お目当てのものではなかったけれど、かわいいネコ柄バックが買えてニッコリして、ノートをまとめてグリーフと向き合った日曜の話

あっという間に8月!!
まだ梅雨明けしていない新潟市は、連日湿度の高い粘りつくような暑さで、知らずのうちに体力を奪われています。
私が勤めている会社は、月に1度「第一土曜日」が出社日。
昨日が仕事だったので、KALDIのネコ柄ミニトートバックの発売日当日には行けなかったのですが、
翌日ならまだ買えるでしょ?
と朝一でショッピングモールの中に入っているKALDIに行ったのですが、お目当てだった「黒い地にはっくんみたいな色のネコちゃん柄」のものは完売。
ピンク系の色のトートバックのみ、まだ少し残ってはいましたが、お店の人曰く『昨日でかなりなくなってしまって…』とのこと。
えーーーっ?!
そんなに人気なんだーーー。
ちょっと移動すれば他に2か所KALDIがあるので、早目に行けばあるかも?と行ってみたものの、両店舗ともに『全て完売』と言われてビックリ。
昨日の夕方には売り切れていたそうで、慌てて最初に行ったKALDIに戻ると、まだわずかにトートバックがありました。

公式通販サイトでもすでに完売していて、はっくんに似たネコちゃん柄のものが買えないのは残念でしたが、このバックも少しだけ「はっくんっぽいな!」と思い、ちょっと迷ったけれど買ってきました。
バネポーチはギンちゃん風のグレーのネコちゃん(目の色が違うのでロシアンブルーではなさそうだけれど)がいたので、丁度目薬を入れて持ち歩くポーチが欲しかったのでバックとお揃いのピンク色のものを購入。
ミニトートは本当に小さくて、スマートフォンとハンカチとミニサイフくらいしか入らなそうなサイズですが、実家に泊まりに行く際にもって行く「こはるちゃん・はっくんの歯磨きグッズ」を入れるトートバックにする予定です。
お値段もトートバックが750円くらいで、バネポーチが450円くらい。
二つ合わせて1,200円くらいで、いいお買い物ができました。

ネコちゃんが印刷されているだけで、買うと思うなよ!!
とは思うのですが、でも、ねぇ。
ギンちゃんやはっくんを連想させるアイテムだと、やっぱり誘惑に屈して「企業の思う壺」でお財布の紐が緩んじゃいます。
他には私が最近ハマッている「ドライスティックパイナップル」が、期間限定セールで少しお安くなっていたので、嬉しくなって2袋購入。
来週の仕事を乗り切るための「仕事の合間のオヤツ」として、このパイナップルを目の前のニンジンとしてぶら下げて、一周間を駆け抜けようと思います。
* * *

朝一でKALDIに走ったこともあり、午前中にお買い物などの細かい用事が済み、午後から少し時間ができました。
久しぶりにゆっくりノートをまとめたいな~と思ったので、家の近くのスターバックスコーヒーへ。
気になる本の言葉や、インターネットやSNSなどで見つけた「面白い言葉」「勇気をもらえる言葉」「分かる~と思える言葉」「グリーフケアに関する言葉」など、気になるものはパシャッとスマートフォンのカメラで撮影して残しています。
それを再読して必要そうな言葉はノートにまとめるのですが、しばらくゆっくりノート時間を取れていなかったので
写真がめちゃくちゃいっぱいあって、自分でもビックリ!!
改めて読み返してみると、その時に感じたものと同じような気持ちになったり、また新たな気付きを得たり、思わずクスッと笑ったり、あっという間に時間が過ぎて行きました。
以前ブログで紹介しましたが、私は主に2冊のノートを使い分けています。
水色のカバーがかかっているのが、B6サイズの全面方眼ノートで、こっちには雑多にいろんな言葉を書き留めています。
そしてもう一冊、上の写真で開いているのがA5スリムという細長いタイプの方眼ノートで、こちらは「グリーフケア」に関する言葉のみをまとめているノートです。

