不安だった大きな事も、現実になってからちゃんと乗り越えられる。
シングルに帰還してから「11月22日がいい夫婦の日」だという事から縁遠くなりましたが、今日はいい夫婦の日ですね!
私も少し先の未来で「いい夫婦の日をお祝いしています♡」と言えているといいなぁ~と、脳内でチオビーとキャッキャすることを妄想しております。
夜になって間もなくの7時過ぎ。
今日は「ゆずの香り」の入浴剤を入れたお風呂でのーんびりとお湯に浸かっていたら、ふわふわっと頭が揺れるような感じがして視界が揺れ、のぼせたかな??と思ったのですが、しばらく揺れが続き「あ!地震だ!」とお湯から飛び出しました。
私の住む新潟市は震度2程度だったのですが、マンションの構造上、震度以上に揺れを体感したのだとは思いますが、お風呂に入っている時に地震を体験したのは初めてだったので、すごく慌てました。
だって、びしょ濡れでマッパなんだもーーん。
今日は昼の時間に妹とお買い物に行ってきました。
妹は来年の手帳を買っていましたが、もうそんな時期なんですよね。
私は手帳を使わないのですが、手帳売り場にはいろんな手帳が並んでいて、見ているとあっという間に時間が過ぎて行きました。
気が付いたら1時近くだったので、近くのカレー屋さんに行こうと思ったら行列。
むむぅ。他にも用事を足したかったので並ぶのは時間がもったいないということで、新潟っ子のソウルフード(?)である『みかづきのイタリアン』を久しぶりに食べました。
県外の友達が遊びに来た時に「新潟グルメ」として案内したのですが、彼女曰く
別に美味しいわけではなく、不思議な感じの味だね
との評価で、県外の人をお連れすると大体こんなような評価をもらうのですが、私は子供の時に父が出張で留守だと「イタリアンにしようか?」と近くのスーパーのフードコートで食べる時間がなんだか特別で、懐かしい味です。
* * * * *
今から4年前の丁度今頃の時期に元・旦那さんと夕方に約束をして外で話をすることになっていました。
この頃は彼が家を出て行き、別居して8カ月が経った頃で、週末に私と会わないようにしてギンちゃんや仁くんを預からせてもらっていたのが途絶え、すごく久しぶりにギンちゃん・仁くんを預からせてもらう約束もしていました。
彼はアパートから実家に戻って暮らしていて、私はまだいろいろと身動きできずに結婚生活を共にしていたアパートで暮らしていました。
彼の実家で交際中の彼女と同棲している事は聞いていましたし、この日の話しも「頼むから別れて欲しい」と言われることは分かっていました。
私は離婚したくなかったので、話は平行線になることは想像できましたが、この頃は精神的にもだいぶ落ちていて、実は記憶が断片的です。
毎日、起きて「朝が来ちゃった」と力なく仕事へ向かい、職場ではいつもと変わらぬ私を演じながら働き、家に帰るとひとりぼっちで泣いていたっけ。
眠れなくてお酒の量もこの時期は増え、お酒の力を借りて何とか眠るような日々でした。
夏に師匠である根本さんの「夫婦問題解決セミナー」に参加し、そこで同じように悩みを持つ同士とLINEグループでやり取りをし、みんなで励まし合い、支え合い、気遣って助けてもらえていたことは本当に心の支えでした。
(もう一人、過去に私がアメブロを書いていた時に知り合った同じ境遇の女の子ともLINEでやり取りをしていて、彼女にもうんと助けてもらいました。)
彼女を実家に招き入れ、同棲生活をしていると聞くのも、彼の事が大好きだった私にとってはとても悲しい話で、この状態でも離婚を承諾できずに彼の手を離せない自分を責めたりもしていました。
そんな中、一番不安に思っていたことは「彼女に子供が出来ること」でした。
私には子供がいませんし、想像もしたくないけれど「彼の部屋で同棲している」訳ですし、彼は私と早く離婚して彼女と結婚したいと思っている『好きな人』なのですから性的な関係だってきっとあるはずです。
別居や不倫という事自体もとても悲しいけれど、子供が出来たと言われたらどうしたらいいんだろう?と想像するだけで不安で怖くて気がおかしくなりそうでした。
待ち合わせの時間に彼とファーストフード店で会い、やはり彼からは「離婚して欲しい」「なぜこんな状況なのに離婚してくれないのか?」「もう俺はお前の所に戻ることは絶対にない」というような事しか言われず
頼むから年内に離婚をしてくれと懇願されました。
私はただ、まだ気持ちが追い付かないし決められない、という事をいつも通り伝えることが精一杯で、体がガタガタ震えて涙をこらえるのが精一杯でした。
彼に会うのは、いつもとても怖かった。
大好きな人なのに、その人が私をさげすむように見たり、横柄な態度だったり、その逆で「頼むから!!」と切ない表情で頭を下げてきたり。
そのどれもが、いつも胸をえぐって、彼と別れた後はワンワンと泣いて、数日間は深い海の底に沈んだように落ち込んで、全く浮上できませんでした。
1時間くらいして話は平行線で、私から「そろそろ行くね」と促して、彼の車で待っていたギンちゃんと仁くんを引き取りに行き、そこで彼から
どうしても年内中に別れて欲しい。離婚届にサインして欲しい。
子供が出来た。
と言われ、一瞬、何が起きたか理解できず「鳩が豆鉄砲を食らうってこういうことを言うんだ」とぼんやり感じたのを覚えています。
ずっとずっと不安だった事が現実になった時「あぁ、いよいよ」とどこか冷静な自分がいました。
後頭部をハンマーでガツンと殴られたような、呼吸ってどうやってするんだっけ?と思うくらい息が出来なくなったりはしたけれど、
あぁ、来るべき時がいよいよ来たんだ
