【マミコのトンデモ理論部】私が幸せになれば世界も幸せだ!の巻
ちょっと奥さん!
新潟は連日の猛暑&晴れ続きで、ダムの貯水量0の場所が出てきているんですって!!
今年の梅雨は、雨が多くて「梅雨らしい梅雨」だと思っていたのですが、言われてみると梅雨明けしてからは雨は数えるくらいしか降っていません。
雨はいつから降っていないんだろう?と思って調べてみたら
7月20日から今日までずっと、まるっと1か月雨が降っていませんでした!!
しかも、晴れが続いている期間はずっと暑く、8月になってからは「最高気温33度」を下回る日がないという事実にビックリ。
私は夏休みが明け、昨日から本格的な社会復帰。
昨日は尋常じゃない量の作業で全く余裕がなかったのですが、今日は昨日と比べたら余裕があってありがたい。
今日は週イチ出社当番日だったので午前中は会社に行って来たのですが、朝からすごい暑さで汗だくでした。
会社での作業を終えて戻ってくると、24時間冷房にしている室内で差し込む光を感じつつ、無防備で健やかに寝ている愛おしい2魂が待っていてくれました。
いつもはソファーの上でゴロンとしている仁くんですが、今日は珍しく床の上でビトーーンと寝ていました。
はぁ、愛おしい。
私は2魂がいてくれて、彼らに快適に過ごしてもらえるようにするためのお金を稼ぐ!というのが、仕事をするモチベーションになっています。
やりがい!とか、勤労は義務!とか、そんなんじゃなくて、私は「2魂を養うため!!」に働こうと思えるんですよね。
頑張るための動機や、継続するための力になるものは、人によってそれぞれ違っています。
ひとりだったらきっと、私はもっとずっと前に頑張れなくなっていたかもしれません。
2魂がいてくれたから、私は前進しよう!と勇気が出せたんだもん。
いつもいつも、ありがとう。
頑張る力にもなってくれて、ただいてくれるだけで笑顔にならせてくれて、抱きしめたらあったかくて、私のダメな姿も弱い所も全部知っていても全力で愛してくれる、2魂はかけがえのない私の宝物です。大好き♡
はっ!そうね。
私は前置きが長過ぎて、自分でも「本題にたどり着けない問題」をどうにかしたい!と思っているので、ギンちゃんの誘導に乗っかってここから急に本題DEATH!!
* * *
私は長い間「私は恥ずかしい存在で、みっともないから嫌いだ」と、自分で自分のことを愛せずに嫌って生きてきました。
なので自己肯定感と呼ばれるものは、果てしなく深く地中にめりこんでいる状態。
まぁとにかく、生きづらかった!!!
自分が恥ずかしくて「亡き者」にしたいとすら思って嫌っていた訳ですから、自分の意見に価値があるとか、自分が自分の感情や思考を大切にしていいなんて思えるはずもなく、もう思いっ切り他人軸で人の目を気にして生きてきました。
嫌われることを怖れているので、NOは言えませんでしたし、苦手な飲み会などに参加しても場の空気を盛り上げなくては!!と必要以上に気を配ってはヘロヘロに疲弊。
翌日には「失礼なことはなかっただろうか?」「あの一言は余計だったのでは?」と一人反省会をして猛烈に後悔してしんどくなる日々。
当然、八方美人で人の意見に合わせるイエスマンでした。
いつも人に気を使って、傷付けてしまわないように、間違ったことを言わないようにとオドオドしていました。
だから当然のように「この場での正解はどれだろう?」という事ばかりグルグル思考して、何もしていないのに疲れる日々を生きていました。
自分をすり減らせてまで与えていました。
そうしてでも「嫌わないでね」「私を受け入れね」って思っていたから。
自分には価値がない・恥ずかしい存在だと思い込んでいたから、自分で認められない分だけ外側から認めてもらおうと躍起になっていました。
でも、どんなに認めて・褒めてもらっても、少しも受け取れませんでした。
だって、「本当の私は恥ずかしくてちっぽけで、素敵じゃない」って、自分を雑に扱っていたから。
私が私を大切だと思えていなかったから、人が「大切だよ」って言ってくれてもそう思えなかったんです。
外側から認めてもらいたくて躍起になっているのに、いざ認めてもらっても鉄壁の防御ではじき返す。
あはは、そりゃ、しんどいよねぇ。
