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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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哀しみが溜まる場所をさすりながら、それでも生きていく私たちだから

今日はホカホカ土曜日で
網戸の風が気持ちよかったですね

いよいよ今日からGWですね~~。

私はカレンダー通りなのですが、お天気よくスタートした今日は、心なしかお散歩をしている人も多かったような…。

今日は午前中に美容院を予約していたので、その前に仁くんとお散歩に行き、お天気がいいのでベッドリネン類を洗濯し、気持ちよい風を取りこみながら掃除機をかけ、その後で少し遅い朝ごはん。

ポチッとテレビをつけてみたら、丁度「旅サラダ」が流れてきて、女優の和久井映見さんが湘南を旅している途中でした。

「生シラスと釜揚げシラスの2色丼」を食べに行くシーンだったのですが、普段は特に気にもしないような旅の映像なのに、急にグッと胸が締まるような、大きな寂しさや悲しさに包まれるようなザワザワとしたものが湧きあがり、気付いたら少し泣けてきました。

まだ私が「夫婦」としてとてもうまく行っていて幸せだった時、趣味がサーフィンだった旦那さんと一緒に色んな海に行きました。

新潟は夏に向かって波が小さくなり、サーフィンには不向きだとかで、金曜の夜に「夜逃げみたい」って笑いながら、家族そろって太平洋側へ出かけ、車の後ろにベッドを組み立ててあるので、海に着くとそこで並んで寝て、朝早くに彼は海に消えていきました。

私はギンちゃんと仁くんと車の中に風を入れながらコーヒーを飲んで読書して。
退屈してくるとギンちゃん、仁くんとお散歩をして、戻ってきてはウトウトとシエスタして。

高速道路が1,000円だった割引き期間があった時期は、福島、宮城にもよく行きましたが、実は毎月のように湘南にも出かけていて、密かに思い出の場所がいっぱいあります。

私たち3魂を連れ立っての「家族旅行」も沢山ありましたが、私はサーフィンをしないので、サーフィン仲間とひたすら海三昧!と出かけていくことも多々あり、ある時、湘南に出かけた際に「いい波だったー」と満足いくサーフィンが出来た報告と共に、一緒に行った友達と『シラス丼』を食べてるおどけた写真がLINEで送られてきました。

何を思ったのか私を思い出してくれたようで、『湘南』と漢字が書かれたTシャツをお土産に買ったらしいのですが、それをシラス丼のお店に忘れてきたということに帰りの高速道路の道中で気付き、時すでに遅し…

お土産を買って「笑わせよう」「喜ばせよう」と思ってくれたことが嬉しくて。
旅先で思い出してくれたんだなぁ~ということが、じわーっと嬉しくて。

手元に「湘南Tシャツ」は届かなかったけれど、それ以降も家族で湘南に出かけてシラス丼のお店の前を通るたびに、あの時そういえば…って話をするのが定番でした。

それから3年もたたずに、夫婦問題で背を向けられることになるなんてあの当時はちょっとも想像できない未来でした。

そして今、大好きだった彼の手を離し、私たちはそれぞれに別の場所で別の世界を生きています。

テレビで湘南の映像を見ると、懐かしさや切なさを感じることは時々あるけれど、それは「思い出がキラキラする」ような、優しい胸のくぼみという感じで、すっかり過去の「楽しかった事」に変わっていたと思ったのに、過去の悲しみを呼び覚ますトリガーが”シラス丼”だとは思いもよらずで、自分でもビックリしました。

なんかすごく、胸が痛くて…
私は本当に幸せだったな。
愛したし、愛された時期だってあったんだな、って思うと同時に、私の後ろのソファーで寝ていたギンちゃんや仁くんに触れたら、ブワーッと涙がこみ上げました。

今の暮らしも、ちゃんと楽しくて幸せだし、離婚をしたことを悔やんだりもしていませんが、夫婦を解散せずに共に歩む未来が、やっぱり私は欲しかったなぁ。

そりゃ、寂しいよね。
そりゃ、哀しいなぁって思い出す時だってあるよね。

だって、私は好きなままつないだ手を離したんだもん。
すごくすごく悩んでもがいて、何年もかけてようやく受け入れたんだもん。

何がキッカケとなって「幸せな思い出」が濃く蘇るのかは、私にもよく分かりません。
また次回、シラス丼についての何かを目にしてた時に、今日と同じくらい胸がギュッとするかだって分かりません。

ひとしきり泣いた後、こんなにも「愛した人がいる人生」だなんて、悪くないじゃん!なんてちょっとカッコつけてみたりして。

そしていつか、また誰か(願わくばチオビー)と、新しいシラス丼の思い出を作って、幸せの色を重ねて、「記憶のシラス丼」がもっともっとキラキラと私だけの色になっていける未来が来ると信じて。

