悲しみを抱えて生きて行くときに、まずはただ「今日を生きる」だけで上出来なのだということ

もうじきバレンタインですね!
この時期は、チョコ好きさんにとっては胸躍る「ショコラの祭典」の時期ですよね~。
専門店も百貨店も、今だけの特別なショコラを沢山展開しているみたいで、チョコ好きの私の友達は
チョコ資金として「4万円」を準備している
と言っていました。
とはいえ、ちょっといいチョコになると数千円するものもザラ。
4万円で足りたのかな…。
私もチョコは時々食べますが、そこまでチョコ熱は高い方ではありません。
どちらかというと「ハイチュウ」「ぷっちょ」の方が好きです。
さらに言えば、私はチョコに関しては「バカ舌」なので、いいものを食べてもその違いをハッキリ理解できなさそうなので、こだわり多めよりは「万人受け」な美味しいチョコを味わうくらいがちょうどいいと思っています。

私にとってはチョコは美味しいご褒美だけれど、2魂にとっては「毒」になる恐ろしい食べ物。
なのでチョコは私だけが味わう、私専用のおやつ。
ちょっと前に「丁寧な暮らし」をしているインスタグラマーさんの情報が流れてきて、『休日の夜に本を読みながらオレンジビールのショコラを♡』という、優雅な情報を目にしました。
オレンジピールのチョコがけって、美味しいですよね~。
オレンジとチョコって、なんで相性がいいのかなぁ。
でもでも、インフルエンサーのような人が食べるチョコは、お高いんでしょ~?!と思っていたら、なんと「シャトレーゼ」の商品だというではあ~りませんか。
お値段も比較的リーズナブルなのに、とてもおいしいんです!
と言う情報を聞き付け、少し前にシャトレーゼに行った際にチェック。
ありました!ありました!!
お店では「ラス1」だったのを、運よく購入することができました。

