、ありがとうございました。
めちゃくちゃ染みました♡

こうやってブログを通して暖かい交流をさせてもらえている事がしみじみ幸せです。
私もあまりイベント企画が上手ではなく、みなさんとお会いできる機会が少ないにも関わらず、気にかけていただけて、それが原動力となってブログを書く楽しみにつながっています。
これからも…

役に立つことは少なくとも、保健室としていつでもここにいるよ!

という私であり続け、そして「どーでもいい事しか言わないマミコさんでも、なんか楽しそうに生きてるから、それでいいのか」と思ってもらえる『ゆるゆる協会員』として、新潟の地から「ねぇねぇ聞いてーー」とブログを書かせていただきます。

今日は11/11で
ワンワンワンワンな
仁くんの日なんでち!

そうそう!
今日はポッキーの日でもありますが、11-11で「ワンワン!ワンワン!」なワン並びの仁くんの日。
ということで、お昼前に食べているおやつの紗を奮発して2本もらった後でベッドの上でお澄まししている仁くんをパチリ。

最近の仁くんは、心臓の調子がより一層よくなったのか、私のベッドの前に「階段」のように引いてある『仁くん用ベッド』(妹が泊まりに来る時に使うお布団を折りたたみ古いタオルケットで包んで、その上にリネンの布をかけている即席ベッド)を踏み台にして勢いよくベッドに飛び乗り、1日のうちほとんどをベッドの上で過ごしています。

急なベッドブームが来たようです。

寝る前も仁くんは先にベッドの上で寝ていて、私がベッドにもぐりこむ際に場所をズレてくれるのですが、仁くんがいた場所がじんわりと暖かく、我が家ではこれを

秀吉タイム

と呼んでニッコリしています。
「仁くん、今日も秀吉ってくれてありがとう~♡」とハグすると、嬉しそうに尻尾をパタパタして顔を舐めようとしてくれる仁くんは、本当に宝物です。

あ…
秀吉というのは、過去に「天下統一」した豊臣秀吉さんのことです。
歴史の授業か何かで聞いた記憶があるのですが、まだ無名の頃に君主である織田信長さんに覚えてもらえるようにと、草履を懐で温めて渡したとか。
それがモチーフになった、我が家の秀吉タイムです。

* * *

今日お届けする優しい言葉は、ドイツの小説家でノーベル文学賞を受賞した「ヘルマン・ヘッセ」という人の言葉です。
『車輪の下』という単語を聞くと、ああ~!とピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。

どこにいても、きみがどうあろうとも、きみは幸福になれる。
(ヘルマン・ヘッセの言葉)

ヘルマン・ヘッセの代表作である「車輪の下」では、天才児である主人公のハンスが村の期待を一身に背負って神学校に行き、そこで懸命にも様々な重圧に潰されないようにしながらも、最終的にはそれらの「車輪」(重圧)に潰されるという事を描いた一冊。

私たちは「より良い学校に行き、よりよく学び、誇れるような仕事をし、家庭を持つこと」で充実した人生であると学んできました。
だから、そのレールから外れてしまったり、そのレールに乗る事すらできないと、自分を「足りないもの」「情けないもの」「ダメなもの」と烙印を押してしまいます。

けれど、車輪の下では、どんなに良い成績をおさめて立派な会社に就職したり、人が羨むような環境下ににあったとしても、自分の心が「もうだめだ」と思う位に消耗してしまったら、それは何よりも不幸な事であり、どんなに人から見て幸せな環境であったとしても、心に余裕がないと

目の前の幸せには気付けない

という事を教えてくれています。
幸せは、感じようと思えばそこにあるけれど、無条件で感じられるものではなく「感じる余裕」「感じたいと探す」事が出来なければ、そこにあっても見えないんですよね。

今日ご紹介した言葉は、ヘッセが書いた書簡の中の一節なのですが、続きにはこのような言葉が書かれています。

幸福は物の質、条件や環境ではなく、きみ自身がどうあるかだけで、きみがどう感じるかだけだからだ。
(ヘルマン・ヘッセの言葉)

今は幸福だと思えないくらい疲弊していたり、感情を感じるのが辛いと心を閉ざしていたとしても、私たちは「どうありたいか」について自分の人生の舵を切ることが出来る唯一の存在です。

どうあろうとも、どこにいたとしても、私が幸せに目を向けるんだ!と心を開けば、幸せを見つけて受け取り、感じて味わえるんですものね。
幸せって「なる」ものではなく「感じる」ものです。
だから、人がどうこうではなく「あぁ、心地よいなぁ。幸せだなぁ~。」と自分が感じられたら、それは幸せなんです。
そして、感じることができなければ、どんなに幸せな環境にいても幸せではないんです。

私は、世間一般(?)のような物差しに当てはめたら、もしかしたらそんなに幸せな部類ではないかもしれません。
結婚もうまく行かずに離婚をしましたし、子供にも恵まれていません。
有名な大企業で生涯安定!というような仕事に就いている訳でもありませんし、学歴もありません。
容姿だって自信のあるものではありません。賃貸暮らしでパートナーもいませんし、あらあら、なんだか困ってきてしまいますね。えへへ。

でも、私はちゃーーんと幸せです。

何かと笑えていますし、ゆるゆるーーっとマイペースに生きながら、お茶が美味しく淹れられたとか、今日はお天気が良くて換気したら風がスーーッと心地よかったとか、植物の芽が開いたことを見つけてガッツポーズをしたり、ギンちゃんや仁くんを抱きしめて笑顔になったり、週末と休みの日のレモンサワーを楽しみにしてクハーーッという瞬間だったり、好きな人にときめいたり、実家に帰って家族の中でグータラしたり、友達や仲間と他愛のないやり取りをしたりする、そんな日常の小さなことに「幸せだな」と思えています。

幸せを感じるハードルがうんと低いから、十分に日々の中で「あぁ、幸せだなぁ」と思えます。
欲張りだから、もっともっと幸せになりたいですけれどね!!!

どこにいても、どんな傷があっても、私たちは自分の心を守り手当てしてあげて、自分に対して優しくして側にいてあげれば、ちゃんと幸せになれます。

だからもし、今がそう思えずに辛くても、未来がそうとは限らないからね。

さてさて、今日もおやすみなさい。
私もあなたも、明日が健やかに始まりますように。

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