* * *

哀しみや寂しさは、文字通り胸がギュッと詰まるような、締まるような感じがあります。

英語では『heart breaking』という言葉がありますが、これは「胸が張り裂けるような悲しみ」を表現している言葉。
文字通り、悲しみは心が壊れてしまうくらいに辛いもので、悲しみの底に沈みこんでどうにもならない時には『My heart is broke』(心が壊れてしまった)とも表現するのだそう。

実際に、失恋や喪失が「心臓に影響を及ぼして死につながる」ということも報告されているそうで、ブロークン・ハート症候群(たこつぼ心筋症)というものがあるって、知っていましたか??

たかが失恋…
みんなが経験するもので、みんな立ち直れるから…

確かに、失恋で死に至ることは本当に稀だとは思いますが、でもね、悲しみや痛みは、みんなそれぞれに違うもの。
パッと手放して楽になれる人もいれば、その次の恋に臆病になってしまったり、失恋が大きな傷になって自分を愛せなくなってしまったり、人によってはいつまでも手放せずに執着することだってあります。

喪失は、100人いれば100の形があって、その背景にはその人たちだけの「思い出」「作り上げてきた時間」があるものです。

立ち直ることはできるとはいえ、それは人によっては「容易ではない」ことです。
時間薬(ときぐすり)を待ち、ひたすら耐えて悲しみや寂しさを飼いならす間、本当にどうしようもなくて苦しいですものね。

ましてやその時間薬は、必ずしも万人に効くかといえばそうじゃなかったりもしますし、するといつまでも悲しみと手を取り合っている自分が情けなく見えてしまったりして、ますます傷が深くなってしまったり。

もしも今、愛する人の手を離して悲しみに飲み込まれているあなたがいたら、どうぞ、その悲しみはおかしなものではないから、悲しんでいるあなたに毛布を掛けてあげるようにして、暖かい飲み物を飲んで、栄養のあるものや美味しいものを少しだけでも口にして、ゆっくりと身体を横にして、少しだけでも休むことが出来ますように。

哀しみは、いきなりにはなくならずに、紅茶の中に入れたお砂糖のようにゆっくり角がほどけて溶けていくものです。
少しずつ、少しずつですから、哀しみとしばらくは共存する自分を労わってあげてください。

胸がグッと締め付けられた感じがしたことでふと思い出したのが、小池真理子さんの著書『月夜の森の梟』の一節です。

小池さんがご主人を亡くされた後のことを書かれているエッセイともグリーフワークともとれるような一冊なのですが、そこには慢性的な肩こりが酷くなって整形外科に行った際の話がありました。

理学療法士は若い女性だった。彼女は私の全身を丹念にチェックし、「ここに」と言って左脇の肋骨部分に触れた。「かなりの疲れがたまってますね」
彼女は少しためらった後、「東洋医学では」と小声で言い添えた。「…哀しみとか寂しさは、肋骨の奥にたまると言われてます」
(出展:月夜の森の梟 / 小池真理子さん著)

哀しみとか寂しさは、肋骨の奥にたまる。

胸が張り裂けるような、胸が詰まるような感じがするのは、きっと世界共通の「悲しみの感じ方」なんだなぁって。

東洋医学では「肋骨の奥に溜まる」と表現されていますが、英語では「胸が張り裂ける」っていうように、胸がギューーーッってなるのが、哀しみの特徴。

私もひとしきり泣いた後、この話を思い出して『肋骨の奥に溜まっている哀しみ』を労わるように、優しく自分の胸や肋骨のあたりをさすってみました。

何を感じてもいいよ。
哀しみむことは、愛すること、だもんね。って。

さすったから何があったわけではありませんが、哀しみには何もできないからこそ「ちょっとした手当て」をしてあげるだけでも、自分に寄り添うことが出来ていると実感できて、自分が少しホッとします。

もしも今、どうにもならない哀しみで胸の奥が痛む方は、優しく胸や肋骨の辺りに触れてあげて、じんわりと暖かさで悲しみを包んであげてみてください。

あっ!
今日は久しぶりの美容院で、クセが酷くなっていたボサボサ頭をきれいにしてもらってきました。
前髪も久しぶりに少し短くしました。えへへ。

ではでは。
今日は3魂で実家に泊まりに行ってきます。

ノーアニマルの実家では、父が仁くんやギンちゃん切れを起こしているらしく「お肉とシャケがあるよ!」という、2魂におすそ分けがあるからおいでというお誘いを受けました。
おーーい、娘を誘惑するものはないんかーーーい!!

ということで、行ってきます。

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