ゆっくりノートタイムが取れるときや、まったりのんびり読書する際のお供にしようと冷蔵庫に入れておいたチョコを、いよいよ実食。
うん。
オレンジがふわ~っと香っておいしい。
ちょっとだけ贅沢な感じで、チビチビ齧りながらお茶を飲んでニッコリ。
寒波の影響で、まだ雪が残っていることもあり「お家時間」を過ごすしかないときに、お家の中で楽しめるものがあるっていいですね!
* * *
半月くらい前になりますが、久しぶりに「旦那さんだった人」の夢を見ました。
夢の中で「あっ、夢だ!」と自分が自覚している…という、なんとも不思議な感覚のものだったのですが、
ギンちゃん・仁くんも共に、昔暮らしていた家で「過去の時間をやり直している」
というか、再現している夢でした。
「あっ!今度は間違わないようにしなきゃ。」
と夢の中でチャンスを与えられていたのですが、あの時とは別の選択肢を選んだつもりでも、結果は変わらず。
好きな人ができた。
彼女を守りたい。
と言われて、私の元から彼は去っていきました。
あーっ。
またダメだったか。
夢の中ではそんな風に思いながら、でも同時に「どっちが悪いとか、私が努力するとか、そういう問題じゃなくて、ただただ、しょうがなかったんだ」と、自分を責めずにいられたことが、なぜかとても嬉しかったなぁ。
夢から目覚めて、現実に問題が起きて彼に背を向けられたあの当時、私は私のことを責めていたのに、今回はそうしなかったってすごく成長したんじゃない?!と、ニッコリでした。
でもね、やっぱり「好きな人ができた。彼女を守りたい。」と夢の中でもう一度彼に伝えられた時には、ギュッと胸が痛みましたし、とっても悲しい気持ちになりました。
分かってたんですよ。
過去に体験しているし、どれくらい苦しいかも。
学習していても、何度体験しても、辛いものは辛いんですよね。
* * *
夫婦問題で真っ暗な谷底に突き落とされたように感じていたときから、なんだかんだと10年近くの時間が過ぎ、今の私は元気に楽しく暮らせています。
あの当時、世界は色彩を失い、生きる意味も解らなくなって、もう二度と心から楽しいと感じることも、誰かを好きになれることもないだろう、と思っていました。
夜もうまく眠れなくて、ようやく寝れたと思っても、また朝がやってくると「ひとりぼっち」だというのを突きつけられる朝が来る。
目覚めたときに、毎朝決まって感じる絶望感と、今日もこんなに物悲しく空っぽな状態で1日を生きなくてはいけないのか…と思うだけで、泣けてきたっけ。
決断しなきゃいけないことはあるのに、執着が強くて前にも進めないし、職場に行けば普通にして仕事もしなくちゃいけない。
常に頭の中は「あれもこれも」と思考のおしゃべりが渦巻いていて、それなのにふとした時に恋しい気持ちなんかが湧き上がって苦しくなって、よくあの当時「平静を装った風」で仕事に行ってたなぁ…
先日読んだ本の中で、『山より大きな猪は出ない』と言う言葉が書かれていましたが、よく言われる言葉で
神様はその人が乗り越えられない試練は与えられない
というのがあるじゃないですか。
正直、当時はこの言葉に「はぁ?普通に今、私は乗り越えられなさそうなんですけど!!!てか、乗り越えられるとしても、こんな試練、つらすぎます…」と逆ギレからの号泣を繰り返していました。
私たちには、悲しみを乗り越えて生きる力が備わっている。
それはそうなのだけれど、乗り越えるのはそんなに簡単ではないんですよね。
もうこれ以上の悲しみはないだろう、と思っていた中で、追い打ちをかけるように次なる悲しみがやってきて、生きるための力がプツンと途切れ、「もういいや…」とフラフラと国道に歩み出たところでハッと我に返り、心療内科のドアを叩きました。
この頃の記憶は、本当に断片的で、思い出そうとしてもモヤがかかったようになって詳しく思い出せません。
ただ、毎日本当に「どうやって生きて行こう」と思っていたこと、朝が来るたびに「また一日、何も楽しくない日が始まる」ことが苦痛だったことは、ぼんやりながらも覚えています。
– – – –
また、心から楽しいと感じられる日は来るの?
何にも考えずに、思い煩わないでいられる時間はやってくるの?
苦しみや悲しみから、這い出せるの?
美味しい、楽しい、キレイだって、目の前のものごとを味わえる日は来るの?
凍ってしまった心は、また柔らかくなるの?
彼がいない世界で、私は生きて行けるの?
ひとりぼっちになって、悲しみに折り合いはつけられるの?
– – – –
当時の私は、今の私の姿をちょっとだって想像できませんでした。
あの頃の悲しみや絶望は、ちゃんと薄れて過去になるなんて思えなかった。
当時は「とりあえず今日をただ生きるだけでいい」と、心療内科の先生と共に先のことは考えるのをやめることにしました。
絶望しながらも、ただ一日をなんとか過ごす。
眠れなくて度数の高いお酒の力を借りて、泣きながら眠る自分でいい。
1日、1日を「生きていく」だけでいい、と。
1日が過ぎたからといって、劇的な変化があるわけではありません。
昨日見ていた景色とほとんど変わらず、自分の心の中も淋しさでいっぱいなまま。
それでも不思議なことに、1日を積み重ねているうちに、ある時ふいに「引っ越しをしなくちゃいけないな」とスマートフォンで物件を探すことができるようになりました。
探しては落ち込んで、すぐに物件に出会えたわけではないけれど、そんな日々を「1日ずつ」積み重ねていたら、数か月後に今のマンションに引っ越すことを決められました。
引っ越したから突然吹っ切れた訳ではないけれど、またそこからも「ただ1日」をなんとか過ごすだけでもいい!と、ゆっくりゆっくり悲しみと共に生きていました。
あんなに悲しかったのに。
あんなに考えていたのに。
だんだんと、少しずつ、目の前のことに気を配れるようになって、少しずつ考える時間が減って、小さなことで笑えるようになっていきました。
そしていつしか、悲しみは消えていて、思い出そうとしないと思い出せないものになっていました。
今もちゃんと、大好きだった宝物の時間は、心の奥の「大切な物入れ」にしまってありますし、やっぱり離婚せずに済めばそれに越したことはなかったなぁ~と思うけれど、あの時に常に感じていた「体の一部を切り離されたような痛みや悲しみ」は、もうなくなりました。
どうしようもない悲しみでした。
もがいたし、みっともないこともたくさんしたし、困らせたし、立ち止まったままだった。
失うということが、こんなにもどうしようもないものなのか…と、考えてもどうしようもないのに、何度も「あの時にこうしていれば…」とグルグル考えるのをやめられなくて、現実が受け入れられませんでした。
悲しみと同時にある「なんとか普通に戻りたい」「苦しい気持ちから抜け出したい」は、とにかく重たくてもがいて、もがけばもがくほど深みにはまって抜けられない感じの数年間は、本当に苦しかった。
どうしようもないときには、どうしようもないままでいていい。
悲しみを感じてもがきながらも、ただ「今日一日なんとか生きる」だけでいい。
その1日が、7日続けば1週間。
30日で1か月。
365日で1年。
ただ「何とか今日を生きる」ことを続けているだけで、少しずつ積み重ねた時間が、悲しみの角を丸くしていく力になってくれます。
時間が経てば悲しみがなくなるのではなく、時間が過ぎていく中で、環境や自分の考えが少しずつ変わっていくことで、悲しみとの折り合いのつけ方が見つかっていく…のかな。
絶望しながらもただ「今日を生きる」ことを続けることが、未来を作っていくことなのかもしれません。
そして1日を繰り返し積み上げていると、いつしかずいぶん遠くまで進んでいる自分がいて
山より大きな猪は出ない。
うん、そうね。
なんとか、ここまでこれたもの。
と、きっと微笑んで言える自分に出会えるのでしょう。
決して楽な道ではなかったし、悲しみを抱えて生きるのはしんどいことだったけれど、1日の積み重ねの力は侮れません。
大切な存在を失って、今、どうしようもない気持ちでいっぱいのあなたがいたら、どうぞそんな気持ちでい続ける自分を許してあげてください。
頑張り過ぎないで、ね。
今日をなんとか1日過ごすだけでいい
起きて、なんだか分からないうちにまた眠る。
その繰り返しだけで十分ですから。
悲しみや苦しみが消える、魔法のお薬があればいいのにね。
当時の私は、そんな薬があったらいいな!、もう思考するのがしんどいから、催眠術で記憶を消せないかな…と、催眠術師さんの元を訪ねたくらい、何とかしたい気持ちでいっぱいでした。
すぐに気持ちは変えられなかったけれど、でも何とかなって今があります。
急ぎたくなる気持ちは分かるけれど、どうしようもない気持ちとはしばらく同居するしかないのだから、ゆっくりゆっくり、今日を生きる自分をヨシヨシしてあげてくださいね。