ペットライフグリーフケアアドバイザーの認定をいただきました ~ここから私ができることを、ちょっとずつ~
たっだいまーーー。っまーー。っまーー。← 安定のひとりやまびこ
動物医療グリーフケアの認定式に参加するのを理由に、せっかくならば楽しんじゃおう!と前後で有休をもらって東京に行ってきました。
もうね…
楽し過ぎたーーー。
大満喫してきましたーーー。
楽しかったアレコレは、またおいおいお届けしたいと思いますが、東京へ行く「一番の目的」であった認定も、本当に楽しくて居心地が良くて、あっという間に時間が過ぎてビックリでした。
えへへー。
見せびらかすでしょ、そりゃ!!
だって、嬉しいんだもん。
実際に一緒に学んでいた仲間たちと集い、共に「頑張ってきたもんね」「楽しかったよね」と労いつつ、それぞれのポジションに応じた認定をしてもらえた時間は、なんだかほんと、キラキラしていました。
いい大人になっても…
アオハルかよ?!
みたいに「青春してたときのようなイキイキと希望に満ちた感じ」や、「喜びと充実感がある空間」に身を置くと、勝手にその場のエネルギーに持ち上げられながら、楽しい気分が細胞レベルに染みる心地よさを味わいました。
いやなんかね、イメージですよ、イメージの話なんですが、海外映画やドラマで大学の卒業式のシーンで、みんなが充実してやり切ったような笑顔で、ワーッと帽子を飛ばす映像があるじゃないですか。
現場で帽子を投げるような体験をしてはいないけれど、気分はそれと似たような高揚したものがあって、なんだか感無量でした。
* * *
私は「喪失」を感じた時に来てもらえるような場所を作りたいとずっと思ってきました。
それは、私が「やり場のない気持ち」「どうしようもない現実」の中でひとりぼっちのように感じた時に、たった一人でも
頑張っているのを『わかってくれる』ことが力になる
というのを体験したから。
頑張るのは当たり前なんかじゃなく、そうするしかなくて頑張らざるを得ない状況であったり、愛する人のためだからと自分の気持ちを後回しにしても支えになろうとしてしまうことだってあります。
犠牲だとかではなく、自分が支えたいと思っていたとしても、疲れたら泣きごとだって言いたくなる日もあります。
幾日も、幾日も、状況が全く変わらず、むしろ悪化しているように見えて途方に暮れる日もあります。
また、自分が「死ぬのかもしれない」という恐怖と向き合った時には、現実を受け入れることができなくて苦しくて、それでも受容して折り合いをつけていくしかないのに「どうしたら受容できるの?」とグルグルして振出しに戻ることをくり返しました。
全く眠れなかったし、心臓がバクバクしておかしくなっちゃいそうだったし、食べれないし、涙は止まらないし、世界は普通に動いているのに、自分だけが置いてけぼりにされたような、もう周りの人と同じように時間を生きられないような感覚にすらなりました。
失恋、離別、死別。
さまざまな別れの哀しさ、生きる力を失うような体験、砂を噛むような日々、世界が色彩をいきなり失って取り残されたような気分になること。
そんな時に、一瞬で気持ちを切り替えたり現実を楽しめるようになるための「魔法」のようなものは、残念ながら存在していないけれど、だからこそ
感じている気持ちを、ただ受け止めてもらえる場所
があることが、ほんのちょっとの希望や安らぎになります。
「レジリエンス」と呼ばれる、しなやかに回復する力を私たちは備えているとはいえ、喪失からの立ち直りや日常を取り戻すのには、どうしても時間がかかるものです。
その時間には目安はなく、個人個人に違うもの。
回復するまで一人で頑張るのはつらいですし、傷は深くて痛むからこそ、抱きしめてもらえる場所があったら安心できます。
魔法はないけれど、気持ちを分かろうとする場所は作れる。
哀しみも痛みも、完全に分かり切ることはできないとしても、分かりたいと思う人でい続けることはできる。
分からないからこそ、あなたの気持ちを大切にして抱きしめたいと思う。
『サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室』
というのが私の掲げているものですが、過去にも何度もブログで書いてきましたが、「灯台のように同じ場所で小さな明かりを灯しながら、安心できる場所としてあり続けること」をしたいと思い続けて、私はいつもここにいます。
この言葉が適切なのかは分かりませんが、愛する人を喪失した際のグリーフケアを学びながら、ペットロスについても深く知りたいと思っていました。
どこか「違い」があるように感じていましたが、魂の喪失ですから「人」であれ「ペット」であれ当然ですがグリーフを感じるのは同じこと。
私自身、愛する2魂といつの日かお別れしなくてはいけない日が来たときに、果たして耐えられるのだろうか?と思い、自分のために「動物に関するグリーフケア」を学びたいと思ったのが最初のキッカケで、阿部美奈子先生が提唱されていた動物医療グリーフケアに出会いました。
そこでは、グリーフという概念がうんと広く扱われていて、いわゆる「ロス後」のケアだけではなく、ターミナル期からグリーフケアを取り入れることで、愛するペットたちを安全基地の中で守りながら愛ある時間を過ごす暖かい視点がふんだんに届けられていました。
「動物医療グリーフケア」とあるように、動物医療に携わる方の視点でのグリーフケア。
ですが、医療者だけではなく飼い主も動物医療グリーフケアを知ることで、協力し合って愛するペットのための医療をより良くしていくことができる!と勝手に思い込み、医療関係者ではないので気配を消し、密かにセミナーなどに参加していました。
今は飼い主さん向けのセミナーもできたので、より一層身近になりました。
そして、そして、認定コースができたのを知り、私ももっと深く学びたい!と思い、前のめりに参加させてもらいました。
医療用語や医療的なアプローチに関しては分からないことがいっぱいありながらも、飼い主側の視線のままで混ぜていただき、『ペットライフグリーフケアアドバイザー』の認定をいただくことができました!!
スタートラインに立つことができ、ここから私ができる『ペットライフグリーフケア』を考え・実践していこうと思っています。
なーんてカッコつけちゃいましたが、
多分私は「いつもここにいる」ことに変わりはなく、保健室として、また灯台として「あり続ける」ことをしていくのだろうと思います。
私は勢いがあって、いきなり大きな行動をする…ということができるタイプではなく、小さなことを少しずつ積み重ねていくのが…
マミコ・スターーーイル!
でもね、グリーフケアに出会った当時には、認定をもらって新しいスタートを切ろうとするなんて、全く思い描いていなかったのに、続けているうちにいつしか積み上がったものが自分の力となり、今の場所までやってくることができました。
だからね、小さなことや地味なことでも、大丈夫。
毎日は、もしかしたら足踏みしているように見えるくらいに小さな歩幅でも、いつしか振り返ったらちゃんとあの時とは違う景色が見える場所に行けるから。
グリーフを抱えると、どうしたって力が湧かなくなりますから、日頃から自分をケアする方法を集めたり探したり、どんな自分も抱きしめる力をより強くしていきたい!と思っています。
って、やっぱり私がやることは、これまでもここからも、同じことみたいですね。えへへ。
認定はきっと、一つの区切り。
とはいえやっぱり、こうやって認定証をいただくと嬉しい気持ちでいっぱいですし、なんだか頬が緩んで自分が頑張った時間が愛おしく感じられます。
グリーフケアを学んではいますが、私は自分の身に大きな喪失や不安が起きたら、学んだことなんてすっ飛んじゃうくらいに取り乱すでしょうし、立ち上がるまでにはうんと時間を要すると思います。
だってね、愛しているから。
失ったらとてもじゃないけれど、それを受け入れるなんて、すぐには無理だもの。
悲嘆の中にある私のことを、私はそれでも見捨てずに大切に側にい続けられるように。
ではでは。
喜びを記して。
おやすみなさーーい。