愛して欲しくて・分かって欲しくて健気に頑張っていたのに、私が私を大切に扱うことをしてあげなかったばっかりに受け取ることも出来ずで、ほんと、ごめんね。
そんな自分がしんどい…と思い続けていた中で、一冊の本に出合いました。
心理学に興味を持つキッカケにもなった「自分をわかってあげる自己愛心理学(高橋美保さん著)」という本。
自分の気持ちに嘘をつかない
本の中のこの言葉に本当にハッとさせられたのですが、私は自分の気持ちに嘘をつくどころか、自分の気持ちなんて分からなくなるくらい、人のことばっかり気にして自分を蔑ろにしていました。
ここから少しずつ、自分を大切にすることや「自己愛」「自己肯定感」という言葉に出会って、自分を少しでも楽にしていきたい!と、あれこれ実践するのに…
あまりに自分を蔑ろにして嫌い過ぎていたため何をしても心が閉じて響かず、撃沈して自分をさらに嫌うという悪循環の沼にハマっていました。
今思うと、何をしてもダメだと思っていた時期は、硬くなっていた自分の心を耕してくれた「結果はでなくても土壌を作ってくれた時間」だと思っています。
がっ!!
生きづらい時には1秒だって早く結果が出て欲しいと焦るので、何してるんだろう…何をしてもダメなんだ…とネガディブ全開でした。
そんな中で、またしてもハッとする言葉に出会いました。
作家の小川糸さんが書かれたエッセイ「これだけで、幸せ」という本。
ノートに書き留めて、何度も何度も読んだ言葉がこちらです。
人からどう思われようが関係ないのです。
大切なのは、自分がどう生きたいかということ。自分だけの幸せのモノサシを持つことです。
極論を言えば、自分が幸せになれればいい。
(引用:これだけで、幸せ / 小川糸さん著)
人からどう思われようが関係ない。
大切なのは、自分がどう生きたいか。
か、か、か、か、かっこいーーーー!!いーーー!いーーー! ← 歓喜のひとりやまびこ
人にどう思われるかばかり気にして生きている私から見たら、なんて潔くカッコいい生き方だろう。
この言葉に出会ったのは、1度目の夫婦問題のときでした。
「問題は自作自演」「自分が自分を扱うやり方で人からも扱われる」といった、心理学的なことも知識として少しだけ知り始めた頃だったので、すごくストンとこの言葉が胸に落ちました。
ずっとずっと、人からどう思われるかばかり気にして生きてきたのに、結果がこのザマかよ?!
そうだそうだ、私がどう生きたいか!それを大事にしてあげなくちゃ、私がかわいそうだ!!
そんな風に思って、自分の気持ちを大事にしていくぞ!と決意しても、慣れ親しんだ「人にどう思われるか」というクセは強く、はじめのうちは全くこの言葉の通りのことを考えることなんてできませんでした。
でもアファメーションのようにブツブツと念じてきました。
人にどう思われるかは関係ないよ。
自分がどう生きたいかが大切で
極論、私が幸せならそれでいいんだから!!
小川さんの言ってくれた『極論』という言葉に、どれだけ私は勇気をもらったか。
そして、長い間ずっと「人からどう思われるか」ばかりを気にして生きてきた私は、ちょっとずつ、1㎜ずつその感覚をゆるめていけるようになり、今では小川さんの言葉をニッコリ笑って『そうよね~♡』と言えるまでになりました。
こう言えるまでに、この言葉に出会ってから8年かかりました。
ゆっくり、ゆっくり。
私の歩みはいつも通りに「亀の速度」だけれど、それでも「周りの誰か」の期待に応えようとして生きる私ではなく、私がどう生きたいかを考えて大事にし、少しずつ現実化させていけるようになりました。
もちろん、今だって人の目や「どう思われているか」が気にならないわけではありません。
けれど、「人にどう思われるのか?」が、昔のように自分を支配する程の力を持つことはありません。
チクッとすることはあっても、世界一大事な私に向き合い・私のことを考えてあげる方がいいな!って笑って言えるほどに、私は私の味方になることができました。
* * *
この言葉がストンと落ちたのは、【極論】という言葉があったのが大きかった気がします。
自分を好きになりたい、自己肯定感を上げたい!って思っている人ならば、「周りの人の意見ではなく、自分の幸せや心地よさを大事にすべし!」と言うようなことは、耳タコ状態で分かっているんですよね。
分かってるのよ!