というような気持ちがあって、ずっと不安に思っていたことが現実になった事から、やみくもに恐れるだけではなく対処をしていかなくてはいけないんだ、と受け止めた部分もありました。
急に言われても、ごめん、頭が追い付かない。
そんなようなことを言って、ギンちゃんと仁くんを私の車へ移動させて彼に背を向け、車の中で1時間くらいただ泣いて、LINEで気持ちを吐き出すとすぐにみんなから「辛かったね」「子供が出来たからって自分の気持ちを大事にしていいからね」と寄り添ってもらい、何とか気持ちを落ち着けて家に帰りました。
いろんなことがずっとずっと苦しくて悲しくて寂しくて、だけれど何とか気持ちを奮い立たせてやってきたのに、この時ばかりはどうしていいか分からなくなりました。
でも、仕事を休むことはなく淡々と日常をやり過ごしていたはずなのですが、今思うと、どれだけ頑張っていたんだろう、私。
本当に辛かったんだけれど、あまりに辛すぎて感情を切るようにしたのがこの頃でした。
手放しセミナーに参加したり、手放しのイメージワークを泣きながら毎日続けてみたりしたものの、執着がどうしても手放せず、離婚という選択がどうしてもできずで、それならば決められるまで私は私の気持ちを尊重しよう!と腹を括りました。
腹を括ったとはいえ、毎日思考しては揺れ動く日々でした。
けれどある種、一番恐れていた「子供が出来た」という事実を前にして、自分がどうしたいのかを決めるしかできない訳で、勝手に想像して不安になっていた時より気持ちが楽になったのは確かでした。
傷付いているし、悲しいし、不安がないと言えばウソだけれど、ずーーーっと「いつか言われるんじゃないあ?」とドキドキしていた時の方が苦しかったんだと思います。
年末までに答えは出せない!と何度も連絡をしてくる彼に「アパートにも来ても会わないから」と告げ、ひたすら手放しをするために泣きながらワークをしていましたが、
彼の気持ちを受け入れらない事は「彼にとって」は嫌な事だし、早く何とかしたい事ではあるけれど、私は私の気持ちをもっと大事にしていい。
私は私、彼は彼。
彼の子供が生まれることに関して、私は何も言うつもりはないし、自分が離婚したいと決められるまでは無理やり決めない。
執着するならとことん執着して、執着しきってもういいやってなったらちゃんときっと手放せるはず!
と、私が自分で決めると決意してからは、離婚の催促に関しては一貫して強くなりました。
もちろん、彼からそう見えているだけで、ずっとずっと悩み続けてはいたんですけれど。
新しい年を迎え、節分が過ぎて少しずつ日が長くなってきた頃、彼から急な連絡があり
頼むから、お願いだから、今すぐ離婚してくれ。
彼女が子供が生まれてくるのに離婚が成立していない事で精神的なバランスを崩し、自殺未遂をまたやった。
という連絡が来た時に、何かがプツッと切れました。
決められない私、大好きな人を苦しめる私、生きている価値のない私、もう希望がない私。
死のうと思ってフラフラと道路に進みだし、寸での所で我に返り心療内科を受診することにしたのですが、ここまで限界まで行った事で心療内科の先生と出会い、カウンセリングをしてもらい、自分を立て直していけました。
先生はポツポツと話しながら嗚咽する私の話を優しい表情で聞いてくれて、こう言ってくれました。
お疲れ様だねー。いっぱい耐えて、いっぱい頑張ってきたね。
好きで結婚した旦那さんにそんな事されたら傷ついちゃうよね。悔しいよね。
もういいんだよ、頑張らなくて。
よくその状況で、頑張ってきたね。すごいね。よくやってきたね。
そう、私凄く頑張ってきたんです。
すごく傷ついて痛し、悔しかったし、それなのにずっと大好きな人に責められていたし、自分でも自分を責めていました。
本当は「頑張っているね。よくやっているね。」って言って欲しかったんです。
その後、心療内科での定期的なカウンセリングや夫婦問題を同じように抱えている仲間たちが支えてくれて、少しずつ元気を取り戻し、私が自分で「もう大丈夫」と離婚を決意したのは、子供が生まれて1年が経ってからでした。
彼と彼女にとっては「待つ時間」はとても長かったとは思いますが、ずっと怖れていた不安が現実になっても、ちゃんと助けは差し伸べられたり、問題に対処できる力がついたりと、不安は乗り越えられるものでした。
すごく苦しかったけれど、でも今ちゃんとこうやって過去に出来ています。
すごく大変な思いはしたけれど(私も、彼たちも)、太刀打ちできないんじゃないか?と思う問題を想像して不安に震えても、本当にどうにかなります。
ちゃんと、過去にもなりますし、私は傷ついたけれどもう元気に笑って生きています。
今、いろいろと困難の中にあなたがいたら、あなたの大事な気持ちを分かってもらってください。
お友達でもいいですし、カウンセラーを頼ってもいいですし、信頼できる医療機関でも相談機関でもいいですから、あなたがもう充分に頑張っている事を、辛い事を分かってもらって
頑張っていて、本当に偉いね。
とっても辛いね。とっても苦しかったね。
って届けてもらえるだけで、自分の心がほどけていきますから。
そして、自分を取り戻していけますから。
あなたは今、置かれているこの状況の中で本当に良く頑張っています。
どうか、責められるのではなく頑張っている事を、苦しんでいる事を、耐えている事を「すごい事なんだ」と思ってくださいね。
時間はかかるかもしれませんが、いつか少しずつ夜は明けていきます。
その時まで、みっともなくてもいいし気持ちは揺れ動いていいから、あなたがあなたの気持ちを大事にしてあげられますように。