スマートフォンで撮影した「気になる言葉」は、私自身がまだギンちゃん・仁くんの旅立ちの後の「ペットロス」のような状態にいることもあり、グリーフケアに関する言葉がとにかくたくさんありました。
ゆっくりとひとつひとつを噛み締めるように、そして自分ごととして感じたり、自分とは違う視点で哀しみを抱えている人の言葉だったりをノートにまとめながら、一つの言葉を前にして、なんとも言えない気持ちになりました。
その言葉は、いつの日か一緒に暮らしているペットを見送る自分のために、忘れずに覚えておきたいとネット上で書かれていたとある言葉。
飼い主の最初の贈り物は「名前」であり、
最後の贈り物は「決断」である。
(インターネット上の言葉)
命を見送るまでには、いくつもの「決断」を迫られる場面があります。
病気を患っているのであれば、その治療をどこまで行うのか、積極的な治療をするのか、緩和治療をするのか。
正解はひとつもなく、どちらかを選ぶしかない中で、私たちは大きく揺れ動きます。
そして、限られた時間や条件の中で、自分がその時その状況の中で「最善だと思う」ことを選択し、道を決めて行きます。
その結果がどうであれ、大切な命の灯が消えてしまった時には、私たちは必ずと言っていいほど「あの時もっとこうしていたら…」「別の道があったのでは?」と考えては、悔いや自責の念にかられるものです。
その選択肢しかなかった、としても。
最後まで思いっきり寄り添い、ケアできたとしても。
出来ていたことがたくさんあっても、「逆に苦しませてしまったのではないか?」「頑張らせてしまったのではないか?」と思いを馳せて悔いてしまう。
出来ることが少なかったり、そうするしか道がなかったことであっても「私の選択のせいで…」「あの時もっと別の病院に行こうと言っていたら…」と後悔する。
『何かしても・しなくても、後悔はあるもの』だとは分かっていても、死別の後悔は「もう何があっても取り返せない」「やり直せない」ものだから、簡単には癒せずに苦しむものです。
できるだけその後悔を小さいものにしたいし、感じなくて済むならそうしたいけれど、私自身もギンちゃん・仁くんの旅立ちの際の決断について、未だに未消化な気持ちがいっぱいあります。
仁くんもギンちゃんも、いわゆる「突然死」での旅立ちでした。
仁くんは、手術を受ける直前の心停止。
ギンちゃんは、急な咽頭麻痺。
仁くんは手術前だったこともあり、病院ですぐに蘇生処置をしてもらっていましたが、自発呼吸を取り戻すことはできず、薬剤投与や心臓マッサージの処置終了の決断を私がしました。
ギンちゃんの時も、呼吸困難になったギンちゃんを抱えて病院に駆け込んで処置をお願いしましたが、心停止してしまい、仁くんと同じように蘇生処置をしてもらっている場所に呼ばれ、私が処置終了を決断しました。
自発呼吸できずに心停止していた時点で、仁くんもギンちゃんも自分で決めたタイミングで旅立ったのだとは分かっていても、蘇生処置を続けてもらっている間はまだ、一縷の望みというか希望のようなものを握り締めていて、
戻ってきて!!!
と強く願っていました。
でも、2魂は「もういくよ」と、潔く逝ってしまった。
モニターに映し出されている波形は、先生方の懸命の心臓マッサージと薬剤の力があるからだというのは、2魂の姿を見ていたらハッキリ分かりました。
もう魂は肉体を脱ぎ捨ていている、と。
分かっていても、蘇生処置を「もういいです」と終了する決断したときのことを時々夢に見て、心臓がバクバクして飛び起きます。
私が決断する・しないに関係なく、ギンちゃんと仁くんは旅立っていたのだと頭では分かっていても
もしあと1分、蘇生処置を続けてもらったら戻って来たのではないか?
私が自分で「もういいです」と言ったことで、お別れすることになったんだ…
と、どうしようもないことをグルグルと思い、後悔し、しばらくの間ずっと涙が止まりませんでした。
時間が経ち、少しずつ「どうしようもなかった」と思えるようになって来ても、やっぱりどこかに「私が決断したこと」が小骨のように刺さっていて、チクッとすることがあります。
『飼い主の最後の贈り物は、決断』
そっか、そうだね。
その状況の中で精一杯に考えた「今のベスト」を決断するんだもんね。
愛しているから、どうしていいか分からなくなっている中で、その子のためにと思うことを選んで決めるのだものね。
この言葉を何度もくり返し読みながら、本当にその通りだと思うし…って思うのに、今のはまだ、100%そう思いきれなくて。
しょうがないよね。
まだ寂しいし、会いたくてたまらなくて、死を受け入れている途中なんだもんね。
いつの日か時間をかけて、私も自分の決断を「最後の贈り物」だと思えるようになっていきたいな。
ゆっくり、ゆっくり。
すぐにはグリーフをなくせないし、簡単には気持ちは切り替えられるものではないのだから、ね。
でも私は、私がした決断を「最後の贈り物」だと思える未来に向かって歩いている。
グリーフからは、きっと立ち直ると信じて、けれど急がずに自分の悲しみを抱きしめるようにして。
感情は揺れ動くものだし、お天気のように大雨が降ったり明るく晴れたり、コロコロと変わるもの。
今の自分をヨシヨシとしながら、無理せずにマイペースに自分を生きて行こうと思います。
今日はかわいいミニトートとバネポーチを買ったり、ゆっくりノートをまとめながら気持ちを整理する時間が取れていい日曜日になりました。
また明日から一週間、サラリーマンの仕事を乗り切るために、今晩は景気づけのレモンサワーをしちゃおうと思います。うふふ。
明日のあなたの手のひらに、小さな幸せが見つかりますように。