分かってるけど、それができないことで自分を責めて嫌うという負のループなのYO!
いわゆる「正論」が実践できない、正論が自分を責める武器になるならば、ほんのちょっと見方を斜めに変えて見たり、自分を笑わせてあげながら、脇道からゆっくりと自分を好きになっていきませんか?
登山道だって王道なルートもあれば、険しいけれど最短ルートや、ゆるやかだけれど時間がかかる道、そこはコースじゃないけどなぜか合流できる道、休憩するための東屋や山小屋で立ち止まる場所…というように、目的地までの道はいっぱいあります。
極論・私が幸せならそれでいい!!
そう思うために、トンデモ理論を持ち出してみませんか??
私はガチスピ…になれるほど頭が良くない(いろいろ理解できない)ので、めっちゃ「ゆるスピ」で生きています。
ゆるスピとか言っていますが、自分にとって「これいい!」と思える理論とか知識だけを、自分に都合よく「おいしいとこどり」してるというのが正しいのですが…。いいの、いいの。
だってこれが、マミコ・スターーイル!
スピの世界では常識的(?)な話として、こんな言葉があります。
世界の中心は私で、世界は私。
さぁ、怪しくなってきましたNE。
一人一個の世界なのだから、世界は自分を中心に回っているというような概念なのですが、これをもっと簡単に表現すると
自分=世界、世界=自分。
いやね、そうだろうな…とは思うんですよ。
思うけれど、私の思考とか常識という世界観では、こんな言葉聞いたこともなかったので、最初聞いたときはポカーンとしました。
でもね、スピ界隈では「そんなの当然でしょ?生きるために呼吸するのに『なんで呼吸が必要なの?』って思わないのと同じくらい、当たり前の考えよ」という感じの定説(?)です。
スピを常識で考えるのは無理!
非常識にブッ飛んで、頭のネジを抜いちゃって「人間的観点」なんて無視しないとなんです。
スピ的視点で見たら、「世界は自分を中心に回っている」んです。
つまり、世界の中心は自分だから、結果、人からどう思われようが私が幸せならそれが世界に浸透していくんです。
世界=自分なのですから、私が幸せなら世界も幸せになっちゃう♡
ねっ! ← なにが「ねっ!」なのか…
極論というかトンデモ理論で自分を納得させて、少しでも自分を愛して幸せにしていければいいじゃない。
世界は私。
ならば、小川糸さんの極論である「自分が幸せになれればいい」というのは、私が世界 → 私が幸せになると世界も幸せ。だって、世界はわたしだから!!
ねっ!完璧でしょ。
こんなときにスピを使わないでどうするの?
スピはいつ使うの??
今でしょ!! ← 林修先生 降臨
自分がどう生きたいかが何より大切で、自分の幸せを最優先していい。
それはひいては、私が中心の世界をもっともっと豊かで心地よく、幸せに変えていくために「やらなければいけない使命」だから。
世界の中心、いわゆる王様のような存在のあなたが、幸せのリーダーシップをとっていく必要があるんですものね。
自分を大事にしていい、ということに対して時に心が反発してしまう時には、手を変え品を変え、考え方をわき道に逸らして寄り道しながら、トンデモ理論でいきましょ!
ということで、これからも時々『トンデモ理論部』として、どうでもいい考え方を長文過ぎる長文でお届けしていこうと思います。
だってこれが、マミコ・スターーイル!